教授
どうしようもない昼下がり、目の前に現れた子どもはつぶらな瞳で私の目を見つめ続けていた。
「――――どうして、あなたの瞼は左右の形が違っているの?」
子どもは純粋な問いかけを私へとした。
私はどう、子どもへと声を返そうか――――――
楕円のような敷地には芝生が広がり、遊具では小さな子どもが楽しそうに騒いでいる。
そこから抜けてきた子どもの一人が今、私の目の前で立ち尽くし、綺麗な瞳でまっすぐ私を見つめている状況。
「どうしてだと思う?」
私は出来るだけ声が優しくなるように問いかけを問い返す。
まぁ、私には素直に答える義理はない。それに左右の瞼が一緒だろうと違っていようとも、この子どもには関係のないことなのだ。
「うーん」
子どもは私の言葉に悩んでいる。
小学生、それも背丈の低い子どもだ。体操服と思われる服には「2-3」と書かれている。
「わかんない……」
子どもはそう言うと不思議そうに私の目……いや、瞼を右、左と交互に見つめる。
「あまり人の違う部分を、おかしいと思うところをジロジロ見るのは感心しないね」
子どもへとにこやかに、諭すように声をかけてみる。
だが、子どもは私から目を離そうとはしなかった。
「変だよ?」
「どうしてそう思うのかな?」
「だって、みんな目の形は一緒だもん!」
「確かにそうかもしれないね。でも――――」
大人げない言葉を連ねる手前、私の頭は制止しようとしていた。
だが、装填された「言葉」という弾丸は口から放たれていくだけのようだった。
「――――人と違うからと言って、何がダメなんだろうね」
「え……?」
「手がない、足がない、目が見えない。生まれてすぐにそういう状態になってしまう人たちも居る。君はそういう人たちを、今の私を見つめている目で見るのかい?」
「それは、その……」
「ごめんね、君のその悩みや不安、今の瞬間に思考した時間はとても大事なものだ。君の中では今、他人に対する意識が向けられた状態になった。それは人間として、とても成長したことになる」
「え……え……?」
「君が私に対して行った『疑問』に対する追求は、間違っているとは言えないものだ。けれど、人と違うという事を気にしてしまう人々もその中には存在するんだよ」
「う、うん……」
「外見、見てくれだけを気にしているだけでは、本当に大切なものは見えてこない。君のその『不思議だ』という感覚は社会が君に与えた意識の固定、凝固、普通が一番だという植え付けなんだ」
「どういうこと……?」
「つまりね、多種多様な人々が居るこの世界で、君は私という少し変わった人間を見つけた。人とは少し違うという価値観で、君が他者から植え付けられた洗脳的な行為によって、君は私を見つけた」
「ごめん……なさい……」
「別に謝るようなことじゃない。私は怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもないんだ。ただ、君がしている行為が、後々その相手の命を奪うきっかけになるかもしれないという事を、しっかりと知っていて欲しいんだ」
「…………」
「人は弱くて脆い。強くてたくましい人間でさえも、心の芯が細かったりする。そのまた逆……見た目は脆いけれど、精神が強い人間だっている。人は外見、容姿、見た目だけでは何も分からない。第一印象としては大事なのだけど、それだけに囚われないようにしないといけない。分ったかい?」
「……」
笑顔で述べた私に、子どもは呆然と立ち尽くす。
それもそうだろう。このような小さな子どもに、私の個人的な考えを述べた所で理解できるはずもない。
変なスイッチが入ったせいで口を滑らせてしまった。
私という人間が、別の生き物に要らぬ知識を与えてしまった。
これは大切なことかもしれないし、不必要なことだったかもしれない。
私に誰かの運命、価値観を変える権利はない。私の紡いだこの言葉たちは失策だ。
「うぅ……」
子どもの肩が一定の間隔でひくつきだす。
子どもはこれだからあまり好きになれない。
理解できない、処理が追い付かないことがあれば、思考回路がショートする。
他人の敷地に土足で入ればどうなるのかを知らない。可哀そうな年齢だ。
「ごめんね、大丈夫だから。落ち着いて、頭で考えずに心の感じたその痛みに従ってみなさい」
泣きそうな子どもの頭を撫でながら、私はそっと声をかけた。
これは子どもの為にやるのではなく、泣いてしまった後の処理をするのが面倒だからだ。
ここで子どもが泣いてしまえば、周囲の目をこちらに集めることになってしまう。
そうなれば私は最悪の場合、不審者として疑われ、挙句の果てには「誘拐犯」と仕立て上げられるかもしれない。
そういう状況にしないためにも、この子どもには私という人物が「良い人」であるという認識をあたえなければならない。ただそれだけの為に、私はこの子どもの泣くという行為を止めなければならない。
「今はまだ、私が言ったことが分からないかもしれない。でも、君はその『分からない』を知る事ができた。それはとても大事なことで、君と同じ年齢の子どもたちのほとんどが知らないであろう大切なことだ」
「う、うん……」
子どもはゆっくりと頷いた。
「私は君を叱ったわけでも怒ったわけでもないんだ。ただ、君の行動が、言葉が、無意識の内に誰かを傷つけているかもしれないという事を伝えたかった」
子どもは無言のまま頷いた。
「そうだね、君は賢い。私の言葉を理解しようと聞いていた。でも、私の言葉の全てを理解出来たわけではないから、頭が一杯になって自然と涙が溢れてしまった。どうかな?」
頷く子どもに対して、私は頭を撫で続けた。
「君はきっと良い子に育つだろう。誰かの痛みを感じられる優しい子にね」
すすり鳴く子どもを諭した後、子どもは私へとお礼を述べてからゆっくりと去って行った。
「私はなにをしているんだろうか……」
空は水色を塗られ、所々には白い煙が薄く平べったくその大海を泳いでいる。
一人きりになり、私は自分の行いを振り返る。
子どもはそもそもあまり好きではない。
わがままで傲慢で、私利私欲をその身に宿したままの存在。
言葉というもので情報を与えた所で理解できるはずもなく、理解しようとする回路も少ない。
だが、それは子どもの責任ではなく、その育てている親の責任でもある。
子どもは親の存在が大きく影響を与える。
良い事も悪い事も、子どもは全てを無意識の内に吸収してしまう。
「…………」
そう考えれば、私は子どもが嫌いというわけではないのかもしれない。
子どもを自分の欲に忠実に育てるような親が嫌いなんだ。
自由をもぎ取り、教育という檻に閉じ込める。
社会への適合を一番に考え、他者と違うような素質を研磨され摩耗し消滅させていく。
個人の自由意思は剥奪され、歯車の一部になることを願い、子どもを育て続ける。
子育て――――というよりは、育成シミュレーションを現実世界で行っているようなものでしかない。
社会の檻、集団の檻、少数派の檻……。
何処かに属さなければ攻撃される世界、一人では中々生きてはいけない世界となってしまったこの世界。
個人の能力を高く評価する世界は、なぜかその逆の育て方を維持し続けている。
個人を育てることはしても、個性を伸ばす事はしない。
私は、純粋な人間が好きだ。
だから、嫌いだと思っていた子どもの頭を撫でる事ができた。
それには「周囲の目」というものが介入していたけれど、私の本質が子ども嫌いではなかった為、その行為を行うことが出来たのだろう。
「さてと……そろそろ行きますか……」
私は重い腰を上げてうんと伸びをしたあと、やり残した仕事をしに学校へと向かった。
他人になんて興味はない。
けれど――――――――――――
せめて、私が教えてあげることの出来る子どもたちにだけは、世の中の何が本当に大切なのかを伝えに行くとしよう。
それが私にできる、ほんの一欠片の優しさだから――――――――――