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ワンダーテール  作者: 神ヶ月雨音
3/7

三編・宵影病棟

 ここは宵影病棟。現代医学では解明できない、治癒できない「奇病」を患った患者が収容され、最期の時を待つ病棟。

 今日もまた、彼女を呼ぶ声が聞こえる。

「エイルちゃん、三〇八号室、行ってくれる?」

「はい。行ってきますね」

 彼女はエイル。本名はエイリーン・ミノン。この病棟の天使だ。天使と呼ばれるのには明確な理由がある。それはただ単に、十四歳の少女で、とても可愛らしいからではない。

「カイルさん、どうかなさいましたか?」

「ああ、エイル。少し頭痛がするんだ」

「わかりました。すぐに薬を手配しますね」

 病室の入り口近くで深い眠りに落ち、倒れている数人の看護師の横を通り抜け、エイルは患者の手に触れた。すると、眠っていた看護師が目を覚ます。

「頭痛がするみたいなの。薬をお願いできる?」

「わかりました」

 彼女が天使と呼ばれる所以。それは、患者の持つ「奇病」の影響を一切受けないのだ。それどころか、彼女が患者に触れている間、その患者の「奇病」の症状は一切なくなってしまう。

 この患者は、「伝睡病(でんすいびょう)」という「奇病」を患っていた。「伝睡病」を患った患者が寝ているときはなんともないが、患者が起きている間は、周囲にいる人間は眠りに落ちてしまうのだ。だからこうして、エイルがいないと患者の要望を聞くことは出来ない。

「薬、持ってきました」

「ありがとう。カイルさん、自分で飲めますか?」

「ああ、大丈夫だよ」

 エイルが患者の手を触れているので、他の看護師もこうして動くことが出来る。患者が薬を飲んでいる間も、エイルは患者の手に触れていた。

「ありがとう。もう大丈夫だと思うよ」

「そうですか。皆さんももう大丈夫ですので、戻っていいですよ」

 そう看護師に声をかけると、エイルは再び患者に向き直った。

「どうしたんだい? 俺はもう大丈夫だけど……」

「起きている間ずっと一人は寂しいでしょう? 眠れるまで隣にいてあげますよ」

「……優しいんだね、エイルは」

「天使って呼ばれちゃってますし」

 そう言うとエイルはにっこりと笑った。



 深夜二時、宵影病棟の屋上。エイルが夜風に当たりながら町を眺めていると、突然首筋に冷たい感触が伝わった。

「ひゃっ?!」

「そんなに驚かないでよー、私だよ」

「ああ、シールさん」

 エイルが振り返ると、綺麗な女性が手にペットボトルを持って立っていた。彼女の名前はシール・ユノア。この宵影病棟の管理者の娘で、エイルと仲の良い看護師だ。

「今日もお疲れ様。よく頑張ってるね」

「いえ、私にしか出来ないことですから」

「そうかもしれないけどさぁ」

 そう言いながらシールが差し出したペットボトルを、エイルは受け取った。エイルの大好きなオレンジジュースだ。

「もう少しエイルちゃんは休んでいいと思うよ? ずっと泊り込みだし、エイルちゃんにもプライベートとかあるでしょ?」

 エイルはジュースを一口飲むと答えた。

「無くもないですけど、それでも私がしなきゃいけないことですから」

「うーん」

「さ、そろそろ戻りましょう。夜中に目を覚ます患者様もいらっしゃいますから」

「あ、うん、そうだね」

 足早に中に戻っていったエイルの背を見つめながら、シールは呟いた。

「優しいんだか馬鹿なんだか。まだ十四歳なんだし、こんなところにずっといたいはずもないのにね……。本当、強い子」



 深夜四時。カルテを整理していたエイルの元に、焦りの混じった声が届いた。

「エイルちゃん、五一三号室の患者さんが!」

「五一三号室……「星涙病(せいるいびょう)」のルシエさんだね。わかった」

 エイルはカルテを机の上に置くと、駆け出した。

 エイルが病室に着くと、患者は上体を起こし、蹲っていた。

「ルシエさん、どうかしたの? 大丈夫?」

「エイルさん……」

 顔を上げた患者の頬には、星のような光が灯っている。「星涙病」は、涙を流すとその涙が星のように光って消え、視力を奪っていくという「奇病」だ。頬に光が灯っているのは、泣いてしまったのだろう。

「ルシエさん、私のことが見える?」

「見え……はしてるけど……」

 そう言うと患者の目元が潤んだ。これ以上はまずいと思ったエイルは、慌てて患者の手を握った。

「もう大丈夫だよ。私がいるからね」

「ありがとう……」

「何があったの?」

 エイルは出来るだけ優しい口調で問いかけた。患者はエイルよりも年下の女の子だ。

「あのね、本当に私の目が見えなくなる夢を見て……いつか本当にそうなるんだって思うと怖くて……」

「そっかそっか、怖かったね。よしよし」

 エイルは患者の頭を撫でた。そして手を握ったまま、患者と雑談をし始めた。きっと、また患者が眠れるまで傍らに居続けるつもりなのだろう。その様子を病室の外から見ていたシールは、少し悲しげな顔をした。



 ある日の昼下がり、事務室に入ってきたエイルを見て、看護師達は驚いた。

「え、エイルさん、どうしたんですか?」

「休暇とったの?」

「ううん、違うんです。少し個人的な理由があって」

 エイルはいつもとは違い、看護服ではなく私服を着ていた。

「へえ、似合ってるじゃん。いい感じだよ」

「そうですかね? ありがとうございます」

 そう言い残すと、エイルは二階へ向かった。階段でシールと鉢合わせ、シールも例に漏れず驚いた表情をした。

「あれ、私服でどこいくの?」

「三〇五号室です」

「三〇五……そっか」

 エイルの返答を聞いて、シールは納得するとともに寂しげな表情をした。

「公私混同……かもしれませんが、これが私にとって唯一のプライベートであり、仕事の一環です」

「そっか……」

 明らかに肩を落としたシールに、エイルは笑いかけた。

「大丈夫ですよ。心配しなくても」

「そう……ね。行ってらっしゃい」

「はい」

 シールはすれ違いざまにエイルの背中を軽くポンと押すと、事務室へ戻っていった。エイルはそのまま階段を上っていった。



 三〇五号室。そのドアを開くと、窓の外を眺めていた少年がエイルのほうを振り向いた。

「来たよ、リオン。気分はどう?」

「ぼちぼちかな。私服、似合ってるよ」

「ありがと」

 エイルはベッドの横に腰掛けると、リオンの手を取った。リオンはエイルの幼馴染で、「雪花病(せっかびょう)」を患っていた。「雪花病」は、患者の感情に大きな変化があると、患者の体の周囲に幸のように白い花が咲くという「奇病」だ。その花は、咲く瞬間と、咲いてから持続的に患者の生命力を奪っていってしまう。

 エイルがリオンの手に触れたことで、咲いていた二輪の花が綺麗に散った。白い花びらが宙に舞う。

「久々だね、こうして幼馴染として話すのは」

「うん。本当に久々」

 前日、三〇五号室を訪れたエイルにリオンは、「明日、二人で話がしたい」と言ってきた。エイルには、リオンが自分を呼んだ理由がわかっていた。リオンだけじゃない、一部の患者がこうしてエイルを呼び出すときは、大体決まっている。

 それでも、リオンはエイルにとって特別だった。だからこそ、幼馴染として会いに来たのだ。患者と看護師としてではなく。

「エイルには色々迷惑かけたね」

「ほんとにその通りだよ。いつも私が後始末担当じゃん」

「あはは、反省はしてるよ」

「別にそこまで気にしてないけどね」

 エイルの脚に花びらが乗った。これまでに比べて、大きな花びら。「雪花病」の花の大きさは、感情の大きさに比例する。

「なんでこんなに大きいのを咲かせたの?」

「そうだね……後悔、かな」

「……そっか」

 彼女に多大な迷惑をかけたという後悔。もっと一緒にいたかったという後悔。本心を伝えればよかったという後悔。色々な後悔が募って、大きな花を咲かせた。

「全く、悟った後に後悔で時期を早めるなんてどれだけ馬鹿なの?」

「返す言葉もございませんね」

 リオンは起こしていた上体を倒すと、エイルの方へ顔を傾けた。

「ねえエイル。僕は、患者の一人かい?」

「どうだろうね。少なくとも、〝普通の″患者の一人だったら、こんなことしないよ」

 そう言うと、エイルはそっとリオンに口づけをした。

「ありがとう、エイル」

「こちらこそ、ありがとう。リオン」

 リオンの目は閉じ、手はエイルの手の中から抜け落ちた。

 「奇病」を患った患者が、普通の人としての最期を迎えられるように、その瞬間に傍にいて、触れていてやること。それが、エイルの仕事の一つだった。

 これまでにも何人かを送り出してきた。さすがに今回も同じだとは思っていなかったが、それでも、予想をはるかに上回る悲しみと喪失感が、エイルを包んだ。

「……」

 エイルは立ち上がり、いつの間にか頬に流れていた涙を拭うと、リオンに向かって微笑みかけた。

「おやすみなさい、リオン」



 ここは宵影病棟。現代医学では解明できない、治癒できない「奇病」を患った患者が収容され、〝普通の人としての″最期の時を待つ病棟。

 今日もまた、彼女を呼ぶ声が聞こえる。

「エイルちゃん、一一四号室、行ってくれる?」

「一一四……「失情病(しつじょうびょう)」のアランさんですね。行ってきます」

 今日も、天使は病棟を駆け回る。


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