0と1の選択
「単刀直入に言います。僕をここから逃してください」
それは心の底からの懇願だった。
今この状況を考えると、自分にできるのは泣き落としのみ。
そもそもテイマースキル以外に大した長所がないからどうしたって手段は限定されていた。
ただ、裏を返せば、今まで自分がこの世界を渡るために使ってきたのは『声』のみ。たったそれだけでここまでの窮地を乗り越えてきた。
もちろん今回も解決するなんて証拠はどこにもない。今回相手するのはただのモンスターじゃないから。
「やだよ。ダルいし、それってこっちにメリットないし」
そう、メリット――。
この話はむしろ、彼女――サキュバスのルヴィ――にとってはデメリットしかないものだった。
彼女はこのゲームの創造主であり現実世界をディストピアに変貌させようとするお姉さんにテイム済みだ。
つまりこっちとは敵対関係にある。簡単には折れないだろう。
いや、そもそもの話、メリットデメリットなんて本当に重要だろうか。
彼女はNPCという存在だ。人間的な感情で動いているのではなく、プログラムされた思考で言動を決めているはず。
たとえ人間的にメリットがある話を持ちかけられても拒否する可能性は大きい。
「あんたもさー、不幸だね。あんなやつに捕まって」
「……そういうあなたは?」
「ん?」
「あなたは、幸せなんですか?」
ただこのゲームをやっていてわかったことがある。
テイムしたモンスターはプレイヤーに対して『なつく』という行為をすることだ。
そして『愛され体質』なんてスキルがあるように、恐らくこのなつくかなつかないかの違いは顕著にあるはず。
ルヴィはがっくりうなだれてから、また顔を上げた。
「どうかな。幸とか不幸とかあんまり……。気づけばここで、たまに来る客を待つだけになってたからさ」
「自由になりたいとは思わないんですか……! ここから出て、外の世界とか――」
「それ、なんなの?」
ルヴィが僕の座る椅子の底面をつま先で持ち上げた。
手前だけ上げられた椅子は絶妙な傾斜で止められる。
これ以上椅子の傾斜が急になれば、椅子はバランスを保てず倒れることになる。縛られた僕は受け身も許されず後頭部を打つかもしれない。
「外の世界ってなんなの? ここに来たやつがみんな言うんだよ。外の世界に帰りたいって」
「それは、この世界とは別の僕たちの本当の世界のことです。お姉さんはそっちの世界をめちゃくちゃにするつもりなんです。でも、僕がさっき言ったのは、単純にこの地下室の外という意味で――」
「あぁ、もういいよ……。全部知ってる……。この世界が虚構だってことも全部……」
「虚構って……! でも、この世界が外を、現実世界を蝕んじゃうんですよ! もうお姉さんの計画はゲームなんて枠じゃ済まされない」
「だからさぁ、その行くこともできない世界に私たちNPCが関与するメリットはないんだって。それともなに? この箱庭から開放してくれんの?」
NPCによる己がNPCという自覚――。
そういえば、もしも会話ができるNPCにこの世界がゲームで、作りもので、君の命は0と1でつくられていると言ったらどうなるのだろうか。
自分がテイムしたモンスターたちはみんな無邪気で、この世界における生を疑いもしない。
けれどルヴィは違った。
「ずっとあいつの一番近くで動いてきた。だから私は、この世界をなんでも知ってる。『外』なんて場所に出ても狭くてつまらなくて、結局、この地下室と変わらないような世界が広がってるんだ」
「それはつまりこの電子世界からの開放を望んでるってこと?」
「あぁ……なんだろね。私はいったい、どこへ行って何をしたいんだろ」
想像以上にこのNPCは人間的だった。
あるいは、人間的な行動を模倣しているにすぎないのか。
知性があるように見せかける、自我があるように見せかける、ただのプログラムの塊。
その真偽は今の僕にはわからない。ただ、それがフィクションだとしても、僕は笑顔であるプログラムを見たいと思う。
「お姉さんならNPCたちに外の世界を見せることができるかも……。お姉さんさえ、あのラスボスさえどうにかできれば――!」
「だから協力しろって? さぁね、どうしよっかな」
ルヴィが脚を引っ込めると椅子は再び床に脚をつけた。
それなりの角度から平行に戻った椅子は着地の際にそれなりの衝撃を座っている者に与える。
ひとまずは倒されなくてよかった。
しかしここから。ここからルヴィを説得しないと。
「僕なら君をぞんざいに扱ったりしない! どう生きるかなんて君が自由に決めていいことなんだよ!」
「自由、か……」
ルヴィが椅子に縛りつけられた僕の上に対面する姿勢で乗ってきた。
体重をあずけられ、太ももに圧力を感じる。
「こうすんのも、私の自由だと思う……?」
おでことおでこがくっついた。
次に鼻も触れ、このままだと――。
えーっと……。コレハナンデショウ……。
もしかしてスキルが強すぎたのか。
このまま愛されすぎて眠れない展開でしょうか。
「この世界に血の通った肉体なんてないんだよ。体はあったかいのにね」
「え……」
ルヴィの両手が僕の頬につけられる。
それは優しく触るというより、まさしくべったりつけられるという表現が似合う触れ方だった。
肌の奥にあるものを探すように手は下がっていき、やがてその答えを見つけたかのように手が一点で重なる。
その一点とは、僕の首だった。
「言葉もあったかい、心もあったかい。けど、あんたの体も結局は偽物だから」
「ちょっと待って! お姉さんをここで止めないと――!」
「わかってる。だから、ちょっとだけ確認したかったんだ。あんたもただのプレイヤーで、私とは別次元の存在で――」
ギュッと僕の首に重なった手に力が込められる。
はっきりとした苦しさはないものの、息のつまる不快感を脳は体感していた。
このまま首を絞められれば窒息死することは間違いない。
意識が霞むのはあっという間だった。
空気は吸えているように感じるのに、視界はぼやけて頭も回らなくなる。
ただひとつ、死に際に確認できたのは、ルヴィのちょっとだけ儚げな顔と優しい声だった。
「あんたもただのプレイヤーで、私とは別次元の存在で――それでも、私に自由を許してくれたんだなって」
暗闇に落ちた意識が死を告げた。
ルヴィがちゃんと、自由を選んでくれたから。
みなさん、お久しぶりでございます。
実に8ヶ月ぶりほどの更新でありました。
完結までもう少しのところでめちゃんこストップしてしまって本当に申し訳なさの極みですが、ぜひともあと少しだけお付き合いいただければと思います。
今度こそまた近いうちに更新できる! きっと!




