W-006_ガンジ、行きまーす!
ちょっとだけ投稿再開。
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石畳の回廊を、俺、久坂厳児は歩いている。
いや、見た目と質感がそんな感じなだけで、本当に石でできているかはわからないが。
なにしろここは【境界廊】。
異なる世界から世界へと移動するための特異な空間。
ゆえにここにあるものはどんな世界の法則にも属さず、
だからこの回廊も、そもそも実在の物質かどうかすら疑わしいところがある。
茫洋とした空間の、宙に浮くかたちで存在している回廊。
それは今歩いているここ以外にも、上下左右三百六十度、見渡す限り縦横無尽に張り巡らされている。
というかこの【境界廊】にそれ以外のものは、ほぼない。
いつぞやの廃界のような真っ黒な空間に、ひたすら立体的迷路が浮いているだけ。
そんな場所を、やはりひたすら歩くのが、世界と世界を移動するための方法となる。
そう。真っ黒な空間だが、真っ暗というわけではない。
自分の姿も石畳も、目に見える光源がないにもかかわらずはっきりと見えている。
まあ要するに、変な場所なのだ。
神が造った謎の機械により生じた、変な場所。
遠くに浮かぶ回廊は、時折パズルのように動く。
ただし今歩いている回廊が、突然動くようなことはない。
道も曲がりくねりはするが一本道で、だから迷うということもまずなく……
ほどなく、見えてきた。
行く先の回廊のそばに浮く、天球儀めいた大きな機械。
件の女児が造った【境界廊】の核。
ここまで来れば、世界と世界の道行きはちょうど折り返し。
体感ではどうだろう……前の世界から三時間くらいか?
つまりもう三時間歩かないといけないわけで、さすがにすこし滅入る感じもあるが……
「よっ」
なんとなく核に飛び移り、適当なところに腰を下ろす。
ごうんごうん、と伝わる機械の稼働の微かな重低音。
「……あんま居心地よくねえな」
ひとつ息吐いて、飛び降りて回廊へと戻る。動いているわりに熱を発する様子もない金属の冷たさと振動。これなら石畳にでも座るほうがまだましだ。
まあそもそも、休むほど疲れてはいない。【境界廊】内は時間が流れず、ゆえに肉体疲労も空腹も、あと催すこともない。理屈の上では延々歩き続けても平気なはずなんだが……それでも気疲れを覚えないほどに、どうやら俺も無感動ではないらしい。
『――マァ実際のとこ、“境界廊”での時間の静止はあくまで見かけ上、ぢゃの。あらゆる方向にあらゆる速さで流れる時間が交錯し、釣り合うて、然様な有り様となるワケぢゃ』
そういえばあの女児はそんなことも言っていたかと、ふと思い出す。
「行くか」
休憩ともいえない休憩を打ち切り、また俺は歩きだす。
そうして(体感)三時間後。
「お」
行く先の回廊が途切れ、同時にそこが光の門となっている。
【境界廊】の終端。次の世界への入り口。
だいぶ見慣れてきた感のあるそこへ、ほどなく辿り着き、くぐり抜け――
――出てきた先は、森の中だった。
一応後ろを、一度だけ振り返る。
くぐったはずの光の扉は、すでにそこにはない。
【境界廊】での世界移動は一方通行であり、後戻りはできないのが鉄則。こうして世界に出た時点で【境界廊】は一旦閉じ、次に通じるときは別の世界への道となってしまう。
そしてその次に通じる時期を示すのが、
「今は、午後四時くらいか。で……」
ポケットから取り出した、懐中時計のような機器。
これはいわば【境界廊】の子機。表面はいくつかの文字盤からなり、今いる世界の現在時刻と、次に【境界廊】が通じる地点と日時、ついでに元の世界の日付と時刻が示される。
子機によると、次に【境界廊】が開くのは三日後くらい。
地点のほうも、隣に方位磁針のようなかたちで示されている。針は色の濃淡でその地点までの大まかな距離も示し……これくらいの濃さならまあ、さほど急がずとも一日あれば余裕で着けるだろう。
三日後くらい、といったように、それほど厳密に時刻が決まっているわけではない。
それでも遅れればまた次の時期を待たねばならないし、下手したらそれが何か月後とかにもなりかねなかったりもする。なので地点にたどり着くのも、早いに越したことはない。だからこうして【境界廊】から出たあとは、とりあえず表示に従って進んでおくのが当面の行動となる。
ちなみにこの子機、最初の【境界廊】起動のあとでいつのまにかポケットに入っていた。おおまかな説明は事前にあの女児から受けていたが、子機自体についてはなにも言われなかったため、いきなり尻に違和感を覚えたときは何事かと思ったものだった。
子機に次いで【マッパー】も確認。余所の世界を歩きまわる身分になって、これを活用する機会もより増えたといえる。表示と照らし合わせるに、磁針の方向は大体東北東くらい。木々もさほど密集しているわけでもないし、ひとまずの移動は歩きでよさそうか……
「ん?」
ふと、【マッパー】の端に薄青の点がぽつぽつと。人間ないし他の生物の存在を示すものだが、この移動速度ならたぶん人間だろう。今の俺の人物表示可能範囲は、大体半径二百メートルほど。それらはそのぎりぎりに位置するため、彼我の距離もほぼそのくらいということ。
点の数は七つで、あたかもひとつを他が追うような動き。方角的に俺が磁針の先を目指した場合は行き当たることにならないだろうが……
「行ってみっか」
そう決める。
半分は例によって気まぐれだが、一応狙いもなくはない。
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その出会いは、はたして幸運だったのか。
のちに振り返ってみても、結局いまいち判断がつかなかったが、
少なくとも稀有な体験だったことは間違いない――それだけは言える。
あの日、
「……ッ」
帝国の侵攻にあえなく敗退し、敗走し、
「!?」
疲労ゆえの転倒。
それによりいよいよ敵兵に追い詰められ、囲まれたあの時。
「くっ……!」
「へへ、ずいぶん手こずらせてくれたな。まったく往生際の悪い姫様だ」
身を起こそうにも立ち上がれず、じりじりと後退りとうとう木の根を背にする自分。
それを見下ろし、わざとらしく悠々とした足取りで歩み寄る帝国兵。
「散々走り回ってお疲れでしょう? 我々に御同行願えればゆっくり休めるんですがねぇ……」
「戸締り万全、警護付きのスイートルームにご案内、ってか! ひひひ」
「オレだったらありがたすぎて泣けてくるね、んな待遇受けた日にゃ」
「ヒャハハハ!」
背後に続く仲間もまた、同様の態度。
こちらへの侮りが透けて見える、慇懃無礼そのものの口調。
多勢に無勢。そのうえこちらは武器も取り落としており、一矢報いるのもままならない。
悔しさに歯噛みし、せめてもの反抗と敵を睨めつけるも、
もはやここまでかという諦念もどうしてもよぎる――
そんな最中に、
「あのう」
不意に投げかけられる、やけに暢気な声。
「――!?」
「民間人?!」
「なぜこんなところに……!」
振り返ればそこにいたのは、見慣れぬ顔立ちの一人の少年。
行商めいた装いに武張った印象はなく、しかしだからこそ、戦地であるここでは場違いも甚だしく。
「怪しいな……公国の救援じゃないか?」
「妥当だな。顔つきからして、少なくとも我が国の人民ではありえん」
「始末一択だな。そのほうが後腐れもない」
ゆえにか帝国兵らはすぐさま少年に向きなおり、短いやりとりで彼への対処を決断してしまう。
逃げて――思わずそう叫ぼうとし、
しかし、
「死ね」
「あ、それは、」
ぴきゅん。
かん。
「ぐ、ぅ……?」
はたして、なにが起きたのか?
素早く射撃杖を構え攻撃魔法を放つ帝国兵。
それに少年がなにか言いかけた瞬間、
魔弾の飛翔音。軽い、なにかが跳ね返るような音。兵の呻き。
背中に血を滲ませ、どさり、と倒れる兵。
それらが立て続けに起こったため、我知らず息を呑み、言葉も発せず。
「なっ?!」
「撃ってきた!?」
「武器を隠してやがったか……!」
しばし唖然としていたが、仲間をやられたと見てにわかに殺気立つ他の兵ら。
射撃姿勢に入りつつ、ゆっくりと散開し少年を包囲しようとする。
突如、
少年の眼前に藍色の靄が現れ、
同時に飛び、兵らの中心辺りで爆発するように靄は広まり……
そこで意識が、一旦途切れる――
「――ッ!?」
出し抜けに覚醒する意識。
「大丈夫ですか?」
「君、は、さっきの……?」
声のほうに顔を向ければ、そこにあるのは少年の姿。
「立てます? 体はもう問題ないはずですけど」
「あ、ああ。平気……!?」
重ねて問われ、そのとおり立ち上がろうとしたところで、気づく。
追われる中で帝国兵に負わされた手傷。
そのことごとくが、綺麗さっぱり消え去っていることに。
少年に視線を戻そうとして、さらに驚く。
周囲の足元、そこかしこに倒れているのは他でもない帝国兵ら。
その人数に欠けはなく、つまり誰一人逃がすことなく倒しおおせたということ。
この、少年が……?
「あ、これ、寝てるだけなんでそのうち起きちまうんですが……」
あらためて目を向ければ、足元を指差しつつ少年はそう言う。
目を覚ます前にこの場を離れたほうがいい。それを示唆しているのだろうが、口調はやはりというか現れた時のように暢気で、逆襲への恐れや焦りなどはまるで感じられない。
物言いから、この少年が兵らを無力化したのは明らか。
しかもそれは彼にとってたやすく、それこそ無傷で行えることらしい。
つまり十中八九、彼は“術士”。
それも国家が把握していない在野の、そしておそらく、生粋の。
「――術士殿!」
「? はい?」
気づけば彼女――イスペル公国第一公女、イルダ・イスペラーダは膝をつき、頭を下げていた。
そして疑問の声を上げる少年へ向け、
「折り入ってお願いしたい! 貴殿の力、どうか我が公国に貸してはいただけまいか……!」
願い出る。
心の底から、懇願する。
武装した帝国兵複数人を、たやすく無傷で無力化するほどの術士。
その助力があるいは、この劣勢極まる戦局を覆す契機となるやもしれない――
この時は本当に、そう思っていたのだった。




