#8 再会
『赤子を取り逃がしたか』
『理によって、この時この場で滅する筈であったがな。元方なる者も存外に使えぬ』
『時平の時の様にうまくもいかぬか』
『事象の因果を違える者がいるとも思えんが……白虎よ、お主が行け。今は取るに足らぬ”根”だが、これ以上の因果の撓みも看過は出来ぬ』
『忘れるな、我ら識神は決して真名を識られる事があってはならんぞ』
『……心得た』
騰蛇と勾陳。
そして騰蛇に付き従う様に立つ白虎。彼らは事象の因果と”根”を守護すべく八方を任された識神であり、時の流れを理に従い導く存在でもあった。
◇ ◇ ◇
弥生 後酉の日
加茂家の襲撃から二ヶ月後。
保名と赤子は、ところどころに雪が残る信太の森の稲荷神社の前にいた。
二人はかつて保名が暮らしていた摂州の名も無き村に帰って来ていた。葛葉の弔いの為に手を合わせる保名の背中で、幼名を”童子丸”と名付けられた赤子が、すやすやと気持ちよさそうに眠っていた。
冬の厳しい寒さも漸く和らぎ、稲荷のそばを流れる小さな小川にも雪解けの澄んだ水が流れていた。
ーー葛葉、安心してくれ。童子丸は必ず我が守る。
葛葉を守れなかった自分を責める気持ちから逃れた日は一日も無い。今でも眼を瞑ればあの残酷な日が瞼の裏に鮮明に蘇る。しかし何処にもやり場の無い感情を持て余したとしても、保名はもう迷わなかった。
「久しいのう、婿殿」
懐かしい声に保名が振り返ると、そこには微笑みを浮かべた保憲が立っていた。保憲は保名の横に並び、頭に被る笠を外すと無言で稲荷に手を合わせた。
暫しの沈黙。
木々の隙間から漏れる朝陽を浴びる鳥のさえずりと小川のせせらぎが、穏やかな時の流れを感じさせる。
「村の者にお主がここだと聞いたものでな」
「申し訳ござりませるぬ」
童子丸を背負ったまま保名がその場にひれ伏す。保名を見守る保憲の背後で、木の枝から落ちる残雪の音に驚いた鳥の群れが一斉に羽ばたく。
保名は恥じていた。葛葉を守れず、あまつさえ刺客達に囲まれた保憲を置き去りにして逃げ出した事。
童子丸を守る為とはいえ自分の不甲斐なさが情けなく、まともに保憲の顔を見る事が出来なかったのである。
保憲は静かにかがみ、保名の肩に手をかける。
「謝るのは儂の方だ、すまぬ婿殿」
「……え?」
唐突な保憲の謝罪に戸惑った様に顔を上げる保名。保憲は保名を立たせて、泥を払い言葉を続ける。
「婿殿に一つ黙っていた事がある。葛葉はお主が現れる少し前に実は一度……生を失った。
元々病弱じゃった葛葉は流行り病に罹り、あっけない程簡単に逝ってしもうた。だが半日ほどで息を吹き返してな。その時は驚いたが、なんとなく儂にはわかった。それが本当の葛葉ではない事が。しかし動いて笑う葛葉を見ていると”それでも良い”そう思う様になってな。葛葉は葛葉ではないが、儂にとっては二人目の娘みたいなもんだった。この事を知るのは儂と国成だけだ。儂を恨むのは良い。当然であろう。しかし婿殿の嫁になった葛葉は間違いなく儂の娘だ」
保憲の口から語られた言葉は、俄かには信じ難い事であった。
ーー葛葉が葛葉では無い。
呆然とする保名の背中で童子丸がぐずり始めた。条件反射の様に保名は童子丸を背中から下ろし、あやす様に抱きかかえる。葛葉の面影を残す童子丸の切れ長の瞳を見た時に、保名は葛葉の最後の言葉を思い出した。
託された願い。温もり、微笑み、保名を包んでくれた全てのもの。それに何の違いがあるというのか。
「葛葉は葛葉です、義父上。それで良いではありませんか」
「儂を許してくれるのか?」
その時、祠から懐かしい声が聞こえてきた。
『私はかつて貴方に助けられた白狐。貴方にご恩返しする為に余命いくばくも無かった葛葉に憑依しました。葛葉が私であり、私が葛葉でもあります。貴方を騙す様な仕打ち、お許し下さい。
そして……、そして、これだけは信じて下さい。私は貴方を心から愛していると』
「く……、葛葉なのか? 頼む姿を見せておくれ」
祠にすがる保名。
『貴方、あなた、私達の子供を、童子丸をお願いします』
「葛葉、待ってくれ、葛葉ーー!」
小さな祠から純白の霊気が舞い上がり、刹那の間周囲に広がる。
それはまるで葛葉が微笑んでいる様にも見えた。ぐずっていた童子丸が笑顔に変わり、小さな手を虚空へ差しのばす。母の温もりを探し求める様に。




