W-000_世の果てで
また始めてしまいたいと思います。
浮遊感。
落下。
途轍もない重力に引かれて、延々と落ちていく感覚……
いつまでも続くかに思われたそれは、
しかしいつの間にか、感じられなくなっていて。
「……?」
その違和感に俺は、知らず閉じていたらしい目を、やおら開く。
そうして開けた視界に映るのは――
――宇宙。
上下左右、どこまでも広がる真っ暗な空間に、無数の星が散らばった、
「?」
……と最初は思ったが、どうもなんか、違う。
なぜそう感じたのか。
その疑問のわけは、ややあってから判明する。
「うお」
それは俺の斜め後ろから、ぬっと視界に入ってきた。
真っ暗な空間を、漂うように現れた……瓦礫?
……うん、瓦礫。ところどころ鉄筋の覗く、倒壊した建物の一部のような石塊。
なんの変哲もない物体。動力なども当然のように有さず、ただ流されてきただけのような等速の運動を、しばし俺はぼんやりと見送る。
それからあらためてぐるりと、多少目も凝らしつつ周囲を見てみれば、やはり。
無数の星のように見える点々は、その実すべてがあの瓦礫同様、いわゆるごみと呼ぶべきもので。
錆びた鉄骨。
折れて朽ちかけた大木。
道路標識のように見えるなにか。
よくわからない、たぶん機械の残骸。
そういったいかにも用をなさなそうなものが、星に見えたものの正体。
黒い背景に、あまりにも膨大に満遍なくそれらが浮いているから、ぱっと見では宇宙っぽい。
ここはそういう空間らしかった。
今更だが、俺もまたそれらごみと同様に、空間を漂っている。
落とされた当初の落下感は今やなく、おそらくは無重力状態。
『世界と世界の間隙。如何な世界にも――当然此処にも繋がらぬ、一方通行の時空の墓標よ』
あの自称神は、たしかそんなことを言っていたか。
俺もまたあれら瓦礫同様、さしずめごみ。
少なくともあいつは俺をそう断じ、ここへ落とした。
まあ、人間の屑と言われれば、これっぱかしも否定できない俺ではあるけれど。
「……」
ここへ落とされた時の穴。
全方位見渡しても、それらしきものは見つからない。
期待したわけでもないが、元の場所へ戻るのは、まず不可能か。
さてそれにしてもこれ、どうしたもんか。
ごみしかないだろうこの空間で、頼みの綱はやはり“レベル持ち”の力か。
まず最初に思いついたのは、〔転移〕のmagicを使うこと。
“視認範囲内に瞬間移動”する魔法だが、【マッパー】を併用すればそこに表示される場所にも、じつは移動可能だったりする。
これで元の場所、いやいっそ直接帰宅でもできれば手っ取り早かったが……
「駄目か」
【マッパー】を出しても、ここでの表示切り替えは無効らしい。
元の場所――世界の地図が出ない以上、〔転移〕での脱出は諦めざるをえまい。
ちなみに今の【マッパー】表示は、ひたすらに真っ黒。“NO DATA”表示すらないので、情報を取得したうえでこの結果なのかもしれない。
さてあらためて、どうしたもんか。
周囲になにもない(さっきの瓦礫はもうかなり遠ざかっている)無重力状態で、だからなんの取っかかりもない状況だが、それでも移動そのものはmagicを使えば可能だ。単純に〔念動〕――“任意にものを動かす”魔法を使ってもいいし、あとは〔歩加〕も有用だろう。こちらは水面、空中などの“踏めないものを一定時間踏めるようになる”魔法だ。
「つって移動できても、どこ行きゃいいんだっつう話だが」
問題はそこ。
どこを見渡してもごみしかないこの空間に、状況を打破できるような行き先がはたしてあるのか。
それでも駄目元で、〔示現〕くらいは使ってみるか。
……なんのお告げも出なかったらどうすっかな。
どうもこうもねえか。そん時ゃだた、本当のごみになって漂うだけか。
……あるいは餓死とか自然死でも、“レベル持ち”の遺体って消えるんだろうか。
「?」
ふと。
なにか、音が……?
「――――――――ッ」
気のせいではない。
なにやらか細い音がこれは、近づいてきている?
「――――ぅぁぁぁぁああああああああ……」
ほどなくそれは、どうやら悲鳴か叫びらしいと気づき、
そちらを向いた瞬間、
「ムわああああああああッ!!!」
「ぐっふ!?」
なにかが俺のどてっ腹に、猛烈な勢いで飛びこんできた。
完全な不意打ち。しかも【警戒】が働かなかったということは、悪意皆無の。
それでも一瞬息が詰まった以上は、危害判定してくれてもいいように思うが……
「~~~ぅう~、うう~~ッ!!」
「…………」
見下ろせば、俺の腹に飛びこんできたそいつは、
なにやら唸りつつ、俺の腰に両腕を回し思うさましがみついてきている。
おまけに顔をこちらにうずめ、しきりにぐりぐりぐりぐりと容赦なくこすりつけてくる。
鬱陶しいので引き剥がそう。
「――ヒトぢゃ!!!」
俺がそう思うのに合わせるかのごとく、顔を上げてそう叫ぶそいつ。
褐色の肌。
白髪、いや銀色? の長い髪。
大きく見開かれた両目の、瞳の色は赤く。
「ムおおおヒトぢゃヒトぢゃヒトの子ぢゃ! ここへ堕とされて初めて逢うた話の通じそうなモノヲぉオぉぉはぁあああ温かいのうやわらか、いやちとごつごつしておるが、それでも斯様な感触はどれくらいぶりかの~~~ぅッ!」
「……」
背格好は幼児――女児のそれ。
病院の検査着のような簡素な貫頭衣姿のそいつは、再び俺の体に顔をうずめ、いや猛烈に頬ずりしつつなおもそう言い募ってくる。
「ムわあああなんといとおし、」
「鬱陶しい」
「ムおッ?!!」
切りがなさそうなので、あらためて引っぺがしにかかる。
両脇に手を突っこんでがっと持ち上げれば、上がるのはやや不本意そうな声。
掲げたことで同じ高さになった視線。赤目がこちらを捉えて、ぱちくりと。
「ム~~~ぅっ!」
「寄ってこようとすんな。なんなんだ手前は」
抱きつきたいかのごとく両腕を伸ばしてきたので、俺も両腕を伸ばしてそいつを遠ざける。
遠ざけつつ、問う。根本的な疑問を。
自称神いわく『時空の墓標』らしいここに、よもやただの女児がいるとも思えないが。
「ム! すまぬ、つい興奮のあまり……我ハイともあろう者が名乗りもせんとは!」
俺の問いかけに、はっとするそいつ。
それから佇まいを直そうとする様子だったので、ひとまず下ろして、いや放してやる。
無重力がゆえに手放しても落ちもせず、同じ視線の高さのままでいるそいつは、
あらためて姿勢を正しつつ、こほんと咳払い。
「――我が名はアンネ=リンネ! こう見えて神様なのぢゃ!」
そうしてなされる、簡潔な名乗り。
やっぱりか。
なんとなくこいつからは、ミコトやあの自称神と同じような感じがするとは思っていた。
念のため【見る】が……うん。“NO DATA”だよな、やっぱ。
「神様って、ここのか?」
「ム、あまり驚いておらなんだな。マァただのヒトがこんなところに堕ちるはずもなかろうし、然もありなん、か」
さて、こいつがここの神様であれば、ここから出る方法を聞きだせるかもしれない。
そう思ってまず一応確認してみるが、返ってきたこの言い草からすると……
「うム。――まず断っておくと、我ハイここの神様というわけではない」
悪い予感は案の定で。
こちらの意図を察したように、すこし真面目な顔を作ってそう断りを入れる女児――アンネ。
「そもここは、世界ですらない。世界の成り損ないか、あるいは終わってしまった世界の残滓か……とかく、そういったモノが世界と世界の空隙をすり抜け澱のように溜まった、多層次元の最下層……もしくは、最外縁……
――其を指して、“廃界”と呼ぶ。
マァそれもあくまで、我ハイがかつておった世界での、便宜上の呼び名だがの」
語られる、この場所についてのこと。
最後だけわざとおどけた風だったが、話そのものは洒落ではないのだろう、そんな口調。
「……ここから出る方法は?」
「無い! まずの。ゆえに咎を負うた我ハイのような存在が、堕とされ封ぜられたりしておるわけぢゃ! ムわはは!」
最も肝心なことをあえて訊ねてみたが、いっそあっけらかんと返されてしまった。
そうか。
まあ、そうか。
多少は残念だがまあ、俺にはあつらえ向きの終わりかただろう。
「それより! 我ハイそなたの名をまだ聞いておらなんだぞ?! それに重ねるようぢゃがそなた、ヒトの子でありながら何故“廃界”に堕ちたのぢゃ?」
知らずぼうっとしていたら、咎めるような女児からの問い。
胸の前で両拳を握り、ずいと詰め寄ってくるのをあしらいつつ。
どうせすることもないし、と俺は自分の名前と、あとここへ来る破目になった経緯を、簡潔に順を追って話し始める。
そして話し終えて。
「――ぎるてぃぢゃの」
聞き終えたアンネの第一声は、そんなもの。
「なんぢゃ、その神を称する不届き者めは! 生くる者への分を超えた干渉……あげく己が不都合となれば外へ放り出すなど……! ガンジよ、そやつ本当にそなたの世の神なのかっ?!」
「ああ……どうだろな。自分じゃそう言ってたが」
我がことのように憤る彼女に、すこし呆気にとられつつ曖昧な答え。
たしかミコトが、俺のいた世界には“本来の神”がいるようなことを言っていたはず。
なにより私見でも、あれが本当の神とはどうも思えない。なんかどうも小物くさいというか、ミコトの雰囲気と比べると格落ちする感じというか。
「しかし、そなたも災難ぢゃのう……まぬけな神もどきの失態のあおりで、かようなところに堕とされるなど……その艱難、その不条理ッ、さぞ口惜しかろう――ッ。うムムムム……」
ふと、目の前のアンネが腕組んで目を閉じ、考えこむようにしているのに気づく。
かと思えば、いきなり顔を上げ、
「――ィヨシッ! ガンジ、そなたの苦難、この時空神アンネ=リンネが救いたもうぞ! なぁに、権能の大部分を封ぜられた身といえ、我ハイとて神! 大船に乗ったつもりで任されるがよい! ムフフわははははっ!!」
くわっと目を見開き、そんなことを宣う。
宣って、大笑い。
「……」
なにやらひとり盛り上がる、尊大な女児を前に、
また妙なことになったな、と、ひとまず俺は思った。




