クラスメイトの美人さん
見覚えというか、昼も教室で見た顔だ。
クラスメイトの女子で、やたら美人ということで入学当初騒がれていた奴。当時は他クラスはおろか上の学年からも教室へ見物人が訪れる始末で、実は今でもその手合いを時折見かけるほど。
「あ、その……っ」
目が合い、なにか言いかける美人さん。様子からして、俺と知って呼び止めたわけではないのだろう。同じ学校の制服を見かけたからつい、という感じ。
そしてその呼びかけが「助けて」と来た。
明らかに人選を誤っている。
「っ!」
「? おい」
などと考えていたら、今度は腕にすがりつかれた。
反射的に振りほどきそうになったが、すんでのところで思い留まる。レベルアップという異変が生じているこの体では、どんな怪我をさせるかわかったものではない。別にそれでもいいのだが、まあ、余計な怪我をさせていちいち変な面倒を増やすこともないだろう。
「ごめん、なさい、久坂君っ。今はこのまま歩かせて? お願い……っ」
抱えた腕をほとんどひっぱるようにして、とにかく進もうとする彼女。
それに特段抵抗することなく、ほぼされるがままに歩調を合わせる俺。
遅れて「久坂君」と呼ばれたことに気づき、内心少し驚く。俺と美人さんの接点は通う教室が同じというだけ。会話らしい会話もした覚えはなく、だから彼女が俺の苗字を覚えていたのは意外だった。まあ真面目そうだし、クラスメイトの名前は一応把握しておこうという考えなのだろう。入学から一か月も経ったのに、教室の誰の名前もろくに把握していない俺の方がむしろあれだ。
「……」
横目で見やり、あらためてとんでもない別嬪だと思う。
目鼻立ちから輪郭、肌のきめに髪質、はては体つきにいたるまで、
およそ美人と呼べる要素をこれでもかとぶち込んだかのような容姿。
そんな女子にすがりつかれるという現状は、あるいは役得といえるのかもしれない。現にしっかり抱えられた腕には女子特有の柔らかさが……あんま感じねえな。いや美人さんが貧相とかではなく、制服とか下着とか、案外生地がしっかりしているという話。ガードが堅いってことは、それだけ十全に機能を果たしている証左なんだろうが。
「本当にごめんなさい、こんな、巻き込むような……」
俺の阿呆な考えとは裏腹に、消え入りそうな声で言う美人さんの様子は深刻そのもの。
状況に適切なのは彼女の態度の方だろう。実をいうと俺の方も、彼女にすがりつかれたその瞬間から気づいてはいる。
背後からの、【警戒】がもたらす感覚。
【警戒】――specialに分類されている力で、その機能は“具体的に働く第六感”。
もう少し詳しくいうと、自身に迫る物理的脅威あるいは他者の敵意や害意への五感によらない知覚を得られる、という感じか。裏を返せば脅威がないものは感じられないともいえ、だから、美人さんにはやすやすと背後を取られてしまったんですね。
ともあれ現状【警戒】は、何者かの俺への害意を示している。
そこに美人さんの様子を加味すれば、子細を聞かずとも状況は察せる。
次いでふと、これは好機ではないか、などとつい思ってしまう。
加えて図らずも、引っ張られるまま入り込んだのは人通りのない路地。
左右の高い建物は人目どころか日の光まで遮り、天気も相まってここだけ夜のような暗がりに。
「っ」
怯んだように身を固くし、ますます俺にしがみついてくる美人さん。それでも足が止まらないのは、路地ひいてはこの状況から早く抜け出したいからか。
そんな彼女の気持ちを汲むわけでもないが、
「こっからだと交番と家、どっちが近い?」
俺は隣へそう訊ねてみる。
「えと、おうちが、すぐ近くで……」
問いの意図を掴みかねたのか、一瞬遅れつつも彼女は応じる。
それを聞くのもそこそこに、
「んじゃ一人でも行けるな? 全力で走れ。後ろのあれは、まあなんとかする」
俺が促したのは逃走。ただし、単独での。
「え? ぇと」
「行け!」
戸惑う美人さんに構わず腕を離させ、ついでにその背を叩き強めの口調で命じてやれば、
「ッ!」
余裕の無さからか、たちまち弾かれたように一人駆け出していく。
「……結構速えな」
それを見送り、思わずもれる素朴な感想。女子にしてはかなりの走りに見受けられるが、あるいは火事場のなんとやらか。スカートから伸びるよく動く脚が、暗がりだと妙に映える。
さておき、
「…………」
後ろを振り向けば、追手はちょうど路地へと入ってきたところ。
いってはなんだが、あまり脅威を感じる外見でもない。背は俺より低めで、代わりにでもないだろうが横幅は広め。目深に被ったフードとばさばさした前髪のせいで人相はよくわからないが、こちらを恨みがましく睨めつけているのだろうな、というのはなんとなくわかる。
端的にいえば、あからさまに不審者。
それもこんな時間に、と思わなくもない。曇天もあってこの路地だけ異様に暗いが、それでもまだ日の高いうちといっても差し支えない時間帯。けどやましい行いに、本来時間は関係ないか? 俺の殺しにしても、一週間前は大体同じくらいの頃合いだったし。
「……んだょおま――ますん――ぇよ……っ」
ぼそぼそと不明瞭に呟く不審者。
次いで薄ら笑いを浮かべながら、パーカーのポケットからなにかを取り出す。刃物かと思ったが、これ見よがしにこちらへ突きつけるようにした右手から、ばちっと走ったのは電光。
スタンガン、というやつか。初めて見た。
「…………ひひっ」
右手を突き出し、じりじりと近づいて来る不審者。
つり上がった口の端は、己が優位への確信からくるものだろうか。
「やれよ」
「……?」
そんな不審者へ、俺はあくまでなんの気なしにという感じに、言う。
それに訝しんだ様子を向こうが見せれば、
「出来ねえの?」
「ッ~~!」
続けて鼻で笑うかのように、言葉を重ねる。
無論それは挑発のためで、
「~~~ッ、おむぇぶざくるなぐぢょ!!!」
狙いどおりに逆上する不審者。
もはや言語とは呼べない喚きと共に躍りかかって来る、彼我の距離は目下三メートルほどか。
わざわざ煽らずとも、やれるという感覚はある。
それでもこうした方がより上手くいくような気が、なんとなくした。
それにこの場合、半端に仕留め損ねて逃げられるのが一番まずい。
だから向こうにまず手を出させて――
「うるせえよ」
「っぐっぶッ?!?」
それを迎え撃つ方が、確実だと感じたのだ。
突っ込んで来た不審者へ、俺が取った行動は悪態と、足蹴。
存外高く振り上がった靴底が、ちょうど突っ込んで来た不審者の顔面へとめりこむ。
「ッぱ――ぁ!?」
一瞬の静止。のちに仰け反り、背中から路面へと倒れる男。
「……」
かすかな呼吸音からまだ息があると判断した俺は、
そちらへ歩み寄りその首を踏みつけ、遠慮なく体重をかける。
「よいしょ」
「ッ?! ……――」
一瞬の痙攣。筋とか骨とかの、生々しい嫌な感触。
それらもほどなくすれば、名残も残さず消えていき――
てーんてててんてんてーん
〈レベルがあがりました〉
――status――
name:久坂 厳児
age:15 sex:M
class:―
cond:通常
Lv:3
EXP:5 NXT:4
HP: 28/ 28
MP: 5/ 5
ATK:28
DEF:20
TEC:12
SOR:24
AGL:22
LUC:Normal
SP: 6/ 6
――magic――
〔治癒〕〔蛍光〕〔浄化〕〔火炎〕〔雷鳴〕〔氷結〕
――special――
【防御】【回避】
【警戒】
またぞろ、あの効果音と合成音声。
そして「確認してください」と言わんばかりに出てくるステータスボード。どうやらレベルが上がると、こちらの意思とは無関係に表示状態になるらしい。
なんにせよ、二度目のレベルアップ。以前のステータスで“NXT:1”となっていたから、あと一人殺せばあるいはと思っていたが、案の定だったようで。
一応ステータスの確認を。各種数値が軒並み上昇しているようだが……その辺の具合を試すのは、もう明日でいいだろう。今日のところはとりあえず帰って、
「――どうしました! なにかありましたか?!」
「!?」
びっくらこいた。
唐突に路地へと走り込んで来たのは、制服を着て制帽をかぶった成人男性。
警官。俗にいう、お巡りさん。
「叫び声がしたと思ったんだが……君、一人かい?」
「え、ああ、はい」
周囲を気にしつつ声をかけてくるお巡りさん。内心の動揺を押し隠し、それに応じる俺。
殺すのが少しでも遅ければ、あるいはもう少し早く駆けつけて来られたら、
その時点でお縄確定だった。いや死体が消える以上、よりややこしい事態に発展しただろう。
聞けばお巡りさん、どうやら先程の不審者の奇声を聞きつけやって来たらしい。
……てことは、そもそも俺がこの場に居なければ、美人さんは警察の保護を受けられたし、あの不審者も死ぬこともなかったのだろうか。いやはや。
などと考えていると、
「ん?」
ふとお巡りさんが、なにかに気づいたように路地のはしを見やる。
「これ……スタンガン?」
「!」
そうして拾い上げたのは、ついさっき消滅した不審者の持ち物にほかならず。
何故これだけ残ったのだろうか。一週間前の先輩方は衣類ごと消滅している。だから持ち物も当人と見なされまとめて消えるものだと思っていたが、違うのだろうか。
(奴が取り落としたせいか? まさかドロップアイテム、なんてこたねえだろうが……)
「これ、君の持ち物ってことは、ないよね?」
「俺のではないです」
「だよねえ……」
考えつつも応じれば、お巡りさんもまたしばし考え込んだ様子をみせ、
「これは、一度署に戻った方がいいな。――というわけで本官はこれで失礼するけど、君もあまり遅くならないようにな」
「あ、はい」
ややあって、慌ただしく来た道を返していく。
お巡りさんの気遣いの言葉に生返事しつつその姿を見送り、彼が路地を出ていったところで、
「はあ」
安堵の溜息。そして、
「帰るか」
俺はあえて口に出し、そうすることにした。
帰宅後ほどなくして、自宅へ俺宛てにかかってきた電話。
相手は案の定美人さんで、先の出来事について謝られ、またしきりに感謝されてしまった。
しかし、善意でなくほとんど私欲から取った行動で感謝されるというのも、なかなかに居心地が悪い。自分を助ける為でなくたんに殺しを見られるのを厭って逃がされたのだと知ったら、彼女の感謝の念も吹っ飛ぶのだろうなと、受話器を置きつつなんとなく思う。
ついでといってはなんだが、一つ。
喜連川暁未。
電話で聞いて、そういえばそんなだったかと思い出した、彼女の名前だった。