馬子にも……
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夜が明けて、旅行二日目を迎えた。
今日の日中は、旅館の業務を手伝う予定となっている。連中がここを利用する際の恒例的な取り組みだという。要は礼儀というか、宿代替わりの勤労というか。
「くあ……」
俺もまたそれにならい、玄関前を掃き掃除中。
ついあくびを噛み殺しながらの作業となってしまうのは、昨日変な時間に起きたせいか。
ほどなく掃除を終え、箒を片づけに用具入れの方へ。
それから次の指示を仰ぐため、館内の事務所へと顔を出す。
「玄関、掃除終わりました。次はなにを、」
「うむ、ごくろう。じゃあ次は肩でも揉んでくれんか」
志条叔父がいるものと思って声をかけたが、応じたのは彼の事務机に着いた古幸。
「……」
そのうしろに無言で立ち、望みどおりに肩を(常識的な範疇で)強めに揉んでやる。
「あ゛だだだだ! ちょ、肩がもげるぅ!?」
「どこが凝ってんだ。やわやわじゃねえか」
「ホント待って! キミには加減とか容赦とかないのッ?!」
「十分加減してんだがな。んじゃあもうちょい弱く……」
「――わひゃひゃひゃひゃ! なんでッ? 今度はくすぐったいッ!!」
見た目どおりに細く、かつ凝りとは無縁そうな彼女の肩。
それを適当にいじくり回し、気がすんだところで解放してやる。
「で、大将いねえの?」
「……相変わらずちっとも悪びれない――ああもう降参です! だから両手をワキワキさせないでッ!」
ぶつくさ言う古幸に軽く圧(【威圧】にあらず)をかけるが、彼女も今来たところで志条叔父の居場所は知らないという。さてどうするか、と思うのと同時に、
「おお、ちょうどよかった。二人とも今、手は空いてるよな?」
廊下からぬっと出てくる強面。それからこちらまでやって来て、机上のメモ用紙を一枚破り、ごつ過ぎる手でペンを取りなにやら書きこんでいく。
(本当になんの傷なんだろうな、指とか)
「――よし。ちょっとここまで、おつかいを頼まれてくれないか。代金はもう払ってあるから、荷物だけ受け取ってきてくれればいいから」
そうして手渡されたのは、簡易な地図描き。
受け取りつつ、なんとなく訊ねる。
「二人でですか?」
「あ、あーあー、今ちょっとイヤそうにしなかったー? 久坂君」
「ハハッ、荷物の量を考えれば、二人で分けた方が楽だろうからな。他の子らも今は手が空いてないし、君らで行ってきてくれればありがたいんだが」
どうもそういうことらしく……
「……あっちいな、午前中から」
次なる業務、おつかいへ出立。まだ早めの時間ながら遠慮なく照りつける日差しに、少し顔が顰むのを自覚しながら海沿いを歩く。
「ふふん、晴れ女だからねぇ、アタシ。まだまだ容赦しないよーッ」
「お前の裁量じゃねえだろ」
そのすぐ前を先行する古幸。暑さに堪える様子もなく、相変わらずの生き生きぶり。部活で普段から外に出ている奴はやはり違うのだろうかと、形のよい尻を眺めながらなんとなく思う。
不意にこちらを振り返る彼女。下がっていた視線を、それとなく合わせる。
「そーいえば久坂君、さっき叔父さんのこと“大将”って呼んでたよね?」
「ん? ああまあ……なんとなく?」
邪心でも気取られたのかと思ったが、投げかけられたのはそんな問い。というか、ただの雑談か。
呼称に関して、なんとなく出たのは確かだが、“親分”とか“頭”とかのがそれっぽいな、と思ったのも事実。しかしさすがに、俺だって自重はする。
「ふむ。ふんふん」
「なんだよ」
「や、なかなかいいなーって思って。大将って呼び方。アタシも呼ぼっかなー、しおりんとかにも教えたりして」
「当人が嫌がらなきゃ、いいんじゃねえか?」
楽しげな笑みを浮かべる古幸。本当にただの雑談だな。
ちなみに俺は志条叔父を直接そう呼んではいないし、これからも呼ぶ気はないんだが……まあ古幸らなら昔からの間柄だし、笑って許してはくれそうか。
その後もとりとめのない話は続き、
「――時に久坂君?」
「あ?」
「どうよどうよ、今回の旅行! 楽しんでるぅ?」
「なんだその乗り」
ふと歩調を落とし横に並び、俺の脇腹付近を肘で小突きながらそんなことを言う古幸。
「やぁ、だって夏! 海! 水着の美少女! だよッ? ほらほらぁ、さしもの久坂君もこー、さ? ぐっと来たりしちゃったりしてるんじゃないのー?」
「股間に?」
「露骨かつ最低だよッ!!」
やや鬱陶しかったので、身も蓋もない返しをしてみる。
見れば昨日の風呂の時のような真っ赤な顔。
というか案外、俺の言葉でまさにそれを思い出させてしまったのかもしれない。
「……うぅ~そうじゃなくてさぁ、や、ある意味そうかもしんないけど――いややっぱそうじゃなくてッ」
「どっちなんだよ」
「だからさッ、……もっとほら、ぅう~そっちじゃなくてほら、ハートとかパッションとか! そういう方向の“グッ”とか“ドキッ”とか、そういうのじゃん普通は!」
「そう」
言い募る古幸の言葉を聞くともなしにしつつ、海の方の空を眺める。おおすげえ入道雲。たしかに今ぐっと来たかもしれない。夏という季節に。
「たとえばあけみん! ――昨日の水着姿、久坂君も見たでしょ? 普段おしとやかな子の意外と大胆な姿! ……ね、オトコノコ的にはたまらないんじゃないのぉ?」
「なんかおやじくせえな今のお前」
「なにおぅ!?」
気づけばさらに詰め寄ってきている古幸。相も変わらず、距離感の馴れ馴れしい奴である。こいつと喜連川を足して割れば、ちょうどよい常識人になるのではないかと、ふと思う。
「むぅ……まあ気を取り直して――しおりんはどう? ちっちゃいからカワイイ格好するとホントにカワイイからねぇ、ウチのしおりんは!」
「お前ん家のじゃねえだろ」
懲りずに友人を推してくるな。仮にこいつと志条を足して割ったら……この想像はよくねえな、と慌てて打ち消す。合体事故も甚だしい。
「まあ否定しねえけどな、そのへん」
「でしょ?! もーなぁんだ、やっぱぐっと来てるんじゃない久坂君もっ!」
よくわからん乗りが続くのも少々辟易なので、とりあえず頷いてみる。
するとしてやったりな調子でそう言い、俺の肩などを叩いてくる古幸。
つうかなんなんだ、この会話。
「で、さ」
などと思っていると、
「――実際さ、どーなのよ? グッと来て揺らいじゃったりとか、してない?」
一拍置くようにしてから、そう訊ねてくる彼女。
その調子はなんの気なしを装っているようで、どこか真剣みも感じられて。
「ほら、あけみんもしおりんもカワイイし、いい子じゃん? 久坂君と仲良くなってから結構経つワケでさ、こーやってまるまる一日一緒に過ごすことになって……なんかこー、心境の変化とかさ、あったりしないの?」
探るようにして紡ぐ、古幸の言葉は続く。
要はつまり、そういうことが聞きたかったがための、先の軽い会話の流れか。
(なんというか)
友達思いなことだ、と思う。断っておくが、皮肉抜きでだ。
昨日夕方の出来事もなども思い起こされるが、
ひとまず俺も、今言うべきことを言っておこう。
「古幸」
「へ? な、なに?」
立ち止まり、彼女の目を覗きこむようにして、
「え、ちょ、その、まさか、アタシ……?」
大事なことを一つ、俺は伝える。
「道間違えてねえ?」
「……へ?」
指摘され、目を瞬かせる古幸。
志条叔父から手渡された地図描きは、旅館を出る際『アタシにも見せてー』と彼女にひったくられ、以降はそのままだったりする。
メモ用紙を睨み、来た道と見比べたりする彼女。
「――んんっ、や、大丈夫! このままもう少し先……なはずッ!」
「貸せ」
少々怪しいその断言に、険しくなる目元を自覚しつつメモを奪い返す。
一瞥。顔を上げ、道の確認。
「二つ過ぎとるわ阿呆」
「あたあッ?!!」
案の定行きすぎていたのがわかり、とりあえず目の前の額を指で弾いておく。
すぱんと仰け反る古幸。そのまま額を押さえ、苦悶に呻く。
「ぐぅぉおぉ……星がパーッて、ホントに目の前、星が光ったよぅ……ッ」
「そんで手打ちな。文字どおり」
「上手くないからねッ!」
普通の力加減に加えて【手加減】もした。後遺症などの心配もないから、むしろありがたいと思うがいい。……やあまあ、会話にかまけて逐一道を確認しなかった俺にも落ち度はあるだろうが。
しかし、簡素ながらも要所を押さえたこのわかりやすい地図描きで、なぜ間違うか。
ひとまず、たとえこの先機会があっても、こいつに知らない場所への道案内だけはさせまい。
そう思い至る俺だった。
学生一行に手伝いが課せられていたのは、夕方まで。
それ以降の業務は、本職の方々へ引継ぎとなる。そもそも始めから、俺達がいないとまわらないほど忙しい、というわけでもないらしい。ただで泊めてもらうのも悪い、という意を旅館側が汲んでくれた――そういう形なのだろう。
さて、それで今なにをやっているのかというと、
「やあ、みんな中々キマッてるじゃないか。ハハハッ!」
旅館ロビーにて、強面に褒められていた。
まあ褒められているのは俺というより、他の連中が主なのだろうが。
「でしょでしょ~? しゃららん☆」
「あ、ありがとうございますっ。ん、帯とかずれてないかな……」
「大丈夫。ばっちり」
それもひとえに皆の格好がゆえ。
くるりと軽やかにひと回りしてみせる古幸も、
はにかみ気味に身なりを気にする喜連川も、
そんな彼女に太鼓判を捺す志条も、三人共々浴衣姿。
彼女らだけでなく男衆も浴衣に着替えていて、当たり前のように俺もそこに含まれている。
お召替えの理由は、近所で開かれているというお祭りのため。これを見に行くのも此度の旅程の一つというか、それに合わせてこの日取りというのもあったらしい。
にしても浴衣なんて、いつ以来だろうか。うんと小さい頃に着た覚えが……あるようなないような。なんといっても俺なので、祭りという行事にはとんと縁遠い。今着ているのにしても他の面子が自前なのとは違い、俺だけ借り物だ。
若干の落ち着かなさを覚えつつ、袖などを気にしていると、
「にしても久坂、意外とって言ったら変だけど……」
「ああ。和装と相性がいいのか、結構様になっているよな」
ふと投げかけられる、賀集と大滝からの言葉。
思わずそちらを見る。そんな感想が出てきたことの方が、俺には意外だ。
「や、俺より様になってる奴らに言われてもな」
「そこはホラ! カゲト君スグル君がカッコイイのは平常運転みたいなものだし。その点久坂君はこう、……」
俺のぼやきを聞きつけ、割りこんできたのは古幸。なにを言うつもりかとそちらを見るが、しかし彼女は台詞を途切れさせ、こちらを見たまま動かない。
「こう、なんだよ」
「――あ! や、ぅえと……そう! いつもとのギャップが新鮮というか、ねっ? つまりもっと自信を持ちたまえよ! なんてッ」
促せばはっとして続きをまくし立てるが、妙にうろたえた調子。なんだその挙動不審。
でこぴんなどが飛んできても堪らないから、からかいから世辞へと切り替えた――動揺の理由はそんなところだろうか。
まああまり引っ張る話でもないし、流すか。
「要は普段はそんなでもないってか。まあ、」
「そんなことない!」
自覚はある。と続けようとしたのだが、
思わぬ方向から飛んできたのは、思いの外強い調子の否定。
場の全員が驚き、しばし間が空く。
「――!? あああのっ、ごめんなさいその、大きな声出して……っ。これはだから、ぇえと……!」
その声の主である喜連川が、一拍ののち慌て気味に取り繕う。
その様子はまるで、なぜそんなにも強調してしまったのか彼女自身もわかっていないかのよう。
「……ああ、っと。――とりあえずそろそろ行こうか。祭りももう始まってるだろうし」
「そ、そだね! よしみんな行こう!」
妙な空気をやや強引にまとめにかかるのは賀集。
それに古幸以下も乗り、有耶無耶な流れでそういうことになる。
去り際背後から聞こえたのは、志条母の「青春ねえ」という言葉。
青春。
青春か。




