8.推しが綺麗で美しい
野バラの彫刻が美しい金細工の鏡台に座り、真っ赤な髪をブラシで梳かす。髪を編み込みアップヘアにまとめると銀細工の薔薇が美しく咲くコームを挿す。仕上がりを鏡で確認すれば、その美しさにほぅと溜息を漏らさずにはいられない。
(自分に見蕩れるなんて、どうかしている。でも大好きなキャラクターの顔なんだもの!)
ぐっと拳を握るのは、十五歳になり美しく成長したロゼッタ・アンデルセンだ。
己を創世者様だといっていた今となっては怪しい人物に導かれて、前世ハマっていた乙女ゲーム『World of Love & Magic』に酷似した世界に転生を果たした。いきなり十歳のロゼッタ・アンデルセンからはじまった人生で一番最初に取りかかったのは冤罪処刑を回避することだった。
ロゼッタ・アンデルセンはゲームの中ではウィリアム王太子の婚約者でありヒロインの敵役の悪役魔女だ。魔法学園の断罪イベントで処刑される運命にあり、その罪状はウィリアム王太子の虚弱体質がロゼッタの呪いのせいだと暴かれるからだ。王族への悪質な不敬のためロゼッタは処刑されて死ぬことになる。
(でもね、ロゼッタは無実だった。冤罪で処刑されるなんてまっぴらごめんよ!)
ロゼッタが十歳でウィリアムの専任治療魔法師になったときにはすでに呪いはかけられていたのだ。このままではゲームと同じように処刑されてしまう。そう考えたロゼッタは、全力で回避するためウィリアムの虚弱体質を完治させた。ついでに婚約も回避して退職できるよう算段をつけ、晴れて自由の身となり今世を謳歌する予定だったのだ。
部屋の時計が8:30の鐘をひとつ鳴らした。いつも通りドアがノックされる。駆け寄って扉を開けばロゼッタの婚約者が立っていた。
「おはよう、ロージィ」
「おはようございます。ウィリアム殿下」
ロゼッタは一番回避したかった婚約者役を回避できなかった。なんとか王太子になるのは阻止して設定を変える努力はしたが、心許ない次第である。
部屋に入り扉を閉めると、ウィリアムがロゼッタを抱きしめる。
「会いたかった。僕のロージィ」
「毎日会ってますよ。殿下」
「ふたりきりのときは、ウィルって呼んでくれる約束だよ」
(毎日部屋まで迎えにきて、愛称で呼び合う。――はぁ。好感度MAXになったときの反応ね)
ゲームで抱き合う描写はあまりなかったが、好感度を上げたあとはストレートでわかり易い愛情表現をしてくれるキャラクターだったはずだ。
「今日の午前中はお互いに空いていたでしょう?一緒に過ごそうと思ってね。ロージィはなにかしたいことはある?」
「なら、ダンスの練習に付き合ってください」
「もう十分上手いのに、まだ満足できないの?」
「もうすぐデビュタントですから、不安で――」
仕方ないなぁといいながら、ウィリアムはいつも快諾してくれる。
「ロージィは、真面目だね」
「そんなことないですよ」
そう、本当にそんなことない。だって前世は怠惰な生活の果てに熱中症になってうっかり死亡した。その記憶を覚えたままで今世を生きている。
(でも、見た目がねぇ。大好きなキャラクターになったんだもの。キャラを穢すようなことはできないのよ)
ロゼッタ・アンデルセンの見た目は前世の自分がこよなく愛していたものだった。そのせいか毎日眺めて、磨き上げて、手入れしていても全然飽きない。
(むしろ、髪をアレンジしてドレスも着てもらって、この幸運を堪能しないと勿体ないのよ!)
「ロージィ、どうかした?」
見上げると、少し心配そうなウィリアムの顔があった。出会ったころはお互いに十歳で子供だった。さらにウィリアムは虚弱体質でほぼ寝たきりだったので貧相だった。そのせいで恋愛感情など微塵も生まれなかったのだ。
だがしかし、である。
全快したウィリアムは他者を圧倒する勢いで勉学、武術、魔法学を吸収していった。寝たきり生活五年のブランクをあっという間に取り戻したのだ。成長期に突入すると背は伸び、体格は男らしくなり、声変わりをした。まごうことなき『World of Love & Magic』のウィリアム王太子が、できあがっていったのだ。
(2Dが3Dになってフルボイスで愛を囁くなんて、罪深いわ)
その結果、ロゼッタは、あらがうことなく、あっさりと恋に落ちた。
(婚約者になったんだもの。このままヒロインを蹴散らして、私は幸せになるの! ヒロインにはほかのキャラクターがいるんだから、そっちに向いてもらえばいいのよ)
「なんでもないわ。早く行きましょう、ウィル」
ふわりと微笑みウィリアムの腕に手を回す。ハイヒールで軽やかにドレスの裾を捌きながら歩きだす。
(ぜっったいに負けないわよ、ヒロイン! ありとあらゆる手を使って私は私の幸せを守り抜くわっ)
実に悪役魔女らしい志である。
見た目とかけ離れた心の内を綺麗に隠して、ロゼッタ・アンデルセンは愛しの王子様とダンスを踊るのだった。