ある思い出
古幸いわく、俺が扉を開けるのと同時に、やけにはっきりとした幻を見たそうな。
そしてその中の登場人物が、まさに今見ている写真の男女なのだと。
「――久坂君は、見てないんだね」
「ねえな」
説明し終え、加えて確認するようにそう問うてくる彼女。
嘘をついても仕方ないので、素直に短くそう返す。俺の主観ではただ戸を開けて入っただけだったが、古幸はその一瞬の間に数十秒か数分を幻覚の中で過ごしたのだという。
「でも、どうしてアタシだけ……?」
「さあな」
知らず呟いたような疑問にも短く返すが、まあ多分、レベルの影響だろうとは思う。その幻覚が魔法的ななにかだとすれば、喰らうか喰らわないかはステータスによるとするのが一番妥当だ。
しかし彼女を【見る】限り、condに異常はない。つまり喰らったのは〔幻影〕のような魔法だろうか。いやあれはステータス関係ねえか。なんにせよ、こいつ自体が異常に侵されているわけではない。
「!? 写真が……!」
不意に声を上げる古幸。その手元に視線を戻せば、
本の上の写真が空中に解けるように、あるいは煙のように、なぜだか消え去っていく。
そして、かちゃり、と。
「!」
「……下の階からだな」
金属的な音が、やけにはっきり階下から聞こえてくる。
それはちょうど、どこかの鍵でも開けたかのような音で。
「行ってみっか」
「ちょ、えと、そんな軽いノリでいいのかなッ? なにか危ないこととか……」
とりあえず向かおうと部屋を出ようとすると、呼び止めるような古幸の声。
音の方向に危険がなさそうなのは【警戒】でわかる。しかしそれを説明するわけにもいかず、
「大丈夫だろ」
「その根拠は……?」
「大丈夫さ」
「ないんだねッ!」
「ほれ、置いてくぞ」
「強引?! ああでも逆らえない! ここで一人になるのはさすがに無理だってぇ!」
ごり押しで通す。そもそもこいつの納得や了解を得る必要もない。勝手な行動ではあるが、この場に留まったり別行動するよりは、そんな勝手な奴でも同行者がいた方がましと、古幸もまた判断したようで。
そんな感じで両者ともに廊下へと出て、
少し行けば、そこは見覚えのある場所。
玄関を見下ろす吹き抜け。“幽霊屋敷”へ入ってすぐ目にした光景を、今度は階段方向から下りていく。このへんりもやはり、最初這入った時ほど建物が荒れていない。壁も天井も隙間などはできておらず、住もうと思えば住めるんじゃないかというほど。
ぎしぎし鳴る階段を下りきり、ロビーに立つ。
そこでふと思い立ち、玄関の戸の方へ。
両開きの扉は一部がガラス張りとなっているが、そこもやはり墨汁を充填したような黒。
ノブを掴みひねろうとするが、当然のように動かない。少しずつ力を入れ、最終的には思い切りひねってみたりもしたのだが、やはりノブはびくともせず。
単純に鍵がかかっているとか、あるいは溶接されているとかなら今ので開いただろうが、どうもこの様子だと、そういう程度の話ではなさそうか。
「ドア……やっぱり開かないの? 久坂君」
「ああ。これもうドアっつうか壁だな。一枚の」
「ちょっといい?」
背後から問いかけ、それから横に並んで断りを入れる古幸に、ドアの前を空けてやる。
彼女もまた「ふんっ」とか言いつつそこを開けようと試みるが、俺に開かないものをその細腕でどうこうできるはずもなく。
「――っぷは! ほ、ほんとに全然、ドアって感じじゃないね……」
「とりあえず、さっきの音の元に行くしかねえだろな」
「そう、だね。そうしよう」
そう言い合い、あらためてロビーから右方向へ延びる廊下を進む。その道中も、加えてそれ以前の二階の書斎らしき部屋から階段までの途中にもいくつかドアはあったが、それらもやはり玄関同様開かずの間と化していた。
ならば今たどり着いた、物音がしたと思われる部屋へのドアは、どうか。
ノブに手をかけ、察する。普通に開きそうな感触。
軽くひねれば、ドアは問題なく押し開かれ――
~~~
一番の友人である彼女と、キッチンに並んで立つわたくし。
今日の彼女は、わたくしの料理の先生。
料理が得意な彼女に、わたくしが頼みこんで家へと招いて、教えてもらっているところ。
不慣れで手元がおぼつかないわたくしを、あたふたしながら面倒見てくれる彼女。
おっかなびっくりな生徒と、一所懸命、いっぱいいっぱいな先生。
淑女にあるまじき、てんてこまいな二人。
だけどそんなひと時が、わたくしは堪らなく楽しい。
はにかんだ笑顔を見せる彼女も、きっとそれは同じで。
だからわたくしは、これからもこんな日々が続けばいいと、心からそう思って――
~~~
「――!」
「台所、か?」
その先の部屋、中の様子からそう当たりをつける俺の隣で、古幸が短く息を吸う音。
「……また幻覚でも見たか?」
「う、うん。また。……このキッチンで、さっきの女の人と、もう一人……」
ふらつき、堪らずという感じで俺の肩に手を置き支えにする彼女。茶化していい様子でもなかったので、振り払ったりなどの邪見なふるまいはとりあえず控える。
ついでに【見る】が、やはり古幸は“cond:通常”のまま。ならばこの様子も具体的な異常ゆえでなく、もっと気分とかそういうのによるのだろう。さしもの彼女も、続けて変な幻覚見せられればお気楽にもしていられないか。
気づけば顔を上げた古幸が、部屋の一点を凝視している。
視線の先は、蛇口が外れて落ちたシンクの隣、調理台とおぼしき場所の上。
これ見よがしに置かれた、写真立て。
「……」
俺から離れ、ふらりと歩み寄りそれを手にする古幸。
そちらへ行き横から覗きこむと、彼女は見やすいようにか手にしたものをこちらへ傾ける。
どこかの土産物のような意匠の写真立て。
収められた写真は二人の少女を写したもの。
一人は先程も見た、細身で品のよさそうな女。
もう一人は同い年くらいの狸顔の女。あと乳がでかい。隣との対比のせいか余計にそう見える。
「幻覚と同じ奴か?」
「うん、そう。さっきもだけど、二人ともこの、写真と同じとこに立ってて――」
訊ねた俺へ、自分の見たものを説明しようとする古幸。
しかしそれとほぼ同時に、
「!」
写真は収められた枠を残し煙のように消え、
またしてもかちゃり、という音が今度は上階から聞こえてくる。
~~~
自室のライティングビューロウで、わたくしは今日の分の日記をつける。
皆で出かけた山の手へのレジャーは、期待どおり本当に楽しかった。
彼と、彼の友人たちと、それからわたくしと、その親友である彼女と。
年甲斐もなくはしゃいだわたくしたち。その光景を思い出すだけで、今も自然口元がほころぶ。
やがて日記を書き終えるわたくし。
それから席を立ち、なんとなくベッドへ歩み寄って座り、そして横になる。
そうしてインクが乾くのを待ちがてら、そういえばと、ふと思い出す。
それは昨夜の、ロッジで過ごした夜のこと。
なにかの拍子で半分ほど目覚め、夢うつつなわたくしは、
同室の彼女がロッジの外へ出て行く気配を、なんとなくだが感じたような気がしたのだった。
そのあとすぐに寝入ってしまったし、だからもちろん、寝ぼけて見た夢の可能性はあるけれど、
もし実際の出来事だとしたら、彼女はいったいなにをしに行ったのだろう?
御手洗いならば、わざわざ外へ行く必要はないし。
星の綺麗な夜だったから、それを見に行ったのかしら?
~~~
「……」
再び二階へ戻り、向かった音源と思われるドア。
先に試した時はびくともしなかったそこも今度は問題なく開き、
そして現在、部屋に入ってすぐのところで古幸が神妙な顔をしている。
「――」
なにか声でもかけようかと思うのと同時に、
俺を追い越し部屋の奥――窓際にある机の方へと彼女は向かい、
机上から拾い上げたのは、古びた日記帳。
手に取って開くのを、追いついて古幸の横から覗く。
開かれたそこには案の定というか、三枚目の写真。
六人の男女。うち三人は、すでに見知った顔。
背の高い男前と、
小柄だがでかい狸女と、
そしてすべての写真で写っていた、細身で上品そうな女。
それらをこちらが確認するのを、まるで見計らったかのように、
写真は三度煙のように消え、
またも階下から、かちゃりという音。
「……」
「大丈夫か?」
「! えっ!? あ、久坂君……あれっ? 今アタシ久坂君に、心配された……?」
「お前が俺をなんだと思ってんのか、わかりやす過ぎる反応をどうも」
「や、や~はは! 気にしない気にしないで、ねッ?」
「いいけどな別に。んで? ずいぶん静かだけど、よっぽどおっかねえのか、その幻覚ってのは」
「……うんん。そんな感じは全然なくて、むしろ今のところ全部幸せな感じで……それこそあの、写真みたいに平和な雰囲気なんだけど……」
いつになく神妙なのが気になって、訊ねたところから始まるやりとり。
途中で言い淀み、手元の日記帳に目を落とす古幸。
つられて見やるが、開かれたページは両方とも白紙だ。
「なんだけど?」
「……うん。うまく言えないけど、なんでか不穏な感じがするっていうか……。あとは見え方も、後ろからとか横からなのに、女の人の気持ちだけは自分のことのように感じられるのが、ちょっと変な感じというか……」
「女って細い方? でかい方?」
「あ、細い方――って、どこ見てその表現選んだのかなぁ久坂君ッ?」
「まあまあ」
冗談めかせば、日記を机に置きこちらへ向き直り軽く睨むような目つきの古幸。
こういう反応が出来るのなら、まだ余裕はあるのだろう。
「もうっ……」
「なんにせよ移動すんぞ。案外次で外出られるかもしれんし」
そう判断し、声をかけつつ廊下へ。
しかしなんつうか、変な趣向の場所だ。いや手間か、たんに。
個人的な都合により、次話の投稿は一時間後となります。
よろしくおねがいします。




