#5 誕生
七ヶ月後
延喜二一年 睦月 初戌の日
年も改まり、未明から降る細雪が加茂家の中庭に生える立派な松に、微かな雪化粧をほどこしていた。
凍える寒さに白い息を手に吹きかけながら、天から降る細雪を見上げる保名。その横では家人の国成が、中庭と接する縁側に置かれた七輪に、墨をくべていた。保憲は自室で何やら書き物をしている様であった。
保名も国成も無言であった。あたりは静寂に包まれ、耳を澄ませば雪の積もる微かな音さえ聞こえてきそうであった。ただ待つ事しか出来ない保名。地面に落ちては消える雪の結晶を見ながら保名はただ待った。
「オギャー、オギャー!」
突如、元気な赤子の泣き声があたりを包む静寂を打ち破った。障子を開けて部屋に転がり込む保名。二回ほど廊下で転倒しながら保憲を呼びに行く国成。少し汗ばんだ額とうなじに長い髪をはりつかせた葛葉が、保名を見て微笑む。その手には元気に泣き叫ぶ赤子が抱えられていた。
保名は何も言えずに、ただその光景を見つめて立ちすくんだ。
「あなた、元気な男の子です」
「……、ありがとう」
保名も知らないうちに涙がこぼれていた。嬉しさ、愛しさ、感謝、感動。
とにかく感情の整理がつかない保名の口から出た最初の言葉は「ありがとう」であった。
国成に呼ばれた保憲が部屋に駆け付けて見た光景は、葛葉に優しく抱かれて泣き叫ぶ赤子と、こぶしで涙を拭きながら泣き咽ぶ保名の姿であった。
「やれやれ、これではどちらが赤子か解らぬわい」
苦笑しながらも、保憲は葛葉の手から赤子を手馴れた手つきで抱き上げ、保名へ差し出す。戸惑いの表情を浮かべながらも我が子を抱く保名。
小さな体の何処にそれ程の力があるのか不思議に思う程の大声で泣く我が子の元気さと重さに感動して、また涙が溢れる。保名は我が子を抱いたまま葛葉の横にひざまずいた。
「ほんにお父上の言う通り、これではどちらが赤子やらわかりませぬ」
そう言いながらも優しく指で保名の涙を拭く葛葉。指から伝わる温もりが保名を落ち着かせる。
バサ! バサ!
突如、障子が斜め十字に切り裂かれた。
切り裂いた障子を蹴破ってドカドカと五、六名の男が土足で部屋に乱入してきた。男達は黒の頭巾を被り、鉾を中段に構え、保名達を取り囲む。保憲が誰何する間も無く、鉾を持った頭目らしき男が、中段の構えから大きく踏み込み必殺の突きを繰り出した。
「あ……」
男達に背を向けてひざまずいていた保名は、咄嗟の状況判断が遅れた。
保名が振り向くより早く、鋭い速さで繰り出される鋭い突き。
長い鉾は保名の右肩を掠め、葛葉の心臓へ正確に突き刺さった。鉾を繰り出した男は、更に致命を確実なものとするべく、刺した鉾に捻りを加える。捻りが加わった鉾先は、葛葉の胸骨を砕き心臓を貫いた。飛び散る鮮血が保名の顔面を赤く染める。
彼らは加茂家の襲撃を狙った刺客であった。刺客達はよく統率されており、構えの隙の無さからも、いずれ劣らぬ相当な使い手である事が推測され、練達の陰陽師に術を使う隙も与えず、最短の時間で対象を屠り去った。
我が子を抱いたまま目の前の光景に呆然とする保名。優しく微笑みかけていた葛葉の瞳から光が消えいき、ゆっくりとそのまま後ろに倒れる。
たった今新たな生命の灯が誕生した場で、一つの生命の灯が消え去ろうとしていた。葛葉ににじり寄った保名が左手で我が子を抱え、右手で葛葉の胸から吹き出る鮮血を必死に押さえる。
「あなた、わ……したち……、子供を……」
大きく吐血した葛葉の瞳から最後の光りが消え去る。震える手で、葛葉の温もりが消えいく頬を撫でる保名。しかし葛葉の温もりが再び戻る事はなかった。
「葛葉ーー!」
保名の慟哭に呼応するかの様に、天から降る雪はその勢いを増す。哀しみも憎しみも覆い隠すかの如く。




