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ふつう、ゲームをクリアしたら喜びの感情が湧き上がるものだった。
この時の『ふつう』はあくまでも僕の主観にすぎないから、ゲームクリアで感じる気持ちはきっと人それぞれのはずだろう。
しかし今だけは、どんな人でも歓喜の声を出すことはないだろう。
その理由は緊張感だ。
ルヴィは壁にもたれ、ぐったりとして動かない。これが今までのゲームならば、明白にゲームクリアかまだ戦闘中かがわかるだろう。イベントが進んだり、勝ったとわかる表示が出たり――。
それでもこのゲームは常軌を逸している。相手のHPバーは表示されないし、これがやられたフリではないという確証もない。視点も俯瞰カメラで見ることが許されず、背後を取られれば気づくのは難しい。
僕とリシルは勝利の余韻というより、その張り詰めた空気に縛られて動けないままだった。理由は違えど同じく動けないルヴィを睨みつけ、何があっても対処できるよう身構える。
――が、臨戦態勢を解かせたのは当のルヴィだった。
「負けた……。結構あっさり負けちゃったな、ふふ……」
どこを見るわけでもなく、ルヴィの目はただ開いているだけの状態だった。目としての機能が奪われたわけでもなく、まぶたはしっかりと開いているのに、そこには何も映っていない。
「ゲームってさぁ、ラスボスを倒すとエンディングが流れるでしょ……? 私、それが見たかったなぁ――」
ルヴィは生粋のラスボスだった。
自分の死によってプレイヤーが喜ぶ姿、それを見て消えるならば本望だった。
「本当のラスボスはあの女になっちゃったから、私なんて倒してもこのゲームに進展はない……。それが悔しくてね……。ラスボスとしてのプライドっていうか、なんだろ……。私が自由にしていいのならこうしたかったなって――」
ルヴィが弱々しく人差し指を伸ばした。
その先にあるのはサーバーを守る強化ガラスとその暗証番号を入力する機械。
「番号、教えてあげるよ……。最後のボスを倒したら、そのゲームはクリアさせないと……」
「ねぇご主人。この人、そこまで悪くなかったりしない……?」
リザ――もといリシルが聞いてきた。
ルヴィはラスボスであり、プレイヤーがその命を狙う存在。極悪人であるべき立場だった。
設定もサキュバスの王であるし、お人好しな性格ではなさそうだ。
それでもきっと、彼女の言うようにラスボスとしてのプライドがあるのだろう。
戦って負けた。それを認めてプレイヤーを祝福したかった。
これこそが彼女のやりたかった『自由』であり、もう叶うことはない夢である。
でもそれだと、まるで死ぬことが本望みたいじゃないか。
「ルヴィ……。君は僕を助けてくれたよね。だから今度は――」
「やめて。それは美しくないから……。どこかで終わらないとゲームは完成しないの。そして私は完成まであと一歩のピースを強者に託す係……。そのために生きて、そのために死ぬ――」
ルヴィは本気だった。
自分の生きる意味を、その役割を背負う覚悟を、もうとっくに持っていたらしい。
「ありがとう、まさかこのゲームを終わらせられるプレイヤーがいるとは思ってなかったから……。私を倒してくれて、本当にありがとう……」
ルヴィは笑った。
まさかラスボスから感謝されるとは思わなかったが、その笑顔が優しくて僕もつい脱力してしまう。
「ご主人、大丈夫?」
「あぁ、うん。意外と疲れてたみたい……」
脱力した脚が言うことを聞かず、その場に腰を下ろしてしまった。
僕たちを縛る緊張感も消えている。
あとはルヴィが言いかけていたパスワードを入力して、この世界とお別れするんだ――。
「ねぇ、リザ」
「どしたの? またおんぶする?」
「いや……。リザたちは、サーバーがなくなったらどうなるのかなって」
「うーん。ゲームの中でHPはあるけど、本当の命があるのかわからないし……。えへへ、結局わかんないね」
この世界で何日過ごしたのか、そして現実世界で何日経過したのか――。
それは正確にはわからない。たった数時間のコミュニケーションだったのかもしれない。
それでも――。
「楽しかったよ。リザとのお話も、一緒に戦うのも。セクハラはいつだってやめてほしいけどね……」
「リザも楽しかった! できるかわからないけどさ、また会おうね」
「うん。シルルとルグリもありがと。会えて嬉しかったよ」
リザが譲らないのかそれとも照れているのか、二人の声は聞けなかった。けれど表情や手の仕草がリザのものと違う部分が一瞬だけあったのを僕は見逃していない。
ゲームをクリアしたらやり込む要素も少なくなっていって、時間はどんどん流れて――。やがて新しいゲームが現れるかゲームに飽きたか、理由は様々だけれどいつかそのゲームを触らなくなる。
たとえ偽物だとしても、会いたいとか寂しいとか、そんなことを言われてしまうと今まで風化させてしまったゲームたちに申し訳なくなってしまった。そして今この瞬間も。
別れるには惜しい。けれど、別れねばならぬ理由がある。
「この世界を離れる前に、ジェールさんたちとも挨拶したかったなぁ……」
「あ、そういえばそうだね! ね、ぱぱっと起こしちゃおうよ!」
「それは……いいや。ゲームの中で気絶してるだけだから、きっとこの現実に戻されれば起きてくれるよ」
「現実って、知り合いじゃないでしょ? 本当にいいの?」
「うん。なるべく早く終わらせたいんだ。この世界をもっと好きになっちゃう前に……」
開発者に罪があっても、ゲームには――リザたちには罪がない。
そのはずなのに僕はこのゲームを終わらせないといけない。
最後の力を振り絞って強化ガラスの前に立つ。
ここをくぐったら、あとはサーバーを壊すだけ。
ここが一番、現実と架空が曖昧な場所。
「ルヴィ、番号は?」
「ふふ……。改めておめでとう、プレイヤー。ラスボス討伐特典をあげるよ……。この世界を、完成させてくれ……」
現実と変わらぬ感覚で架空の世界を動かせるゲーム。
僕はそんなゲームの中にしか存在できない少女を見た。
現実ではどうやっても会うことはできない。そんな少女が最期に見せてくれたのはなんだっただろうか。
「番号は――」
僕が世界を終わらせる。僕が世界を壊す。
ラスボスを倒した主人公にはあるまじき結末を迎えたゲーム。
そんな壊れる世界を包んだのは光だった。
色とりどりの光が集まり、やがて散っていく。
かくしてこの物語は終わりへと――。




