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夏はつづく




   ◇




 夏休みの最中、陸上部の練習がある日。

 グラウンドの一角で、走りこみ前のストレッチを入念に行っているのは、柚。


「さっちゃーん、がんばってー!」

「ふぁいおー」


 そこへグラウンド隅の木陰から、親友たちの声がかかる。

 こうして幼馴染たちを見物に誘うことは、中学時代にもしばしばあった。高校に上がってからは、青山たちが暁未などにちょっかいをかけるのを懸念して控えていたが……


(辞めちゃったからねぇ、あの人ら。せいせいした、って言うのはちょっと性格悪いかな?)


 青山は自らの所業――どこからか(・・・・・)もれたその噂が広まり、居辛くなったのか退部。彼に近しい者たちも同様に部を去り、こうして憂いなく親友たちを招けるようになったのだった。


「ほらっ、久坂君も! さっちゃんに声かけてあげよっ?」

「ん? じゃあ――かっとばせー」

「競技ちがくない?」


 そして今日は暁未と栞だけでなく、じつは久坂も一緒に来ている。三人とも木陰にあるベンチに、柚から見て左から栞、暁未、久坂の順で座り、思い思いの声援(?)を送ってくれている。


(意外というか……誘ったのはアタシなんだけど)


 久坂が来てくれるかどうかの見こみは、半々だった。その以前にも柚は、折を見て何度か彼を遊びなどにも誘っていたのだが、近頃ずっとなにやら用事があったらしく、捉まらず。だから今日声をかけたのも、正直ダメ元だったが……

 しかし思いがけずというか、久坂は来て、柚の部活の光景を眺めていて。


(あ、あれ? なんか緊張してきちゃったかも……っ)


 知らず背筋が伸びる柚。現在午前の少し早い時間で、ほどよく風もあり暑さもさほどではないのだが、気温由来でなく体が少し汗ばむのを、自覚。

 大会などの競技前とはまた違う感覚に、どぎまぎむずむずしている彼女は、


「――なかなか面白い顔してるねー、ゆずきち」

「うひゃあっ!?」


 不意に耳元で囁かれた声に、ぴょんと少し跳び上がる。


「んもーっ、吐息多めに囁かないでよイタやんッ! ヘンな趣味に目覚めたらどーすんの?!」

「あはっ、そーなったらなったで、責任くらいは取ったげるよ?」

「……ゴメンなんか、冗談が冗談でなくなりそーなので、のーせんきゅーですっ」


 声の主は、同学年だがクラスは違う部員、通称イタやん。

 本名は板谷(いたや)範希(のりき)。男っぽい名前だが、柚とは同性。長身かつショートの髪型というボーイッシュな要素も持つにもかかわらず、部内で一番フェミニンな雰囲気がある子である。

 というか、むやみに色っぽいというのが柚の率直な印象。初対面時は上級生だと思ったし、今もじつはお酒が飲める年齢なんじゃないかと、なかば本気で疑っている。


「なんだか失礼なこと考えてないかな? ん?」

「滅相もない! てかアゴをこちょこちょしないでッ」

「あっはっは、相変わらず反応が可愛いなーゆずきちは。……というかー」


 柚をからかい、次いでちらりとグラウンド隅に流し目を送る板谷。


「今日はまた、いつもと違う可愛さがあるよね? なーにが君をそうさせるのかなー?」

「べっ、別にッ、いつもと一緒でございますことよ?」

「ふーむふむ、あれが(くだん)の久坂君かー。ゆずきちの話にちょーくちょく出てくる……」

「――!?」


 さらにはそんな、白々しい台詞。

 それについぴくりと反応してしまう自分に、柚も少し呆れてしまうが。


「いけないなー、次期エースとも目されるルーキーが、男にかまけて練習に集中できないんじゃあ」

「そッ、そんなんじゃないし! ってゆーか久坂君はそういうんじゃ――」

「あんまり声が大きいと聞こえるんじゃないかな? その彼に」

「ッ!?」


 板谷の調子に翻弄される柚。

 以前、青山の取り巻きにも似たようなからかわれ方をされた覚えがあるが、その時のような気分の悪さは、彼女からは感じられない。ただちょっと、恥ずかしくはあるが。

 ひとえにそれは、板谷の人柄ゆえか。一見人を食うようで、その根底には他者への思いやりや優しさがある。それまで身近にいなかったタイプで、知り合ったのはQ北高(ここ)に入ってから。にもかかわらず不思議と馬が合う、そんな友人。


(そういう意味じゃ、久坂君も同じかも……?)


 一見とっつきにくそうで実際つき合いがいいともいえないが、いざ話すとなれば打てば響く感じだし、一緒にいると妙な居心地のよさがある。

 そんな不思議な、やっぱり身近にはいなかったタイプの男子。


「――ぽーっとしちゃってるねー」

「んはぁっ?! だからみみもとーッ!」

「あっはっはー」


 いつの間にか、また背後にまわって囁きかけてくる板谷に、柚はふり向き両手を振りあげ抗議。

 涼しい笑顔でそれをいなし、次いで板谷はグラウンドと暁未たちの方を交互に見やる。


「まーゆずきちはともかく、あっちはいつもより明らかに気合い入ってるよねー。主に男子」

「あー、だねぇ……」


 つられて柚も、部員の練習風景に目が向く。

 たしかに板谷の言うとおり、今日は部の男子が皆一様になんというか、どこかキリッとしている。そのうえで時折、グラウンドの隅の方をちらちらと気にもしている。

 要は彼らは、暁未や栞にいいところを見せたいのだ。もはや学内に知らぬ者はいないほどの美少女たちの目に留まり、あわよくば……という思いを抱くのを、誰が止められようか。


(けど先輩方、残念ながらあけみんの瞳の中にはもう……。けどしおりんの方ならワンチャン、いやないかぁ……)


 心の中で合掌し、けどあるいはとも思い直すが、やっぱり再度合掌する柚。

 栞が誰かに惚れる姿など、ある意味久坂がそうなる姿よりも想像できない。

 ついでに難儀な男子に惚れてしまったことも再認識し、つい乾いた笑いも出そうになる。


(そういえばそこも、まだちゃんと話せてないなぁ……)


 同じ男子に惚れてしまったことについて、一度親友と話すべきではないか――

 ……たしかにそう思っていたはずなのに、柚はいまだにそれを実行できないでいた。先延ばしにしてもろくなことにはならない、そうわかっているはずなのに、どうしても一歩踏み出せないでいる。


 ずっと続いていた、幼馴染との仲良しの関係。

 それが壊れてしまいそうで恐いというのが、やはり一番か。

 さっぱりした性格だとまわりからは思われ、こだわらない方だと自分でも思っていたのに……

 もしかしたらアタシ、思った以上にいくじなしなのかも。

 ついそんな風にも、思わずにいられない彼女。


「ぬがーッ!!!」

「ど、どしたー? いきなり……」

「よしイタやん、一本勝負しよ! 負けたらアイスおごりねッ!!」

「う、うん。じゃあ私が勝ったら……アイスはいーから件の彼の話、聞かせてもらおーかな?」

「だからもーッ!」


 空回り気味の空元気。

 それでも振りまわさずにはいられないのが青春なのかも、なんてことを、柚は思う。




   ■




「なんか盛り上がってんな」


 グラウンドで、古幸がどこかいかがわしい雰囲気の女子となにやら騒いでいるのを眺めつつ、呟く。距離と風向きの関係で、なにを話しているのかはわからない。古幸の方はなにかむきになっているようにも見えるが、喧嘩という感じでもない。ただのじゃれ合いだろう。


「仲良さそうだな」

「板谷さんのこと? 部では一番気が合うって、さっちゃん言ってたかな」

「はあ。なんつうか……」

「?」

「や、なんでもねえ」


 顔がいいやつ同士はひかれ合うのか、みたいなことを思ったが、口には出さず。

 代わりに走り出した古幸らの様子を、ぼんやりと見やる。日盛り前の夏の太陽の下、むき出しのよく動く脚はなかなかにまぶしい……などという考えも、女子相手に言うことではないだろう。

 ほぼ同時にゴールを踏む二者。ガッツポーズなどをしているのを見るに、古幸の方が速かったらしい。そんな様子を眺めているところへ、ふとかかるのは喜連川の声。


「えと、気になる、かな? 板谷さん」

「?」

「な、なんでもない、です……っ」


 問いかけの意味を図りかね、疑問を顔に浮かべる俺。

 それを見て彼女は、慌てたように己の発言を取り下げる。


「――やった勝ったアイスゲット! みんなどーよ見てた? アタシの華麗なる走り!」

「ないすふぁいと」


 少し休憩でもするのか、古幸が俺たちのいる木陰まで駆け寄ってくる。競争していたなんとかいう女子は、部の顧問だかに呼ばれてそちらに行ってしまったようだ。

 志条が労いとともに、古幸へ飲み物を渡す。喜連川も彼女を休ませるためかベンチから立とうとするが、それは俺が軽く手振りして制し、代わりに立って席を空けてやる。


「あ、ありがと……」


 妙にしおらしい小声で礼を言いつつ、俺と入れ違いにベンチに座る古幸。その隣の喜連川も、俺になにか言いたげな上目遣いを向けているが、やっぱり意図がわからないので視線を返すくらいしか出来ない。あ、目逸らした。


(なんだかな)


 知らん顔をしてはいるが、

 二人の様子がおかしいことには、さすがに俺も気づいている。

 喜連川は関矢元実習生の件の後から。

 古幸は、旅行の途中からか。

 両者に共通するのは、その間近でレベルに関する力を使った点か。

 もちろんわかっている。そこは別に直接関係ないのだろう。


 喜連川と古幸。二人が俺にどういう感情を向けているのか、詳しく語る野暮はすまい。

 というか万一違っていたら赤っ恥もいいとこだし、

 逆に見こみどおりだったとしても決まりが悪いことに変わりはない。

 てか、正直信じがたいというか、正気を疑う思いの方が強い。


 とはいえ、俺から殊更なにかする気もない。

 彼女らがどんな思いを抱いていようと、

 それに俺が応えることは、たぶんないだろう。

 さっきベンチを譲ったのだって、別に善意や厚意からではない。一番体力が有り余っている奴が立つのが道理だろうと思っただけだ。

 いや別に、そうはっきりと考えたわけですらない。

 ただ、なんとなくだ。

 俺の九分九厘は“ただなんとなく”で出来ているといっても過言ではない。


 そんなよしなししごとを考えている脇で、女子三人は楽しげに談笑している。今日の午後はどうするかとか、ひいては休み中の今後の予定とか。

 そんな中でふと、


「――そだ! せっかくだからみんなで集まってしない? 勉強会!」


 夏休み中に出ている課題云々の話になり、そこで出てきた古幸からの提案。


「集まってって……図書館とか?」

「んーそれでもいいけど、誰かのお(うち)って手もアリじゃない? ――そーいえばさッ、久坂君ちってまだみんな見たことなくないッ?」

「――!」


 志条の呟きに応じさらなる提案を加えてきた古幸が、不意の閃きを得たかのように俺の方を向く。

 ついでに、我が意を得たりみたいな喜連川の顔もこちらに。なんだその散歩に呼ばれた子犬みたいな目。


「や、やーもちろん、迷惑だったら他を当たるけど……」

「迷惑、っつうほどのことはねえな。まあ」


 一旦遠慮の姿勢をみせる古幸に、つい正直に返してしまう。いつもの面子五人は俺の部屋では狭いかもしれないが、居間とかなら平気だろう。こいつらであれば、近所迷惑になるほど騒ぐこともないだろうし。


「じゃー決まり! ――の前に、カゲト君らに確認か」

「それはこのあと、私たちから伝えておくよ」

「そか。OK任せた!」

「ん。任された」


 俺の返答を受けての女子らのやりとり。古幸以外の面子はこれから、体育館へ賀集のバスケ部の様子も見に行く予定となっている。ちなみに大滝も今日は生徒会の用事で、学内にいるはずだ。そちらへの見物は……さすがに迷惑だろう。


 ともあれ、休み中の今後の予定が一つ埋まった。

 さてどうなることか――というほど、どうということにもならないか。




   ◆




「――そうか。そういう状況になっていたのだな、こちらは」

「ああ。まったく、どういうことやら、さ」


 Q県警察署、最寄りの喫茶店。

 その一番奥の角のテーブルに着き、言葉を交わす者が二人。

 一人は強田。

 その対面に座るのは、銀縁眼鏡の真面目そうな男。


「そちらの調子はどうだい? 刑事課の」

「似たようなものだ。ほとんど八方塞がりで、お通夜みたいな会議だった」


 男は名を鬼橋(おにはし)といい、強田と同業。ただしこちらは本庁勤めで、所属も刑事課。階級も強田の一つ上だが、オフの今は以前の縁(・・・・)もあって、互いに砕けた口調でやりとりしている。


 鬼橋がQ県くんだりまでやって来ている理由は、“切り裂きキラー”。

 これまで最長でも一月以上は間隔を空けなかった奴の犯行が、もう二か月近く途絶えている。

 それを受け今後の対応のために、最後に犯行が起きたここQ県と本庁の、合同の会議が行われていたのが、つい先程。全国くまなく犠牲者の出ている事件ではあるが、やはりというのかその内訳は都が最も多く、ゆえに実質の捜査本部が置かれているのも警視庁。

 いうまでもなく、鬼橋もその一員。行き詰った捜査を打開すべく設けられた今日の場に、彼もわずかでも得られるものがあればと挑んだ者の一人だったが……


「……手がかりと呼べる手がかりはなし。いつもどおりとはいえ、こう肩透かしが続くのはさすがに堪える」

「事件は違えど、俺も同じ気分だよ……」


 嘆くように口にし、うなだれた頭を組んだ腕で支える鬼橋。

 強田もまた疲労感に音を上げ、思わず天井を仰ぐ。


 こちらの疲弊の理由は一つ。

 謎の行方不明事件。その失踪者たちが、唐突に帰ってきたため。

 それも一人ではない。残念ながら全員でもないが、それでも失踪と見なされていたうちの十六人が、数日の間に相次いで保護されるか、自宅へと帰ってきていた。

 失踪者が見つかったのは、喜ばしい。

 喜ばしいが、その原因――犯人がいるなら犯人の、そうでないならどういった理由で失踪したのか、それらに繋がる手がかりが一切ないのが、強田ら生活安全課の頭を悩ませている。

 それもひとえに、失踪者全員が、失踪中の記憶を失くしているがゆえ。

 自分達がなぜ行方をくらませたのか、その間どこでなにをしていたのか……

 失踪者の誰一人として、それを覚えている者がいなかったのだ。


 まったくもって、なにがどうなっているのか。

 いっそ人知を超えた“なにか”の仕業と断じ、思考を放棄してしまいたい。

 そんな風にさえ近頃の強田は思っている。


(しかし、旧知の手前、なんだか愚痴るようになってしまったが……)


 強田と鬼橋は、中学時代の同級生同士という()だ。

 もっとも当時はさして仲が良かったわけでもなく、同業と知ったのもつい最近。現在も知り合い以上の関係とは呼べず、そのうえ課も階級も違う相手に内情を漏らすようなことを言ってしまっていいものかと、いまさらながら強田は思う。


(いやでも、向こうから話を聞かせてくれと来たんだよな)


 疲れで頭が回らない中、休憩がてら呼ばれるままにこうして来てしまったが、

 そもそも鬼橋は、なんの用事で自分を呼び立てたのか。

 まさか互いの愚痴を聞くためでもあるまい……そう思って強田が正面に目を向ければ、


「――なあ」


 鬼橋もまた顔を上げ、目が合う。


「今のこの、互いの不可解な状況……“同じ理由”から来ているとしたら?」

「同じ……?」


 そうして投げかけられた問い。

 その意図が掴めず、疑問から彼の言葉を鸚鵡返しにする強田。

 同時に眼鏡の向こうの視線が、すっと左にずれる。


「……」


 じつはこの場には、二人の他にもう一人、同じテーブルに着く者がいる。

 鬼橋の隣、二人のやりとりには口を挟まず黙っていた、おそらくは年下の女性。

 その腕には奇妙な装丁の、大きな図鑑のような本が抱えられていて。


「今日はじつは、そのことについて話そうと思って来たんだ」

「……どうも、はじめまして。唐木田(からきた)来佐(きさ)といいます」


 鬼橋の視線に促されるように、顔を合わせてから初めて口を開いた女性。

 その彼女――唐木田は名乗りながら、抱えていた本をテーブルの上へと置き、


「お話は、私からしましょう。この街に――いえ、」


 それを広げながら、奇妙な言い回しで、告げる。


「この世界に、なにが起きたのかを」

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