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#7 瘴気

「おのれ、しくじりおって」


 加茂家の塀の外では、全てを覆い尽くす雪で水墨画の様な風景から、切り取られた様な一つの赤い和傘がさされていた。

従者がさす赤い和傘の下で、刺客達の失敗にほぞを噛むのは元方であった。和傘には保憲達に気配を悟られない様に呪禁師じゅごんしに作らせた術避けの札が貼ってあった。


 元方は貴族としての面目を潰した保憲を決して許さなかった。

時間をかけ周到に保憲への復讐の機会を伺っていたのである。

始めは数名の呪禁師を雇い、加茂邸に結界を張り呪術を施そうとしたが、全て跳ね返された挙句、呪禁師達が自らの術で命を落とす事になった。

その結果に業を煮やした元方は更に呪禁師の人数を増やして再度襲撃を試みたが、返り討ちにあい、命を落とす者が増えただけであった。


 陰陽寮の陰陽博士として名高い保憲に呪術をかけようとする者はこの段階でいなくなった。いかに礼金を積まれようと、術勝負で保憲に勝てる自信がある者などそうはいなかったのである。

術が駄目なら力づくでもと、元方は今度は腕利きのつわもの達を雇った。それでも保憲や保名を相手にするのは勝算が低いと考えていたので、葛葉を狙う事にした。

しかし襲撃の当日になると雇った兵達が全員消え去っていた。数日後、街道を彷徨う一人の兵を元方の従者が見つけて、何故逃げ出したのかを質した。しかしその者は焦点を失った目で「鬼が、鬼が」と呻くだけであった。


 元方は当初、面子を潰した保憲を懲らしめて葛葉を貰い受けるだけのつもりであった。しかしことごとくその計画が失敗に終わり、あまつさえ死者まで出す結果になった事で、元方の従者達からも不満の声があがりだした。

更に自分の側近に「もう、およしなさい」と諫言された事がきっかけで、元方は完全に切れてしまった。その者をその場で切り捨てさせると、再度腕利きの兵を集めて、今度は元方自身が計画を練り上げ、この暴挙に及んだのであった。


「その様な安札で儂の眼が欺けると思うたか」


 不意に元方の背後から声が聞こえた。元方が振り返ると、そこには瘴気漂う保憲が立っていた。


驚いた元方はその場に尻餅をつく。ゆっくりと近づく保憲。

「く、来るな!」顔面蒼白で叫び、元方が後ずさる。従者達も和傘を放り出し、蜘蛛の子を散らす様に散りじりに逃げて行った。


「お主を生かしておいたのが儂の過ちであった。今となっては取り返しもつかぬが、せめてお主の頸を葛葉の霊前に捧げるとしよう」

「ま、麻呂に手をだすつもりか? お主もただでは済まぬぞ!」


 刺客達を生かしておいたとしても、首謀者たる元方は別である。この様な佞人ねいじんを生かしておけば、いずれ保名とその子に害を為すは必定であった。故に保憲は、例え律令に背くとも、この者だけは生かしておく事は出来なかったのである。



 陰陽師にとって律令に背くとは、己自身の否定である。

彼らが用いる術式の根幹は¨如律令¨であり、それは¨律令の如くせよ¨を意味する。

律令は殺人を禁じ、まして術式を用いての殺人は、如何なる理由があれ厳格に禁じられてきた。律令を尊重し、律令に背かずという精神の契約を交わした者だけが、陰陽師として術式の使用を認められてきたのである。

 故に律令の精神に反し、術式を用いた殺人を行った者は契約を放棄したと見做され、陰陽師の資格を永遠に失う。資格を喪失した者は術式の使用を禁じられ封術される。

だが封術された者が、どの様な手法によってか、その封印を解く場合が稀にある。陰陽師の資格を持たずに術式を行う者は”呪禁師”と呼ばれ忌避されてきた。

表面上、同様の術式を行う陰陽師と呪禁師を見分ける事は出来ない。制度上では陰陽寮に登録がある者を陰陽師と呼び、それ以外の者を呪禁師と呼んだ。


 弱き人が律令の制約を受けずに陰陽術を操る時、幾度となく悲劇が生まれ、そしてそれが繰り返されて来た。制約を失った呪禁師は危険な存在であり、陰陽寮は過去の悲劇を繰り返さない為にも、呪禁師を秘密裏に捕縛し葬り去ってきた一面も併せ持っていた。


 静かに佇む保憲から放たれる瘴気が、奔流となって空を黒く覆う。

その桁外れな瘴気の量は保憲の哀しみを具現化したものであろうか。禍々しい瘴気の奔流とは対照的に、およそ感情というものを感じさせない表情で保憲が右手をゆっくりと元方に向ける。



「よさぬか」

 

 どこからともなく保憲を静かに制止する声が聞こえる。保憲が声の聞こえる方角に視線を向けると、塀の上に行者服を纏った老人が腰掛け、左右には前童子と後童子が従っていた。


「お、翁!」

「お主ほどの者が、かような小人に囚われてはいかんのう」


 老人は葛葉の寝室に現れた翁であった。

翁の名は、加茂役君小角かもえんのきみおづぬ。かつて役行者えんのぎょうじゃと呼ばれ、修験道の開祖として崇められた人物であった。


 保憲はその場にひざまずき小角に敬意を表する。小角が、手に持つ錫杖を一打ちすると、空を覆う瘴気は掻き消されたが、保憲の周りにはまだ黒いもやが燻り続けていた。

元方はその隙に一目散に逃げ出していた。しかし二人は最早元方を一顧だにする事はなかった。


「葛葉を救うてやる事は出来なんだ」

「…………。」

「葛葉を救えば必ず”理”の察知するとことなり、更に事象の因果がたわんだであろう」

「……、何故あの者を討つのをお止めなされたのでござりまするか」


沈黙を破って最初に保憲が発した言は、元方を討ち漏らした無念であった。


「お主を討ちとうはない」


 短く答える小角に、保憲は全てを諒解した。

葛葉の仇、保名と赤子の安寧。それらの為に保憲は闇堕ちする覚悟であった。しかし自己犠牲は自己満足と表裏一体である。それは過去に縛られ未来の選択肢を消す行為である。己の哀しみを拭う為に、他者へ己と同じ哀しみを強いる事は、哀しみと憎しみの因果を繋ぐ事に他ならない。

保憲には小角がそう諭している様に聞こえたのである。力無く肩を落とす保憲の頬を血涙が伝わる。それは白い地面に滴り落ちて小さな赤い花を咲かせた。


 赤い花が再び雪で白く染まる頃、保憲が纏う瘴気は消え去っていた。


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