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遭遇2

22/05/15 時系列をちょっと修正




   ■




 その“事の起こり”は唐突だったが、

 そもそもあらゆる出来事が、概してそういうものかもしれない。


 たまさか会った喜連川になんとなく同行し、歩いている道中。


「あっちい……なあその、日傘ってどんな感じなんだ? 結構違うのか、やっぱ」

「うん。だいぶ凌ぎやすい感じはするけど……。……そ、その、入ってみる?」

「いやどう見ても二人入れる広さじゃねえだろ」

「あっ、うん、ま、間違えたっ――じゃなくてえとその、差してみる?」

「いい。俺が借りたらそっちが(あち)いだろ。わざわざ浴びるこたねえよ、こんな日差し」

「そ、そっか……っ」


 日傘越しにかすかに聞こえる、えへへ、とかいうはにかみ笑い。

 それを聞くともなしにしつつ、その後もぽつぽつと雑談をいくつか経て、


「こっから先は、ちったあ涼しいか?」


 ほどなく道は、高架下へとさしかかる。幹線道路の下を通る歩道で、信号を待たずに道路の向こう側へと渡れ、距離的にも喜連川の目的地へは近道になるという。

 目が慣れていないのもあってか、日差しの下では妙に暗く見える高架下。


「……」

「喜連川?」

「う、うんっ。ごめん」


 そのせいか一瞬怯んだ様子の喜連川だったが、俺が少し先に進んで促せば、すぐについて来る。

 五月のことでも思い出したのだろうか。けどあの時とは季節も時間帯も違う。たとえ別の変質者がいたとしても、こんな真昼間ではさすがに控えるのでは。

 暗く見えた高架下も、入ってしまえばすぐに目も慣れてそう感じなくなる。

 若干涼しさも感じつつ、そのまま少し進む。


 すると向かいにも通行人の姿。

 そちらも二人連れで、背格好は両方とも男。


「――っ」


 わずかに身構えた様子の喜連川が、俺の方へと気持ち寄ってきた、


 まさにその時、

 突如、視界と感覚が、歪むような――




   ◆




 二十四時間ほど、時間をさかのぼる。


「…………」


 場所は県下有数の高級住宅地、その中でも指折りの規模の邸宅。

 関矢(せきや)邸。

 その二階の広々とした一室。

 設えられた高級な家具。高品質のオーディオ機器やPC。


「…………ぅうっ」


 しかし部屋の主である関矢大海(ともみ)にとって、今はそれらほぼすべてが無用の長物と化していた。ベッドの上でぐしゃぐしゃのシーツをかぶって丸まっている彼。ここ最近、最低限の食事と用足し以外は、そうしてみっともなく呻くばかりの状態でいた。


(それもこれも、全部あいつのせいだっ。あの得体の知れない、久坂厳児というヤツの……!)


 きっかけは二か月ほど前の、あの日の出来事。

 いつもどおりの、ちょっとしたお遊び。中学以来の腐れ縁とつるみ、馬鹿なガキを嵌め、平和ボケした能天気なガキ共々自分のおもちゃに仕立て上げる享楽。くだらない人生の中でのちょっとした余興――ただそれだけの出来事。


 そのはずなのに、

 久坂厳児。

 あのすっとぼけた、そして明らかにおかしなやつによって、

 せっかく用意した舞台は完全にひっくり返され、すべてが台無しになってしまった。


 あの件のせいで長年重用してきた暴力装置である腐れ縁、入船(いりふね)は逮捕。その手下どもも軒並み行方をくらましたため、今の関矢は趣味のお遊びに使える駒をほとんど失っている。

 大海自身は親のコネのおかげで、警察の追及そのものからは免れたが……

 しかしそれが、なんの慰めになるだろう。事の露見のしかたが大きかったせいか、コネの担い手である父親はとうとう彼を明確に見限る姿勢。加えてどこから情報が漏れたのか、所属する大学内でも口さがない噂が広まり、そちらにももはや大海の居場所などない。


 退屈な人生の、ささやかな潤いである趣味を禁じられ、

 気楽でさしたる苦労もないであろう将来もまた、閉ざされた。

 すべて、あの出し抜けな久坂厳児(イレギュラー)さえ現れなかったら……


「うぅ…………っ」


 屈辱と焦燥から漏れるうめき。

 自身の身じろぎによる、かすかな布ずれ。

 物音らしい物音は、それくらいしかない寒々しい部屋に、ふと、


 がちゃり、と。


 ドアの開く音が響いた。

 自宅の自室に、大海もわざわざ鍵などかけない。

 だからドアが開いたこと自体に、さして不思議もない。

 大方また、心配した母親が様子でも見に来たのだろう。息子に大甘な彼女がいる限り、彼が家から追い出されることだけは万一にもない。少なくともただ生きるだけならば、こうしてしおらしく弱り切った姿勢さえ見せていればいいだけ。

 しかし今の大海は、心配されるだけでも鬱陶しい気分だった。

 なにか声をかけてきたら「ほっといてくれ」とだけ返して追い出そう。


 そう彼が決めるのと同時に、

 突如、物凄い力で首根っこを掴まれ、


「?!? う、ぐ、え゛……っ!!?」


 そのまま吊し上げられるように、体ごと持ち上げられた。

 足がつかないほどに締め上げられ、喉から苦悶の声を絞り出す大海。


「――……ぶ、ふっ、ぶふフッ! ぶふフうふフフッ!!」


 次いで至近距離から聞こえたのは、まるで豚のようなふき出し笑い。

 大海を締め上げている者の声らしい。

 やや小柄で小太りなその男は、腕をいっぱいに伸ばして長身の彼を吊し上げていた。

 片腕だけで。


「……ぶフッ、な、なかなかいいザマじゃないかぁ関矢クン。クラスカーストトップだったおたくが、今じゃみじめなひきこもりとは……中学時代(あのころ)の同級生が知ったらど、どう思うだろうねぇ、ブフッ!」


 じつに楽しげな、皮肉めいた口調のその男。口ぶりから同級生のようだが、その顔に覚えはない。とはいえ無理もないかもしれない。学校では常に上位グループを裏表から牛耳っていた大海にとって、下位のクラスメイトなど記憶に残す価値などないのだから。


「オイオイオイ、まさかその顔、おれに覚えがないとでも言うつもりか? ……そうか」


 一瞬、大海の首を絞める力が緩んだ。

 しかし、


「あが――っ?!!」


 次の瞬間、顔、それから背中に凄まじい衝撃。

 意識が飛んだかと思えば、チカチカと瞬く視界。

 どうやら男に殴り飛ばされたらしい。部屋着にボタボタとこぼれた鼻血が、それをしめしていた。

 叩きつけられた壁にズルズルともたれかかった彼を、

 しかしそれを許さないかのように、男が胸倉を掴み再び吊し上げた。


「ふ、ふふふフザケんなよ!? てめーのツレと手下のDQNどもが、よってたかっておれをいじめたんだろーがッ!! ひ、ヒトの人生滅茶苦茶にしやがったクセに、それを忘れて今までのうのうと生きてやがったのかっ?! ええッ?!!」

「ぐ、ぐ……っ」


 襟ぐりを締め上げられ、壁に押さえつけられ罵られた大海。

 そうしておぼろげに、思い出した。当時入船とつるんでいた腰巾着どもに、いじられパシられていた小太りな男子生徒がいたような記憶を。

 もっとも大海に、いじめを指示した覚えなどない。あれはたしか、調子に乗った腰巾着どもが勝手にやっていたこと。そもそも彼はそいつらに興味すらなかったし、入船もまた、自分にすり寄ってきた雑魚どもなどほぼ捨て置いていた。

 もちろんいじめをやめるよう働きかけたわけでもないが、

 それで自分を恨むのはお門違いだ。大海にとってはそうとしか思えなかった。


「ぶ、ふフフッ! これはだから、おれはやられた分をやり返してるだけ……! 正当な復讐……! ぶはハッ、苦しいか? けどあの時のおれはこの何倍も苦しくて、辛かったんだぞぉ……っ!」


 しかし、男にとっては違うらしい。

 腰巾着も入船も大海も、区別なく許しがたい仇。

 それをしめすように締め上げる力はギリギリと増し、今や大海の体はミシミシと骨が軋むよう。


 にしても、この男の腕力……明らかに異常ではないか。

 小柄でいかにも運動不足そうな見た目の、いったいどこにこんな力が。

 まるであの生まれついての強者――類まれに屈強な肉体を持つ、あの入船のような。

 いや、あるいは、これは……


 不意に男が、彼を締め上げていた手を離した。


「――ガハッ?! ゴホッ、え゛ッホ……っ」

「おっと、……ふぅ、おれとしたことが、つい殺してしまうところだった。もっと苦しめて殺さなきゃ復讐にならないのに、まったく、これだから凡人は脆くて困るぜ。ぶフッ」


 支えを失った大海が、咳きこみながら尻もちをついた。

 それを見下ろし、見下すように吐き捨てた男が、次いで彼の頭を乱暴に掴み強引に上向かせた。


「にしてもシケてるよなぁ、金持ちの家なのにメイドの一人もいないとか……年寄りのお手伝いさんばっかじゃんか。おれのワクワクを返してくれよぉ、えぇ?!」

「あがっ!?」


 言いながら、大海の頭を壁に叩きつける。

 たしかに関矢邸には年かさの使用人しかいない。以前は若い女性もいたのだが、息子がいちいち傷物にしてしまうため、後処理を嫌気した家主――大海の父が雇うのを止めてしまったからだ。


 脳がグラグラと揺れる感覚の中、ふと大海の頭に浮かんだ疑問。

 そもそもなぜ、こいつはここにいる?

 アポイントのない不審者を素通しするほど、関矢邸のセキュリティはやわじゃない。

 無理に侵入すればすぐに警備会社に連絡が行くし、庭の番犬たちだって黙っていないはず。

 なのにどうしてこの男は、騒ぎ一つ起こさずに家の中まで……


「ぶフッ、どうしたそのマヌケ面。ひょっとして今頃気づいたか? この場におれがいる不思議に」


 大海の様子の変化。

 それに気づいたらしい男がニヤニヤとした笑みを浮かべる。


「ぶフフッ! だろうなぁ凡人にはわからないよなぁ~。おれがすでに、おたくらとは隔絶した特別な存在になっているとか、想像もつかんのだろう……ぶふフフフッ!」


 侮蔑。嘲弄。優越感。

 それらで歪んだ男の笑みは、顔を背けたくなるほど醜悪で。


「おれはおたくらとはもう、レベルが違う(・・・・・・)んだよぉ、文字通りの意味でなぁ」


 加えて、どういうことか。


「ギャゲッ」

「ゲギャギャ!」


 男の背後に、いつの間にか現れた複数の影。

 緑の肌。禿げかけのような頭に、鷲鼻、乱杭歯という醜い面構え。

 明らかに人でない、ゲームなどに出てくるゴブリンそのものの姿の、化物。


「!?」

「グルルル……」

「class名、“迷宮主”……建造物の【迷宮化】……【造魔】による忠実な手駒たち。――おれは確信している! この力こそあらゆる局面に対応できる、万能のっ、最強のclassだということを……ッ!」


 さらには狼のような獣まで手懐ける男の姿に、大海の混乱も加速する。

 目の前で、ありえないことが起きていた。

 それはあたかも、あの日(・・・)のように。


「ぶふフフッ、わかるか? 関矢クン。おたくの家はすでにおれの支配下……! そして今度は、おれがおたくをパシる番……! とりあえずは有り金全部と……ああ、あとはその顔で適当な女でも釣って、おれに貢いでもらおうか? ぶふふフフッ! もっともイヤと言ってもおたくに拒否権など、」

「な、なぁっ?」


 気づけば、大海は問いかけていた。


「お前、その力をどうやって――いや違う! 君のその力、僕に貸してくれっ! やっつけてほしい奴がごぶっ?!!」


 しかしその訴えは途中で遮られた。

 男が無造作に突き出した、土足のつま先によって。


「あ゛っ、ぐ! やめっ?!」

「口を慎めグズがっ!! てめーはもうおれの奴隷なんだよ! 奴隷の分際で、ご主人様にタメ口利いてんじゃねーよこのグズ、グズッ、グズがぁっ!!!」


 蹴られた顔を両腕でかばう大海。

 それでも男の踏みつけるような蹴りは容赦なく降ってきた。

 まるでこれまでの鬱憤を晴らすかのように。罵声とともに、執拗に何度も何度も。


「――っはぁ、ぶふぅっ」

「ぐ、う゛……」


 気がすんだのか、あるいはたんに疲れただけか、ややあってから男の折檻がやむ。

 男の荒い息遣い。大海のうめき。

 時折、ゴブリンめいた化物の忍び笑いと、狼めいた獣の低い唸り声。

 それらがしばし、動くもののない室内に響いた。

 やがて、


「ぶフッ!」


 ふき出すような、男の笑い。


「まぁ、いいさ。このくらいで勘弁してやろう。言っとくが利用価値のあるおたくだから、おれもこんな風に寛大なんだぜ? 他のDQNどもみたいな底辺のクズだったら、とっくに殺して経験値にしてたとこだからな。ぶふフフッ!」


 次いでしゃがんで、うずくまる大海に口臭のある顔を近づけて言う。


「で? さっきはなにを言おうとしていたのかなぁ? 関矢クン。口の利き方に気をつけて、かつおれにメリットのある話だったなら、聞いてやらんこともないぞ? んん?」


 ニタニタとした笑い顔は、目を背けたくなるほど醜く。

 しかしそれを堪えて、口調にも細心の注意を払いつつ、大海は話し始め――






 ――そうして今に至る。

 その場所は、つい先程まではなんの変哲もない高架下の歩道だった。

 しかし壁の質感や備えつけの照明はそのままに、今はその構造を一変させている。


 地下牢を思わせる石室。

 正面と左手には大きな扉。

 そして正面の扉の対面の壁……


「ぶふフフフ……!」


 その中央、石造りの玉座めいた椅子に、ふんぞり返るように座る人物。

 高架下を一瞬にして造りかえたのは他でもない、自らを“迷宮主”と呼ぶ、この男の力。


「……っ」


 そのかたわら、一段低くなっている床には、所在なさげに立つ大海の姿も。

 彼が感じているのは、あらためて目の当たりにした男の力、その非常識さに対する萎縮が半分。


(――けどこれなら、いけるかもしれないっ。これだけ荒唐無稽なこいつの力なら、ノリ君をぶっ飛ばしたあの久坂の出鱈目さにもきっと……っ!)


 しかしもう半分は、自らの望みが叶うかもしれないという、確かな期待だった。

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