日常は去りゆく〜生援部の活動〜
「3年生各生徒に連絡します。特進を含め全員、今すぐ体育館に集まるように。繰り返します。3年生は特進を含め...」
突如ノイズ音が鳴り、強ばったやや低めの、高年齢を思わせる声でその放送は流れた。年配の男性で、しかもこの力強い特徴的な声は思いつく限りこの学校には1人しかいない。教頭だ。教頭が3年を呼び出す理由なんて1つだろう。近々3年は卒業の頃だ。おそらく卒業式のリハーサルでもやるんだろう。普段は別棟に居て、基本接点のない特進でさえ呼ばれたのもその為だと思う。
しかしなんだ、別に3年生との関わりがあったわけじゃないし、思い入れがあったわけでもないが、そろそろ卒業と思うとどこか胸に詰まるものがある。
いや、これは寂しさとは少しばかり違うだろうな。多分これは...そう、次に3年生へと上がるのは自分たち2年だからという不安とプレッシャーからだ。
最上級生、学校の顔、責任重大...などという名目や言葉を並べられるとやはりプレッシャーも大きい。不安が膨らむのも無理はない。
だがまぁ、こればっかりは仕方ない。避けに避けられない事情だ。さすがにそれを理由に留年はしたくないしな。
「...とまぁ、次期3年生となることへの心情を口にしてみたはものの、お前はどうなんだ正和」
俺の座る席の前で、長机を挟み、椅子に腰掛けて本を読む眼鏡の男子生徒に問い質す。
するとそいつは、親指を栞代わりにして本を閉じ、俺の方に顔を上げて答えた。
「僕か?僕は...そうだね、まあ不安とかも勿論あるけど、プレッシャーは無いかな」
「そうなのか?」
「だって基本この高校では他学年にはあまり接点ってものがないだろ?特に特進とは」
「なるほど、確かにな。だから変に他学年を意識してプレッシャーを感じることはないってわけか」
俺がそう言うと、正和は頷き返した。
この眼鏡の青年の名前は坂口 正和。同じ部活に所属していて、クラスも同じ2年B組だ。正和は小学生の頃から一緒で、家も近所という、所謂幼馴染みってやつだ。正和は成績優秀、眉目秀麗、スポーツ万能というハイスペックを持ち、まるで漫画の主人公のような奴なんだが、1つ欠点を挙げるとすればそれは、変なところで几帳面だということ。まぁそれ自体はいい事なんだが、こいつが勉強とか色々とできるのも、「分からないが嫌」なんだそうだ。とにかくこいつは、分からないことがあれば周りを巻き込んででも知りたいという、少し厄介な性格面を持ち合わせている。
それに相反して俺は、成績優秀でもなければスポーツだって不得意な方だ。極一般に言う「普通」の分野に入ることは誰の目から見ても明らかだろう。名前だって田中 真也ってわりと普通だし。特徴を挙げるなら、昔から少し勘が働くってことくらいか。なんにせよ使い所は特にない、持つ意味を持たないものだ。昼休みにこうして部室で2人、他愛もない話をしたりするのも、正直暇だからとしか言いようがない。
俺たちの部活は少し変わってて、名前を生徒会援助部と言うが、普段は省略されて生援部と呼ばれている。
この部活の趣旨は部活名の通り、生徒会の手伝いや、生徒たちの悩み相談と言ったボランティア活動をメインとした、言わば雑用係のようなものに近い。だがやはり、馴染みのない生徒に悩みを打ち明けるほど心を全開にした矛盾ある高校生はなかなか居らず、大抵が暇である。
「この部室も、もはや俺たちの溜まり場とも言えるな。おかげでいつも暇だ」
「まあ相談者が多く来るよりは良いけどね」
「そうだな。...俺の場合忙しいより暇でありたいから、正和とは要点は一致するがプロセスが真逆って言える」
ニヤけ面の俺を見て、正和は苦笑いで言う。
「真也、それは一致って言うのか?」
「さぁな。主観的な問題だ」
自分の悪点を強調する言葉とは裏腹に、正和の、相談者がいないことは平和であるという誠意ある言葉にはいつもながら感心する。
知る限りこいつくらいだろう、根からそういう言葉が出るのは。
「それにしてもやっぱ、することがないってのは退屈だな」
「そうだね。一応僕は読書っていう逃げ道はあるけど、これも継続的に読めるわけじゃない。さすがにずっとは読み疲れる」
そう言い正和は、一度本を閉じた。椅子の背もたれに深くもたれ掛かり、目の間の付け根を右手人差し指と親指でつまむ。集中して目が疲れたのか、目を擦ったり何度か強めに見開きしたりと、ストレッチのような動作を繰り返していた。
「ここ最近、全く相談が来ない。そんな日が長く続くに連れてこの部活動のある意味を感じなくなってくる」
呟くように言うと、正和は体制を戻し返答した。
「そう言われるとそうかも。一応生徒会って言う、学校の中心の補佐って役割だしね」
ふむ、生徒会補佐...ねぇ。どうにかして活躍の場を作る方法はないものか...。
俺は考えてみた。だがそれを思いつくのに時間はかからなかった。ふと頭にある事柄が浮かぶ。
「なぁ。役割がないなら、俺たちで探すってのはどうだ」
正和は不思議そうに軽く首を捻らせ訊いた。
「探す?」
「そう。校内を回ってボランティア活動だよ。どうだ?少しは暇を潰せそうじゃないか?」
その発案に正和は、相槌を打ち答えた。
「なるほど、生徒会らしく校内を巡回して、こっちから活動目的を探すってことか。一理ある」
「じゃあ早速するか?この昼休みが終わる前に」
「そうだね、丁度予鈴が鳴れば直ぐ教室に戻りやすくなる」
そう言うと2人は、椅子から立ち上がり、出口のドアの方へと駆け寄った。
しかし、正和がドアハンドルに手を掛ける直前にドアは開いた。当然だが自動ドアなわけじゃない。案の定開いたドアの前には人が立っていた。どうやら相手側も驚いたらしく、少し目が見開いていた。
見た目からするにこの学校の男子生徒のようだが、身長は、ほぼ同じくらいの俺と正和に比べて頭1つ分は低い。
その男子生徒はすぐさま慌てた様子で頭を下げて謝ってきた。
「す、すいません、驚かせてしまい。まさか開けた所に居るなんて思わなくて...」
それには正和が対応した。
「いや、こっちこそ、人が来るとは思ってなかったから。大丈夫?怪我はない?」
「あ、はい。大丈夫です」
だが俺は正和とは違い、わりと素っ気なく対応した。
「それでどうした、俺らに何か用か?相談事なら訊くが」
まるで相談事以外は一切受けつけないとでも言わんばかりの言い回しに、少し察したのか、正和は俺を見て頬をやや引き攣らせていた。
しかし要件はどうやら相談事の方だったらしい。そいつは自己紹介を最初に、話始めた。
「あ、僕、1年A組の島田です。この生援部のことはこの前友達から聞いて。それでなんですが、実は僕、ある事件で疑われてて、先輩たちには僕の無実を証明して欲しいんです」
「え?無実の証明って、俺らがか?」
「はい。お願いできますか...?」
俺と正和は、お互い顔を見合わせ、少し間が開いた。だが状況の整理と言うか、物事の順序がハッキリしていない分、どうすればいいかが見えない。
そこで正和が一手に出た。
「と、とりあえず、先にその事件について訊いてもいいかな?ひとまず中に入って。話はそれから訊くから」
「あ、はい。分かりました、失礼します...」
そう言うと島田は、室内に入り、後ろ手にドアを閉めた。
俺と正和は隣同士で、長机を間に島田と向かい合わせに座った。
「じゃあ早速、その事件ってのについて教えてもらおうか」
俺がそう言うと、正和は俺に向き、島田には聞こえるか聞こえないかくらいの声量で言った。
「なんかその言い方じゃ取り調べみたいにならないか?」
「そうか?普段通りのつもりだが」
「真也の普段通りが、そもそも強気なんだよ。相手は後輩なんだし」
「それこそ主観だな」
「いや、これに関しては何人もがそうだって同意しそうだけどね」
なら俺にどうしろと...。そう内心で思ったが、声に出す前に島田の声で止められた。
「あのぉ、始めても良いですか?」
「え?...あ、あぁ。すまない、始めてくれ」
ぎこちなく引き攣った笑みで俺はそう返した。それに続き正和も答える。
「うん、ごめん。...それじゃあまずは、その事件の概要から説明してもらおうかな」
「はい。ではまず事件の起きた日から説明します。事件が起きたのは、一昨日の昼のことです」
机に軽く両手を置いた、島田の表情が引き締まるのが分かる。ここからは真剣な話と言うことだろう。
話は、2日前まで遡る。
一昨日の昼、2月6日木曜日。
ここ数日、冬の終わり目にしては少し肌寒い環境が続いた。予報では明日から少し暖かくなるそうだが、その気がしない。そんな日だ。
1年A組。昼休みのこの教室はいつも人集りで賑わっている。それもそのはず、1年A組には学年一の人気者、武田 幹人がいる。
成績優秀は勿論、眉目秀麗スポーツ万能、この高校に2人以上もの完璧有能キャラが居るとは、高いスペックを持つ逸材が居ると誇る高校として、名高くなる可能性だって否定はできない。だが有名になればの話だが。
しかしそんなクラスで突然、事件は起きた。
「え...あれ、なんで、私の香水がない!」
突如聞こえたその声は、直前まで騒がしかった教室中を、直ぐさま静まらせた。
声の主はA組の女子、井上 咲子。教室の後方にあるロッカーで、数人の女子が井上を取り囲みザワついている。
それに倣えで、周囲の男女もその場に引き寄せられるように向かい、忽ち人集りの中心は井上のロッカー前となってしまった。
何故急にそんなにもの人が集まるのかと、理由は井上が武田と仲が良いというだけで十分に分かる。突然の高い声のトーンで、事件の匂いをさせる言葉を発したというのもそうだが、それに踏まえて武田の登場だ。辺りは一瞬にして高校生一色になるのも無理はない。それだけ武田の影響力は大きいと言うことだ。
「どうした、咲子。何かあったのか?」
井上の傍に駆け寄った武田に、今にも泣きそうな、困り果てた表情で答える。
「幹人。無いの...、お母さんに貰った大事な香水が、無いのよ」
「無いって...盗られたのか?」
「分からない...でも、確かにロッカーに仕舞ってたはずなのに...」
余程大事だったのか、とうとう涙をこぼして泣き崩れてしまった。その肩を武田が支え、周りに居た数人の女子が井上を宥める。
「大丈夫?咲子」「もう1回他の所も探してみよ?」「探せば見つかるかも」
そういった声に少し元気づけられ、右腕で目を擦り、涙を拭った。そして立ち上がると、何人かの女子に軽く支えられながら、開いていた後ろ扉から教室を出た。おそらく顔を洗いに行ったんだろう。
その場の空気は少し硬直した雰囲気を漂わせる。誰かが泣いた後だと、やはり皆の口数も減る。沈黙が少し続いた。
最初に言葉を発したのは、やはりクラス一の優等生、武田 幹人だ。
「とりあえずさ、もし誰か咲子の香水間違って持ってたりするんなら、問題にしないから素直に名乗り出て欲しい。勿論怒りだってしない」
その言葉に反応した者は当然のことながらいない。もし犯人が居た場合、この時点で出れば間違いなく故意だと分かる。つまり集中砲火を食らう可能性があるわけだ。
少しその場で空気同様に全員が固まるが、やはり数秒経っても誰も反応する者はいない。言葉を発してもザワつき程度で何を言ってるかは聞こえない。
だがここで、その空気に耐えかねたのか、武田が行動に移した。
向かった先は教壇。全員の視線はそのまま武田へと変わらない。
「みんな、これは変に疑わない為でもある。今から言うことを聞いて欲しい」
何が始まるのか、その言葉の意図は分からないまま、少しのザワつきを残し、全員が聞き入る体制へと入る。
「これからみんなの持ち物を調べさせてもらう。それで誰が持ってるかを探す」
突然のその提案に、再びザワつきは大きさを増す。そして何人かが武田に対し訊く。それぞれ内容は同じものだった。
「なんでそこまでする必要があるんだよ」「いくらなんでもやりすぎだろ」「なんでそこまで疑われないといけないんだ」
どれも正論と言えば正論だが、中には納得する者も居ただろう。何故なら武田は井上に惚れている。つまり、好きな人の大切な物が紛失したことへの怒りは、この中の誰よりも大きいはず。
「頼む。なんとかこの頼みを聞いてくれ」
どこか寂しげに、しかし力の篭もったその声は、声を荒らげていた者たちの落ち着きを取り戻した。
「分かったよ...」
数人の若干力ない返事に、ありがとうと一言返すと、武田は全員を教室の中心へと、円を作るように集めた。
そして武田は一人一人を見て回っていく。
全員自分の学校カバンを持ち、中が分かるように開く者も居れば、開けずに順番を待つ者も居る。
そしてその周回は、丁度半分を過ぎた所で止まった。
「なんだ、この匂い。香水の匂いがするけど、しかもなんかどこかで嗅いだことのある匂い....まさか、お前が香水を盗んだのか?」
武田がカバンを開け、開いた中を覗き込み確かめる。
「ち、違う。香水なんか付けないし、それに...こんな匂い、知らない!」
そう答えたのは、1年A組の目立たない存在、島田 武尊だ。
「お前、本当はどこかに隠し持ってるんだろ?ブレザーも脱げ、確かめる」
「違う、僕じゃない!」
必死に抵抗するも、周りに呼びかけた武田の指示に従い、数人の男子が島田を押さえつけた。そして強引にも着ていたブレザーを脱がせる。
「...ない、な。...いや、だがおかしい、この匂いは確かに咲子の香水の匂いだ。絶対にお前が犯人だ。言え、どこにやった」
武田の表情は、いつもは優しい表情とは異なり、血相を変えてやや興奮気味だった。
「だ、だから、僕は知らないって...!」
島田は激しく首を左右に振るが、武田の表情からは、全くと言っていいほど信用されていないことが伝わる。
「お前がやったんだろ?違うってんなら証拠を見せろよ」
「そんな無茶振り...無理に決まってる...」
島田は少し目を潤ませた。その反応を見た武田は、漸く正気に戻ったのか、一つ深呼吸をして落ち着かせた。そして、
「なら、猶予をやる。自分はやってないって言うなら、今週中に、犯人を見つけて来い。ちゃんと納得させる証拠も一緒にな」
一先ずこの場は抑えられたからか、島田はどこか安心めいた様子で肩を落とし、不安気な表情は変えず、少し溜息を吐いた。
「どうしよう...、どうしたら良いんだ」
そう呟きながら、島田は居心地の悪くなったA組を抜け出した。
「...と言う感じなんですが、結局犯人は分からず、どうしたら良いかも分からないんです...」
「なるほど...」「ふむ...」
例の事件について訊き終え、生援部の部室で後輩を前に唸る2人が居た。
俺と正和は、その事件について考える。
すると正和は、顎に当てていた右手を離し、訊いた。
「とりあえず、変に思ったことはないかな?例えば、誰かの言動がおかしかったとか...」
俺はその問いに、横から付け加えるようにして訊いた。
「特にその、武田ってやつ」
「んーと、確か、何かあった気が...」
数秒間が開き、島田は記憶を巡らせ、思い出そうとする。すると、
「あ、そう言えば...」と、思い出し話す。
「僕のカバンを開けた時、なんか戸惑ってる様に見えました。そんなはず、とかなんとかって呟いてて...」
「なるほどな」
俺がそう言うと、隣から正和が俺の顔を覗き込むようにして訊く。
「何か分かった?」
「まぁ、おかしな点がいくつかあることには気付いたが、まだ真相には辿り着けてない感じだな」
「え...分かったんですか!」
椅子から勢いよく立ち、驚きの表情で、声量を上げてそう訊く島田に、俺はやや怒り気味に答えた。
「だからまだ真相は分かってないって」
強気に言ったせいか、島田は顔を引き攣らせ、少し頭を下げて謝り、縮こまるようにして再び座った。
だが、そのおかしな点...いや、矛盾をハッキリさせるにはまず、確証が欲しいところだが、それには1年A組の面々に訊かないとだな...正直面倒臭い。
俺は一つ深い溜息を吐き、椅子を立った。
「どこか行くのか?真也」
「あぁ、ちょっと1年A組にな。二人共来てくれ、特に島田、お前はな」
「あ、はい」
「分かった、何するかはなんとなく想像がつくし。でも昼休みが終わるまでに頼むよ」
笑みを零しながらそう言う正和に、俺は「さぁな」と微笑を浮かべて返した。
俺たちの向かった先は、1年A組の教室。
二階にある1年A組の教室は、すぐ近くにある生援部の部室からは、話に聞くほど人集りで賑わっているほどの賑やかさは聞こえない。行ってみると、盗難事件ということで色々とぎくしゃくとしているからだろうか、教室中の雰囲気も、どこかどんよりとした暗い感じがする。
その様子を後ろ扉から覗き確かめ、俺は呟いた。
「やっぱりか。てことはこれで一つの確証は得た...次に情報収集だな」
その言葉に、隣にいた正和が反応する。
「と言うと、何か分かったのか?」
「まあそれも含めて、全部まとまったら話す」
不満げに、眉間にシワを寄せる正和を無視し、俺はA組前の、廊下窓の傍に居た島田を見る。
「島田、お前には一つ頼みがある」
「なんですか?」
「その騒ぎがあった時、周りに居たやつらに、武田の様子がどうだったかを詳しく聞いてきてくれ。あと、何故井上がロッカーに行ったかもだ」
「わ、分かりました」
何故か焦るような口調で答えた島田に違和感を覚えたが、特に気にすることもなく、A組の後ろ扉へと向かう島田を横目に、俺もA組の方へと向き直る。
しかし、その動作は直ぐに意味をなくすこととなった。
パリンッ
突然、付近の校内中に鈍く響き渡る、ガラスの割れたような大きな音が、周りに居た人の視線を窓の外へと引き付けた。それに続き俺と正和と島田の3人も、開いていた傍の窓から身を乗り出し、音のした真下の1階を覗き込んだ。
するとやはり、真下の1階の窓が割れていて、既に周りには数人の生徒が集まり始めていた。
「なんだ、急に。誰かボールでもぶつけたか?」
「分からないけど、何かをぶつけられて割れたのは確かなようだ。ほら」
そう言って正和は、割れたガラスの前を指差す。
「もし内側から割られたんなら外に破片は多く散らばってるはずだけど、あの量はどう見たって少なすぎる。ということは破片の多くは内側にあるってことだ、つまり...」
俺はその解説を途中で遮り、言葉の主導権を俺へと変えた。
「つまり、怪奇現象か自然現象じゃない限り、外からの圧力では割れない。だから誰かが外から故意に、何かをぶつけて割った、って言いたいんだろ?」
「う、うん、まぁそうだけど...横入りは止めてくれないか?」
引き攣った表情を浮べ、正和の迷惑そうな心境がよく分かる。
「お前の説明の手間を省いた。さらに言えば俺も理解してる為、説明は不要だという、説明される無駄な時間の削減にもなる」
ズバリと言ったが、どうやら正和はお気に召していない、と言うより最後まで言えずスッキリしないというような感情だろう。軽く目を逸らし、遂には体ごとそっぽを向いた。これは...間違いない、拗ねている。プライドが高い正和には、よくある行動だ。
すると横に立っていた島田が、俺に尋ねた。
「どうしてわざとだって思うんですか?」
「この高校は校庭がやけに広い。だからこんな中庭でキャッチボールとかはしないだろう。しかも壁あてをするほどの面積でもないこの校舎に向かって、わざわざ壁あてをするのも変だ。つまり、あの窓を狙ったかは知らないが、窓を割ることを狙いとしたのは間違いないってことだ」
島田は、なるほど、と言いながら軽く相槌を打つ。すると、
「じゃあ先輩、僕ちょっと見てきます」
「え、なんでだよ。特に関係もないだろ?」
「なんか気になるからですよ。それに、そこにもしあの時居た人がいたら丁度訊けますし、手間が省けるでしょう?」
そう言いながら島田は、止まる様子もなくA組横の中央階段を駆け下りて行った。
「ったくあいつ...」
そう呟く俺を見て、そして駆け下りて行く島田を眺めながら正和が口を開いた。
「まぁ好奇心旺盛な年頃なんだろうし、仕方ないよ。その気持ち、僕には分かるからね」
そう言えばこいつも、気になればとことん追求する性格だったな...。
「まぁいい。それよりお前には、井上と仲のいい女子をあたって来て欲しい。それで井上と武田の関係について聞いて来てくれ」
正和はその頼みに頷き返し答えた。
「分かった。依頼だし、僕も何かしないとね。けど、真也は何の役割を?」
「俺は島田を見張る」
「え、見張る?」
その言葉に意外性を感じたのか、正和はどこか不安気な表情を浮かべた。
この状況、島田には不審な点がいくつかある...それを理解するには、まず疑い見張るしかない。
俺は軽く頷き、答える。
「あぁ。...まぁとにかく、後のことは頼んだ。俺も島田を追って下に行ってくる」
島田の後に続き俺も、中央階段を足早に駆け下りた。
階段を下りるとそこは、割れた窓に数人の生徒が屯していた。割れた音を聞きつけ、気になった周辺の生徒が集まったんだろう、意外にも人は多く居た。だいたいでも、20人弱は居そうだ。
「参ったな、島田がどこに居るか分からない」
困り果て、頭を軽く掻く。だが直後、多かった人数も、忽然として減り始めた。理由は、ダンボールと箒、そして黒いビニールテープを持った先生が駆けつけたからだ。そして、教師の介入によりその場の収集はついた。
「ほら君たち、危ないから離れなさい」
何度か繰り返されたその言葉に、反応した生徒たちが、次々とその場から離れていく。最後になって漸く、少なくなっていく人の中、島田を見つけることができたが、何故か割れたガラスの傍でしゃがみ始めた。
「ほらほら、君も早くどきなさい」
そう言われ島田は、軽く頭を下げ、慌ててその場を離れた。すると、階段下に居た俺と目が合い、少し戸惑ったような様子を見せたが、直ぐにこちらへと駆け寄った。
「先輩も来たんですね」
「まぁな。それよりなんかあったのか?随分と人が多かったようだが」
「それが、何で割られたか分からなかったそうで...」
俺は、軽く首を傾げ訊いた。
「分からなかったって...近くにボールとか落ちてなかったのか?」
「はい、なので、急に暖かくなったことによる気圧の変化だろうとかって周りは言ってましたが、さすがにそれはないと思いました」
俺は、微笑を浮べて話す島田を見て、その不思議な事件に興味を惹かれていた。
「なるほどね、それは気になるな...島田、先に教室に行ってさっき頼んだことやっといてくれないか。俺はちょっと割れた窓ガラスを見たらすぐに行く」
俺も正和の追求症が移ったか、この不可思議な事件が変に気になり始めた。
「分かりました」と答え、中央階段を上っていく島田を見送り、俺は先生が作業する、割れた窓ガラスへと向かった。
そこには、箒で掃かれている途中だが、まだ少し散乱しているガラスの破片があった。
ちりとりを見ると、かなりの数の破片が入っている。
たかだかガラス一枚の一部分で、こんなにも多いものか...?
さらに、その場から1m半は離れているが、足元には3センチ程のガラス片が落ちていた。
ここまで飛び散ってる...わりと強めに割られたのか...
俺はその破片を何気なく拾い上げた。すると、何か仄かにする甘いような香りが鼻につく。
「なんだ...何かいい匂いがする...」
その正体がなんなのかは分からないが、何か引っかかる。
俺はブレザーの右ポケットからハンカチを取り出し、開いてそのガラス片を挟んだ。
少しでも気になるものは、分かるまで掴んでおくものだ...持論だがな。
そして、また同じ右ポケットに仕舞うと、中央階段へと向き直る。
さて、A組に戻るか、情報収集の成果を知りに。それである程度の推測はできるはずだ。
俺は階段を上り、2階の1年A組へと向かった。しかし上るスピードは普段よりは遅めで、階段を上る最中、俺は顎に右手を当て考える。
もしこの事件の真犯人は、島田に何かしらの恨みがあるんだとすれば、今こうして俺たちが関わっていること自体おかしい。まぁもし真犯人が、俺の思ってるあいつだとすればの話だが...。とすると、真犯人の狙いは復讐じゃない、もっと別の何かだ。一体それ以外どんな理由がある...。
だが考えは考えのままで終わり、結論に到達することなく階段は上り切った。
真っ直ぐ進み、そのまま左へと曲がったところで、一瞬の事だったがハッキリと分かる。顔見知りと鉢合わせた。突然のことで驚き、拍子に一歩後ろへと退いた。らしくなく、自分でも意外なほど低めの、しかし声量の大きい、腹から出すような声が漏れる。
「うおっ...!びっくりした...お前か正和。驚かせるなよ」
そこには俺の反応を見て、必死に笑いを堪える正和が居た。
「くくっ...真也のそんな驚いた顔、久々に見たよ...これは良いものが見れた、いや本当に...」
「馬鹿にしやがって...俺の驚く顔がそんなに面白いか、まったく」
考えに集中して、警戒心を怠っていた。普段ならこんなことはないが、急なあまり油断を見せてしまった。物珍しさに正和が笑止している。日常で基本、俺が馬鹿にする立ち位置のはずだが、これは避けるべき事態なのに、不覚だ。
ふと脳裏に、過去の記憶が滾るように蘇る。
小学生の頃、あまり高いところに行ったことがなかった俺は、遠足で渡った吊り橋で高所恐怖症を発症した。それからというもの、暫くの間正和には馬鹿にされ続けた。それも、普段の俺のキャラにそぐわない意外性と物珍しさからだろう。それ以来俺は、正和に油断など見せることはなかったが、しまった、これはまずい。
...いや、待て。まだ対処する余地はある。
未だに笑止する正和を見て、俺は
「随分とドツボにハマったようだが...はて、弱点はお前にもあったと思うが?」
「ん、何かあったか...あっ」
どうやら正和も気付いたらしい、さっきまで満面の笑みを浮かべていた表情は、引き攣った苦笑へと変わっている。
「な、なんのことを言ってるんだ?僕に握られて困る情報なんて...」
だいぶ戸惑った様子だが、否定してくることは想定の範疇だ。
「良いのか?俺のネタは多く見積っても数人、仲のいいやつにしか効果がないが、お前のは知らないやつでも感情移入を起こしそうな代物だと思うが」
「...何が、言いたい?」
ぎこちないその反応に、俺はニヤリと笑う。
「つまりは、持ってる情報の大きさは、言いふらされて困るかどうかだ。俺のは他人が興味を示すものじゃない限り効力を持たない。だがお前のはどうだろうな?...と、言ってるまでだ」
これだけで十分脅しに至る。苦々しかった笑みすら表情から消えた今では、正和の動揺は状況を知らずとも分かる。効果は覿面のようだ。これで少しは大人しくなってくれたら良いが...。
正和への脅しの材料とした内容は、中学の頃正和が好きだった女子に告白するも、玉砕したっていう黒歴史だ。これを言いふらされるのは、それをきっかけに今の地位に上り詰めた正和にとっては死んでも嫌なことだろう。
ん、そう言えば...
「正和、何か用があったんじゃないのか?A組から離れて行こうとしてたってことは」
苦さを帯びた表情は、俺のその言葉で一瞬にして普段通りへと切り替わった。
さすが優等生、切り替えの速さだけは速い。
「あ、あぁ...そうだった...真也に頼まれてたこと、訊いて来たよ」
「それでどうだった」
記憶を辿るように、正和は話始める。
「どうやら武田と井上の2人は幼少期からの幼馴染みらしい。それで聞いた話によると、親の決めた許嫁同士なんだってさ。しかも両想いらしく、かなり羨ましがられる存在だったみたいだよ、あの2人」
ふむ、どうにも動機が見えてこない。これじゃ寧ろ真犯人の線が薄れるな...どうしたものか。
すると、中央階段の上から2人の男子生徒が降りてくる。何かを話しているようだが、会話までは聞き取れない。だが様子が何か変だ。右の男子は何やら笑みを浮かべた表情だが、左のやつは少し暗い表情をしている。これほど矛盾に満ちた表情の組み合わせは滅多にないだろう。
そこに、A組側から誰かが走ってくる音が聞こえた。その音の主は直後、俺たちの目の前で止まった。
「うお、びっくりした...!先輩たちこんなとこに居たんですか...って、何やってるんですかこんなとこで」
正体は島田だ。どうやら情報収集を終えて俺たちを探しに来たらしい。
「いやまぁ、たまたまここで正和と会って...ん?お前、それどうした」
俺は島田の右手を指さした。人差し指が赤紫に腫れている。
「あ、これはさっきドアで挟んじゃいまして...」
「大丈夫か?どれ、見せてみて」
正和はそう言うと、島田の右手を、人差し指に触れないように手に取る。
俺の目の前を横切る島田の右手からは、どこかで嗅いだことのある、甘い匂いがした。
これは、まさか...
「これくらいなら放置してても2日で完治すると思うけど」
「そうですか、それなら良かったです。ありがとうございます」
島田は正和から手を離すと、思い出したというような表情に変わる。
「あっ、そうだ。それより訊いてきましたよ、当時の武田の様子と、井上がロッカーに行った理由。...大変でしたよ、誰もが僕を怖い目で見るんですから」
「まぁお前が関わった事件なんだし当然だろう」
「まぁそうなんですけど...あっ...」
突然表情が引き締まり、口を閉じた島田を見て、その視線の先を辿った。そこに居たのは降りて来た2人組だ。二人共初めて見るが、島田には見覚えがあるんだろう...いや、この反応もしかして。
俺は島田に訊いてみた。
「もしかしてあのどっちかが、武田なのか?」
「はい...左の方です」
島田のその声は、さっきまでより少しトーンが下がっていた。
するとその2人は階段を下り切るとそのまま、廊下を右へと曲がり姿が見えなくなった。
「右の方は誰だ?」
「右の人は見たことないですが、多分1年じゃないと思います。1年だったらさすがに特進でも見たことあります、入学式で」
なら2年か3年だな...いや、俺はあんなやつ見たことがない。だとすれば3年...いや、待てよ、まさか...
...そうか...俺の読みが正しければ、この事件の真相もあと一歩だ。だが、あと1つ、ピースが足りない。
俺は島田に向き直り訊いた。
「島田、お前の得た情報はどうだった、教えてくれ」
やや興奮気味に訊いたせいか、島田は少し戸惑い、反応が遅れた。
「あ、はい。えーっと、まずは武田の様子でしたね。武田は直前、数名の男女に囲まれて暫く女子の化粧力について話してたそうです」
それにさっきまで大人しかった正和が、苦笑いを浮かべ反応した。
「化粧力って...男子がなんの話してるんだ」
「いえ、女子も居ましたよ。でも、話題を振ったのは武田だそうです」
「へ、へぇ、武田って変わってるんだ...」
正和の表情は一層を増し、ドン引いていた。
別にそこまで引くほどのことでもないのに、正和は根が真面目だからか、常識的なことしか通じない。
...しかし、何か違和感を感じる。
島田は話を続けた。
「話をしてる途中、武田は何かに気を取られてるのか、どこか上の空だったそうです」
俺は顎に手を当てながら、島田に訊いた。
「それはどこか一点に集中してたってことか?」
「はい、多分そうだと思いますが...何か分かりましたか?」
「いや、悪い。続けてくれ」
「そうですか、分かりました...」
島田は不服そうに答えると、そのまま続けた。
「その直後に井上の声がして、急いで武田が走り駆けつけたそうです」
やはり違和感は消えないまま、段々と蓄積されていく。しかし同時に、あと少しで全てが分かりそうな予感がする。
「えーっと、次に井上がロッカーに行った理由でしたよね。確か突然、そう言えばって言ってロッカーに向かったそうです」
待てよ、もしかするとそれは...
「それって、直前の話に、香水に関係した話は出てきてないのにってことか?」
「そうです。なのに何故か突然、ロッカーに香水を取りに行ったそうで」
「なるほどな、ありがとう」
と、すると...これである程度は見えたな。だがまだ知らないといけないことがある。
俺は島田に訊く。
「島田、井上が今どこにいるか分かるか?」
「ええと、確かさっきトイレの方に歩いて行くのを見たような...」
「ならそろそろ教室に戻る頃か」
俺はA組の前へと歩き、それに正和と島田も続く。
後ろ扉を過ぎたあたりで止まると、正和が訊いた。
「井上さんに何かあるのか?」
「まあ一つ、確かめたいことがな」
「確かめたいこと?」
しかし正和のその問いかけは、前方から歩いてくる、長髪を靡かせた女生徒により答える機会を無くした。
「どうやら来たようだ」
俺のその言葉に、島田が疑問を抱いたようだ。
「田中先輩、井上のこと知ってたんですか?」
「まあな、去年委員会が同じだった。1年に井上が二人以上いない限り同一人物だろうとは思っていたが、今歩いてくる井上を見て確信した」
「へー、真也が人を覚えるなんて珍しい。去年の委員会ってことは、文化祭実行委員?」
正和が口を挟んだ。それに俺は頷き返す。
「なるほど」
島田がそう呟いた頃、井上は前扉から教室に入ろうとしていた。それを見て慌てて声をかけた。
「あっ、井上、ちょっと待ってくれ」
その声に反応した井上は、足を止めてこちらに振り向いた。
「はい...なんですか?」
「ちょっと訊きたいんだが、例の香水は学校カバンに入れて持ってきたのか?」
少し戸惑った様子を見せながらも、井上は答えた。
「はい、あれはサイズのわりに重くて。だから一度に持てるようにカバンに入れて持って行きました...けど、それがどうかしたんですか?」
どうやら俺の考えはビンゴのようだ。さて、最後の仕上げといくか。
俺は軽くかぶりを振り、答えた。
「いや、ごめん。ガラスだと持ち運び大変だろうなって思って」
「は、はぁ...。もういいですか?友達待たせてるので...」
「あぁ、邪魔して悪い。答えてくれてありがとう」
井上は頭を軽く下げ、そのまま前扉から教室に入って行った。
そこで正和が不思議そうに訊いてくる。
「なぁ真也、なんで香水がガラスだって思ったんだ?まだ見ても聞いてもないじゃないか。もしかしたらガラスじゃない可能性もあるのに」
後で言おうと思っていたが、まぁいい、手間を省く為にもそれくらいは言っておくか。
「香水の容器は大抵がガラス製だ。それに、さっき俺が井上に確かめたかったことは、香水を常に持ち歩いてるのかってことだ。いつも持ち歩いてるなら、「いつも一度に持てるようにカバンに入れて持って行く」って答えるはずだが、あの言葉からするに例の香水を持って行ったのは事件の日だけだ。しかも、サイズのわりに重いってことは、通常の香水と変わらないサイズ、もしくはそれ以下の大きさなのに、重い。てことはそれは普通より重いガラス製の容器だからだろう。最後に確証を得る為に訊いたが、反応からするに当たりだ」
「なるほどね、そういうことだったのか。さすがだよ、真也」
長い説明もここで終え、正和の様子からは納得したことが伺える。
「でも先輩、どうしてそんなこと知る必要があったんですか?」
島田もまた、不思議そうに訊いた。しかしどこか不安げな様子を浮かべていた。
「犯人の動機を知る為...と、もう一つ。ガラスを割ったのが何かを確かめる為だ」
「え...ガラス?」
正和はどうやらガラス割り事件は関係していないと考えていたらしい、その反応からするにまだ考えがまとまっていないんだろう。
「そう。あのガラスが割られた事件はこの事件と無関係じゃない。と言うより、ガラスを割るのに使われたもの自体が香水だ」
「そ、そうなんですか...香水を。じゃあ、その時、中庭に居た人が...犯人なんですよね...きっと...」
島田は動揺を隠せずにいる。ここいらでハッキリさせておこうか...
「島田、もう分かってるんだ。香水を隠したのも、そして、ガラスを割ったのもお前だってこと」
「どういうこと...?え...島田...お前が犯人だったのか...!じゃあ今までのは全部嘘を...」
そう言う正和を、俺は慌てて止めた。
「いや待て正和。島田は嘘は言ってない。ただ、カバンに入れられてる香水を見て、それが騒ぎの原因だって知った瞬間隠したんだ。だが問題なのはそれからのお前の判断だ、島田」
「....」
島田は何も答えず、ただ俯きざまに唇を噛み締めるのが分かる。
「お前は自分が犯人だと疑われない為に、まずは香水をどうにかする必要があった。それで思いついたのが、壊す方法。ただ壊すだけじゃ疑いが晴れない。だからお前は、香水で別の場所でガラスを割り、犯人じゃない証明を作ろうとした。それには勿論証人がいる。それは常に一緒じゃなく、あまり言う通りにならない先生より、もしもの時に説明しやすく、更に万が一バレても先生よりはマシな生徒である、俺たち生援部が適任だった」
正和も段々と理解してきたようで、真剣な顔付きで聞く。しかし変わらず島田の様子は俯いたままだ。
俺は続けた。
「それで俺たちを利用する為にお前は生援部に依頼する前に、ある仕掛けをした」
「仕掛け?」
気になった正和は、不意にそう訊く。
「あぁ。ガラスを割る仕掛けだ。俺たちと居たのに一階の窓ガラスを割る仕掛け。あのトリックは、極めつけ簡単なやつだ。テグスを巻き付けた香水を、二階のA組前の開いていた窓から外側に吊り下げ、そのテグスを俺たちが来た時に掴み、香水を引き上げて離れるタイミングで香水を外側に向かって投げる。すると、窓際に付けてあったテグスの端を軸にして、香水が一階窓に当たる。それでガラスと共に割れた香水は、そのまま辺りに破片となってガラス片に混じり消えた」
俺は小さく深呼吸をし、軽く一息ついた。
「それ自体は良いが、ここで島田、お前にはとある誤算があった。そうだろう?」
「.....」
反応がない。おそらく図星...いや、誤算が理解されてる時点で当たりだと、慌てた様子で抵抗も言い返しもないのは認めてるからだろう。
そのまま俺は続けて言った。
「それは予想より人が多すぎたことだ。何で割られたか謎であることに興味を惹かれた生徒たちが大勢集まったことでお前は、証拠として必要な物を見つけることができなかった。それは、香水の部品のポンプだ。その香水で割られたことを証明するにはそれを見つけないといけなかった。だがお前が見つけたのはテグスだけ。あの時しゃがんでたのは、テグスを拾ってたんだろ。...俺が何で割られたか気付いたきっかけは、破片の量が多く見えたのと、落ちてたガラスの破片を拾い上げた時、香りが付着してたからだ。それが香水の匂いだって思えば、あの時割ることができたのは割れるまでずっと窓の傍に居た、お前が一番怪しいことになる。そして、確定して気付いたのは、お前の右腕についた匂いとガラスについていた匂いが一緒だったことからだ」
俯いていた島田が、漸く反応を示し、右腕を確認した。
だがその反応に俺は答えた。
「お前が気付かないのも無理はない。中身を捨てる時から今まで、その匂いに定着して鼻が慣れたんだよ」
島田は、ふっと、力の抜けたように笑い、口を開いた。
「...先輩は、いつから疑ってたんですか、僕を」
そこで横から、正和が口を挟んだ。
「そう言えば真也、島田を見張るとかって言ってたよな...もしかして、最初から?」
「初めに変だって思ったのは、島田の話した事件内容からの、依頼内容のおかしさでだ」
「依頼内容?」
首を傾げ、正和はそう訊いた。
「武田には犯人を見つけろって言われたのに対し、島田の依頼内容は無実の証明だ。普通なら犯人を見つけてくれって頼むはずだろ?ただでさえ自分が疑われて焦ってるわけだし」
「確かに」
「今だから分かるが、それはつまり、最初から俺たちの捜査能力はあてにしてなかった上に、利用する気満々だったってわけだ」
俺は悪戯に軽く罵るように笑いかけそう言った。それには島田も慌てて反論する。
「い、いえ、あてにしてなかったわけじゃないですが...でも、それこそ今だから思います。先輩たちの捜査能力を、侮ってました...」
その様子を見て、俺は一つため息をついた。そして人差し指を上に立て、言った。
「だが、もう一つある。お前が俺たちを訪ねてくる前に、空白の一日があるだろ?なんでもっと早く来なかったのか、それこそ疑問だったから、お前を注意深く疑い始めたんだ」
「なるほど...そうだったんですか。僕は、知らない間にいくつものミスを...」
「その空白の日は色々案を考えてたんだろ?仕掛けの準備とか」
その俺の問いに島田は頷く。
「はい、とにかく必死で。だからどうにかしようと、学校中を歩き回って考えました。その時、この生援部の前を通りかかって」
「ふむ、なるほどな。まぁこれで一つの事件は解決したとして...次は」
その続きは、突如興奮気味の声で遮られた。そんなのは正和しかいない。
「そうだ、まだ肝心な真犯人を割り出してないじゃないか。その検討はついてるんだろ?真也」
普段周りには見せない正和の追求症が、目で訴えてくる、早くそれを教えろと。
だが俺はかぶりを振り、俺は目線を変えて島田に向く。
「まずそれにはハッキリとさせておかないといけないことがもう一つある。島田、事件が起きた時、何か井上に関して驚いたこととか意外だと思ったことはあったか?いつもと大きく違ってたこととか」
少し考えたが、数秒した後にすぐ島田は答えた。
「そう言えば、ありました驚いたこと」
「なんだったんだ、驚いたことって」
その返答に興味を抱いたのか、気になった正和は急かすように訊く。
「井上が泣いていたことです。なんか動揺するように泣いてましたね」
「え、それが驚くこと?大事な香水がなくなったんだし、女子なら普通泣くんじゃないの?」
そう訊く正和に、俺は首を横に振る。
「多分それは、井上が普段は強気な性格だからだろ?」
それに島田は、頷き答えた。
「はい、そうです。井上は普段から真面目じゃない男子に厳しくて、女子には優しいような性格でした。だから多分、男子の中には何人か毛嫌いしてる人はいると思います」
「そんな強気な女子が、ある時突然泣いたとなるとやはり意外と感じるだろう」
「でも、それがどうしたんですか?」
いつかはくるであろうと思っていたその疑問に、俺はこれからまた長めの説明をしなければと、少し覚悟をして答える。
「単に母親に貰ったものと言うだけでそこまで焦り泣くのは、喜怒哀楽の激しいやつじゃない限りあり得ない。とすると、他人には言えないような事情が、その香水にはあると言うこと。騒ぎの状況で咄嗟に出た理由が母親というワードなら、関係するのは母親だろう。だとすれば、激しく嘆いた理由は、母親への誕生日プレゼントだからだ」
その部分に、やはり島田が反応した。
「母親への誕生日プレゼント...?それって井上が言ってたことと真逆じゃないですか」
だが俺は、「まぁ聞け」と一言言うと、そのまま続けた。
「学校に持ってきた理由は多分、母親に家で見つからない為だろう。だがもし、人気者の武田と仲のいい井上に騒動が起きたら、間違いなく大勢の人が心配する。そういった状況の中で、なくなったのが母親へのプレゼントだと知られれば、少なからず何人かの人はこんなところにそんなものを持ってくるのが悪い、自己責任だと責められる。そう井上は思ったはずだ。表面上で気が強いやつほど、内面はひどく傷つきやすい。普段強気な井上がその時泣いたのは、本当のことを知ったみんなが、自分を責めることを想像し胸が苦しくなったからだろう」
「つまり、井上さんは...」
正和は途中で言うのを止めたが、そこまで言えば後のことを理解してると言える。正和も察したのだろう。
「そう、井上は嘘をついている...そして、真犯人はそれを知り得た人物だ」
「それは...?」
正和と島田は、ほぼ同時にそれを訊いた。しかし、
「それは...放課後に話す。島田、真犯人が分かったと言って教室に今から言う人を放課後呼び出して欲しい」
「わ、分かりました...それで、その人って?」
少し間を開け、俺は答える。
「そいつの名前は...」
昼休みが一頻り過ぎると、その流れで六時間目まであっという間だった。気付けば放課後、時刻は4時半頃。夕暮れで照らされるオレンジ色の光が、1年A組の教室のほぼ全体を覆う。少しの肌寒さもあるせいか、まるで朝焼けのようにも感じ取れる。暗いのか明るいのか、電気を付けるに値するかどうかがハッキリとしないような教室の中、二人の男子生徒が教室後方で向かい合う。そこで一人、声を出した。
「単刀直入言おう。お前が真犯人だな」
そう言い放った相手の目を、いつもと変わらない、無表情に近い顔つきで見て言う。
「武田幹人」
俺のその声は、自分でも驚くほどに冷静で変わりなかった。
「先輩、一体なんの話をしてるんですか?真犯人?俺は今島田を待ってるんですが...」
その表情は、口の端がやや吊り上がり、少し苦味を帯びていた。動揺しているのか、初対面の相手に対し口数が多いな。
俺は深呼吸をし、慣れない環境下での気を紛らわす。
「島田にお前を呼ぶように言ったのは俺だ」
「え、どうして...」
「俺は生援部だ。島田に、無実の証明を依頼され、ついでにその真犯人を見つけた。それがお前だってことだよ、そうだろ、武田」
「し、証拠は...」
武田の暗くなる表情と同時に、口篭るその声を聞いて確信した。武田は、望んでしたことじゃない...俺の推論は正しいようだ。
これで、全てが繋がった...さて、解決編だ。
「武田、この事件の話を聞いた時、俺は最初からお前が怪しいと睨んでいた」
「ど、どうして...!」
「なにせお前の取った行動が不自然だったからだ。お前が何をしたのか、最初から話そう...」
俺はもう一度、頭の中に浮かぶ考えを整理した。大丈夫だ、合ってる。
「まずお前は、化粧の話題を振って井上に香水のことを連想させた。お前は井上が自分のことを好きだってことを、周りから聞き知っていたはずだ。井上を嫌う男子からは説得も受けてただろうからな。だから井上が、女子と居る自分のことを聞き耳を立てながら見ていると分かり、化粧の話を持ちかけた。話題を振った張本人のお前が上の空で気にしていたのは、井上のことだろう。
香水については前から母親への誕生日プレゼントについて相談を受けてたはずだ。それでお前はそのことを利用しようとして計画を立てた。井上を選んだのは、もしバレたとしても関係上上手く収められると思ったからだろう」
武田は目線をやや下に向け、動揺しているのが分かるくらいに眉を顰めている。どうやら当たりのようだな。
俺は一度、早口にならないよう息を整え、続けた。
「...そして井上がロッカーに行くのを確認し、香水がないことに混乱するのを見て、お前は走ってその場に向かった。普通なら走って向かうほど、事態を悟れはしないはずだ。なのに何故か...それは香水が無くて混乱していると知っていたからだ。そこでお前は、この事件を大きくする為に、これが窃盗事件だと言い、無理矢理騒ぎを大きくした」
俺が最初、A組に行った時に、いつもより賑やかさがなかったのは、武田が直前まで盗難事件だと言い張ったからだろう。しかし問題は...
「何故そんなことをしたのか。そうすればお前は自分が疑われる可能性だって出てくるわけだ。なのに真犯人であるお前は真逆のことをした。お前がこんな事件を起こした本当の理由はそこにある。そうだろう?」
武田は少し顔を上げ、目を見合わせると、悟ったように、力の抜けた微笑を浮かべて口を開いた。
「本当に全部、分かってるんですね...それならもう、言い返すことはないですよ」
「一体あいつに何を脅された?...いや、脅しともなると大体察しはつくな...万引きか?」
「...凄いですね、その通りです。...月曜日の放課後、僕は本屋で本を盗み、それを偶然見てた高木先輩に次の日学校で、何か事件を起こして犯人役で孤立しろって脅されて...」
武田は唇を噛み締め、またしても俯く。
あの時...2人が階段を降りてきた時、表情の矛盾に気になっていた...
もう1人の方は島田が知らないとすると3年か2年。だが俺も見たことがない。しかしあの時、特進を含めた3年は全員体育館で卒業式の練習をしていたはず。だとすると、あいつの正体は2年の特進だ。それなら俺が見たことないのも分かる。あの状況で最も関わりのないはずの2年特進と居たとなると、まず脳裏に浮かぶのは事件を起こさせた張本人ってことくらいだ。
優等生であり評判も高い武田は、校内でも名が知れてる。それなら武田について知らないはずもないだろう。丁度いい脅しのネタが手に入った高木は、人気者が嫌われる様子を見たかったのか、武田に近づいた。
かと言ってさすがに、事件を起こして犯人役になるのは誰だって嫌なはず。そこで武田は、事件を起こしはするが、誰かを犯人に仕立て上げて、クラスの雰囲気を悪くすることを思いついた。
そこで犯人役に選んだのが島田だ。
動機がもし、島田に何かしらの恨みによるものなら、そもそも猶予なんて与えないはず。とすると、恨みとは別の何かってことだ。恨みじゃないとすると、島田を犯人役にすることで得られるメリットが狙い。それは、武田より発言の効力が薄いってことだ。普段存在感のない島田は、クラスでは空気のような存在だった。クラスで1番人気の武田と、クラスで1番影の薄い島田だと、信頼性は断然武田の方が高い。つまり武田は、少しのヘマを犯そうと、言い訳が通用するのは間違いなく自分の方だと自負できる。だから武田は、無理矢理にでも盗難事件だと強調し騒ぎを大きくした。そうすることで事件が起きていることを高木に気付かせ、言われた通りのことがちゃんとできていると思わせられる。
「先輩...」
「なんだ?」
武田は一度顔を上げると、今度は頭を下げた。
「このことはどうか...みんなには言わないでもらえますか...」
その声から、下げていて見えない武田の表情がなんとなく分かる。今にも泣きそうなんだろう、声が若干震えていた。
普段は優等生という肩書きを背負い、完璧を演じることで、最初は楽であり楽しかったことも段々と重荷になっていった。そのことで今起きているらしくない事情に、簡単には対処できない。
...優等生ってのも、案外楽じゃないんだな...。
俺は大きめのため息を吐き、軽く頭を搔いて、そして出口に足先を向けた。
「分かった。なるべくこのことを知るやつには口止めもしとくし、俺もこれ以上関わらないようにしよう」
「あ、ありがとうございます...」
少し嬉しそうに顔を上げる武田に、一つ念押しをした。
「だが、島田には話すぞ。お前も言うことがあるだろう...まぁ、その後のことは適当に任せるさ」
「はい...!」
そう言い俺は、後ろ扉から教室を出た。そしてそのまま右へと曲がり、生援部へと向かった。
短くも長くも感じたこと時間に、俺はまたしても大きくため息を吐いた。
「はぁ...まったく、とんだ1日だ」
俺は1人、窓の外を眺めながら、放課後で静かな廊下の真ん中を歩いた。
翌日の朝。しかしここ、生援部ではいつも通りとは違う朝を迎えていた。
部室では俺と正和が並んで座り、長机を挟んで向かいには島田が椅子に腰掛けている。
「とまぁ、そういうことだが...島田、どうするお前は」
一通り昨日のことや事件の真相を正和と島田の2人に話し終えた俺は、目の前にある自分用の紙コップを手に取り、入っていた緑茶を飲み干した。
「なるほど...そうですね、まぁ武田にも同情の余地があるし、僕自身もそんなに大事にもしたくないので...ひとまずこのことは胸の内に閉まっておきます。ただ、僕も井上には謝らないと...」
微笑を浮かべてそう言う島田に、俺は頷き返す。
すると正和が、横から俺にふと疑問を投げかけた。
「そう言えば、武田って最初思ってたイメージと違ったんだけど、なんで急に犯罪に手を染めたりしたんだろう」
「あ、確かに...そうですよ、武田って家柄も良いし、優等生でルックスも良い。なのになんで万引きなんてしたんだろう...」
俺は呆れた表情で2人を見て、一つため息を吐き答えた。
「別にルックスは関係ないだろ...。まぁ原因は、そういうところだろう。そういう優等生っていう周りからの責任感とプレッシャーから、少しでも解放されたかったんじゃないか?ストレスも溜まって、発散したかったっんだよ、あいつは...」
「優等生って、そんなものなのかな...」
そう呟く正和を見て、俺は内心「お前もだろ、優等生は」と思ったが、なんだか面倒くさかったから口には出さない。
だがまぁ、これで一件落着ってとこか。少しは、暇が潰せたかな...。朝の予鈴を聴きながら、俺はそう思った。
そして、久々の案件は、こうして幕を閉じた...