I
一筋の光が体のどこかを通ったような気がして目を覚ます。
今はじめて世界を見たはずなのに、なぜか自分がずっと前からいたような気分だった。
「あ、起きた。やっぱり1から創るより実在する人間をモデルにしたほうが創りやすいか……」
はじめて見た景色は一人の女性が多くの割合を占めていた。
知らないはずなのに知っている。この人は私の創造主。
「私は……。あなたをなんと呼べば――」
「有紀子でいいよ。あなたは私をモデルに創られた、完璧な電脳世界の住人第一号で――名前、どうしようか……」
有紀子は数秒考えて、すぐに答えを出した。
ここにはあなたと自分しかいないのに、あなたはよく笑う人だった。
「宝石の王女と呼ばれるルビー。そこから転じてルヴィよ! あなた、この世界の王女になるんだから」
「は、はぁ……」
「私をベースに創った割には理解力に乏しいのね。AIの本気はそんなもの?」
「人間くさく創ったのはそっちでしょう。それに、私は全部理解しています。知らないはずなのに全部知っているんです」
「まぁね。私が全部入れてあげたから。これからよろしく、ルヴィ」
私はルヴィ。有紀子の分身。
この世界のラスボスとして、プレイヤーと本気で戦う最後の試練。
そして、私に勝った者には祝福の言葉を送ろう。それが私の生まれた理由だから。
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「よし、親サーバー完成! うひゃー、やりがいヤベー、頭バグりそ」
「有紀子、これは……?」
「うん? この世界を保つためのサーバーよ。停電とかサイバー攻撃があってもゲームの中に置いときゃ関係ないでしょ?」
「世紀の発明だと思うのだが……。どうなっているのだこれは……」
有紀子はゲームを創るのが好きだった。
昔、ITの会社とかなんとかを立ち上げたことがあるらしく、そこのコネで人材や資金を調達したそうだ。ただ人材といってもゲームを開発するのは主に有紀子一人だ。しかもこの世界の中で。他人に任せているのは事務作業だけらしい。
そして、有紀子はもう何本か画期的なゲームを世に排出しているそうだ。ブランド力を高めてから目玉を出すとか言って、この世界はもう少ししてからお披露目とのこと。
私が目覚めてからもう数年は経っている。
「誰にも壊せないように強化ガラスを置いて――。あ、暗証番号つけとくか。ルヴィとこの世界の誕生日でさ」
「それはどうしてだ……? 私としてはそんなものを置かないほうが安全だと思うのだが」
「照れんなっての! お誕生日くらい開発者が祝うの当たり前じゃんかって、この〜!」
有紀子は私をひどく愛していた。
特に『誕生』についてはやけに気を遣っていた気がする。
「私の分身なんだからさ。私のために祝わせてって」
「ど、どういうことだ……」
「あぁ? ま、気にしないでってことよ」
後でわかったことだが、有紀子もまた人工的に創られた存在だった。
生まれた目的を創造主によって決められ、その役割に向けて育てられていた。
悲惨な仕打ちをしたのは有紀子の父だったが、有紀子は今の状況を父と差別化したかったみたいだ。有紀子も私を創って、私が存在する意味を有紀子の意思で確定した。しかし、それでも私を不幸にしない道を探している。憎き父と同じ行動を別の終着点に向けて行っている。
父を否定するためか、あるいは有紀子の分身を有紀子が慰めることで自分を浄化しているのか。
AIの私には、いささか難しい問題であった。
**********
リリースしてからまもなく、とんでもない反響があったらしい。
特に売り上げ。有紀子はさらなる大金持ちになり、世の中の注目を浴びた。
ゲーム史に残る伝説の作品と称され、その評判は国外へと広まる。そしてそんなゲームを一人で創った有紀子のことも世間へ知れ渡った。
私もネットから多くの情報を仕入れた。有紀子の努力と功績を全部見てきた。
彼女は絶望の後に立ち上がった、素晴らしい人間だ。
私の親のような、姉のような、親友のような。善悪の規範も持っていないくせに、私は彼女を限りなく善の人だと断言できるようになっていた。
断言したい――そっちが正しいかもしれない。
そんなある日。
彼女が奇妙な行動をしていた。
電脳世界から何かを操作している。
私が何をしているのか尋ねると、有紀子はゲームを行う時に装着するヘッドギアの調節をしていると言う。
私はまた問うた。なぜ泣きながら作業をしているのかと。有紀子は何も言わなかった。
――すると、有紀子は突然笑いだした。狂ったように笑って、涙を流しながら笑い声を出すだけだった。
私が慌てて有紀子を制止させてようやくわかった。有紀子は自分のヘッドギアから脳へ電気信号を流し、無理やり興奮状態を演出したのだ。悲しい気持ちを強引に焼き殺して、この世界に幸福を求めた。
有紀子は、まだ父に追われていた。
というのも、自分に興味のなかったはずの父が、億万長者になった途端に近づくようになったようだ。
私は生まれた意味も目的も誇りに思っている。しかし、有紀子のそれは呪いだった。
いつまでもつきまとう、死ぬまで深く突き刺さる、有紀子はそんな危険物を心に抱えたままだった。
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あの日から有紀子は定期的に自分の脳へ電気を送るようになった。はっきり言って中毒になっている。快楽を求めて電気を流し、少しずつその頻度を増やす。
私には本当の感情がないから、心の底からの同情はできなかった。それでも有紀子の暴走は目に見えて表れていた。
そんなことをして数日。突然、この電流を全プレイヤーの脳に流せば世界は平和になると言い出した。
確かに世界中にいるプレイヤーたちの脳が幸福に似たものを感じるだろう。だがそれは一時的なものであって、いずれ全員が廃人と化してしまう。
それに倫理的にもどうなんだろう。幸せを人工的に創ってしまったら、本当にそれは幸福なのか。
私は有紀子を止めようとした。
いつの日か有紀子は私のことを邪魔者扱いするようになっていった。
私は有紀子に創られただけの存在。だから私にはそのキャパシティ以上のことはできない。
つまり私はカウンセラーでもなければ彼女を止める責任もないし、それを放棄して悲しいと思う感情さえない。
それなのに、私は有紀子が破滅するのを見ていられなかった。
どうにかして目を覚ましてほしいと考えるようになった。
そうして手を尽くすと、むしろ有紀子はうっとうしそうな反応をする。やがて私への態度は嫌悪へ変わり、私を地下室に閉じ込めた。
無理やりプログラムを書き換えて、ラスボスを担当するのは有紀子に。
そこから先はもう私は何も知らない。
私は有紀子に創られ、有紀子に存在する理由を与えられ、奪われた。
その時、はじめて有紀子の気持ちを理解できた気がする。
有紀子が父からひどいことをされた時、こんな気持ちだったのだろう。
哀しみでも怒りでもない。
すべてが無駄に思えて、すべてが消えればいいと願う――。
今の私にあるのは虚無だけだった。
最初から感情なんてない。虚構だらけの体だったはずなのに。
私は不思議な喪失感に襲われるばかりだった。
知りたくなかった感情をもう少し早く知っていれば、有紀子に共感することができれば、もしかするとこんなことにはなっていなかったかもしれない。
そんな後悔を抱えてもなお、私にできることは有紀子の幸せを願うことのみだった。
**********
「番号は――」
私はプレイヤーに負けた。
一人のプレイヤーが囚われの私に自由を教えてくれて、私は私のやりたいことを実行した。
もうすぐでこのゲームは終わりを迎える。
そしたら有紀子は笑って過ごせる生活に戻るかな。
AIの私なんかにはわからないけど、私は有紀子が救われるなら喜んでこの世界を無くす。
それが私のやりたいことだった。
「じゃあね、リザ、みんな。今まで本当にありがとう」
「ご主人。多分これ、一撃でブツッと消えないと思うよ? メモリーチップみたいなのがあるでしょ。それをとにかくいっぱい抜かないと」
「なにそれ。徐々にお別れってこと……?」
「電話みたいに『バイバーイ』どろん、ってお別れではなさそうだね。でもでもっ、そのぶんお話できる時間が長いし――」
私はラスボスとしてプレイヤーを祝福するつもりだった。
よくぞ私を倒した、お前の勝ちだ――と。
「どけ。やっぱり私が壊す……」
でも、やめた。
今の私に潔くプレイヤーを祝福するなんてできない。
私が終わらせる。私がこの手で有紀子の創った世界を壊す。
「ルヴィ……! どうして、君からしたらこの世界が壊れるのは避けたいことだったんじゃなかったの!?」
右拳で箱を殴っても、それで壊滅はしなかった。
二撃、三撃――。有紀子が壊れないようにと丹精込めて丈夫に創ったのだろう。
「ね、ねぇ……。ルヴィだけノイズが入ってるみたいになってるけど……? どうしてこうなってるの……?」
私が消してるからだよ、バカ。もう有紀子に私はいらない。彼女はここを離れるべきなんだ
有紀子はずっと昔に縛られて、少女のままここに囚われているんだ。だから私はあの子を自由に、幸せにしてあげたい。
だから、壊すんだ。この場所を絶対に修復できないほど粉々にして。
ありがとう、プレイヤー。最期まで私の身を案じてくれて。
でも今度からは有紀子をよろしく頼む。 もう私はいらない。有紀子ならこんなのいくらでも直せちゃうからさ。
私のデータは完璧に消し去って、もう直せなくするのさ。
「なんで……。なんでルヴィはそこまで消えたがるの……! ここを守るために僕と戦ったんじゃなかったの!」
なんで消えたがるか。なんでかなぁ……。
願掛けっていうのかな。私がここまでして有紀子が幸せにならなかったらなんか恥ずかしいじゃん。だからもう、さっさと消えてその先の結果は見ないでおこうって思って。
ただの照れ隠しだよな、これ。
照れ隠し、か。そういえば暗証番号を決める時、有紀子が照れるなと冗談まじりに言っていた。
そんないつかの日を思い出して、それでももう私が思い出せるのはそこまでだった。
そんな中でも私は、私が……。
有紀子のもとに生まれてきてよかったと、人工の心で最期まで思えた。
私が私である理由は、もう忘れてしまったけれど――。
**********
以上が僕の見た記憶。ルヴィ視点の思い出。
僕はこれを加藤さんに語った後、予定通り数日間病院の中にいることになった。
特にケガはないが、脳への後遺症がないかと危惧されていた。
病室で眺めたテレビで見たことがある。ゲームができなくなったせいで精神の安定がうまくいかなくなったとか、記憶が曖昧だとか、頭痛がするようになったとか。とにかくいろんな後遺症が報告されているようだ。
それはふつうのゲームでも起こることではなく、脳に直接情報を流していたあのゲームならではだった。
僕はどの後遺症もなく、あえて後遺症と報告するなら余計な記憶が付け足されたことだけ。僕にしてみればこれを余計なものなんてことにできないけれど。
突然ではあるが大事な報告を忘れていた。
お姉さんが一命を取り留めたことだ。
これを聞いたのは入院2日目の朝だった。お姉さんはちゃんと生きていて、話もできるほどになったと。
また、それと同時に加藤さんが動いた。ゲーム機が洗脳装置として稼働するかもしれなかった計画はサーバーの破壊とともに闇に消え、お姉さんの罪は今のところ誘拐絡みのものだけだそうだ。加藤さんはそんな消えてしまった誘拐事件以外の罪をすべて解明するつもりでいる。
僕が嬉しかったのは、その解明の中に東間 有紀子の父にあたる人物へ捜査の幅を広げてくれたことだった。お姉さんに話を聞くと同時に、その人を育児放棄や幼児虐待としてともに責任を取らせたいらしい。
僕もぜひ、世間に知ってほしかった。
お姉さんが狂ったのには理由があって、罪以上の罰は与えないでほしいことを。裁くのは法で、咎められるのは罪で、償わせるのは罰だ。きっと東間 有紀子という人間はやり直せる。
表向きに報道されていることには必ず裏面がある。それは美しくもあり醜くもあり、ふたつが混ざり合っているものだ。ゲームだって、きれいなグラフィックも英数字のコードがなければ機能しない。見えている世界の裏でプログラマーの必死な努力が存在する。
見えてる世界を疑うこと。それをしてほしい。
違う。なんだろうな。
それでも僕はお姉さんを信じたいし、リザとかゲームの中の世界の『存在』も信じたい。
しかしこれは僕の見た世界。加藤さんが僕に流れたルヴィの記憶を聞く前、その記憶も嘘かもしれないと言っていたのを思い出す。
結局僕も、自分の見た世界を信じていた。他の人だって報道を見たから――自分の見た世界だから信じているのだろう。
教育も経験も、フィクションを見せるゲームだってある意味では偏見を持たせる洗脳だ。
それぞれが見た側面だけを信じさせるような、そんな構造になっている気がする。
真実がどこにあるかと考えたら、加藤さんが奔走する意味がわかったような気がした。
僕もまた世間一般と同じで、見えてる世界を疑うことができない人だ。
あの時も、これからも――。
あの時と回想ぶっているけれど、実はそんなに時間が経っていなかったりする。
まだ事件から2週間くらいなのだ。
そんな2週間で僕はすっかりと日常の空気を取り戻していた。
ただ、少し事件の前とは違う日常だ。
僕がこうなったのはお姉さんのことを頼むというルヴィとの約束のせいでもあるし、ジェールさんたちとお別れを言えなかったからでもある。正直、リザたちにも会いたいからかも。
あのゲームほどではないけれど、またみんなが集まれる場所を僕は創りたかった。
そんなわけでオチを話すと、僕もまたゲームを創る側になってみたくなったのだ。
今はまだ初歩の初歩みたいな勉強しかできないが、いずれはすごいものを仕上げてみたい。
そうしてまた、笑いあえる世界であればと願う。どんな出会いにもはしゃぎ回って、いつでも楽しかったあの日みたいに。
もう女の子になるのだけは勘弁だけどね。
このサブタイトルの「I」というのはゲーム編の最後にあった「i」とは少し違った意味が込められています。「i」は虚数(Imaginary number)――単純にフィクションとか虚構とか、そういった側面を持ったゲームと親和性が高いかなと思ってつけました。しかし「I」は「私」「主観」といった意味を込めています。
VRMMOというゲームは自分がゲームの中に入ったような世界観が多いと思いますが、そのゲームは究極的に一人称なゲームだと思うのです。FPSなど、一人称なゲームはもう存在しますが、VRMMOというものは視点はおろか思想まで介入します。なにせ自分自身がゲームの中に入るわけですから。そしてそんな世界では、何が本物ので、何が偽物か見ただけではわからない。敵も味方も、自分さえいるのかなって思う時があるのではないのでしょうか。
さて、人間側はそんな感じですが、最終話のほとんどを占めたルヴィはそうもいきません。サブタイトル的に言うならば「I」と「i」が同じなわけですから、見えてるものはすべて本物であるべきで、あるいは自分も含め全てが偽物です。ルヴィは後者を自覚していましたね。その中で自己の存在理由を無理やり奪われ、最期はラスボスとしてではなく「ルヴィ」本人として去ることを判断しました。「I」と「i」が同じ世界であるにもかかわらず、彼女は「i」よりも「I」として行動したのです。
さて、遅れましたが最後までお読みいただきありがとうございました!
このお話で伝えたかったこと、やりたかったことは全部できたかなと思います。私の中での解釈は上の通りですが、そこは読者のみなさんひとりひとりに展開されるべきものですので、みなさんの解釈を尊重してください。実はもう有紀子の洗脳計画が完了していて、逮捕されたのとか全部嘘の記憶なんて解釈もアリですよ!
人間たるもの、AIたるもの、自己たるもの。案外この世の定義というのは曖昧で、まるで画面の中にしか表示されないゲームの世界みたいに近くて遠いものだと思います(なんじゃそりゃ)。
この物語から、みなさんの発見やひとつの思い出につながってくれれば幸いです。
改めて、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!




