“class:迷宮主”
■
唐突な、めまいに似た感覚。
「あ?」
次いで思わず、間抜けな声が出る。
つい先程までただの一本道だったのに、いつの間にか、行く手を塞ぐ壁と扉が。
ふり返れば、背後も壁。
そしてなにより、隣にいたはずの喜連川もいない。
「……これ、は」
十中八九、新手の“レベル持ち”の仕業。
しかもさっきの感覚は、先の“幽霊屋敷”の時のものとよく似ている。
つまりここはおそらく、あれと同質の異常空間。
直前の流れからして、仕掛けてきたのは向かいから来た通行人二人のうちのどちらかか。
「はあ……」
知らず、自分でもあからさまと感じるくらいの溜息が出る。
レベルが上限に達してしまった今の俺に、他の“レベル持ち”を殺す必要など、もうない。
せめて〔業寄〕前なら無駄にならずに……いや、いずれは試すつもりだったあれで上限に達するのなら、遅いか早いかなんてどのみちたいした違いでもないか。
ただの面倒でしかないにせよ、現状には対処しなければならない。
とりあえず【マッパー】を確認。
表示されるのは今いるこの閉じた部屋だけで、他の場所への表示切り替えは不可。
いい加減つけっぱなしにもほどがある、喜連川の【マーカー】表示も見当たらず。
「行くか」
扉の先に進んでみることにする。背後の壁をぶっ壊せばすぐ外かもしれない、と一瞬考えたが、やめた。“幽霊屋敷”の時も窓は破れなかったし、おそらく今回も正規の手順を踏まないと出られない仕組みだろう。
つまり、元凶を探して殺す。たぶんこれが一番手っ取り早い。
たとえEXPもなんも得るものがない徒労であっても。
せめてもの腹いせに、扉は蹴り開ける。
べあん! とちょっとどうかという勢いで開く扉。蝶番がぶっ壊れて扉そのものが吹っ飛んだりしなかったのをみるに、やはりただの構造物ではないのだろう。
物理法則の外にある、specialかなにかの産物。
扉の先は、最初の部屋よりも少し幅の狭い通路。
壁や天井、照明などの内装は同一で、そこは変化前からも一貫している点。
そんなことより、である。
「……ギャ?」
「ギャギャギャ!」
通路の先に、数人の人影。
……いや、人?
子供ほどの体格。原始人のような粗末な格好。
なにより見えている素肌は、一様にこ汚い緑色。
ゴブリン。
そんな形容がしっくりくる、というかそれ以外あらわしようがない。
「ギャギャーッ!」
「ゲゲゲッ!」
そんな奴らが、やはり粗末な武器を手に手に、
俺へと襲いかかってくる――
◆
“class:迷宮主”が初めから所持しているspecialは、二つ。
一つは【迷宮化】――建造物を自らの領域である“迷宮”へと変える力。
そしてもう一つは【造魔】――自らのしもべである、いわゆる“モンスター”を創造する力。
男自身、己のclassこそが最強へと至れる無二の力であることを疑ってはいないが、
しかし自身の力がいまだ発展途上であることもまた、十二分に自覚している。
応用力の極めて高い力なのは間違いないが、
反面、制約もいくつかあり、使い勝手という点ではまだまだといわざるをえない。
まず【迷宮化】するには、対象の建造物に実際に入る必要がある。建物を外部から【迷宮化】することは出来ず、その点を男は、少々煩わしく感じている。
建造物の規模の問題もある。敷地面積か、それとも体積か、そのあたりはまだわからない。どちらにせよ現状は、この高架下の広さが【迷宮化】できるほぼ限界値といっていい。
【迷宮化】した建造物は、その内部の規模が拡張し、さらには構造も複雑化する。
ただし構造の変化は自動的で、任意のマップ製作などは出来ない。
また、【迷宮化】時に元の建物内にいた人物は、ほぼランダムに“迷宮”内のどこかへ転移してしまう。例外は“迷宮”の最深部に配置される“迷宮主”自身と、彼に触れていた者のみ。それ以外は大抵、最深部から最も遠い部屋へと飛ばされる傾向がある。
なおこれらの挙動は、対象の建造物が自身の所有か、あるいは公共物の場合。
所有権が他人の建造物だと、少々挙動が異なる。関矢邸がいい例だが、あの時は関矢の部屋がそのままの形で“最深部”に設定された。その他の構造の複雑化も現状ほどではなく、このあたりも制約といえるか。
【造魔】の方にも難点はある。
まずなにより、創り出した“モンスター”は“迷宮”内でしか活動できない。
“迷宮”の外では【造魔】の発動そのものが出来ず、“迷宮”内から外へと“モンスター”を連れ出すことも、当然不可。
加えて、リソースの問題。
当然かもしれないが、無尽蔵に“モンスター”を創り出せるわけではない。一度に配置できる数には上限があり、さらには強力な“モンスター”ほど高コストで、創造できる数もより少数となる。
現状持つ力の、さまざまな制約。
他にも“迷宮主”というclassそのものの弱みとして、素のステータスの低さもある。
創り出せる“モンスター”たちと比べても、残念ながら男のステータスは明らかに低い。
その“モンスター”こそが“迷宮主”の戦力と考えれば、致し方ない弱みではあるのだろう。
もっとも関矢のような貧弱一般人相手ならば、軽く捻れる力はあるが……
ここまでに挙げた様々な懸念。
しかし男に、さほど不安はない。
問題を解決する方法は、明白なのだから。
レベルアップ。
レベルが上昇すれば、新しい力を得られる。
そしておそらく、既存のspecialなども進化する。
人並以上にゲームを嗜んでいる男にとって、この程度は容易に推測の立つこと。
レベルが高くなるほどに、出来ることは広がっていくだろう。“迷宮”の規模の増大、自由なマッピング、強力な、それこそ神話クラスの“モンスター”の創造など……考えるだけで心が浮き立ち、口元がニヤけてくる。
今の状況は、だからまたとない好機。
期せずして関矢が示唆した、自分と同じ“レベルが違う”存在。
レベルのある者は、そうでない者より多くのEXP――経験値を持つ。
それは男もすでに知っている。以前に間抜けな“同類”を始末したことがあるからだ。
そして今日、その間抜けがもう一人増える。
(あの入船を片手でぶっ飛ばしたらしいが……ッフ、その程度でイキッてる底の浅いガキに教えてやろう……人外の強さ、魔物の脅威ってヤツを……)
最奥の玉座に悠然と構え、ほくそ笑む男。
それは最強たりうる力を持つ者の、余裕のあらわれ。
「…………っ」
比べて近くに突っ立っている関矢の様子の、なんとみっともないことか。背筋は丸まり、しきりに扉の方やこちらの顔色を窺い、おどおどとしている。あれが中学時代、教室に君臨していたカーストトップの姿かと思うと、あれにビクビクしていた自分はいったいなんだったのかと、馬鹿馬鹿しささえ感じるほどだ。
貧弱ザコのことは放って、今回の標的へと意識を移す。
自分と“同類”のガキもそうだが、一緒にいた美少女の存在も非常に気になるところだ。
彼女のことも関矢から聞いていた。標的のガキ――久坂とかいうやつの同級生で、かつそいつのことを憎からずも思っているらしい。
じつに興味をそそられた。その美少女――暁未を捕えることが出来れば、とても愉しいことになるに違いないと。実際、今日はそのために彼女の自宅へと向かう、その道中だったのだ。
結果は現状がしめすとおりだが、これはこれで好機といえた。
偶発的遭遇。それに気づいた関矢の指摘を受け、ちょうど屋内(男の【迷宮化】適用範囲は、建物だけに留まらないのだ)だったこともあり、とっさに能力を使用……
早まったともいえるのだろうが、それがなんの問題なのか。
ここはすでに、男の領域。
“迷宮”の中では、自分こそが王だ。
久坂とやらがここへとたどり着くのは、はたしてどのくらいか。あるいはすでに道なかばで力尽きているかもしれない。迷宮に挑む者と認識された人間が全滅すると“迷宮”は解除されるので、まだ生きてはいるのだろうが。
惜しむらくは仮に死んでいたとして、その死にざまを拝めないことだろうか。“迷宮”内を監視するような力があればまた別だろうが……
(……まぁそこは今後のレベルアップに期待、だな。美少女の方は発見次第生け捕りにするよう、しもべどもに命じてあるから問題はないだろうが……)
それでも一般人だと、“迷宮”の構造如何によって死ぬ可能性は十分ある。
その場合は、しかたないと諦めるしかあるまい。出来れば捕えていろいろと使いたいところだが、そうでないなら残念というだけ。男や“モンスター”が直接殺すのでなければ死体は残るから、あるいはそれで愉しむという手も――
不意に、
男の正面の扉が開く。
「お?」
そこから顔を出したのは、標的である“同類”のガキ――久坂厳児。
思いの外、早すぎるその到着に、
「……は?」
思わず男は、間抜けな声を上げてしまう。
■
時間は少し前後して、ゴブリンに襲われてから数分後くらい。
俺はというと、〔収納〕から出した例の槍を担ぎ、歩いていた。
「…………」
たぶん、しらけ切った顔をしていたに違いない。
いくつ目かの部屋の先の、いくつ目かの通路。
「ギャギャ?!」
「ギャッギャーッ!」
その曲がり角でまた出てきたゴブリン二匹を、
「はあ」
「ゲッ」
「ゴボッ?!」
出会い頭に蠅を叩くくらいの気分で、平手で叩き落とす。
槍を振るうまでもなく絶命し、やがては消えていくそいつら。
〈name:ゴブリン class:造魔 cond:死亡 Lv:1 HP:0〉
そのステータスが、こう。
“Lv:1”――非現実的な見た目のわりに、話にならないほど弱い。
他にもなんかいろいろ出てきたが、それらのLvも最高で4。
この状況の元凶は、おそらくゲーム的な空間を作り出せる力を持つのだろう。
しかし襲ってくる奴らがこのとおりなので、緊迫感とかは皆無。敵どころか障害にすらならないそれらへの対処は馬鹿馬鹿しいを通り越し、むしろ逆になんかもうしわけなくなるほど。
素手で十二分な相手ばかりなのに、わざわざ槍を出しているのはなぜか。
面倒は化物だけではないからだ。
ただ担ぐだけでなく、こつこつこつ、と進む先の床を石突きで叩きながらの歩行。
やがて、こつこつかちっ、と。
音と同時に、がたん、と開く目の前の床。
「…………」
なんともいえない顔で覗きこむ。
目の前に開いた落とし穴。その深さは五メートルほどで、底には棘などが突き出ている箇所も。
つまりは槍の使い道は武器ではなく、いわゆる用心棒。こうした仕掛けはここまでもいくつかあり、壁から針が突き出たり火を噴いたりも。他にも押せるけど引けないブロックが行く手を塞いでいたり、簡単ななぞなぞに答えないと開かない扉があったり等々……
「はあ」
溜息ひとつ。
俺には脅威でもなんでもないが、一緒に巻きこまれた喜連川はそうでないだろう。
……いや、まだ巻きこまれたどうかさえわからないか。彼女の【マーカー】はいまだ見つからない。【マッパー】は未踏の部屋を表示しないが、【マーカー】付与者の位置は別。……普段なら、そのはずなのだが。
同じ部屋にいる同士でないと表示されない――おそらくここではそういう仕様なのだろう。
これまで通ってきた部屋への切り替えは出来るから、そこに入ってくれればあるいは表示されるかもしれないが……一本道だったしな。見る限り、他に扉もなかったし。
「まあいいや」
案外、喜連川の方は弾き出されて外にいるのかもしれない。
あるいはもうすでに死んでいる可能性もあるが……今対処できないことを考えても無駄か。
そう思いつつ、突き当りの扉を開ける。蹴り開けるのは、二度目からはやめた。ちょうど向こうに喜連川がいたら、怪我どころではすまないだろうし、と。
そうして顔を出した扉の先には、
「お?」
少し広い部屋と、二人の人間。
それは取りも直さず、こうなる前に向かいに見えた通行人で。




