n回目の言葉
そこは一度踏み入ったことがある場所だった。
ぎっしりと並ぶ縦長の箱に青白い横線が光る部屋。箱とはガラス一枚で隔てられていて、そのガラスを開けるにはパスワードを入力しないといけなさそうだ。
「ここ、なぜか壁が壊れてるんだよな。おかげで見つけられたけど、もし罠だったら怖くね?」
アサシンさんが飄々と語るが、その心配はない。
なぜなら壁が壊れている理由も僕は知っているから。
要塞に潜入してすぐ、リザが突っ込み、毒の矢が刺さり――最終的に逃げ込んだのがこの部屋だった。
壁が壊れているのはルグリのせいだ。だから敵の罠というわけではない。
最初に見たときは要塞の電力を管理するブレーカーかなにかと考えていたが、お姉さんの口からサーバーの存在を聞いた途端にここが怪しく思えた。
「――とは言え、アサシンさんはどうしてこれがサーバーってわかったんですか? もしかしたらまったく関係ない機械かも」
「そりゃないぜカノンたん。サーバーなるものを探せって言ったのはそっちなのに」
「まぁ、そうですけど……」
「理由は単純だよ。ここ以外に機械っぽいものがなかったんだ。地下室だけ開かなくて見れてないけど……」
僕が見た限りだと地下にもメカニカルなものはない。しかし、そもそも地下がどれくらい広いものか知らないわけだから全域を見たとも断言できない。
実はもっと奥まで地下が広がっていて、最深部に核が眠っている可能性も否めなかった。
「で、ハルカ。これをぶっ壊せばいいの?」
話を聞いてか聞かずか、ジェールさんはすでに握り拳をつくっていた。
パスワードを入れて突破するところを、腕力で解決しようとするあたりジェールさんらしい。
ジェールさんはわざわざ確認を投げかけてきたにもかかわらず、僕の返事を待たなかった。
右の拳がガラスへと打ちつけられ、やや鈍い音が室内に響く。ガンッ――と鳴ってから数秒の静寂。
次は肘で衝撃を入れるが、やはり返ってくるものは静寂だった。そこにはヒビさえ生じない。
「うわ、かったぁ……。これただのガラスじゃないでしょ……」
「壮烈の姐さん、装備全部取ってやってみたらどうすか」
「あぁ? それでどう変わるってのさ」
「いやね、鎧に押さえつけられてる姐さんのたわわな胸筋が殴った衝撃で揺れ――」
次はメリッと生々しい音がした。
無論、拳はガラスではなくアサシンさんにめり込んでいるが。
「あんた、真面目にやりなよ! 今の状況わかってんの!?」
「俺はいつでも真面目でさぁ……! だってラスボスはサキュバスだろ。乳揺れ認証装置でもつけられてるかもしれないじゃん!」
「ハルカ……。こいつもうクビにしない?」
冷ややかな視線を送るジェールさん。頭からつま先までアサシンさんが悪いが、今はそんなことに時間を使っている場合ではない。
腕力で解決できないとしたら、正しい暗証番号を入力する正攻法でいくしかなくなる。
液晶画面のスペースから察するに数字は6桁。0から9までの数字の中でお姉さんがやりそうな6桁の組み合わせは……。
年、月、日で誕生日? 変態的な語呂合わせ? もしくはお気に入りの数字があったり……?
考察するにしても情報が少なすぎる。それに、万が一間違えた時にペナルティなんかがあったら面倒だ。
最悪、組み合わせの総当たりも覚悟しないといけないか――。
「……おい、誰かが来てるぞ」
それまで泣いて弁解をしていたアサシンさんが突然空気を変えた。その一言で全員が身構え、迫る気配に集中する。
たしかに、遠くから足音が聞こえる気がした。もしもそれがお姉さんであればさらなるスピードをもってやってくるだろう。だけど足音は悠然としたリズムで刻まれている。
倒し損ねた敵キャラか。はたまた新しい刺客か。
その答えはあっさりと明かされた。
現れたのは目を細め、後頭部を掻く、気怠そうな女――ルヴィ。電脳世界の狭さを憂うNPC。結果的に僕を逃してくれた敵モンスター。
臨戦態勢だった僕らだが、それを見てもルヴィは表情を変えなかった。
それがプログラムか、彼女の意志なのかはわからないけれど。
「うっす、よく来たじゃん。ま、わざわざやられるためになんだけど――って、前までは言ってたのにね」
気怠そうな顔に哀愁が入り混じっていたかもしれない。
敵意と油断の独特な空気が僕らを埋める。
「あんたは……?」
「前までは名乗らなくても知られてたのにさ……。まぁいいや。私はルヴィ、最初はここのトップだったんだけどね」
「あの……ルヴィは僕を逃がしてくれたんです。だからきっと悪い人じゃないですよ。トップだったって話は初耳ですけど」
トップ――というのはラスボスであったという意味だろう。すると、お姉さんが暴走するまではルヴィが玉座に座っていたことになる。
ここに姿を現してすぐの発言はラスボスによくある対戦前のセリフだ。AIによってモンスターたちの生活が展開されるこの世界で、もちろんルヴィの中にこのセリフを何度も言った記憶があった。最近は言うことがなくなった、それでも幾度と言ってきたフレーズ。
「うっはぁ! ルヴィちゃんスタイル抜群すぎてやべぇな! 姐さんよりかは小さいけど、なんつーかバランスがいい、うん」
「あんた、マジで黙ってて」
アサシンさんの調子はいつでも変わらないみたいだが、ルヴィの表情も変わることはなかった。
顔が固定されているんじゃないかと疑えるほどに不動な表情。そのせいで僕らはルヴィの本心に気づくのに少し時間がかかった。
ルヴィの本心。僕はてっきり、それがここからの解放だと思っていた。そのために僕らと協力してくれると。
「――そだそだ。私は、別にあんたを助けたわけじゃないからね」
空気を一変させたのはここからだ。
はっきりと僕を見て、ラスボスとプレイヤーとの関係が結ばれていく。
「私はあんたを倒したかっただけ。私に自由が許されるのなら、またこうやって誰かと戦いたかったんだ」
その関係は、戦い合う運命にあった。




