#11 飢饉
承平七年 水無月
この年、未曾有の旱魃が京を中心に近畿圏を襲う。田に水を張る季節であるというのに、飲み水にすら事欠く有様で、渇きと餓えで多くの者が死んでいった。
太政官の報告によると、旱魃による被害は甚大で餓死者が出始めており、京周辺でもその数は既に五千を超えているという。
太政官の報告に摂政・藤原 忠平は眉をしかめる。
忠平は第六十一代・朱雀天皇の即位当初から摂政として後見役を務め、後に関白として、位人臣を極める事となる。又、忠平は時平の弟でもあったが、兄から疎まれた道真とも親交が有り、彼の大宰府の左遷後にも手紙のやり取りなどをしていた。
更に太政官の報告には不吉な続きがあった。
各地の田畑は壊滅的な被害を受け、餓死者の数はこれから秋にかけ幾何学的に増加する模様で、秋に徴収予定である租も、ほとんど見込めないであろう、との事であった。
「右府よ、お主がいればこの様な苦難であっても、今少し民草の苦しみを和らげる事ができたのであろうか」
忠平は道真を偲び、例年であれば悠々と水を湛え、御霊会や花宴の節が行われる神泉苑の眼下に広がる池を見つめた。この池は古くからどんな日照りの年も涸れる事が無く、竜神が棲むと言われていたが、現実は池底が顕わになり、青菖蒲の枯れた残骸が点々としている有様であった。
暫く瞑目した忠平はやがて決意した様に踵を返し、紫宸殿に向かった。
◇ ◇ ◇
京周辺を襲った旱魃の被害は、童子丸達が住む村も例外にはしなかった。
この小さな村の田畑は、信太の森から流れる小川が水源であり、村の各地に小さな用水路を引いてた。しかし日増しに小川の水流は減少し、僅かに点在する井戸も枯渇したきた為、村の人々の生活にも大きな影響を与え始めていた。村の人々は水を求めて、往復で十里《約四十キロ》も離れた河へ水を汲みに行く過酷な労働を強いられていた。
更に道中の峠では獣が出るとの噂が絶えず、現に命を落とした若者が数名いた事も事実であった。
「昨日よりも低いな」
「ええ、この小川もいつまでもってくれるかしら」
小川の畔にある”鎮守さん”の近くで、青年になった童子丸、作耶、箕童、柏が小川を見守っていた。
今年、この青年達は元服を控えており、その後童子丸は京に上り、陰陽寮で修習生として修練する事になっていた。
「明日の水汲み当番は作耶と箕童ね。大変だけど頑張ってね」
「ああ、任せておけ! なあ箕童」
「う、うん……」
作耶とは対照的に箕童が力なく頷く。童子丸は”鎮守さん”にもたれながら腕組して、そんな箕童を見つめていた。
その日の夕刻
童子丸はいつもの様に保名より陰陽道の講義を受けていた。
「……識神は八方を守護し、天一神が四方を四十四日間かけて廻る。天一神が居る方角は決して犯してはならん。これを方違えという」
「天一神?」
「そうだ、天一神は理を司り、理は事象の因果を支配する。事象の因果とは……」
「この世に起きる全ての事柄の原因と結果の事ですね」
童子丸が保名を先回りする。日々成長を遂げる童子丸に保名は微笑む。
「そうだ、何人も理を覆す事は出来ん。しかし自らの意志で事象の因果を選択する事は出来る。どんなに理不尽に見えても、自らの選択肢の内に理を整合させるすべはある。ただ……」
ドンドン!
保名がそこまで述べた時、入り口の引戸を叩く音が聞こえた。保名が引戸を開けると、そこには箕童が俯いて立っていた。童子丸が近づき、箕童に声をかける。
「どうした箕童? このような夜分に」
「……童子丸、明日の水汲み変わってくれないか?」
「何か訳でもあるのか?」
「…………。」
箕童は俯いたまま目線を合わさない。
箕童は父親を早くに亡くし、彼の家は母親と二人の妹と弟がいた。箕堂は元服を迎えた後、父親の田畑を継ぐ事になっており、”やっとおっかぁを少しでも楽にさせてやれる”、と考えていたところであった。しかし旱魃の影響で下の妹が体調を崩し、農作業に看病に家事にと無理がたたって、今度は母が体調を崩して寝込んでしまった。
妹は回復の兆しはあるが二人の病人を放ったまま、水汲みで短くても二日間も家を空けるのは、今の箕童にとっては耐えられない事であった。しかしそれはあくまで自分の都合であり、道中に獣が出ると噂される危険な作業を友達に押し付ける事も、箕童にとっては耐え難い事ではった。
散々に悩み苦しんで、箕童はこの選択肢を選んだのである。