〈レベルがあがりました〉
五月某日、
人を殺してしまった。
周囲に転がった四つの死体。
手にした血塗れの凶器。
「ああ」
それらを順に見遣り、意味なく声が口から漏れる。
やってしまった、とつくづく思い、
次いで、どうしたものか、とも思う。
どうもこうも、自首するしかない。たとえばこれを別の誰かがやって、それを俺が目撃したのなら、自首するべきだろうとまず思うだろう。他人にはそう思うのに、自分がそうしないというのは公正ではない。
それでも逃亡とか証拠隠滅とか、全く考えないでもないが。
幸いといっていいのか周囲には他に誰も居らず、だから犯行の瞬間を目撃されたわけでもない。
とはいえ、どうせ無駄だろう。
特段頭が切れるわけでもないし、特殊な技能の持ち合わせもない俺が、官憲に太刀打ちできるとも到底思えないし。
「んじゃあ、っと。――ひゃく、とお」
なので観念して、懐から取り出した端末で俺は通報を試みる。
よく知られた、しかし終ぞかけたことのない連絡先。
その最初の一回がよもや自首とは。人生わからないものだ。
いや、
なんとなく、こうなるような気はしていた。
いずれはどうしようもなくなるんじゃないか。
いつか俺は、人として決定的に道を踏み外すんじゃないか。
そんな確信めいた予感が、常について回っていたような。
いないような。
なんでもいいか。
無駄な思考は、すなわち無駄な抵抗。
あるいはこれが、娑婆への未練というやつか。
そんなものもう、ろくにありはしないと思っていたのに。
ああ、家族に迷惑がかかるのは、流石に気が咎めるかもしれない。
「ば、」
などと思いつつ、止めていた指を再び動かす。
そうして最後の桁を入力する、その途中、
「――ん?」
ふと、周囲に違和感。
具体的には、転がった四つの死体。
それらの様子が、なにかおかしい。
否、おかしいというかなんか、
透け始めている。
「……んん?」
よくわからない異変に、知らず首は傾ぎ、端末を繰る指も止まる。
そうこうするうち、死体はいよいよ雑な画像処理のように消えていき――
やがて完全に消滅する。
直後、
てーんてててんてんてーん
〈レベルがあがりました〉
唐突に鳴り響く、謎の合成じみた音声。
加えて、
――status――
name:久坂 厳児
age:15 sex:M
class:―
cond:通常
Lv:2
EXP:4 NXT:1
HP: 22/ 22
MP: 3/ 3
ATK:22
DEF:15
TEC:10
SOR:17
AGL:16
LUC:Normal
SP: 3/ 3
――magic――
〔治癒〕〔蛍光〕〔浄化〕〔火炎〕〔雷鳴〕〔氷結〕
――special――
【防御】【回避】
【警戒】
ゲームのステータス表示じみた半透明のボードが、出し抜けに目の前に現れる。
そんな突拍子もない出来事を前に、
「なんだそりゃ」
ひとまず俺が出来たのは、そう呟くことだけだった。
「……」
しばらくその場でなにをするでもなく、ぼうっと突っ立っていた。
目に映るままに、周囲の風景を見やる。
舗装があちこち罅割れ、そこかしこから雑草の覗く地面。
外装の剥げが目立つ周囲の建物。その向こうの、日の光を遮るかのように立ち並ぶ木々。
あちこちに転がっている廃材やらドラム缶やら。
かつてはなにかの工場だったのだろう場所が、現在の俺の所在。
そもそもただの高校生である俺が、何故こんな工業地帯の奥の奥に居るのか。
特段の理由はない。
学校帰りにふとなんとなく思い立って、適当に歩き回った結果迷い込んだというだけ。
気まぐれ。あるいは気の迷い。
その結果が人殺しとくればもう、余計なことをしたとしかいいようがない。
殺した四人は、実のところ知らない顔でもなく。
俺が中一の時分の、同校の三年。そしてどういうわけか、俺に因縁をつけていた連中。
直接喧嘩を吹っかけられたりはなかったが、たとえば廊下ですれ違った時などに、聞こえよがしに陰口を叩かれたり、せせら笑われたり、など。
その理由は結局わからず仕舞い。こちらにはまったく心当たりが無いから、たいした理由ではないのだろうが。一方的な反感、とかか。
取るに足らない出来事ではあるんだろう。人と接すれば、誰にでも起こりうる程度の軋轢。
俺自身も、さして気にしていないつもりだった。
だが当時と変わらぬ、こちらを小馬鹿にしたような連中の顔を見た途端、
あ、殺してしまおう、と、
そうなにげなく思い、実行してしまう程度には、知らず鬱憤が溜まっていたのかもしれない。
ともあれそんな感じで俺は、ちょうどよく足元に落ちていた金属製の工具かなにかを拾い、
無警戒に近づいてきた四人のうち一番手近な奴の、脳天へ一振り。
次いでその左の奴を、呆けて動けないでいる間に、振りかぶって、また一振り。
そこでようやく血相変え始めた残りの二人。そのうち背を向け逃げようとした方を先に撲りつけ、
最後に残った、通報でもしようとしたのかポケットに手を突っ込んでいた方も撲り倒し――
「――で、なぜだかレベルが上がった、と」
なんとなく現在までを振り返り、俺は一人そう呟く。
しかしやはりというか、どこを思い返してもこんなボードが出る理由に説明のつく要素がない。
いや、直接の原因はやはり人を殺したことなのだろうが、
普通は、少なくとも俺の知っている現実では、そんなことはまず起こり得ない。
どうしてこうなったのか。
そもそもレベルってなんだ。
疑問は尽きないというか疑問しかないが……
「はあ」
なにに向けたものともつかない溜息と共に、ひとまず端末を仕舞う。
少なくともこれで、自首しようがなくなったことは確か。なにせ死体が無い。凶器についていた血痕その他さえ、ついでとばかりに消え去っている。それでも自首するのが人情なのかもしれないが、しかし犯行の痕跡が一切ない犯罪など、警察もどう捜査したものか困るだろう。
それを抜きにしても、俺も好き好んで捕まりたいわけでなし。
虫のいい話ではある。
「……」
頭を切り替えれば、自然と目が行くのはステータスボード。
出現時から変わらずそこにあり、異質な存在感を示す原理不明の投影。
大きさはA4ノートくらいで、ちょうど手を伸ばせば届く位置に、俺に見やすい角度で浮かんでいる。触れようとしてもすり抜けるだけで、なんの感触もない。それに薄ぼんやりと光っているように見えるが、しかしその薄青が近づけた手に照り返したりもしない。
もしかすると、これ自体に実体はないのかもしれない。
そこにあるように見えるだけか、あるいは俺の認識の中にしかない存在か。
表示自体に目を通す。久坂厳児という名前も、それから年齢も性別も間違いなく俺のもので、だからこれが俺を示しているのはたしか。
そしてそこから下の項目は、もう完全にゲームのそれだ。
MPだのmagicだの、思わず笑いたくなるような馬鹿馬鹿しさ。
しかし、
「……〔火炎〕」
一度そう唱えれば、
目の前に現れるのは赤々と燃える火の玉。
同時にそれは前方へと飛び、
ちょうどその先にあったドラム缶へと命中。
ぼうん。
「……」
なんともいえない思いで、着弾箇所へと歩いていく俺。
「――あっつ!」
そうして触れてみれば、確かにそこは、思わず手を引っ込めるほどに熱されており。
「…………」
実に馬鹿げた話ではあるが、
ステータスに表記された各種力を、すでに俺は使えるものとして認識してしまっている。
言い換えれば、俺はmagic(魔法?)やspecial(特殊能力?)を“覚えた”。
レベルが上がったあの瞬間、それらの力の大まかな性質や効果が頭に浮かんだというか、既知のこととして存在していたというか。
それまでなかった知識が突然生えるというのも、気持ちの悪い話ではある。
あるのだが――
「〔雷鳴〕」
ばちーん。
「〔氷結〕」
ぱきーん。
「……」
無意味に放った魔法。
その結果を、なにも言えずにただ眺める。
覚えてしまったもの、使えるようになってしまったものは仕方なく、
ひとまずは受け入れるというか、諦めるしかないのだろう。
「帰るか」
誰にともなくそう呟き、敷地を出る方向へ。
その途中で凶器を持ったままだったことに気づき、適当に放ってから改めて歩き出そうとし、
『――……』
ふと目の前に、なにかが居た。
『……、――!』
いわく言い難い、緑色のなにか。
大まかには小柄な人形に見えるが、間違っても人間ではない。
かといって幽霊という感じでもない。あえていうなら、立体的なノイズだろうか。
ついでになにか喋っているようにも思えるが、それが声となって耳に届く訳でもなし。
なんなんだ? 本当に今日は。
人を殺してレベルが上がって、終いにはよくわからないなにかに行く手をふさがれて。
『――!? ……――』
そう思ったはしから、緑色のなにかは現れた時と同様、唐突に消え去る。
レベル上昇もそうだが、本当になんの前触れもなく起こり、なんの説明も為されない。
「……帰ろう」
もう一度、あえてそう呟いて、気を取り直して帰途につく。
一連の出来事を受けても、別段なにかをどうこうしようという気にもならず。
おかしな力を身につけたとて、俺の内面自体が、そう変わるものでもないらしい。