転生失敗
目を開けると、形容し難い眩さが辺りを覆っていた。
太陽を直視した様な光であるにも関わらず、何処か暖かく優しい光で、包み込まれる様な感覚を覚える。
「ほっほっほ。目を覚ましたかの?」
凛とした、それでいて朗らかな声が耳を優しく撫でる。
声の主を探すと、長い髭を蓄えた優しい目をした老人が、お茶を啜りながらニコニコと此方を見ていた。
一目で神だと分かった。見た目や声もそうだが、その体から発せられるオーラの様なものを、本能的に感じ取ったのだ。
そこへ来てやっと自我を取り戻した。
寝惚け眼を擦って、辺りを改めて見渡す。
青々と茂った草木にチョロチョロと心地の良い音を奏でる小川、金木犀の香りが花を突き、虫の羽音さえも美しい。
此処は……何処だろう。
そんな疑問もこの風景を見るとどうでも良くなってくる。
直前まで何をしていたかも、覚えていない。
そして自分が誰であるかさえ、思い出せない。
「ふむ。酷く混乱しておる様じゃのぅ。
悪いことをした。さぁ、こっちへ来い」
神(仮)は手招きをして、俺を呼ぶ。
意志では思考さえ危うい状態にも関わらず、
体は本能に従ったのか、神の命令に逆らわずに素直に、それでいて意志に反して動き出した。
神の前に置いてあるテーブル、もといちゃぶ台の向かい側に座ると、神は品定めする様に俺を見た後、深くため息を吐いた。
「ふぅ……いつもなら、こんな事は起こらないんだがのぅ。 アレは不注意じゃったわい。
ショックで記憶を失っておる様じゃが、一応、事の顛末を話しておこう」
その話は実に呆気なく、実に実感のない話であった。
俺は神の不注意で雷を直撃させてしまい、焼け死んだ事。
いつもなら死んでも天界に送るだけだが、不注意で殺した為、なんか申し訳なくなって呼んでみた事。
でも、呼んだところで特にする事が無くて気不味い事。
その他、神は暫く人間の悪行に愚痴をボヤいた後、再び深いため息を吐いた。
その顔は開き直った子供の様であり、覚悟を決めた老人の顔でもあった。
「と、言うわけじゃ。という訳で、お主にはチート能力を持たせて、異世界に転生を――」
異世界転生。
近頃……と言うよりは少し前から世間では大流行りの小説やアニメのジャンルの一つだ。
その多くで主人公はチート能力を得て、ハーレムを作り出し、欲望を曝け出して生きていく、
痛快で、童心の頃を思い出し、年甲斐も無くワクワクさせられるジャンルだったはずだ。
異世界転生という情報を皮切りに前世の記憶が蘇ってきた。
二十歳でフリーター。
大学受験に失敗して部屋に引きこもり、ラノベを漁りに近くの本屋へ行ったり、アニメを見たりして暮らす、唯の若者だ。
今日も今日とて本屋へ行き、ラノベを漁る予定だったが、急遽天候が悪化。橋の真ん中で雷に打たれて意識を失った。
そして目が覚めたら見知らぬ天井、ではなく見知らぬ光景だった訳だ。
「異世界転生ですか!? 俺にも運が回ってきたんですか! よっしゃぁ! 遂に愛しの相手とチュッチュ出来ちゃう世界に――」
「させようと思ったんだがのぅ……」
…………は? 思った? え?
「よくよく考えてみてくれぃ。
お主らってさ、儂が作り出した訳じゃん? で、その創作物の一個を壊してしまった所で、儂が謝る必要無くね?」
コイツ……一体何を……?
「お主らもそうじゃろう? 例えば粘土細工を作りあげて、こりゃ傑作だ! って棚に置いてたら、肩が当たって落としてしまって、バラバラに割れたとしても、
そん時はやっちまった! とか、 クソ、マジかよ!
とか、思うじゃろ?
でも翌日には仕方の無いものとして作り直すじゃろう。
それじゃよ。 罪悪感で儂はお主を呼び出した訳なんじゃが、冷静に考えればお主って創作物じゃん? しかも数十億分の一じゃん? なら別に良いかなって」
え、俺の異世界ライフは? チーレムは?
モフモフな獣人は? 美しいエルフは?
「と言うわけじゃ。お主はこのまま天界に送って記憶を消してもらうわい。 じゃ、またの。今度こそいい人生を送るんじゃぞ」
おい、待てよ! 俺、死に損じゃねぇか!
何のために生きてたんだよ! やりたい事だって、まだまだ有ったんだよ!
頼む! 生き返らせてくれるだけで良いんだ!
お願いだ! まだ、母さんにも、父さんにも、彼女にだって別れを告げられてないんだよ!
それだけ言わせてくれ! 頼むよ!
「……全く、さっきまでチーレムなどほざいて、家族など眼中になかったでは無いか。だから儂は人間が嫌いなんじゃよ」
神がそう呟くと、俺の意識はゆっくりと掻き消されていった。