物の音
部屋の三方を囲う書棚。
そこにおかれた本と小さな置物、それに大小さまざまの人形たちが、この部屋にはあふれている。
それらすべては、この部屋の主が収集してきたものたち。
かくいうこのワタシも、そのうちのひとつ。
ベッドが見下ろせる場所に置かれているワタシは、ネコ。
ごしゅじんの健やかな寝顔をみるのが、毎日のたのしみ。
地震やらで棚が倒れたりものが落ちたりすれば生き埋めになること必至な場所に、ごしゅじんの眠るためのベッドがある。
最近は学校が忙しいのだと、よく言って聴かせてくれる。
試験が近いのだそうだ。
棚の一部を改造した机に張り付いて遅くまで勉強を続けているうちにそのまま眠ってしまうから、ここ数日ベッドが使われていない。
枕元に座っている桜色のペンギンも、寂しがっている。
今日もほら、ランプをつけたまま机で眠ってしまったよ。
みんなが心配しているよ、ごしゅじん。
無理をし過ぎないでおくれね。
さて。
ワタシは棚を抜け出して、静かにごしゅじんのそばに降り立つ。
今は小さな置物だけれど、むかしはホンモノの猫だったんだ。このくらいはできて当然さ。
ちゃんと眠っているようだね。
部屋を見渡して頷くと、それを合図にみんなが動き出す。
本の上に乗っていた小さなシーラカンスの模型はそこが水中のように風に乗ってゆっくりと流れてくるし、一日中ポーズを決めていたアニメキャラクターのフィギュアは伸びをしている。
ベッドに乗っていたウサギとペンギンがタオルケットを持ってきて、腕が羽になっている人型人形や大きな首長竜も手伝ってごしゅじんにそっとかける。
おそくまでお疲れさま。
ここ数日寄り添うことができていないペンギンは、特に心配そうに見上げているじゃないか。足の短い彼は机の上に昇れなくて、この格好のごしゅじんの顔が見られないから、すこし気の毒だよ。
「……ん──」
ごしゅじんから少しの声が漏れるだけでも、ワタシたちは気が気じゃない。
バレたら去るのが、ワタシたちの了解だから。
今のは寝言かな。
とりあえず、ランプは消しておくからね。
ひもに飛びついて引っ張ると、部屋は唯一の光源を失って暗転する。
ワタシたちはごしゅじんに見つけられた。
あるものは拾われ、あるものは買われ、またあるものは譲り受けられた。
そうでもなければ、今はもう焼かれるか埋められるかしていたような存在なのだ。
ごしゅじんは幼い頃からものを集めてくる癖があってご両親も困っていたみたいだけれど、それでも捨てないで大切にしてもらえたから、ワタシたちは今ここにいられる。
綿のでていたぬいぐるみたちも修繕してもらえたし、錆びていたり割れていたりする置物も、きれいに整えてくれる。髪が絡まってしようのなかった人形も、よく梳いてもらえて今ではごしゅじんより毛並みが整っているくらい。
それぞれ安易でも名前をつけられ、日々声をかけてもらえる。そうすれば自ずと、こころが芽生えるものだ。
ごしゅじんの眠っているうちと、出かけているうちは自由に動いている。この部屋からでることだって、無理じゃない。それでもみんな、でていかない。ご主人のことが好きだから。
さて。
ワタシもとりあえず、今日のところはごしゅじんの寝顔も堪能したし定位置に戻ろうかな。じきに朝がきて、陽が昇るから。
みんなもちゃんと戻りなよ。
部屋を見回すと、本と戯れていた栞も、ぶつかり合って遊んでいた羽ペンと万年筆も、定位置にもどりかけている。
足の短いペンギンはベッドにも自力で昇れないから、ウサギが手伝っている。高いところにいる河童が遊んでいて落ちたキュウリは、羽腕の人形や魚たちが拾って届ける。ままごとをしていた着せかえ人形たちも、家具の配置を整えている。
「ぁ〜……また寝ちったかー……」
カーテンの隙間から朝陽が射して、ごしゅじんは目を覚ます。その頃には、みんなもとどおり。
ごしゅじんが体を起こすと、タオルケットがずり落ちる。
「……いつの間にかぶったっけなー」
頭をかきながらそれを拾い上げるごしゅじんの言葉に、ワタシたちはやはり気が気じゃない。
タオルケットを畳んでベッドに置くと、伸びをしてから顔をぱしっと両手でたたいてから、ごしゅじんの一日ははじまる。
「おはよー、みんな」
おはよう、ごしゅじん。
元気な笑顔が今日もみられて、ワタシたちは幸せです。
「今日も早く帰ってくるからね!」
試験が近いと部活がないらしい。
ごしゅじんが着替えて部屋を出ていくと、ワタシたちは一安心。
今朝も何事もなく、一日を始められる。
あ、そこ、河童、キュウリが落ちているよ!
棚のそばにひとつ、ちいさな何かが落ちていた。
ごしゅじんは食事をとるのが早いから、すぐに戻ってきてしまう。
河童は手元のキュウリを数えてあっと慌てるけれど、取りに行ったらすぐには定位置に戻ることができないから、動きの軽いワタシが拾い届けて急いで定位置に戻る。
すぐにごしゅじんが戻ってくる足音がした。
部屋のドアが開いて、ごしゅじんが入ってくる。
「ご飯おいしかった〜! 今日は体育あるからいっぱい食べちゃったよ──」
机の上に広がったままだったノートを鞄に詰めながら、朝ご飯の内容と今日の予定を話してくれる。
「じゃ、いってくるねー。みんな元気にしててねー!」
ごしゅじんは手を振って部屋をでていく。そのまま玄関で「いってきまーす」と声を張り上げて、家を出た。
窓に寄ってごしゅじんが離れていくのを確認すると、部屋を見渡して頷く。
それを合図に、みんなはまた動き出す。
手のひらサイズの置物や身のこなしの軽いものたちは河童の元に集まる。
おい河童!
あやうく気付かれるところだったんだぞ。
しょぼんとする河童に説教をする木彫りのきのこ。
それに同調する拳大サイズのダニとノミをはじめ多数。
ワタシたちは、声がでない。でも意志の疎通はできる。
ほとんど妖怪みたいなものだけれど、体はみんな物だから、発声器官が備わっていないのだ。
でも聞こえるヒトにはワタシたちの会話も聞こえるらしい。
まあまあ。
大事にはならなかったし。
強い言葉にみるみる落ち込んでいく河童に同情してか、実寸大の蛾模型と木彫りのミミズが宥めにかかる。それに同調するものも多数。
おいおまえテキトーに頷いてるだろう。と両方に頷いたチンアナゴのぬいぐるみはガラガラヘビのおもちゃに首を巻かれる。
といった具合にしっちゃかめっちゃか。
だんだんと論点はずれていき、河童はほっと一息。
ちゃんと注意してよね、河童。
ワタシはぼそっと河童に囁く。
すっかり油断していた河童は立ち上がって転んでしりもちをつく。
そんなに驚かなくても。
あ、足音だ!
みんな、パパさんが掃除しにくるよ!
説教からじゃれ合いに変わっていた面々も、ほのぼのとお茶会を開いていた面々も、急いで定位置に戻る。
動きの遅いミミズはワタシが投げてしまう。
あぶないなぁ!
あんたの動きが遅いんだい。
ちゃんと定位置に戻ったかと思ったら、おい河童、腰を抜かしてるんじゃない。おまえはキュウリをかじっている姿勢のはずだろう。
慌てても動きが悪くなるだけで、あるべき姿勢になかなか戻れない。業を煮やしたワタシが跳んでいこうとしたら、パパさんが部屋に入ってきた。
ワタシはちょうど、ドアの前にいた。
動きを止める。
掃除機がコツンと当たる。痛い。
でも我慢。ここでばれたらワタシは、ここにいられなくなってしまう。
「ん?」
あ、気付かれた?
つまみ上げられてしまう。
「猫?」
はい、ネコです。
「まーたあの子は、遊んでいたのか」
ちがいます、ワタシが勝手に動いたんです。……とは答えられるはずもなく、じっと我慢。
「落としておくと、間違って吸ってしまうじゃないか」
そう言って机の上に乗せてくれた。
ありがとうパパさん。ごしゅじんのいないうちに勝手に捨てないでくれてありがとう。ほんとうにありがとう。頼むからこのまま、河童の姿勢とかオタマジャクシの位置とかなににも気付かないで早く掃除を終えてでていってください。そんなに部屋を見回さないでください。
「さて……」
……ん? いま「さて」って言いましたか。
何か始める気ですか?
「……ま、いっか。」
なにが「いっか」なんですか。
なにかに気付いたんですか。
なんですか。
気になるじゃないですか。
パパさんは何も言わずに掃除機をかけて部屋を出ていった。
パパさんの発言について、みんなどう思いますか。
足音が遠ざかってからワタシが尋ねると、みんなが集まってきた。
わたしたちとは関係ないと思う。
か、河童のせいじゃないからね!
ボクたちの向き、おかしかったかな。
河童とオタマジャクシは自分に非がありそうだと感じている様子。
ネコが変なとこに落ちてるせいだろう。
ワタシよりふた周りは大きなマメシバが見下ろしてくる。
そこで頷くなよミミズ。
ワタシのせいですかね。
まだ去る必要はないだろう。
そろそろ潮時かな。
布袋は優しいな。
ガラガラ、おまえははっきり言わないでくれ。
結論はでないまま、ごしゅじんの帰ってくる時間になる。
みんな定位置に、ワタシは迷った末、机の上に戻った。
河童、キュウリは足りている?
全部あるよ!
リスたち、食器は大丈夫?
数も足りてるし、場所も平気。
「ただーいまー」と、ごしゅじんの声が聞こえる。
あ、パパさんと何か話しているみたいだ。
あがってきた。
部屋のドアが開く。
「ただいまー、みんな」
鞄を机に置こうとして、ごしゅじんはワタシに気付く。
「あれ、ネコさんどうしてここに?」
そう言って持ち上げられる。
首を捕まれると大人しくなるのはネコの性だけれど、そうでなくても大人しくしていないと。
「自分で動いたの?」
ぎくり。
パパさんが置いてくれたんですよ、ごしゅじん!
「……九十九神さんかなぁ?」
ごしゅじんは部屋を見回す。
「河童さん、キュウリはおいしい?」
河童はキュウリをかじった姿の銅像で、周りには小道具のように紙粘土で作られたキュウリが数本ちらばっている。
「ウサギさん、首は痛くなぁい?」
ウサギはベッドの端で、うなだれるように座っている。
「シバさんたちも今日はベッドの上にいようね。」
そう言うと、書棚に置かれた手のひらサイズの柴犬とマメシバ、コーギーを寝かせたウサギの隣に並べる。
「ネコさんは、ここにいてね」
ワタシはマメシバたちのいた棚に置かれる。
「明日は試験本番だから、今日はちゃんと寝て備えるからね!」
そうしてごしゅじんはわたしたちの場所移動と声かけを終え、鞄から教材を出して勉強を始めた。
日が傾いてくると、花柄のランプに光をともす。
夕飯に呼ばれ、「もうこんな時間か。」と星空を見上げてカーテンを閉めると部屋を出ていった。
だいぶ疲れているみたいだね。
明日が本番なんだっけ。
今日はベッドで寝てくれるかなぁ。
ごしゅじんは、夕飯の後お風呂からあがって部屋に戻ってきた。
「もうちょっとやったら寝るからね、みんな少しの辛抱だよー」
この発言は、気付かれているのだろうか。
ワタシたちが、ごしゅじんの寝ているうちに動いていることを。
その言葉どおり、ごしゅじんはすぐに教材をしまいだした。
「おやすみーみんな」
そう声をかけると、部屋の照明を切ってベッドに横になった。
すぐに寝息が聞こえる。
試験前日は早く寝て、当日は早く起きるのがごしゅじんの常だ。
ペンギンは、久しぶりの寝顔がみられてうれしそう。
ワタシはもう気付かれてしまったのかと気が気でないから、オタマジャクシに尋ねられるまで、動くことを忘れていた。
ごしゅじんは、もう寝たの?
枕元に立って、確認する。
ワタシが部屋を見渡して頷くと、みんながゆっくりと動き出した。
試験前日のごしゅじんはいつも以上に敏感だから、万が一にも起こしてしまわないように。
ワタシもそっと、寝顔を眺めるために、動かされる前の定位置だった場所に昇る。
もう最後かもしれないと思いながら魅入っていたら、かなりの時間が過ぎていた。ほかのみんなはもう、新しい定位置に戻っている。河童もキュウリの数を数え終わったみたいだ。
ワタシもごしゅじんが目を覚ます前に戻らないと。
書棚の下の方に戻って姿勢を正すと、ごしゅじんが動き始めた。
目覚ましもかけていないのに、ごしゅじんはどうやってこんな時間に起きるのだろう。
もぞもぞと動き、瞼は降りたまま上半身が起きる。布団の動きにあわせてペンギンやマメシバたちが倒れたり、横を向いたり。
ベッドを降りて、部屋の明かりをつける。
そこで伸びをして、顔をぱしっと両手でたたいて気分を変える。
「みんな、おはよ」
おはよう、ごしゅじん。
「今日はちょっと早いから眠たいかもだけど、ごめんね」
そう言うと部屋を出ていった。
顔を洗って帰ってくるのだろう。
試験うまくいくといいねー。
失敗すると、機嫌悪いからね。
がんばりすぎて、調子悪そうだけど。
倒れたままのペンギンの言葉に、みんなは固まる。
ごしゅじん、大丈夫かな……。
ごしゅじんが戻ってきた。
ちょっと毛先が濡れている。
瞼が重そう。
「今日はちょっと寒いねー」
そう言いながら、タオルケットを肩から羽織って机の上のランプをともす。
教材を出して、「最後の詰め込みだー」とせっせと手を動かした。
夜が明ける頃。
朝陽がカーテンの隙間から射しても、ごしゅじんは起きなかった。
ノートに額をくっつけて眠っている。
なんだか心配になる。
つい、動いてしまった。
ごしゅじんの顔を見に。
「ん……」
ワタシがちょうど顔の前に立ったとき、ごしゅじんは片方の瞼をあげた。
「はよぅ。ネコさん……ここいたっけ──」
いいながらごしゅじんはワタシの背を撫でてくれる。
「いや、そうじゃなくて今日試験!
朝御飯食べてない!」
勢いよく上半身を起こすと、いすの背もたれに背骨をぶつけてひとしきり痛がった後、着替えて部屋を出ていった。
ワタシはとりあえず、元の位置に戻る。
今のは絶対に気付かれた。
ここを去るときがきてしまったかな。
すぐにごしゅじんは戻ってきて、鞄に教材を詰めながら「やっちたやっちったー……」としきりに繰り返す。
「起こしてくれてありがとうねネコさん! それじゃみんな、いってきます!!」
ごしゅじんはいつもどおり、家を出ていった。
それを窓から確認して、部屋を見渡して頷く。
寝ぼけてたわけではなくてはっきりと気付いていたようだし。
これが、ワタシの最後の役目かな。
ネコ、いなくなるのかい?
ほとんど動くことのない、書棚の最上部にいるヒゲクジラのヒゲさんがワタシをみた。
ここにはいられないかな。
おまえの不注意だ。
ガラガラ、正直に言わないでおくれ。
まだ気付かれてないかも。
それはないでしょう。
気付かれたって、ごしゅじんは嫌がらないのに。
そういう問題ではない気がする。
フォローを入れてくれるものも、さっさと出ていけと茶化すものもいて、ミミズは相変わらずどちらにも頷く。
ワタシは去ることにする。
ここには長く居すぎた。
ここにいるみんなの多くは、物にこころが宿ったものたち。
ワタシは少し違って、長い時を生きた物が、妖怪になったもの。ソレが気まぐれで置物のフリをしていたら、たまたま今のごしゅじんに見つけられたのだ。
居心地がよすぎて離れられなかった。
でも本来、一所に留まっているべきではないのだ。
いい機会だから、ワタシは去るよ。
うごくもの、うごかないもの、みんなに別れを告げて、ワタシは拾われてから初めて部屋を出た。
もう戻らないつもりだったけれど、夜の星を見上げていたら、最後にもう一度だけごしゅじんの顔が見たくなった。
* * *
窓の外に、一匹の猫が立った。
窓は開いていた。
部屋の主は風に当たっていて、そのまま眠ってしまったようだ。
部屋の中は、電球の切れかけたランプの明かりに薄く照らされている。
猫はするりと通り抜け、枕元に置かれているぬいぐるみを見つめた。
交わされる言葉は当然のようにない。
部屋の主は眠っている。
その健やかな寝顔を両の瞳に写すと、猫は机に跳び乗る。
猫がくいと見上げると、ランプは答えるかのように点滅した。
猫の表情は軟らかく、笑いかけているようにも見える。
──いままでありがとうね、ごしゅじん。
猫はもういちど部屋の主の顔を見つめると、来たときのように外へでて律儀に窓を閉め、暗がりへと姿を消した。
猫がその場を去ると、ランプの明かりがついに消える。