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恋々乙女


 最初、暁未には、

 自分が見たものがなんなのか、上手く把握できなかった。


 唐突にわけのわからない場所に飛ばされ、かと思いきやすぐに気を失い、

 目覚めても、一人で。混乱して、恐くて、心細くて。

 だからとりあえず開いた扉の、そのすぐ先に彼を、久坂の姿を見つけ、ほっとして――


 けれどもそれも、束の間。


 見知らぬ男。

 刃物。

 ……槍?

 刺突。

 流れ出る、血。


 明らかな、殺害の、殺人の、シーン。

 それを演じているのが、なぜだか彼女の想い人で。


 演じている?

 違う。

 実際に、行われている。

 どうして?


 加えて、暁未が困惑と混乱から立ち直る間もなく、

 どういうわけか、殺された見知らぬ男のその姿が、やがて薄れるようにして、消えていく。

 残ったのは、突き出した格好から槍を肩に担ぎ直し、


「ああ……」


 しかたなさそうな、

 曖昧な声を上げる、久坂の姿。

 人殺しの、姿?


(でも、もう、遺体はなくて……え? なら、私が見たのもじつはすべて幻、で……?)


 異変はそれだけに留まらない。

 ぐにゃり、というめまいに似た既知の感覚。


「と、戻ったか」


 次の瞬間、気づけばそこは元いた場所。

 なんの変哲もない、幹線道路の地下を通る、ただの歩道。


「あ、もういらねえか」


 ふと呟いたかと思うと、久坂は暁未の見ている前で、担いでいた槍をぱっと消してしまう。

 手品のように。

 まるで始めから、なにも持っていなかったかのように。


「まあ、」

「――!」


 こちらに向きなおった、彼の声。

 それに暁未は、知らず反射的に身をすくませてしまう。

 そんな様子を、しかし彼は気にすることもなく、


「いろいろ、聞きてえこともあるだろうが……とりあえず、用事すましちまったらどうだ?」

「あ……」


 ただそれだけ、言う。

 言われて、気づく。自分がなぜここにいるのかさえ、頭の中から抜け落ちていたことに。

 それほどまでに、先程の出来事は暁未の心をかき乱していた。

 信じられない。信じたくない。

 そう思えば思うほど、さっき見たものがただの夢や幻だと、どうしても思えなくなり……


「……ぅ」


 ぐらりと、ぐにゃぐにゃと足元が揺らぐような感覚。

 貧血で倒れる前兆に近い。過去の経験に照らし合わせた、妙に冷静な気づき。

 堪らず倒れそうになるが、


「あれ――」


 ふと、悪寒が綺麗さっぱり消え去る。

 全身に広がるほのかな温かさ……

 というかさっき私、体が光ったような……?


「平気か?」

「久坂、君……?」

「さっきどっかで頭打ったろ。一応治したが、歩けるか?」

「……えと、うん。たぶん、大丈夫」

「んじゃ行くか」


 暁未の様子を見るなり、さっさと先に歩き出してしまう久坂。

 つられてそれを、少し早足になって追い、暁未は横に並ぶ。

 急に動いても気分が悪くなったりはせず、むしろ体調がよくなった感じさえする。


(久坂君が、なにかを? ……そういえば、あの時のしおちゃんと景人君も……)


 不意に、二か月ほど前の記憶が思い出される。

 強面の大男に酷く痛めつけられていたはずなのに、平気な様子で目を覚ました二人。

 のちに医者に診てもらっても、体には痣ひとつ見つからなかったという――

 あの時、あの場に現れた久坂は、まず栞と景人のもとへ向かっていた。

 そして順にそばにしゃがみこんで……気のせいでなければ二人の体もかすかに、光が……


 ほんの少し前を行く、彼の横顔をちらりと覗く。


「……」


 いつもの久坂の顔。

 ほんの少し不機嫌そうで、実際はそういうわけでもなく、それが彼の常態で。

 他の男子とは違う、というよりはクラスの誰にも似ていない、少し変わった男の子。


 そんな存在、

 だったはずなのに――


(わからない……久坂君、あなたはいったい、今なにを考えているの……?)


 今自分の隣を歩いているのは、本当は、何者?

 否、

 そもそも私は今まで、本当の意味で彼と接して(・・・)いたの?


 暁未にはもう、わからない。

 これまで積み重ねてきたものが、ぴしぴしと罅割れ、ほろほろと崩れていく……

 そんな感覚さえ抱きながら、力ない足取りを彼女は、進める――




   ◇




「ええぇ~、アジフライにそれいっちゃうのぉ?」

「うん、もう、これでもかってくらいザバーッと」

「さすがにそれは……なくない?」

「誰の賛同も得られないなー。結構イケると思うんだけど」


 午前の部活終わりの帰り道。

 同部員の板谷と益体もない話をしながら、柚が歩いていると、


「およ」

「ん? どしたん、ゆずきち」


 ふと視線のはし、見知った人影が路地を曲がっていくのを捉えた気がした。

 隣の板谷が問いかけた時には、すでに姿は見えなくなっているその二人連れ。


「――ゴメン! ちょーっと野暮用思い出しちまったぃ。ってコトでイタやんっ、今日はこれにて御免なすってぇ~ッ!」

「あっ、ちょっと! とゆーかなんで時代劇風?」


 そう、二人連れ。

 そこが猛烈に気になってしまい、思わず柚は朋友を置いてそちらを追いかけてしまう。


「……まったく、恋する乙女はせわしないね」


 うしろでなんかいろいろ悟られてしまっているようだが、気にしてはいられない。

 幸い追跡対象の歩みはゆっくりで、さほど苦もなく再度その姿を捉える。

 気づかれぬよう、追いつきすぎないように物陰を経由し、柚が窺うのは、

 久坂厳児と、喜連川暁未。

 意中の相手と、親友という二人連れ。


(まさかデートッ?! ……って雰囲気ではないような。というか、なんというか――)


 言葉少なに歩いていること自体は、それほどおかしくない。暁未はあまり自分から話を振るタイプではないし、久坂に至っては話を振らなければ会話すら億劫がるタイプだから。


 それにしても、妙に気になる雰囲気なのはたしか。

 いかにもなにかあったか、あるいはこれからなにかが起こる、そんな感じ。

 しかもそれは、かなりの真剣みを持つ類の出来事のような……


「――!」


 柚が思い至った、一つの可能性。

 告白。

 まさにそれを果たさんと、あの二人は歩いているのではないか。


(このタイミングでッ?! というか先越されたッ!? 月末に花火大会あるから、そこでイイ感じになっていよいよみたいな……そんなコトを目論んでたワケでもないんだけどもッ!!)


 パニくる頭を落ち着かせようと、柚は深呼吸。

 一度それに思い当たると、もう二人の雰囲気がそういうものにしか見えなくなる。

 告白するとしたら……暁未から、だろう。

 久坂から、とはどうしても思えない。彼は色恋に興味をしめすタイプではない――暁未たちを異性と認識してはいるが、意識はしていない――そんな風に、柚には思える。


 だとしても、

 暁未からの告白となれば、さすがの久坂も揺らぐのではないか。

 ぐらぐらに。


(だってあのあけみんだよッ?! 綺麗で可愛くて、ほんのりえっちで、性格もよくて控えめで、男子にも慣れてないからオレ色に染めてやれるぜ! な、そんな超絶美少女に告白なんかされたりした日にゃ――)


 アタシに勝ち目なんか、ない。

 柚はそれを、まざまざと感じてしまう。


「…………」


 悶々としながらも、二人を追う足の止まらない彼女。

 もし本当に告白の場面であれば、こんな出歯亀のような真似は今すぐやめるべきだ。

 そう思うのと同時に、

 自分には、

 自分にだけは、久坂が告白を受けることの、その行く末を見届ける権利があるのではないか――

 そんな風にも思う。


(だってアタシが、――久坂君のことが気になったのは、あけみんよりアタシの方が、先だもん)


『久坂厳児です。……他ですか? とくにありません』


 入学式後。教室での、クラスメイト同士の顔合わせ。その自己紹介の場。

 それだけ言って席についた彼の第一印象は、正直いってあまりよくなかった。


(不愛想なヤツ……てか、不機嫌そうな顔で、前の席のあけみん恐がらせてんじゃねーっ!)


 一見厄介者そうな印象ながら、その実、とくに面倒事を起こすわけでもなく。

 というか誰とも関わろうとしないから無害そのもので、次第に印象自体薄れて空気と変わらない存在になっていった、そんな男子。


 その印象が劇的に変わったのは、部活の仮入部期間が終わったころ。

 正式な陸上部入りを祝して、という体の歓迎会。

 主催が当時はまだ部にいたあの青山で、だから気の進むようなノリの催しではなかったが、それでもこれもつき合いと割り切って参加に臨んだ柚。

 会場のカラオケ店に向かう道中、青山の自慢しい話を愛想笑いで聞き流しながら歩いている折、


 ふと車道に見えたのは、

 車に轢かれたと思しき、猫の死体。


『うげぇ~、グシャってら』

『キモイキモイ! グロ系とかマジ無理だから私ッ』


 原形を半分しか留めていないそれを見て、青山とその取り巻きが囃し立てた。嫌悪感をまる出しにしながらも、どこか愉しむような彼らの言動は、柚にとって到底好ましいものではなく。

 かといって、入部したての身分では彼らを非難するのも気が引けて。なにも言えない自分に対する不甲斐なさ。なにより柚自身も、猫の死体に不快感を覚えたのは事実で。


 結局自分も、生き物の死を悼む気すらない人たちと、さして変わらない。

 それを自覚し、思わず進む足が鈍った柚は、いつの間にか部員たちの最後尾に。


 だから、自分だけがそれに気づいた。

 路地への曲がりしな、来た道にいつの間にか立っていた、久坂の姿に。

 思わず足を止めた柚。


『…………』


 彼もまた猫の死体に気づいたのだろう。足を止め、車通りのない車道に目を向けていた。

 死肉のグロテクスさに顔を顰めるでもなく、かといって憐れむようでもなく、

 ただ、見ている。

 時間が止まったかのような錯覚。

 けれども実際、彼がそうしていたのはおそらくほんの僅かな間で。


 それも奇妙な光景ではあったのだが、

 続く久坂の行動こそが、輪をかけて奇妙で――


『――!?』


 おもむろに車道にしゃがみこみ、

 掬いあげるように、死体を両手で――素手で拾い上げた。

 ご丁寧に、飛び散った欠片さえもこぼさずかき集めた彼は、

 それらすべてを両手に持ったまま、なんでもないように来た道を引き返していく。


『す、すいません! アタシ忘れ物を――少し遅れますッ!』


 気づけば柚はそう口にして、久坂の後を追っていた。

 衝動的に。


 猫を抱えたまま、迷いのない足取りで進む彼。やや早足だが、引き離されるほどではない。距離をとっていたせいか柚の存在には気づいた様子もなく、ほどなく彼が入っていったのは……


(公園……こんなトコあったんだ)


 住宅地の中の公園。

 小さいながらも、周囲を木々に囲まれた静かな場所。

 舗装のない、むき出しの土のある場所。


(あ――)


 柚が気づいた時には、久坂はすでにそのとおりにしていた。

 公園の隅。いつの間に拾ったのか、太めの木の枝をスコップ代わりにして、

 地面に穴を――お墓を掘っていた。


『…………』


 無心に、土壌が固いのか、時折難儀しながら、

 数分か、十数分かかけて、十分な穴を掘り終えたらしい久坂は、

 一旦かたわらに寝かせておいた遺体を、再び拾い上げて穴の底に横たえる。

 上から土をかぶせ終え、最後に少し盛り上がった土を、手で押さえるように軽く固めた彼は、


『……』


 立ち上がり、両手を合わせた。


 ややあってその場を離れ、併設の水道で手を洗い、

 やはりなんでもないように、公園を出ていく久坂。


 柚はその一部始終を、物陰に隠れて見ていた。

 声は、かけられなかった。


「…………」


 あの時の気持ちをなんとあらわしていいものか、いまだに彼女はわからない。

 彼がなぜあんな風に、猫を弔う気になったのかもわからない。

 訊ねれば、案外軽く答えてくれるような気もするが、

 それもどうしてか、ためらわれた。

 たぶんそれは、当時も声をかけられなかったのと同じ理由で。


 当たり前だが、それで惚れたとかいうことはけっしてない。

 意外といいとこあるじゃん、と見直したのとも、少し違う。

 淡々と、素手で遺体を埋葬してのけたことへの忌避感なども、不思議と湧いてこない。


 ただ、あの時の久坂の、

 即席のお墓へと手を合わせた、その横顔に、


 酷く心を動かされた。

 彼という存在に、どうしようもなく興味を惹かれた。


(――だからあの日から、話しかける機会とかこっそり窺ってたし、けどなんか声かけにくくて、ためらってて……あけみんの一件がきっかけで親しくはなれたけど、そのことには親友に感謝――ってのもちょっとアレだけど、でも……)


 ぐるぐる、もやもやと考えている間にも、 

 久坂と暁未は、いよいよなにか大事な話をする雰囲気。


 向かい合う二人が立つ場は、奇しくもあの時の公園で。

 彼の立ち位置も、それを窺う柚の隠れ場所も、どういうわけか、あの日と重なるように同じで。


 真剣な、というより彼女にしては珍しい、睨みつけるような暁未の視線は恐いくらいで。

 それを受ける久坂の様子は、案の定というか、いつもとまったく変わらぬ無表情で。


「さて喜連川。お前もさっき見たとおり、」


 やがて口を開いた彼の台詞は、


「俺は人殺しだ」


 しかし柚にとって、完全に予想外のもので――

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最新話まで追い付きました。ダブルで記憶を消す前の盛り上がりどころですかね!? やっぱりこういうイベントあってこそですね。続きも楽しみにしています!
[一言] てっきり何も言わずに忘却使うのかと思ってた
[良い点] 告白は告白でも思ってた告白と違うんか~い
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