偶然の再会
「バート! ちょっと待ってよ、どうでもよくない!」
アマンダがバートの前に回り込む。
「どいてくれ」
「ねえ、あたしたち、結婚しない? 同じ孤児院育ちだし、あんたは今でこそ騎士爵をもっているけれど、元は庶民だし、貧民街の育ちだし、価値観だって一緒じゃない。きっとあたしら、幸せになれるよ」
バートは彼女の言葉に耳を疑った。
「お前は女優として生きていくんじゃなかったのか? 看板女優になったんだろ」
エリスと婚約関係にありながらも、『大事な友人』だからと、そんな彼女を応援するために、金を包んだこともあった。
そして、過ちはなかったとはいえ、二人の新居になるはずだった家に彼女を泊めてしまった。
二年前、あの硬くてまずい肉が、バートの好物だとアマンダは言ったのだ。だからエリスは朝早くから起きて買ってきてくれた。バートのためにわざわざ危険な下町にまで行って。
エリスの言ったことはすべて正しくて、真実だった。
バートは、非は己にあったとはっきりと自覚した。
暗く沈んでいくバートの様子には頓着することなく、アマンダが自分の主張ばかりをぶつけてくる。
「あたし、主演おろされたんだ。若い子が入ってきて……そいつ、実力もないのに。劇場の支配人と寝て仕事をとったんだ」
彼女はぐっと悔しそうに唇を噛み、涙を浮かべる。
エリスはこれほどにあしざまに人の悪口を言ったことはなかった。アマンダのあさましさと醜さに、今更気づいても後の祭りだ。
「俺には関係のない話だ。俺はお前とは結婚しない」
バートは冷たく言い切った。
「なんで? なんでよ? あんたがあのお嬢と別れるまでは、あたしらうまくいってたよね? あんただって、あたしのこと大事な友達だって、一緒に育った幼馴染だって言ってたじゃん。あたしら、貧民街育ちなんだし、ぴったりじゃないか!」
バートは自分の愚かさを自嘲した。
彼女と別れたのはアマンダのせいではなく、自分のせいだと分かっている。
そして同じ孤児院で育ったというだけの理由で、どうして愛しい婚約者ではなく、全面的にアマンダを信じたのかと愚かしい自分に腹が立つ。
バートはエリスに対して、その出自から引け目を感じていた。だから、常にエリスの優位たとうとしていた。彼女が完璧な淑女だったから……。
そんなくだらないちっぽけなプライドのために、バートは大切な宝を失ってしまった。悔やんでも悔やみきれない。
「ちょっと待ってよ。何無視してんの?」
そういってアマンダはバートの腕をつかんだ。バートはそれを邪険に振り払う。
「もう、付きまとわないでくれ、お前には、うんざりなんだよ」
バートは吐き捨てた。
「なんで? あたし、劇団、首になったら、身を売るしかないんだよ」
バートはその言葉も無視する。
(幼馴染、大事な友達。馬鹿みたいだ。俺はいったい何を信じていたんだ? 何よりも大切な婚約者がいたというのに)
バートの心にすきま風が吹き抜ける。ただただ虚しかった。
ついてくるアマンダを振り切るように、バートは足を速めた。
「ねえ、あたし、死ぬから! あんたが、あたしと結婚してくれなかったら、死ぬから!」
大通りに出ると、アマンダが声を張り上げて脅してくるが、振り返るつもりはなかった。
しかし、あたりから悲鳴が聞こえ、反射的に振り向くと、彼女が短刀を己ののど元に押しあてていた。
それでも、とめる気になれなかった。
「お前の職業は、女優だったな」
バートはそういって、前を向く。あれが彼女の本性だと気づくのにどれほど時間がかかったことか。
エリスはきっと最初から気づいていたのだ。その彼女の言葉に耳を傾けないばかりか、手をあげたのは自分だ。苦い思いがこみ上げてきて、自分自身に吐き気がした。
死ぬのはやめたのか、アマンダがまだ後ろから追いかけてくる。しつこいあばずれだと思った。
だが、その時、どんと背に衝撃を感じ、次に激しい痛みを覚えた。
最初、何が起こったのかわからなかった。ぽたりと血が落ちると、つぎつぎと血があふれ出た。刺された場所が熱を持ち、バートは崩れ落ちた。
◇◇◇
バートは目を覚ますと病院にいた。
「おい、気分はどうだ?」
目の前には同僚フランクと副団長のジャックがいた。バートは病院のベッドに寝かされていた。
「俺は……どうしてここに?」
体を動かそうとした瞬間、背中に激痛がはしった。
「刺されたんだよ。女に」
フランクが渋い顔で言う。ゆっくりと記憶がよみがえる。あの日孤児院の帰り、アマンダに絡まれ刺されたのだ。
「お前三日間、目を覚まさなかったんだぞ」
またもフランクが心配そうに言う。
「まったく、女は選べよ。二年前には貴族のご令嬢と破談になったばかりじゃないか」
あきれたようにジャックが言った。
「違います。あの女とは何の付き合いもありません」
バートは断言した。
「しかし、あのアマンダという女は、お前との痴話げんかだと主張しているぞ」
ジャックがいぶかしそうに言う。
だが、バートにとってそんなことはどうでもよかった。それよりも気になることがある。今回のことで職を失うことになるかもしれない。
「副団長、それより、俺は騎士の仕事に復帰できるのですか?」
「ああ、それは。まあ多少の罰はあるだろうか、怪我がなおればガンガン働いてもらう。人手不足だし、腕のいい騎士は育てるのがたいへんだ」
それを聞いてほっとした。今のバートは職を失うことだけが怖かった。
「よかったです」
「まあ、あと三週間は安静だ」
随分長い間休職になる。そんなに休むのは初めてで、バートは少々不安になった。
すると同僚が心配そうに聞いてくる。
「それより、あの女、詰め所によく来ていた子だろ?」
「ああ、いつも断っていただろ? 同じ孤児院出身だった、それだけだ。そのせいでずいぶん金を無心された。だから避けていたんだ。あの女と俺は全く関係ないし、付き合ったこともない」
きっぱりとバートは言い切る。
「いいのか、お前がそう証言すると、あの場末の女優は処罰を受けることになる。身分から言って、流刑地送りや絞首刑もありうるぞ」
フランクが言う。フランクには以前に同じ孤児院で育った幼馴染だと話していたから、彼はそのことをおぼえていたのだろう。
「俺の知ったことではない」
バートの心は、すでに冷たく凍てついていた。
「お前が、一言痴情のもつれだといえば、あの娘は軽い罪で済む」
ジャックが、バートに鋭い目を向ける。
しかし、痴情のもつれなどといえば、バートには重い罰則が科されるかもしれない。
バートには、そこまでしてアマンダを庇う理由はなかった。
「知りません。付きまとわれて迷惑していました」
彼らの前でバートは断言した。
それにバートが詰め所に訪ねてくる彼女を拒絶していたことも――事実。
バートは傷がよくなると簡単な事情聴取を受けたが、答えを翻すことはなかった。
その後、彼はアマンダがどうなったのかは知らないし、興味もなかった。
ただ、バートの心が温まることは二度となかった。
次回最終回です




