第161話 堕ちていく炎
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━アポロンは白い部屋に立っていた。周りを見渡しても何も無い。ただ、白い壁と床があるだけ。足元は何も無いように見えるが、感触があるため床があると判断できる。
「……」
アポロンはその空間に1人立っていた。そして、目の前の無限に広がる空間に目をこらす。
「出てこい」
アポロンはそう言った。すると、バサバサと音を立てて空から黒い羽が降ってくる。アポロンは空を見上げてその羽を落とす者を見ようとした。
「前を向きなよ」
後ろから声をかけられる。アポロンは慌てて振り返った。しかし、誰もいない。
「前を向きなって言ったでしょ?」
「っ!?」
その言葉は前から聞こえた。アポロンは慌てて前を向く。すると、そこには知らない男が立っていた。その男はかなり美形で右の肩甲骨ら辺に黒い羽が1本生えている。
アポロンはその男を見た瞬間に言葉を失った。そして、その男が危険であるということだけがヒシヒシと伝わってきた。
アポロンは咄嗟に攻撃しようとする。しかし、体が上手く動かない。それどころか、力が入らない。
「無理だね。もう君は僕の術中。そして君じゃ僕の術を解けない」
「勝手に決めんな!」
「これは事実だろ?」
アポロンの言葉に男はそう返す。アポロンはその言葉に怒りの感情を覚えるが、言われた通り体を動かせない。
「君はもう少し状況を確認した方がいい。君は僕の手のひらの上にいるんだ。何時でも握りつぶせる。それに、僕は君と戦いに来たわけじゃない」
男はそう言ってアポロンに近づいた。そして、アポロンの肩に手をおきニヤリと笑うと、耳元で囁くように言った。
「僕の力を貸してやるよ。真耶に勝ちたいんだろ?どうしても。勝ちたくて勝ちたくて仕方ないんだろ?手段を選んでいる暇は無い。お前の実力ではあいつには到底及ばない。さっきも力を与えてあげたけど、それでも決めきれなかっただろ?君は弱い。このままでは勝てない。何も出来ず無様に散るのか?」
男はアポロンにそう語り掛ける。アポロンはその言葉に大きく心をゆらがせた。先ほどの力……あの力はどれだけ特訓しても、到底手に入るものでは無かった。そして、黒く禍々しい力だった。
「っ!?……俺は……聖闘士として誇りを持っている……。だから、邪悪な力などには手を出さん!」
アポロンはキッパリと断った。しかし、男は表情を微動だにしない。まるでわかっていたかのようにニヤついている。
「まぁ、君がそういうのも分かってるよ。だから僕はあえて君と2人きりになるようにしたんだから」
男はそう言って笑った。その顔は先程よりも不気味さが増している。
「ねぇ、君は本当に勝ちたいんだろ?真耶に。どうしても勝ちたいんだろ?だからああしていつも倒すことだけを考えていた。でも、実力の差はもうわかっただろ?僕の力を少し使っても勝つことは出来なかった。君には力が足りてないんだよ。でも、そのままだとただ殺されるだけだ。お前も馬鹿じゃないなら分かるだろ?なぁ?」
男の言葉はアポロンを誘惑するものだった。まるで、心の底からアポロンを汚そうとしている。そんな感じだった。
「……!」
アポロンはその甘い言葉に誘われそうになった。しかし、まだプライドがそれを拒む。その悪の言葉に惑わされまいと耐える。しかし、その誘惑はアポロンにとって希望の星でもあった。これまで達成したいと思っていたことを達成することが出来る、そんな素晴らしい力だった。
「……決めきれないか。だから弱いんだよ。君は1度自分の実力を知った方がいい。僕と勝負しようよ。君が僕に触れられたら君の勝ち。触れられなかったら僕の勝ち。3分間の勝負だよ。ハンデとして僕は空を飛ばないよ。さ、かかってきて」
男はそう言って手招きをした。アポロンは何が起こっているのか分からなかったが、挑発されていることだけはわかる。それに、戦いとなれば本気でやるのがプライドだ。
アポロンは地面を強く押し、凄まじい速さで男を襲った。炎が猛り狂う拳が男を襲う。しかし、男はそれを難なく躱した。拳に纏う炎さえも当たらない。
アポロンはそこから更に連撃を繰り出す。マシンガンのように連続で繰り出される拳が男を再び襲う。しかし、それすら当たらない。まるですり抜けているのではと思えるほどに当たらない。
アポロンは男を見て言葉を失った。これまでなんとなく感じていたその絶望的な強さをこの目で見てしまったからだ。しかし、それでも手を止めることは無かった。全力で男を殺そうとする。
常人ならもう死んでいると思われるほどの攻撃をアポロンは放つ。3分間という短い時間に絶え間なく放ち続ける。
空間が紅蓮に染まる。血よりも濃く紅い炎がその空間全てを燃やしつくそうと埋めつくした。
しかし、それでも男には当たらなかった。これっぽっちも、カスリすらしていなかった。
「はい、これで3分経ったよ。僕の勝ちだね」
男はそう言ってアポロンの背後に立った。アポロンはその男の強さに言葉どころか闘争心さえも失ってしまった。男はそんかアポロンを見てニヤリと笑う。
「さぁ、これで理解したかな?君は弱い。圧倒的に。君に足りないのは訓練の時間や勝とうとする気持ちなんて高尚なものじゃない。圧倒的な力だよ。君には力が全くない。素質も活かしきれていない。無駄なプライドが君の成長を妨げている。無駄なものは捨てろ。今僕の手を掴み力を手に入れろ。真耶に勝ちたいんだろ?」
男は言った。そして、アポロンに手を差し出す。表面上は好青年だ。だが、その表情の裏にある黒くドロドロしたなにかがアポロンに強い恐怖の念を覚えさせた。
「君に選択の余地はないよ」
男はさらに続けて言う。
「無駄死にを選ぶのか?」
さらに男は言う。
「馬鹿な男だ。無駄なプライドのせいで生きてきたもの全てを無駄にする」
男の言葉はアポロンの心に深く突き刺さる。
「あの女のようだ。馬鹿で、無様に死ぬ」
「っ!?貴様!まさかヘファイストスを……っ!?」
アポロンは男に襲いかかる。男は恐怖に満ち溢れた笑みを浮かべながらアポロンの首を閉めた。
「冗談だよ。まだやってないさ」
男はにやけた顔で楽しそうにそう言った。
「僕は優しいからね。あの女が死ぬかどうかは君にかかっているとだけ伝えておくよ」
男はそう言って掴んでいた首を離す。
「さぁどうする?真耶に勝つ道を選ぶか、負ける道を選ぶか……」
男の目が怪しく光る。アポロンはその目に惹き付けられた。しかし、まだプライドが拒む。
男の言葉がアポロンの心に刺さった。負けたくない。強い意志がその言葉に惹き付けられる。しかし、まだプライドがそれを拒んだ。
男の力が……強さがアポロンを引き付けた。その凄まじい力を手に入れられる。その力さえ手に入ってしまえばなんでも出来る。誰にでも勝てる。誰とでも戦える。誰でも殺せる。
暗い……暗い……深く暗い、そしてどす黒い気持ちがアポロンの心の中に生み出された。それは、今目の前にある欲望と希望、そして絶望、全てのことに対して貪欲に欲している。
黒い黒い気持ちはどんどん大きく広がっていく。正体の分からない力にどんどん手を伸ばしていく。それは止められない。止める力も気力も何も感じない。
その手は無限に伸びていく。その力を手に入れるためどんどん伸びていく。触れてはいけないとわかっていても、伸ばしては行けないとわかっていても、その手はどんどん伸びていく。
気がつくとその手はアポロン自身の手に変わっていた。もう心の中が欲望に埋め尽くされその力を欲している。たとえ世界が壊れようと、体が朽ち果てようと、アポロンはその手を伸ばす。
「力を……よこせ……!」
アポロンがそう言った刹那、男の顔が歪んだ。恐怖に満ち溢れたどころの話ではないくらい歪んだ笑みを浮かべた。
「いい応えだ!これをくれてやる。耐え切れるかはお前次第だ」
男はそう言って羽を1つアポロンに向かって放った。その羽はアポロンの心臓に突き刺さり、特殊なエネルギーを流し込んでいく。
「っ!?グォァ!ガァァァァァァァァァ!!!」
アポロンの雄叫びがその空間に響き渡る。
「アァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
空気さえも揺らしてしまう強烈な雄叫びが空間を完全に埋めつくした。男はそんなアポロンを見てさらに顔を歪ませて笑う。しかも、この上なく楽しそうに。
しかし、アポロンはそんな男のことを気にする暇などなかった。全身を感じたこともないどす黒い力が流れていくせいでまともに考えることなどできない。
しかも、全身に絡みつくように纏われる黒い魔力が重たく心を蝕んだ。
「……はぁ、こいつはダメだな」
男はそういった。その目線の先には倒れ込んで目、鼻、口、その他もろもろから血をダラダラと流し倒れているアポロンがいたからだ。
少しして男に力を流し込まれたアポロンは完全に動かなくなった。しかし、死んではいない。だが、たとえ生きていたとしてももう普通の存在として生きるのは無理だろう。
「……色んな意味で人を捨てた……いや、こいつは神だから神を捨てたのか」
男はそう言ってアポロンに背を向ける。そして、アポロンの姿を一瞥してどこかに消えていった。そして、アポロンは目覚める。
「……」
その目はどす黒く染まり、紅く光り輝いていた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……真耶の前に現れた男は真耶に向かって言った。
「やぁ、久しぶり」
真耶は、その男を見るなり言葉を失った。そして、強烈な殺気を放ち牽制する。
「なんだよ?俺のこと忘れたのか?」
「その逆だよ。覚えてるからこそこうして殺気を放っている」
「なんだ、それなら良かったよ。僕のことを忘れてなかったんだ」
「忘れるわけねぇだろ。あの日……お前は死んだんだからな」
真耶はそう言って男を睨む。そして、小さな声で言った。
「……生きてたのか……ルシファー」
その言葉は小さくとも、静かな空間にこだまし、2人の耳にはハッキリと聞こえた。
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