俺には幽霊が見える。ただし……
俺には幽霊が見える。
は? 何言ってんだこいつ? と思われるかもしれない。俺もそう思う。リアルでそんなこと言うやつは頭がいかれているか、誰かの注意を引きたいやつが大半だ。もちろん中には本物もいるかもしれない。ただ、俺は俺以外にそう言うやつに会ったことはない。
俺が幽霊を見ることができたのは、子供の時からだ。5歳のクリスマスの日。それが覚えている限り最初に幽霊を見た日。サンタクロースという存在を知っているだろうか。まぁ、誰でも知っていると思うが。あの特徴的な赤い服を着て、夜な夜な子供のいる家に侵入する不審者のことだ。
今となってはサンタクロースがいないことも分かっている。しかし5歳というまだまだ、信じている子供が大半な時期。俺も他の子供たちと同じように無邪気に存在を信じていた。
クリスマスの前日、俺は枕元にお気に入りの赤い靴下を用意して、眠りに入った。真夜中、なにやら気配に気付いて起きると、真っ赤な服を着た男がそこにいたんだ。俺は始めはサンタだと思った。
でも違った。あの白い髭が揺れて、朗らかな表情をしたおじさんなんかいなかった。いたのは、全身が何かに引き裂かれたかのように、ぼろぼろな人。所々、伸びた赤い服を着た不機嫌そうなおじさんだった。
びっくりした。怖かった。本当に怖いときは悲鳴なんてでないんだなって、初めて知ったよ。
幸運にもその幽霊は危害を加えてくるわけでもなかった。親切に自分が幽霊であることを教えてくれた。そして俺が幽霊を見ることができると知ったのもその時だ。
とんだクリスマスプレゼントだったよ。まったく。
それからだ、まるで磁石にでも引きつけられるように、頻繁に幽霊に出会うようになったのは。存在を知覚できるやつにそばに集まる習性があるようだった。たまにすごく人間っぽい幽霊もいて、普通に話しかけていたら友人に気味悪がられたことだって何度もある。まぎらわしい。
白装束を着て、「私、幽霊です!」って存在はほとんどいない。そうであったのなら、もっと区別しやすかっただろうに。
まぁ、映画の中の幽霊のように、呪うだといった危害は加えてこない。満足したら成仏してくれる。なので、関わることはそこまで嫌ではない。案外いい奴が多いのだ。
さて、なんで、そんなことを長々と話したかというと、目の前にいるからだ。何がって? ここまで御膳立てしておいて分からない人は、もう少し文章を読む練習をした方がいい。
そう幽霊だよ。
◆ ◆ ◆
「あっ、いい天気ですね」
俺がベランダをのぞくと薄汚れた、白い布のような幽霊が引っかかっていた。そして、能天気というか、のほほんとしていて、俺に挨拶をしてきた。にこにことして、無邪気な天使のような笑顔。白装束に近い服。若干汚れている。
一目で、「あっ、これ幽霊だ」って思った。
いや、幽霊じゃないかもしれないと思うかもしれない。特殊な組織から狙われていて、追っ手をまくためにマンションを飛び移っている。そのうちたまたま、うちのベランダに引っかかった。そんなこともあるかもしれない。
でもな、ここは地上10階の高層マンションのベランダだ。周りにはなにもないし、屋上はあるが、立ち入り禁止。最上階の俺の部屋のベランダに誰が引っかかるというのだ。冗談はその存在だけにしてほしい。
白い存在は、俺のベランダに引っかかって干されている。そしてのんきそうな顔をしている。だから幽霊だと判断した。むしろ幽霊でもないやつが、他人のベランダに引っかかってる方がおかしいだろ。そういった物語もあるようだが、現実にはそんなやついない。
そして、その幽霊は俺のことをじーっと見ている。穴があくんじゃないかってほどに見てくる。
じー。
「あのー、見えてますよね」
幽霊は自分が見られていると分かると積極的に絡んでくる。だから普段はなるべく気づかない振りをする。まぁ、なかなか成功しないんだがな。どうやら奴らは、なんとなく知覚できる奴の事が分かるようだ。そして自分の未練とやらを解消してくれるようにお願いしてくる。
先週なんか、幽霊とサッカーボールをしていた。なにやら心残りがあったようで、延々とつき合わされた。次の日は筋肉痛だったよ。
「ねぇ」
「おぉ」
いつのまにかベランダに干されていた幽霊が目の前にいる。近い。鼻と鼻がくっつきそうな距離に俺は驚く。
「あ、やっぱり見えてますね。もう、見て見ぬ振りはだめですよ」
とてもふわふわした女の幽霊は唇に指をあてて、ウインクした。可愛らしい仕草に目が合ってしまう。
◆ ◆ ◆
「なぁ、どうして俺の部屋のベランダに引っかかっていたんだ?」
ゴーヤやトマトが実るベランダで俺と幽霊は並んで座っていた。そろそろゴーヤも食べ頃かな。
「えーっと、昨日の台風にとばされちゃいました」
ふわふわしていると思ったけど、ほんとにふわふわと飛んできたようだった。幽霊も飛ぶんだな。
「ふーん、そっか。それで未練はなんなんだ?」
幽霊は未練がなくなったら成仏する。さっさと成仏してもらうために俺は幽霊に未練を尋ねる。幽霊はちょっともじもじしながら、口を開く。
「私のこと洗ってもらえないですか?」
「は?」
えーっと、洗う?
◆ ◆ ◆
「あー、極楽です。あっ、そこです」
その幽霊は純白の天使の羽のようと賞賛されてきたようだ。今は薄汚れて汚い身。最後に綺麗な姿になりたいらしい。
俺のベランダで、大きなタライで洗われる幽霊がそこにいた。自分でも何をいっているか分からないけれども現実なので仕方がない。
大きなタライはこの前、粗大ゴミ置き場から拾ってきたやつだ。夏の冷房代わりに、たまに氷水を張って涼んでいる。まさかこんな事に使うなんてな。何に役立つかわからんもんだな。
綺麗になりたいと言った幽霊をはじめは洗濯機に放り込もうと思っていた。正直、綺麗にってどうすればいいのかわかんなかったし、面倒だったから洗濯機につっこんで回せば何とかなるかと思った。しかしだ、
「だめです、洗濯機禁止、手洗いでお願いします。ほらここにも書いてあるでしょ」
と、白装束についていた洗濯表示タグを見せつけてくる幽霊。手洗いマークがついていた。
それならば仕方ない。ということで俺は手洗いする羽目になった。たらいにお湯を張り、洗剤を入れ、幽霊を洗濯する俺。何をやっているんだろうな。ほんと。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、「あー、極楽極楽」って感じで幽霊が和んでいる。極楽って成仏してんじゃねぇか。
◆ ◆ ◆
大体の汚れが取れたからすすいで、ベランダに干した。幽霊を干すっていうのも変な感じだな。
乾くまでの間、俺たちは、色々な話をした。なかなかウィットに富んだ幽霊のようで、面白かった。特に睡眠負債の話がためになったな。
そろそろ乾くという頃、俺はキッチンからカップ酒を持ってくる。いつのころだったか、成仏する幽霊を見送るときにはカップ酒を飲むようになった。ふたを開けて一口飲んだ。
「最後にしたいことあるか?」
そろそろ日も暮れ、俺は奇麗になった幽霊に言った。多分ほっておいても成仏すると思うけど、最後に聞くことにしている。
幽霊はなぜかもじもじしながら、赤らめながら。
「えーっと、あなたを抱きしめてもいいですか?」
ぶっ、ごほごほとせき込む。日本酒が気道に入った。
「包容力が自慢だったんですよ。最後に誰かを包み込みたいです。だめですか?」
ちょっと上目遣いでこちらをのぞき込んでくる。あー、まぁ、幽霊だしな。ちょっと恥ずかしかったから目をそらしながら。
「いいよ」
その瞬間後ろから抱きしめられる。柔軟剤の香りがした。
「ありがと」
その言葉と共に幽霊は消えていった。
静かなベランダ。
俺はカップ酒を飲み干して、抱きしめられるかのような肩に掛かったぼろぼろの羽毛布団を畳んで立ち上がる。
俺には幽霊が見える。ただし、物の。




