#2 皆伝の儀
年は変わって延喜二十年。希名が加茂家の門を叩いて一年余り。
黒の冠に濃い緑の袍の略装をまとう希名。視線の先には、純白の単衣に緋袴の巫女装束をまとう葛葉が居た。背後で軽くまとめられた黒く長い髪が白の単衣に映え、そのたたずまいは凛とした華を見る者に与えた。
「希名様、今日はいよいよ皆伝の儀でございますね」
「ええ、皆伝を許されたあかつきには、葛葉殿との祝言をお許し頂く様お願いするつもりです」
「はい、父上もきっとお喜びになりますわ」
将来を約束しあっていた二人は笑顔を交わした。
◇ ◇ ◇
「希名よ、そなたは陰陽五行の道を修めてなんとする」
普段の柔和な表情からは想像もできない保憲の眼には逆らいがたい力があった。威圧している訳ではない。力を鼓舞している訳でもない。それは深い覚悟を持つ者の眼であった。
陰陽五行の皆伝を許すとは奥義を託される資格を得る事であり、それは人知を超えた怨霊を祓う大きな力を弱き人間へ託す事になる。怨霊とは政争で失脚した者や戦乱で敗北した者の霊、つまり怨みを残して非業の死をとげた者の霊である。
かつて醍醐天皇に仕えた右大臣・菅原 道真もライバルの左大臣・藤原時平に讒訴され、大宰府に左遷されてから失意の内に没した。
道真の死後、天変地異が多発し、道真を讒訴した時平も非業の死をとげたことから、朝廷に祟りをなしたと、都の人々に恐れられた。これらの背後には御霊信仰が有り、天変地異や原因不明の病などを怨霊の仕業として考えていた当時の人々にとって、陰陽師はなくてはならない存在であったと同時に、人知を超えた力は畏怖の対象でもあった。
その人知を超えた力が悪用される事を防ぐ、それが”皆伝の儀”が持つ意味であった。
故に皆伝の儀において保憲は希名の真意を質す。天賦の才と人の十倍の努力をもって、通常は十年かかるといわれる陰陽道の修習を一年余りで修めた希名であるが、それだけで皆伝を許されるわけではない。
希名はいわば陰陽師への長く険しい道程の端緒に立ったに過ぎないのである。
「陰陽五行を通じ森羅万象の理を見極め、正しい判断を下すためです」
吸い込まれそうな保憲の目を、しかし正面から見据えて保名が答える。
「正しい判断?」
「はい、全ての事象は陰と陽、そして木・火・土・金・水の五つの行から成るならば、おのずとそこには、それらを整合させる普遍の理があるはず。この世に矛盾なき理があるならば、それを知りとうございます」
「この世の真理を知りたいと申すか、稀有な志よの」
託す者保憲、託される者希名。両者はお互いを見つめる。
稀有の志か前代未聞の大法螺か。
大宝律令が制定されて三百年。弛緩が見られる律令制において陰陽五行の更なる新化は、この様な者でもなければ務まるまい、保憲はそう考えたのであろうか。
「皆伝を許す」
保憲の言に希名はその場にひざまずいた。
「お主の悲願である阿部家再興の儀についても、役所に具申済みで許可を得てある。今日より、安倍 保名と名乗るが良い」
「……感謝の言葉もございませぬ」
保憲から一字を与える事で、言外に葛葉との祝言を認めた保憲であった。
阿部家の再興と葛葉との祝言。
跪いたまま下を向く希名こと保名は、全身を小刻みに震わせ、喜びを必死で抑えているのが傍目から見てもわかった。しかし、下を見つめ喜びを抑える保名に気づけるはずもなかった。保名を見つめる保憲の瞳に宿る、一片の哀しみをまとう陰りを。