初恋に破れたその先に。エリス
エリスはバートと破談になってから、静かに時を過ごしていた。
父母には散々心配をかけた。そのうえ、一度破談した娘だ。今後の縁談はむずかしいかもしれない。
もうすぐ嫡男である兄も結婚する。
いつまでも家にいるわけには行かず、エリスは修道院に行こうと心に決めた。
そんなある日、シンシアから茶に招かれた。週に一度は彼女とこうして茶を飲む。それがどれほど心の支えになって来たか。
今日はシンシアに修道院に行く決意を伝えようと思った。バートへの思いを振り切るための苦しかった二年の間、彼女はずっとエリスの支えになってくれていた。
定刻通りに伯爵家を訪ねると、バラの咲く庭園へ執事に案内される。うららかな日差しのもと、バラのよい香りが漂っていた。
真っ白なクロスが敷かれたガーデンテーブルには、所狭しとサンドイッチや焼き菓子が並べられている。
そして今日はブライアンもいた。エリスは彼を好ましく思っていた。彼らは兄妹で彼女の心の支えになってくれていたのだ。
忙しいにも関わらず、ブライアンはこうして茶会に参加しては騎士団での愉快なエピソードを披露してくれたり、菓子を差し入れたりしてくれる。彼ら兄妹のおかげで立ち直れたようなものだ。
もちろん両親の助けもあったが……。
「やあ、久しぶりだね」
ブライアンが快活に挨拶してくる。
「ふふふ、先週以来ですね」
知らず笑いが零れてしまう。
茶会の時は短時間でも必ず彼がいる。
いつも忙しく働いている割には、シンシアとエリスの茶会に参加する率が高かった。
今では彼も出世して、王族の護衛もする第一師団のトップだ。親しげにつきあってはくれるが、騎士団のエリート中のエリートで、本来ならばエリスからは遠い存在だ。
「今日は君の耳に入れておきたいことがあってね」
そういって彼は顔を曇らせる。それを聞いたシンシアも浮かない顔をした。
「何かあったのですか?」
「実はバート・ギャリックのことなんだが」
「あの方とはもう何の関係もありません」
静かにだが、きっぱりと言い切った。
「そのギャリックが刺された」
「え! それでけがは?」
さすがにエリスは動揺した。
「ああ、命には別状はない。全治一か月ほどだ」
すると、今度は彼が騎士職に復帰できるのかと心配になった。
「そうですか……それで彼は騎士を続けられるのですか?」
彼にとって騎士であることは誇りだった。確かにひどい別れ方をしたが、彼に不幸になってほしいわけではない。
「ああ、怪我が治り次第復帰する」
それを聞いてほっとしたが、疑問もわいてきた。
「しかし、なぜ私にその話を?」
エリスは怪訝そうにブライアンに問うと、注がれた熱い紅茶に口をつけた。
「君は孤児院で彼と会っていたね」
ブライアンがそのことを知っていることに驚いた。
「お会いしましたが、示し合わせたわけではありません。彼が、私がいることに気づいて話しかけてきたんです。それで、二度目に訪ねて来た時、私はあの孤児院へ行くのをやめることに決めました。もうあの孤児院には行っていません」
事実だけを伝える。
「そう、君が帰った後、彼は刺されたんだよ」
エリスはぎょっとした。
「え? アマンダさんにですか?」
即座に答えた。
「ということは、彼はアマンダと付き合っていたのか?」
「さあ、存じません」
「では、どうしてアマンダだと思ったんだい?」
「彼女が、あの場にいましたから」
そうエリスが答えると、シンシアが驚いた。
「まさか、あの騎士、あの女と一緒に来たの?」
シンシアにしては珍しく、声にも表情にも嫌悪感をにじませる。
「それはわからないわ。ただ、ギャリック様からは見えない場所で、私にははっきり見える場所にいました」
エリスは、アマンダとは関わり合いになりたくないと思っていた。もちろんバートとの仲も終わっている。だから、彼女はあの孤児院には二度と訪れないと決めたのだ。
ただ、なついてくれた子供たちのことはとても気にかかっている。バートが療養中なら、あの孤児院で彼に会うこともないし、様子を見に行っても構わないだろうかとエリスは考えていた。
「まあ、あの女らしいわね。それで結婚報告にでもきたの?」
シンシアが怒り心頭の様子で言う。
「いいえ、まだ私が好きだとおっしゃいました」
「信じられないわ! なんて図々しい!」
いつもは優雅な伯爵令嬢の彼女が、パンと扇子をテーブルに打ち付けた。
「シンシア、ちょっと黙って」
ブライアンにそういわれ、不満そうな顔をしつつもシンシアは口をふさぐ。
「それで、彼はアマンダと付き合っている様子だった?」
「さあ、彼女のことは、ただの幼馴染だといっていました」
「そうか、彼は彼女とは付き合っていなかったと言っている。そして彼女が詰め所に何度もきたそうだが、いずれも面会を拒絶しているんだ」
ブライアンが言う。
「それをどうして私に? もう関係のない方です」
この二年間の苦しみが嘘のように、不思議と心が凪いでいた。彼の不幸をのぞんではいないが、彼のこれからにも興味はなかった。もう違う世界の人だ。
「ちょっとアマンダの量刑にもかかわることでね。彼女は痴話げんかだと主張しているが、ギャリックがそれを否定している。君から見て、どうだったのかと」
さすがにその質問には困惑した。
「そうおっしゃられても、この二年、お会いしたことはなかったですし、彼らのことはわかりません」
「そう、承知した。不快な話をして申し訳なかったね」
そういって、気まずそうな笑みを浮かべる。
「そうよ、お兄様ったらひどいわ」
シンシアがまなじりを吊り上げ、頬を染めて怒っている。
「悪かったよ。これも仕事でね。同僚に頼まれたんだ」
そう言って、ばつが悪そうに頭をかく。
ブライアンは、顔立ちは整っているが、表情が厳しいため怖い感じがするが、本当は優しくて妹には弱いのだ。
エリスは兄妹のやり取りをほほえましく思う。
「いいえ、別に平気です。それより、今日はシンシアに聞いてほしいことがあって」
「おや、それでは私はお邪魔かな」
おどけたようにブライアンが言う。
「いえ、邪魔だなんてそんな、実は私の将来のことで」
ブライアンとシンシアが驚いたような顔をする。
「まさか! 縁談が決まったの?」
その話にエリスは噴き出した。
「そんなわけないわ。一度破談しているのよ。もういい縁談なんてないわ」
「そんなことないわよ!」
シンシアが力強く言って、エリスの手をぎゅっと握る。
「ありがとう、シンシア、それでね。私、実家にいつまでもいるのもなんだし、修道院に入ろうかと思って」
「どうしてだ」
目を見開いて叫んだのはブライアンだ。そんなに驚かれてしまうと、エリスの方が戸惑ってしまう。
するとシンシアが、真っ赤になってブライアンを怒り出す。
「ほら、お兄様がぐずぐずしているから!」
「いや、そうはいってもだな。傷ついている女性に付け込むのはどうかと思うぞ」
妹の剣幕にたじたじとなったブライアンが、苦り切ったような表情で言う。
「もう、そんなんだから、また誰かに取られてしまうわよ!」
二人のやり取りがよくわからなくて、きょとんとした。
「あのこれはいったい」
するとブライアンが頭をかかえてうつむいてしまった。
「まあ、いいわ。兄は放っておいて。エリス、お茶のお代わりはいかが?」
「ええ、ぜひ」
温かいお茶が、こぽこぽと湯気をたてて注がれる。
エリスがぼうっとそれを眺めていると、とつぜんブライアンがガタンと椅子から立ち上がり、庭園の花を一輪手折ると、すっとエリスの前にひざまずく。
「え、あの?」
エリスは彼の行動に戸惑った。
「エリス嬢、どうか私と結婚してくれないか」
いきなり求婚されて、エリスは驚いて声も出なかった。
「わかっている、君には昔断られているから。それでも私は君がいいんだ」
伯爵家から婚約の打診があったのは、エリスがバートと出会って恋に落ちた後だった。断りを入れた以降も、ブライアンは変わりなく、妹の友人として付き合ってくれていた。
もう、あの恋を失ってから、心は乾いて二度と潤うことはないと思っていのに。
「私は一度あなたとの縁談を断っていますし、そのあと別の方と婚約して破談しています。私に結婚を申し込んだりしたら、あなたの名誉に傷がつきませんか」
エリスはそれが心配だった。彼ら兄妹はエリスの大切な人たちだ。
「そんな名誉など、関係ありません。私はあなたがずっと好きでした。もちろん今も」
エリスの震える肩にシンシアがふわりと手をのせ、ハンカチを差し出す。
いつの間にか、エリスの瞳に涙があふれていた。
「こんな私に、あなたの申し出を受ける資格があるでしょうか?」
自分にはそんな資格はないと、エリスは思っていた。やはり、修道院に入ってしまった方がよいのではと。
「私は、あなた以外とは結婚しません」
ブライアンがまっすぐで強いまなざしをむけてくる。
今にも逃げ出しそうなエリスの耳元で、シンシアがささやいた。
「ここであなたが頷いてくれないと困るの。兄はあなた以外の人とは結婚しないと言っているのよ。ローレン家の存続がかかっているのだから」
もちろんブライアンは女性たちから人気がある、今まで婚約者がいなかったのが、不思議なくらいだ。
おもえば、今まで二人がずっと支えになってくれていた。
エリスは迷いながらもブライアンの手を取った。
突然でびっくりしたが、ブライアンからの申し出は嬉しかった。だが、本当に自分でいいのか、やはりとても心配で。
「不束者ですが……、まずはお付き合いからということで、いかがでしょう……」
震える声でそう伝えると、嬉しそうに照れたようにブライアンが微笑んだ。
END