亀裂3
カフェからの帰り道バートは事の重大さに呆然とする。
騎士団は上下関係に厳しい。
ついエリスのことでかっとなり、他師団とはいえ格上のしかもエリートである第一師団の騎士に口答えをしてしまった。そのことに青くなる。
アマンダはバートに謝った。
「ごめん、あたしのせいだ」
「いや、違う。俺はあの時、エリスを許せなかったんだ。もっと心が広く、穏やかな女性かと思っていた。お前のせいじゃない」
バートは力なく首をふる。
本当はエリスにも、エリスの実家にも不満がたまっていた。あの家はすぐに貴族の習慣や礼儀を押し付けてくる。読み書きが苦手なので、手習いまでするように言いつけられ、プライドをいたく傷つけられていたのだ。
エリスも貴族の令嬢らしく父母のいうことを唯々諾々と聞いていて、それが嫌だった。
「でも、あんなに頑張ったのに、騎士爵が剥奪になったら」
いつもは明るいアマンダが、泣きそうな顔をする。
「それはつらいが、おそらく大丈夫だろう」
「どうしてそう言えるの? 」
「俺はエリスと婚約しているんだ。それはない。貴族の親が、騎士爵すらない男の家に娘を嫁がせるはずがないからな」
あの両親はとてもエリスをかわいがっている。エリスは甘やかされて育ったお嬢様なのだ。
「でも、これで婚約が破棄されてしまったら?」
「それこそ、貴族の横暴だろう? 俺は悪いことは何もしていないのだから」
「そう……なら、いいけれど。でも、ほんとはちょっとすっきりしたんだ。あんたが、エリスを殴ってくれた時」
「え?」
「ほら、あんたが先に帰った日あったでしょ。あたし、あのお嬢に怒られてさ。慣れ慣れなしすぎるとか……いろいろ。ほら、あたしって学もないし、ばかじゃない?」
アマンダは悲しそうに言う。
「それは、本当か? 本当にエリスがそんなことを言ったのか?」
戸惑ったような表情でバートがアマンダに聞く。
エリスは庶民出の騎士である彼に、常に礼儀正しかった。他のエリート騎士とかわらない態度で接してくれていたのだ。
「え? あたしの言うことを疑うの?」
アマンダはびっくりしたような顔をする。それから少し傷ついたようにうつむいた。
「いや、彼女がそんな人とは思えなくて、俺と婚約する前に伯爵家から、エリスに婚約の打診があったと聞いた。彼女はそれを蹴って俺を選んでくれたんだ」
ふとバートの頭に、アマンダに対する違和感がよぎった。
「そうだ。きょうは散々だったね。相手も一人で来るって言ってたのにね。お偉い貴族の友達を引き連れてくるなんて」
「いや、それはないだろう? 彼女は約束を守る。それに彼らは外の馬車の中にいたのだし。本当に心配で様子をみにきていただけだろう」
それは事実である。もちろん彼も約束を破ったつもりはなかった。あのカフェにアマンダが来たのは偶然なのだから。
「そんなの、わからないじゃない。お貴族様のすることだもの」
「まったく相変わらず、お前は貴族がきらいだな」
バートがあきれたようにアマンダを見る。
「そんなことない。きれいなお花や宝石はくれるし、劇団や劇場にとってはいいパトロンよ」
そういってアマンダは笑った。
◇◇
数日後バートの元へ、エリスとの婚約破棄を知らせる手紙が届いた。
一方的に破棄されたのだ。
バートは納得いかなかったので、エリスの屋敷まで行ったが、門を開けてもらえず、代わりに執事が出てきた。
「旦那様からのお言葉です。――お嬢様の願いで、あなたから暴行を受けたことは訴えないそうです。だからあなたの騎士爵の剥奪はありません。それを温情と思えとのことです」
バートは大声でエリスの名を叫んだが、憲兵を呼ぶと言われ、門前から追い払われた。
バートは悄然として、自分の屋敷に戻った。いきなり婚約破棄になってしまってバートは混乱した。
それにまだエリスを愛しているし、別れるつもりなど毛頭なかったのだ。
バートが落ち込んでいると、玄関のノッカーが激しくなった。
エリスが来てくれたのかと思い慌ててドアを開けると、アマンダが立っていた。
「どうかしたの? 顔がまっさおじゃない?」
驚いたようにアマンダがバートを見る。
「お前は何しに来たんだ?」
アマンダが訪ねてくるとは思っていなかったし、エリスではなかったので落胆した。
「ああ、お客さんから、焼き菓子をたくさんもらったから、あんたにおすそ分けしようと思って。あんた、あの日ちょっと元気なかったみたいだし」
そういって、家の中に入ってこようとする。
「ちょっと待て、もう二度とこの家には入らないと言っていなかったか?」
彼女がこの家に入ることに抵抗を感じた。
「いや、そりゃあ言ったけど。あんたの様子がおかしいからさ」
やはり、バートはアマンダの行動に違和感を覚える。だが、それはもやもやとした感覚で、はっきりと形をとらない。
「大丈夫だ。一人にしておいてくれ」
これは本音だった。
少し一人で冷静に考えたかった。彼はようやく、自分が何かを間違えたのだと気づき始めたところだった。
「だめだよ。一人でいちゃ。あたし、友達として放っておけない」
アマンダはそういって家に強引に入ってくる。かすかに嫌悪を覚えたが、バートには強く彼女を制するような気力も残っていなかった。
すると彼女は勝手知ったる他人の家とばかりに湯を沸かし、二人分の茶を入れ始めた。
ふと、エリスの言った「妻のように」という言葉が胸に刺ささる。確かにアマンダの振る舞いは……。
「婚約破棄されてしまったよ」
バートがぽつりと口にする。
「え? まさか、貴族のお嬢さんと?」
「そうだ」
「そんなの許せない。だって、バートは何もわるくないよ! あたし、あのお嬢と話してくる」
アマンダが怒って言う。
「いいよ。もう終わったんだ」
あの家の門扉が、自分の前で開かれることは二度とないのはわかっている。
「そんな! 悔しくないの? あんた、貴族の娘にもてあそばれたんだよ」
「そんなことあるわけないだろ。彼女はそんな人じゃない」
バートはアマンダの発言に首をふる。
「そう……。あんたがそういうのなら、そうなんだろうね」
アマンダは納得がいかないような口ぶりだ。
「この家も引っ越さなければ。荷物をまとめるから、今日はもう帰ってくれ」
バートはアマンダを初めて煩わしく思った。
「え? なんで引っ越すの? ここで暮らせばいいじゃない」
アマンダが驚いたように言う。帰れと言っているのに彼女は椅子に座り紅茶を飲み始める。
「俺が一人で暮らすには広すぎる」
「そんな、じゃあ、あたしが一緒にくらすよ。もちろん、家賃も入れる」
バートは彼女の親切に疑惑をいだいた。
「ここはエリスと結婚して、一緒に住むために買った家だ」
「だから、あたしとは住めないんだね」
アマンダが傷ついた顔をする。
「そうじゃない。彼女の父親と折半で買ったんだ」
「え? あんたが、報奨金でかったんじゃないの?」
「まさか、貴族のコネもなしに、これほどいい場所に家が買えるわけがないだろ。彼女の父親に世間的にはそういうことにしておいてくれと言われたんだ」
びっくりしたようにアマンダが、椅子から飛び上がった。
「え? なら、この家、売っちゃうの? それってひどくない? 一方的に破棄されたんでしょ? 慰謝料にもらっておけばいいじゃない」
彼女はそれが当然のことのように言う。
「お前、いったい何を言っているんだ」
バートはアマンダの発言に驚いた。そんなあさましい真似は彼の騎士としてのプライドが許さなかった。
「だって、それじゃあ、あんた、全部お貴族様の言いなりじゃない」
「……」
ことここにいたってアマンダに対する不信感が膨れ上がってくる。
だが、それを認めてしまうことは、今まで自分のしてきたことを否定することで。
結局、彼の思考はそこで止まってしまう。
「本当に帰ってくれ。そういうことじゃないんだ。けじめはつけなくてはならない」
それだけははっきりと彼女に告げる。
「あたしら、お互い頑張ったよね? あのひどい孤児院から抜け出すために。あんたは騎士になり、あたしは劇団の看板女優になった。
まあ、あたしは小さな劇場のだけれど。お互い励ましあって頑張って夢をかなえたじゃない。それなのにあんたは貴族の娘の気まぐれに一方的に振り回されて」
アマンダが机に身を乗り出して、たたみかけてくる。
「そうじゃない。夢はかなえた。だが、夢をかなえた後に、俺は間違えたんだ」
「え?」
「本当に帰ってくれ」
そういって、バートはアマンダの背中を押す。
「ちょっと待ってよ。あたしはあんたのために」
「俺のため? 自分のためにの、間違いじゃないのか?」
アマンダは驚いたように目を見開く。
「え、ちょっと何言ってんの? いきなりどうしちゃったの? まあ、とりあえず今日はかえるけれど。また様子見にくるから」
バートはアマンダを表に出すと、ばたりとドアを閉ざした。
◇
バートはその日のうちに、荷物をまとめて家を後にした。
「アマンダを家にいれるなど、間違っていた」
(俺はエリスを愛している。彼女はもともと高嶺の花だったんだ。俺が手に入れられるような女性ではなかった……)
エリスに焦がれるような思いは熾火のように残っているが、バートはこの恋が終わったのだと悟った。