ロゼッタ・アンデルセンは奪われない(1/2)
白蝶貝のボディに金細工の薔薇で飾られたオペラグラスを手に持ち、ロゼッタ・アンデルセンは城の庭園にあるベンチから周囲を見渡していた。
「アンデルセンさん。なにを見てるんですか?」
「ヒヨドリが可愛いのよ」
「イエンセン侯爵令嬢が歩いてますね」
「どこ! どこにいるの?!」
思わずオペラグラスで見回すと、クリスティアンの呆れた顔が飛び込んできた。
「騙したわね!」
「アンデルセンさん。オペラグラスなんて使わなくても肉眼で見えますよ。ほらあそこに」
オペラグラスを外してクリスティアンの示す方向をみると、ウィリアムと一緒に歩いているエリーゼの姿が視界に飛び込んでくる。
「嬉しそうな顔をして! あんなに密着するなんて」
「殿下は無表情で手を外そうと苦戦してますね。あ、オスカーさんにバトンタッチしましたよ」
クリスティアンの懸命なフォローにより、ウィリアムの信用は保たれていた。
「アンデルセンさん。あれは仕事で仕方なく殿下が対応されてるんです。落ち着いてください」
クリスティアンに諭され、ロゼッタは肩を落とす。
「殿下はアンデルセンさん一筋なんですから、心配しなくても大丈夫です。結婚式の日取りも決まったんですから、もっと安心してください」
きっとロゼッタが不安がるだろうと、ウィリアムからフォローの依頼を受けたクリスティアンは必死に説明した。そんなクリスティアンにロゼッタはニコリと笑う。
「ありがとう。クリスティアン」
「とんでもない」
「でも、いろいろ納得できないの。発散したいから付き合ってちょうだい!」
途端、クリスティアンの目に涙が浮かぶ。このところ毎日ロゼッタの発散に付き合わされているのだ。
できれば仕事を理由に断りたい。けれど逃げればロゼッタのフォローを自分に頼んだウィリアムに言い訳できない。板挟みになったクリスティアンは、諦めてロゼッタと共に城内の薬草畑へと向かったのだった。
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本来であれば、ロゼッタが断罪されていたであろう魔法学園の舞踏会で、先代の稀代の大魔法師が捕縛された。
捕まったときに虫の息だった先代は一命を取り留めた。本物のエリーゼ・イエンセン侯爵令嬢は、合意の上で隠れていたところを発見されたのだ。
そこから分かったことは、先代の稀代の大魔法師はエリーゼの家庭教師として長年イエンセン侯爵家に身分を隠して雇われていたということだった。そしてエリーゼは先代の教えにより在学中に光魔法を開花させ、それらを使って何度も魔法でウィリアムにアプローチしていたのだ。しかし思ったようにいかず、カフェテリアで舞踏会のパートナーを断られたあとは、やる気をなくして引き籠っていた。そんなエリーゼの代わりに先代が学園に入り込み、事件に発展したのだった。
(一生引き籠もっていればよかったのよ! 師匠もなんてことしたのよ。適当に薬師でもして余生を楽しめばよかったのに)
今、ロゼッタの師匠である先代の稀代の大魔法師は、城の一角で魔法を無効化する部屋に軟禁されている。そして彼女は心が壊れて記憶が曖昧になっていた。
「アンデルセンさん! お願いだから集中してください」
クリスティアンの声に慌てて周囲をみると、畑の開墾予定地に大きな穴が空いていた。魔法を暗唱し穴を埋めて取り繕う。クリスティアンに謝るジェスチャーをしながら作業を再開した。
(師匠の記憶が曖昧なせいで、全く取り調べが進まないのは仕方ないわ。問題はそのほかの奴らよ)
主にイエンセン侯爵家とエリーゼ本人、そして彼らを支持する貴族連中が騒いでいるのだ。彼らは首謀者である先代の処刑と、師弟関係にあるロゼッタと王太子の婚約破棄、そして稀代の大魔法師の権限剥奪を要求していた。
(くっ。こんなところで婚約破棄の危機に直面するなんて!びっくりだわ)
そのとき、ドゴオオオンと大きな音と共に土柱が上がった。
「アンデルセンさーーん。集中!集中!」
魔法を唱えて抉れた畑の土をならして、畝を作れば完成だ。
仕上がった畑を前に、クリスティアンが拍手しながら近寄ってくる。
「なんとか無事に完成しましたね。よかった。……アンデルセンさん?」
「クリスティアン。魔力、使いすぎた、みたい」
フラフラと倒れそうになるロゼッタを、慌ててクリスティアンが支えた。
「っ! 魔法薬、持ってますか?」
「太股にあるわ」
その言葉で、クリスティアンの顔が真っ赤になる。
「なんて場所に着けてるんですか!あっスカート捲らないでください!」
背中を向けたいのに、支えているせいで身動きが取れないクリスティアンは半泣きだ。そんなことはお構いなしに、ロゼッタは太股から魔法薬を外して飲み干した。そして腫れぼったい目をしたクリスティアンに支えられながら、部屋へと戻ることにしたのだ。
(うう。畑作り程度で情けないわね。でも大分非効率に魔力を消費したせいよ)
そして魔力を空っぽにしたせいで魔法薬を飲んでも戻りが遅かった。それもこれも全部エリーゼ一派のせいにして、ロゼッタは心の中で毒づいた。
光魔法はまれに生まれる魔力で貴重だという理由により、騒ぎの渦中にいたはずのエリーゼはお咎めなしなうえ、現在は宮廷魔法師に協力する名目で城へ自由に出入りしている。そして光魔法の検証は筆頭宮廷魔法師のハンスが対応するはずなのに、イエンセン侯爵家がなぜかウィリアムを指名してきたのだ。そのせいでウィリアムはエリーゼが登城するたびに呼び出されている。週一での登城のはずが、彼女は毎日城に現れ、ウィリアムが対応できないときは王妃とお茶をしているらしいのだ。
(師匠がダメなら王妃様に頼るって、どんだけ私の前に立ちはだかるつもりかしら)
嫌なメンツすぎてロゼッタの精神的負担はなかなかに高かった。それでも朝と夕方にウィリアムは必ずロゼッタの部屋を訪ねてくれる。そしてエリーゼの被害を理由にロゼッタに癒しを求めてくるのだ。
「アンデルセンさん、大丈夫ですか?」
ロゼッタの険しい顔を具合が悪いのだと思ったクリスティアンは、心配して歩みを止めた。慌てて笑顔を作り大丈夫だといおうとしたときだった。
目の前の廊下をウィリアムの腕に掴まり楽しそうに歩くエリーゼが横切ったのだ。
オスカーのほかに宰相であるゴットル公爵の子息たちも一緒に歩いているのが目に入る。
その顔ぶれに、ロゼッタは目を見開き思わず強く拳を握りしめた。
兄であるルーカス・ゴットルに弟のラース・ゴットルは、『World of Love & Magic』の攻略キャラクターなのだ。
(ゲームのキャラクターが全員勢揃いの中で、ウィルにエスコートされて現れるなんて、やってくれるじゃない)
エリーゼがなにかの拍子でこちらを向いた。その目はロゼッタを捉え、嘲笑するかのように口元が弧を描く。
(いい度胸ね。その喧嘩、言い値で買うわよ!)
乙女ゲームはすでに終わりを告げている。なら、今のはエリーゼからの新たなる挑戦状だ。黙ってやられるなど断じてありえない。畑仕事で汚れ、クリスティアンに支えられて歩く無様な姿をこれ以上は晒すわけにはいかないと、姿勢を正した。
「ありがとう、クリスティアン。もう大丈夫です。ひとりで部屋まで戻れます。あなたは仕事に戻ってください」
優雅に微笑みクリスティアンにお礼を述べた。エリーゼへの対策を練るため、ロゼッタは一刻も早く部屋に戻ろうと考えたのだ。
「アンデルセンさん。あんな顔で挑発されたのに黙って引き下がるなんて、らしくないですよ。さぁ一緒に行きましょう」
「!」
クリスティアンに腕を引かれ、ロゼッタはエリーゼたちが通り過ぎた廊下の先へと強制的に連れて行かれたのだった。




