暗雲1
月曜日、エリスは初めて下町の朝市にいった。シンシアと一緒に、ブライアンが護衛としてついてきてくれている。
市場はごった返し、ひどいありさまだった。
ブライアンが言うには、スリも多く危険な場所らしい。
だが、ブライアンが騎士団の制服を着てくれたおかげで、おかしな連中にからまれることもなく、エリスはすんなりと串焼きを買うことができた。
「今日はありがとうございました。こんど必ずお礼をしますね」
エリスは丁寧に二人に礼を言う。
「まだこれからよ。私たちが、バート様の家までお送りするわ」
シンシアがわくわくしたように言う。
「なんだか、そこまでしてもらっては申し訳ないわ。それに治安のいい地区にあるので大丈夫」
「いや、ここまで来たんだ。ぜひとも送らせてくれ」
ブライアンにも言われ、エリスはお願いすることにした。両親には一人暮らし男性の家に、一人で行ってはいけないといわれているのだから、エリスにとっても好都合だった。
それに二人がついているからという理由で、渋い顔をする両親に下町へいく許可を取ったのだ。
「それではお二人には改めお礼をしますね。よろしければ、うちにお茶にいらしてくださいね」
「いや、礼を貰うほどのことではない。妹の買い物のついでに君を送るだけだ」
気さくな調子でブライアンが言う。
「そうよ。でもお茶会はぜひ! ね? お兄様」
「まあ、それくらいならば、しかし、私は気の利いた話などできないぞ」
「お兄様は、座ってくれているだけいいのよ」
二人の仲の良さにエリスは笑った。エリスにも兄はいるが年が離れているので、彼らほど交流はなかった。
しかし、馬車をバートの家の前に乗り付けるのは気が引けた。
少し離れた場所にとめ、ブライアンにはそこで待機してもらい。やはり、一人で尋ねるのは外聞が悪いので、シンシアに付き合ってもらって彼の家のノッカーをたたく。
すると「はーい」という若い女性の声が聞こえてきた。
エリスはびっくりしたが、メイドでも新しく雇ったのだろうかと思った。しかし出てきたのは、ほとんど下着姿のアマンダで、エリスもシンシアも絶句した。
「あら、朝からどうしたの? ああ、そっか、バートね。今、呼んでくる」
そう言って屋敷の奥へ消えようとする彼女を、エリスは慌てて止める。
「あの、どうしてあなたがここに? 一緒に住んでいるの?」
アマンダはびっくりしたような顔をする。
「まさか! 住んでいないよ、昨日舞台がはねた後、この近くで遅くまで飲んでて家に帰れなくなっちゃって、泊めてもらっただけ。ああ、くれぐれも変な勘違いしないでね!」
笑いながら、からりとした調子で言う。しかし、一軒家には男女二人しかない。シンシアは横で眉をひそめている。
「あら、そちらのお嬢様はお友達なの? よろしく私、バートの幼馴染なの」
そういって彼女はシンシアに手を差し出すが、シンシアは後ずさりした。彼女のなれなれしさとはすっぱな口調に驚いたようだ。
「え? 何? 庶民とは手も握りたくないって?」
今まで人懐こい笑みを浮かべていたアマンダが、そういってシンシアにすごんだので、エリスはびっくりした。思わず庇うように、シンシアの前にでる。
「やめてくだい!」
アマンダはずいぶんと非常識だと思った。本当に庶民とは、皆このようなものなのだろうかとふと疑問がわいてきた。
「おい、アマンダいったい、朝っぱらから何の騒ぎだ? この地区では騒ぐなといっただろ」
バートが素肌に肩にシャツをひっかけ、ズボンをはいただけの姿で玄関にでてきた。
「いや!」
シンシアは真っ赤になって顔をおさえると後ろを向いた。今にも逃げ出しそうだ。
そう二人の姿はまるで情事の後のように見えた。
「え? エリス、どうして、君がこんな時間にここに?」
バートが目を見開く。そして慌ててシャツのボタンを留めた。
「あの、バート様が、これが好物だと聞いて。下町の朝市で買ってきたんです」
そういって、エリスはバートに紙に包まれた串焼きを差し出すと、バートがいぶかしそうに包みを受け取った。