初めての体験
ライブのためのレッスンに明け暮れていたある日の夜。美優から電話が掛かってきた。電話が珍しい訳ではないが、いつもなら余程のことがない限りはラインで連絡をしていたので何かあったのかと心配が過ぎる。
「もしもし?どうした美優」
「…痛い」
「え?」
痛い?もしやまた事故を起こしたのだろうか。
「大丈夫か美優!」
「生理きた…」
「えっ生理?」
なんだかとても懐かしく思える単語に一瞬困惑したがすぐに理解した。
「そっか…美優は生理経験するの初めてだよな。しんどいだろ」
「うん…しんどい…どうしたらいいの…」
「ナプキンのこととか分かるか?」
「お母さんに聞いたからそれは大丈夫…ただ、痛い…」
俺は昔の自分を思い出し美優を憐れんだ。あの痛みは何ものにも変えられないほど痛く、しんどく、辛い…。初めてのことなら尚更だろう…。
「世間の女子はみんなこんな思いをしてるの…?」
「そうだよ…みんな痛み止めとカイロに縋りながら耐えてるんだ…」
「全女子を尊敬するよ…」
美優は女性になったことで女性の苦労を理解出来たようだ。
「でもこれがないと赤ちゃん出来ないもんね…」
「…美優は妊娠したいと思う?」
過去の俺は妊娠するということが恐ろしくて仕方なかった。子供を産む気などさらさらないのに、毎月やってくる生理が苦以外の何ものでもなかった。
「うん、ずっと憧れてきたもん…あ、産んでも大丈夫?」
「もちろんだよ、もう美優の体なんだから。好きな人が出来たらその人の子供を産みなよ…」
「やった…超嬉しい…夢見たい…」
男性では成し得なかった事を出来るようになって、美優にとってこれは福音のようだった。美優が美優になってくれて体も喜んでいることだろう。
「ちょっとだけ楽になれた気がする…ありがとう恭弥」
「ううん、こっちこそありがとう美優」
「なんかね、恭弥と話すと辛いことがなくなる気がするんだ」
「俺もだよ…」
入れ替わったという事だけでなく、自分の性別に違和感を持っていた同士として美優とは繋がっている気がした。家族にも友人にも打ち明けられない秘密を抱えて生きてきて、孤独を感じていた俺にとって美優と出会えたことは幸せだった。
「そういえばあのさ…ちょっと気になってたんだけど…」
「なに?」
「男の人ってさ…その、朝アレが勃ってる時どうしてるの?」
俺は自分の体に起きた出来事についてこの際聞いておこうと尋ねた。
「私は抜いてたけど」
「抜く…そうなのか…」
「私も気になったんだけど、生理になる前に白くてどろっとしたものが出てきたんだけど…アレなに?」
「それはおりものだよ。生理前とか体調によって出てくる」
「へぇ…女の子の体は謎だ…」
「俺だって男の体は謎だらけだよ…」
俺達はお互いの体について語り合いながら夜を明かした。
復帰ライブを明日に迎えた前日。俺達は実際のライブ会場でリハーサルをしていた。アイドルのライブというと武道館のようなものしか知らず、思ったよりも小さい等と失礼な事を思いながら見渡した。それでもここで観客を前にライブを披露すると思うと緊張で手先が震えた。
「恭弥さん、大丈夫ですか?」
「あぁ、平気…」
あがっている俺に気付いたのか冬紀が声を掛けてくれた。冬紀は控え目な性格だがいつも一歩下がったところから人を見て気遣える奴だった。冬紀と話していると武と健太も声を掛けてくれた。
「もしかして緊張してるのか恭弥」
「キョンキョンが緊張してるなんて珍しいねぇ」
恭弥はどうやら今まで緊張した素振りは見せなかったらしく、珍しい物を見るような目で見られた。
「恭弥さんも記憶を失ってから初めてのライブなんですから」
「まぁそうだよな」
お前も人の子だったんだな、と武に言われて恭弥とはどんな存在だったのか謎が深まるばかりだった。
しばらくしてリハーサルも休憩に入り、持ってきた飲み物でも飲もうかとバックに手を付ける。ふと視線を感じて玲斗と目が合った。何か声でも掛けようかと迷っていると、玲斗がこちらに歩いて来た。俺は何かしでかしたんだろうかと身構えていると玲斗は冷静な声で話し出す。
「お前は変わったな」
「…は?」
「以前のお前だったらミスしないだろうに」
「ごめん、俺が足引っ張ってるよな…」
「そうやってすぐ謝るところも見苦しい…」
謝っているのを見苦しいとまで言われればさすがの俺も黙っていなかった。
「見苦しいってなんだよ、だいたいお前に俺の人格をとやかく言われる筋合いはない!」
俺は自分の性格もだが、恭弥自身について文句を言われたようで怒りが収まらなかった。思わず玲斗の胸ぐらを掴んで睨みつける。すると異常事態を察したのだろう他のメンバーが俺達を止めに来た。
「落ち着けって恭弥!」
「そうだよケンカはよくないよ!」
「ここは冷静になりましょうお二人共」
三人に諭されて俺は玲斗の胸ぐらを離した。怒りは収まらずに息を荒げる俺を玲斗は一瞥して去って行った。
「アイツには俺からも言っとくから」
武は玲斗の跡を追ってこの場を後にした。
「キョンキョンどうしたの?レイくんにイヤなこと言われた?」
「ちょっとな…」
本当はちょっとどころではないのだが、泣きそうに俺を撫でてくれる健太と心配そうに見てくる冬紀にこれ以上迷惑をかけたくなくて心を沈めた。俺と玲斗の言い合いを知った社長の計らいで、俺と玲斗はなるべく離れた距離でライブを行うことになった。こんなことで明日のライブは無事にやり遂げられるんだろうか…。不安になる俺の頭の片隅に美優と千恵莉の顔が思い浮かぶ。二人のためにも、ファンの皆のためにもやってみせるんだ!俺はステージの眩しく光るライトを見つめながら明日に思いを馳せた。