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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あらゆる力を無効にしない僕の泣言

作者: かげる

 僕は力に敏感だと思う。たとえば、教室で誰かが陰口を言っているのを聞くと、弱くなる。気持ちが弱い僕は相手の悪口に過渡に敏感なんだ。力の弱いモノは力の強いモノに流される。そんな光景を()の当たりする(たび)、世界はこんなにも力に支配されているんだって再認識する。

 ある日、僕は力に抵抗することにした。

「…そんな言い方はない、よね?」

 小さな声量、貧弱な声音の抵抗だったことは自覚している。でもたとえ不安だとしても、勇気を振り絞って口に出すことができた僕は少しの成長を感じることができた。

 しかし、そんな充実は長く続かなかった。

 騒がしい休み時間。教室の片隅にいた時。

朝夜(あさや)…いい子ぶりすぎ。ひくわ」

 そんな陰口が聞こえてきたのだ。僕は目を閉じた。光の教室から暗闇になった。机の上で腕を組み、寝たふりをする。

 弱いなと思う。力に流されて、流されて、漂着した場所が学校内での孤立だなんて。やはり集団内において、弱い人間が抵抗なんてするものではないということか。

 弱さとは敏感であること。

 強さとは鈍感であること。

 これが正しい。きっとそうなんだ。だから、弱い僕も無駄ではない。きっと、なにか活用できる場面はある。誰かの役に立てることはあるはずだ。そう信じて生きていくしか、なかった。

 教室にいる時に、誰かのおしゃべりが聞こえてくることがある。あんな風に滑らかにしゃべれればいいのにと思う反面、人を傷つけるような鈍感な言葉を使ってるのを見かけると『傷つけるぐらいならしゃべらないほうがマシ』だという気持ちになる。

 こうして蓄積(ちくせき)された僕の感度は、生きづらさを助長させた。未来には誰とも心を通わせることない、さみしげな自分が想像できた。しゃべると人を傷つける。そんな固定観念が思考を支配して、人との会話が嫌になった。

 いつしか『友達なんていらない』と思うようになっていた。特に学校内では僕のしゃべる言葉が、誰かに聞かれて心の中で笑われているんじゃないかと冷や汗をかいたことが何度もあった。だから、あんな思いをするくらいなら人と距離をおこう。そう決意した。

 ある日の授業中。シャーペンを動かして文字を書いていた。黒板の文章をそのままノートに書き写すだけの作業だ。この単純作業が、嫌ではなかった。余計なことを考えないで、勉強した気になれる時間というのは、精神衛生の面でなかなかに良いものだと思う。この感覚は(ぞく)にいう『リア充』という名の強者(つわもの)達にはわからないだろうが。

「すまん。朝夜消しゴム貸して」

 そんなことを思っていると、隣の席から声がかかっていた。消しゴム? ああ、書いたものを消すあれか。と思って、消しゴムを手渡しする。

「サンキュー」

 サンキューか。ノリがいいのかもな。名前は誰だったかな。一日のうちに、僕のような存在にしゃべりかけるなんて希少な人間だ。よほど暇なのだろう。というか、消しゴムが欲しかったたけか。顔をちらとみて、そいつが上野下上野内(かみのしたじょうのうち)だとわかった。不思議な名前だから覚えていた。同じクラスになって半年も経っているから、覚えてないと失礼かもしれないけど。

 放課後になった。待ちに待った帰宅だ。僕は歓喜した。心と対照的に足取りはたよりなく下を向いてゆっくりと歩きだす。廊下側の通路にでようといったところで、誰かに声をかける音がした。

「よぉ」

 学生鞄(がくせいかばん)を叩かれた。

「ぉおお」

 僕はたよりなくのけぞる。そんな姿を見て彼ははにかむ。八重歯が見えた。

「『ぉおお』ってなんだ? びっくりし過ぎだろ。それよりこれ、返すの忘れてたから」

 そう言って、僕の手のひらに貸した消しゴムが置かれた。

「う、うん」

 彼は去っていった。こんななにげない会話が僕にとって貴重だと、彼は知っているのだろうか。僕にとって一言(ひとこと)しゃべるのが、彼にとってはなんでもない日常だ。意識さえしない。鈍くなってしゃべることができるのと、鋭くなってしゃべることができないのはどっちが良いのだろう。

「…どっちでもいいか、そんなこと」

 そうつぶやいて、自宅へ帰る足を進めた。下駄箱で靴を履き替えて、昇降口から出る。天を見上げる。雲一つない青空だった。

 世界は広大で矮小(わいしょう)な僕は切なくなる。あんな風にはなれない。なりたくないし、なれない。鈍いと思うけど、羨望(せんぼう)する。あんなのを見せられて、こんなにちっぽけで死にたがりな僕はどうやって生きていったらいい? 自問した。しかし、答えはでなかった。

 僕は僕以外になれないし。

 家に帰って、ベットの上でゲームをした。ゲームに飽きた。目が疲れた。僕はやるせない。僕は生きていたって無駄なのではないか。生きていたって絶対的には無駄じゃなくても、相対的には無駄ではないのか? そんな疑問が脳裏をよぎる。こんな時もし誰かに「生きることは無駄なんかじゃない!」と言われても「そんなこと言ったって、そんなの生きたって無駄だ」とはっきりと言える。

 空は(かす)んでいる。あれ。空だと思ったら部屋の天井だった。目をこする。水滴が指に付着した。これは涙というやつではないか。少し安心する。僕はちゃんと感情を表現できる人間のようだ。悲しいのに泣けないのは窮屈(きゅうくつ)だろう。解放できてよかった。孤独になれて、ちゃんとさみしくなれてよかった。今の僕は孤独だけれど、心の隙間は自分で()めれている。

 僕は一人で生きていける。

 次の日は学校に消しゴムをもって行かなかった。なぜかというと昨日のことがあったからだ。消しゴムを彼に貸したから、僕は彼と関わってしまった。また消しゴムを借りられたら胸をかきむしりたくなるような衝動を我慢しなくてはならない。

 なんで、僕は彼みたいになれないんだろう。そう思う。…なりたくはないけど。

 これは尊敬でも嫉妬(しっと)ではない。実は羨望でもなかった。結局、僕は彼のような存在に『劣等感』を抱いているのだろう。学校でほぼ毎日、彼のような存在とすれ違うたびに負けている気持ちになる。呼吸をするように自然(ナチュラル)に負けているのだ。僕は相対的に彼のような存在に負けている。ルックスの面でも、性格の面でも、僕は敗北者なのではないか。

「人生は戦いだね」

 負けることもあれば、勝つこともある。

「…なんだか、一人で恥ずかしいし」

 一人での登校は独り言が多くなる。僕にとって一人じゃないと言えないのが独り言だ。僕はどうしようもなく一人だ。一人で生きて、一人で死ぬ。みんなはどうなのだろう。一人で生きていると感じないのだろうか。なんで友達なんてものをつくろうとするのだろう。人は生きるためには一人じゃ生きていけないことはあるけど、でも、だからといって、一人で生きていける人がいないわけじゃない。

 さみしいことは悪だろうか。

 そんなことはない。

 そう信じる他ない。僕は僕自身を信じるしかない。僕が正しいと思うことを、ただ、独りよがりに一人で信じるしかないのだ。

 歩いていて思考をしていたら、いつの間にか学校に着いていた。まるで僕が瞬間移動したみたいだな、と思った。それは絶対にないのだけど。

「おはよー」

 教室の扉を開けたらそんな声がした。もちろん僕のような社会不適合者に対しての挨拶ではない。僕なんかよりイケメンでイケメンでイケメソ(ン)な奴に挨拶をしているのだ。僕もあんなイケメンになれたら、挨拶をされるようになるのかな、なんて、思った。絶対にそんなことはないのだけど。絶対にイケメンは関係ないのだけど。いや絶対…は決めつけすぎか。

「おはよ」

 再び声がした。その声は先ほどとは違う人間からだった。どうせ僕に対しての挨拶ではないだろう。もし僕の人生が小説だったら影が薄い僕のことなど、読んでいてつまらないだろう。楽しくないことは間違いない。僕と一緒にいることで楽しい気持ちになる人間なんているわけがない。常に人を警戒してなるだけ嫌われないようにしてきた。嫌われないためにはしゃべらないことが必要だ。能動的なことをしなければ興味ももたれないし、嫌われない。それを僕は幼い頃からわかっていた。たとえ人前で話す機会があっても、声がうわずって流暢(りゅうちょう)にしゃべれない。もう最悪だ。僕の脳みそが円滑(えんかつ)な会話を阻害している。相手の話しを何回も聞き返さないと、言っている意味の本質がイマイチつかめない。だから僕は僕以外の人間と普通な会話をするには「え。ごめん。もう一度言って」を繰り返すようになるだろう。それが僕にとっての『普通』なのだ。

 そして、学生鞄を蹴られた。

「ぉおお」

 …僕の学生鞄が。

「挨拶返せやぁ。なにお前、無視すんなよ。新手のいじめかよ。なんだよその反応」

「いや…うん。ゴメンゴメン。おはよう」

 そうして僕は席に着いた。どうやら僕は挨拶をされていたようだ。イケメソ(ン)じゃないのに。…イケメンは関係ないか。

 …なぜ僕に挨拶をするのだろう。そんなの意味がないじゃないか。時間の無駄じゃないか。そう、思う。

 話しなんてこんな下位ランクの人間にしたって甲斐(かい)がないだろう。なんてったって僕はレベル2だ。僕は他人に流される。抵抗がないから、話し甲斐がないのだ。力による支配はあらかじめ抵抗がないと、支配した気持ちになれないものだ。

 君は無駄だよ。無駄で無駄で無駄だ。

 だから僕としてはそんな無駄な話しを無視したい。したいけど、実際には相手の話すというベクトルに流されて聞いてしまうことがほとんどだ。聞いたって無駄だな、と思いながら聞いてる。

 僕は力が無い。

 無に等しいほど力が弱い。

 だから流される。

 たまに『生きる』という動詞が他人事のように思えてくる。それはきっと、僕が極限なまでに感度センサを働かせて生きてきたからだろう。あらゆるものを受動的に触れて、それに責任を負わない生き方をしてきたからだろう。他人にまかせて、まかせっぱなし。

 全てのベクトルを変換しない。

 たとえ受け入れた先が地獄だとしても。

 流れ、流されて学校に行っている。

 だけど、僕にだって、抵抗したい時だってある。昼ごはんで給食当番という(かか)りをしていた時のことだ。クラスの食器におかずを()る作業をしていた。あいつも同じ作業をしていた。それだけなのに。

「うえー『』のかよ」

 それだけなのに『あいつ』の盛ったご飯は食べたくないなんていいやがる。そんな陰口を聞いて僕はムカついた。

 もちろんわかっている。僕は抵抗ができない人間だ。力の強いモノになんて勝てるわけがない。だけど、言っていいことと、言ってはいけないことはあるだろう。

 僕は無抵抗なりに行動をおこした。

「おいちょっと待ちやがって…くださ」

 恥ずかしい。やっぱりやめよう。僕の(がら)じゃない。

 どうせ僕の小さな声量では相手に聞こえないし。僕はなんの抵抗にさえなれない。ゴメン。ゴメン。僕は心の中で『あいつ』に謝った。僕は自分のなさけなさにガックリと気落ちした。視線は下を向き、背骨が曲がる。肩を落としているから、なで肩がいつも以上に()でらかになっている気がする。

 そんな時、叫び声が聞こえた。この叫びは悪を(ほろ)ぼさんとする正真正銘(しょうしんしょうめい)の正義、

「おいそこ! この鈍感になった最悪が! お前は今、何を言ったかわかってんのか!? なーんーでー『あいつ』に嫌味なことを言うんだ!? はあ!? わかってねえだろ! わかってねえからそんな心にも無いことが言えるんだろ!? そうやって、お前らは日々の暮らしに慣れて、うしろめたいことをうしろめたくすら思わないで、のうのうと。のうのうと。のうのうと。のうのうと。のうのうと。のうのうと。のうのうとのうのうとのうのうとのうのうとのうのうとのうのうとのうのうとのうのうとのうのうとのうのうと、ふ、巫山戯(ふざけ)やがって! うしろめたいが正義だ! 私が正義だ!」

 じゃないだろ。

 大丈夫か。この人いつもこんな感じだよな。たしか同じクラスメイトの舞奈好愛(まいなすあい)という名前だ。よく発狂する。いつものことだ、と(あき)れる生徒や先生もいれば、恐怖に(おのの)く生徒もいる。…正義が怖がらせちゃダメだろ。もはやそれは悪役の仕事だろ。

 僕は空気がピンと張りつめた教室で、なにもしなかった。なにせ僕のアイデンティティはあらゆる力を無効にしないだからな。世界最弱の力、とくと見るがいい。

 給食当番の僕は食器におかずを入れた。

 …これが僕の力だ。

「うるさいな。なぁ。そう思わん?」

 隣でそんな声がした気がする。見ると上野下上野内くんがいた。よく聞き取れなかったのでもう一度、言ってほしかった。

「…えっと…えー」

 口ごもる。彼は、

「いいよもう!」

 とぶっきらぼうに言いながら、どっかへ行ってしまった。…なにが『いい』のだろう。…なんでイケメンじゃない僕に話しかけてくるんだ。…話すならイケメンでイケメンでイケメソ(ン)なやつにしろよ。…僕なんかに話しかけるなよ。僕はレベル2だぜ? お前なんかとはつり合わねーんだよ。僕みたいな人間は前を向いて歩けないんだよ。常に下を向いて歩かないと障害につまずいて転んじゃうような(なさ)けない人間なんだよ。僕にあんまりまぶしい希望を先入させるなよ。思い込んだあとで落ち込むのが怖いんだよ。僕はお前なんかとは違うんだよ。もういいよ。

「あ…『いいよもう』ってそういう意味か」

 僕は遅ればせながら気づいた。

 僕って以外と(にぶ)いな。

 鈍いは強い。強いは鈍い。

 鋭いは弱い。弱いは鋭い。

 強さは弱点になり、その逆もある。

 強いと感じれば弱くなる。弱いと感じれば強くなる。まさしくこれは思考的矛盾だ、と思う。自由になろうとするほど不自由になる自己矛盾のような、完璧な答えの出ない問題。

 それにしても僕は無抵抗だから弱いはずと思っていたけど、もしかしたら誰かを知らない内に傷つけているのかもしれない。だとしたら僕は強い。鈍感で強い。だけどそんな人間にはなりたくない。弱そうに見えて強い人間になんてなりたくない。そんな(いつわ)りの見た目に騙されていたことに気づいて、失望されるのはなんだか嫌だ。できれば最初から失望されて、だんだんと他人の望むような形になれればまだ僕は『使える』と思う。

 僕のような社会不適合者でも、歯車にだってなれるかもしれない。無抵抗な僕はぎぃー、ぎぃー、ぎぃー、ぎぃーと不協和音を鳴らさないで社会と協和して噛み合えるかもしれない。きっといつか、社会不適合者なりに歯車になって、働いたりするんだろうな。

 むちゃくちゃ不安だし。

 なんだか怖いなあ。

 それから、昼ごはんを食べた。

 区別された班ごとに、机をくっつけて食べるのだ。僕はこの時間がたまらなくシンドイ。食事をしているところを他人に見られるなんて、恥ずかし過ぎる。小学校の時に恥ずかしそうに黙々と食事しているのを見て笑われた経験が僕の脳裏をかすめる。あんな恥をさらしたくない。食事をしている時が一番怖い。嫌だ嫌だ嫌だ。逃げたい逃げたい逃げたい。そんな衝動に駆られる。

 目は挙動不審に右往左往に動いている。目のやり場に困るからだ。左右前方に人間が食事をしているなんて、鬼畜過ぎるし。見てはいけないものを見ているような気がするし。

 ああ怖い!

 少し震える手で(はし)を持ち、スパゲッティをつまんだ時。声をかけられた。

朝夜光平(あさやこうへい)くん!」

 真横の席から殿方完治(とのがたかんち)という名前の人間が僕をフルネームで呼んできた。

「…え?」

「だから、君のことだよ! 朝夜光平くん。朝夜くんは、今日 一言(ひとこと)もしゃべってないでしょ?」

 …そんなことはないのだけれど。

「そ…そんなことはないよ、さすがに。なんかはしゃべるよ。…あははは」

 無理矢理、笑った。今の僕の表情は異形な笑みになっているはずだ。

「えー。そうかな? じゃあ今度から、一日にしゃべった回数を記録しておこうかな? そして記録した紙を廊下の掲示板に貼っとこうかな?」

 …それだけはやめてくださいお願いします。そんなことをすると僕が学校でどれだけぼっちなのかが見える化されてしまう。そんな屈辱(くつじょく)を感じながら、これからの学生生活を送るなんて、死んだ方がマシだ。僕のプライバシーがなおざりにされている。この人は僕を不登校にしたいのだろうか?

「いや、それは…ダメでしょ。あはははは」

 僕は抵抗しないで、無理矢理、笑った。

 それに合わせて、班の皆も、笑った。

 笑いながら僕は、孤独を感じた。たったそれだけだし。終わり終わり。

 次の日も学校に行った。下を向きながら歩く。下は水たまりが(こお)っていた。その上に乗ると摩擦が少ないため、少しすべった。抵抗が無いから流れに任せて進むのだ。僕も流れに任せて、学校に行く。

 道なりに進み、曲がり角で人と出くわした。

 舞奈好愛さんだった。人類最恐を目の前に僕は色々な意味で緊張し、顔が(こわ)ばった。

「お、お、お」

 おはよう、は言えなかった。僕は自分の声を言葉として相手に伝達する自信が皆無なのだ。

 どもり声を笑われるのも怖いし。

 諦めよう。

「うっす」

 うっす? よく見ると彼女の口が動いているようなので、僕は軽く会釈をした。

「お」

 おお、と言いたかったが、言えなかった。とりあえず、というかなし崩し的に、男の僕は先に道をゆずった。ゆずった、というより逡巡(しゅんじゅん)している僕をおいて先に行っただけなのだけれど。

 僕も歩く。道を歩く。数メートル前にはあの色々な意味で凄い舞奈好愛さんが歩いている。

 本当、色々と凄いよなあ。

 学校で孤立してるのに、全然、さみしそうじゃないんだもんな。むしろ、なんらかの使命感で孤立を選らんでいるような…。

 僕とは違うなあ。

 僕は孤立したくてしてるわけじゃない。できれば、誰かと気楽で気軽に会話ができるようになりたい。それができないから学校生活は不安でいっぱいなんだ。

 まるで自分の存在を誰にも認められてないような気がするし。

 僕は弱い。

 だけど。

 だからこそ弱い人の気持ちがわかる。弱い人の役に立てる。それが無抵抗な僕自身の強みなのだ。そう信じるしかない。そう信じるしか僕の生きる価値を見出せない。


 …『弱い人』とはどんな人だろうか?


 前にいた舞奈好愛さんはどんどん先へ進む。だから僕との距離がだんだんと離れていく。

 たとえば足の速いひとは強いとして、足の遅い人が弱いとしたら、そこになんらかの基準がなければならないのでは?

 僕は弱いのだろうか?

 それは誰と、何と、比較して?

 教室ではいつものように息が詰まる時間をやり過ごした。机に腕を組み、顔を伏せながら想像する。今頃『あいつ』はどうしているだろう?

 教室は孤独だ。皆に後ろ指を差されて笑われているような錯覚に(おちい)る。

 どうしようもなく一人の休み時間。

 僕の目は挙動不審に動いて、生き心地が悪かった。皆があんなに自然体に休み時間を過ごしているのが、とても凄い、と思う。僕はあんな風に器用に過ごせない。誰かとしゃべるのが怖い。例えばレベル3の生徒と話をする時に、近くでレベル50のイケメソ(ン)がいるだけで畏縮(いしゅく)する。顔が強ばり、心は弱まり、僕の声帯は機能を最小限に抑えてしまう。まるで蛇に睨まれた蛙みたいな図になるだろう。蛙が僕だ。たとえ蛇が睨んでなくても、近くにいるだけで、捕食(ほしょく)されそうな危機感にさいなまれる。

 僕は弱い。

 どうしようもなく、弱い。

 だけど『あいつ』はそんな僕のことを、弱いとは思わないだろう。あいつにとって強さとは『どんな時でも人に対して優しくできる』ことなのだ。僕は無抵抗だから優しいと勘違いされやすい。あいつもきっと勘違いしてる。

 僕は優しくないのだ。

 優しいのと、優しく見えるは、全然違う。

 それに僕は人間の『強さ』とは『優しさ』ではないと思う。もし『強さ』=『優しさ』なのだとしても、優しくない人に優しくないのは優しさではない、と思う。もし優しくない人に優しくできる人がいるなら、僕はそいつのことを『強い』と認めてあげてもいい。そんな人間めったにいないだろうし。

『優しくない人に優しくできる』人間は最強だろう。誰よりも、強い。

 めちゃくちゃ鈍感なんじゃないかと(うたが)いたくなるぐらいには、強いことは間違いない。まあ、そんな優し過ぎる人間に一度も会ったことがないし。最強なんて、所詮(しょせん)、世迷言なのかもしれない。

 もっとも鈍感なやつが最強なら。

 僕は最弱になりたい。

 誰よりも弱い奴と強い奴の味方でありたい。

 最弱のヒーローになりたいんだ。

 優し過ぎる『あいつ』が世界につぶされてしまわないために。弱いやつが強いやつを助けるんだ。無抵抗の最弱が優し過ぎる最強を助けるんだ。

 無抵抗な僕が無抵抗に抵抗する。

 この世の矛盾すらも打ち砕いてやる。

 あらゆる力を無効にしない能力(スペック)

 この僕が、抵抗しないで、(あらが)ってやる。

 無抵抗に、抗って、抗って、抗ってやる。

 たとえ、僕のやることが無駄だって誰かに笑われたりしても(かま)うものか。

 あいつが学校で楽しくいられるように、あらゆる抵抗を無抵抗に抵抗するんだ。

 世界最弱の僕は『行動』をおこした。

「すぅ」

 僕は息を()いた。

 これにより、バタフライ効果で未来になにか劇的な変化があれば良いな、と思う。

 あらゆる力を無効にしない。

 これが僕の能力だ。

 失望されることの多いこの力。

 これ以上を僕に望まないでくれ。

 机の上で腕を組んだまま、

矮小(わいしょう)な僕は無駄だろうか」

 僕は小声で独り言を口にした。

『あいつ』にとって無駄な僕の存在が許せない。

 無駄に無抵抗な僕が許せない。

 なんでこんなに『弱い』んだ。

 視界は真っ暗。少し目を開けて視線を光の教室にずらす。彼ら彼女ら生徒のはじけるような笑顔が見える。廊下を元気に走り回ってる人も見えた。

「ははは」「うふふ」「えへへ」「あいつほんとくさい」「あはは」「あの人あれに似ててまじ笑える」「ははは」「ね。ほんと信じられる?」「あはは。そうそう」「あいつ嫌い。なんか調子にのっててさ」「あの時、ああいうことがあって、その時にね、『あいつ』なにしたと思う? ああしてたんだよ? まじウザくない?」「ははは」「うける」「うん。じゃあ、明日の九時にあそこに集合ね」「ねー聞いてくれる? さっき先輩に廊下で出会っちゃった。まじ嬉しすぎる」「よかったじゃん。それでそれで?」「あはは。うける」「わかるわかる」

 右目の下付近が痙攣(けいれん)したように勝手に動いている。

 怖い。怖い。怖い。

 どうしようもなく一人。

 どうしようもない孤独。

 孤独が僕を不安にさせる。

 だけど不安が僕を(ふる)い立たせる。

 だめだ。こんなんじゃ。

 こんなんじゃ。なんにも。変わらない。

 無抵抗の僕は不安でい続けることにした。

 なぜなら『そのままにしておけない』のが僕にとっての不安だからだ。

 弱い僕が長時間、不安でい続けることができるわけがない。不安でい続けたら、パニックになって死んでしまうからだ。それぐらい僕は弱い。繊細だ。

 世界最弱を小さい声なりに頑張って豪語(ごうご)したいくらいだ。

 だって僕はこんなにも無抵抗なんだから。

 地球上に力の作用しない物質はないとはいうけれど、あらゆる力を無効にしない僕からしたら、そんなの『当たり前』でしかない。僕自身が力に作用されるなんて、そんなの、当たり前だ。当たり前すぎる。

「あ」

 考え事をしていたら、いつの間にか、下校時刻になっていた。あっという間に時間が過ぎていた。

 時間の流れに(さか)らえない。それは、みんな同じだった。それは無抵抗というより、無慈悲というべきかもしれない。時の流れには感情なんて、意味をなさない。慈悲なんて感情をこの宇宙全体がもっているわけがない。

「帰る」

 誰にも聞こえない声量でつぶやいた。下校する時はいっせいに騒がしくなる。みんな帰れるのが嬉しいのだろう。それは僕も同じだ。

 みんなと違うのは一つだけ。

 無抵抗。

 僕はゆっくりとした足取りで、なるだけ目立たないように生徒や先生に出くわさないルートを選んで帰った。

 逃避行動。

 これは抵抗かもしれない。

 もしかすると僕は少し、嘘をついているのかもしれない。

 僕は抵抗をしている。

 いったい何から?

 あれから、一ヶ月過ぎた。

『あいつ』は学校に来なくなった。

 僕は無抵抗にそれを受け入れるしかなかった。無抵抗に抵抗しようとしたけど、無抵抗な僕は、無抵抗にさえ抵抗できなかった。

 なんだこのざまは。

 最弱の名が聞いて呆れる。僕は誰よりも繊細で誰よりも弱く、誰よりも、誰よりも、誰よりも、誰よりも、誰よりも、

『あいつ』を助けたかったはずなのだ。

 なのに僕は無抵抗にさえ抵抗できない。

 僕は朝の下駄箱をみるたび、せつない気持ちになる。教室でじっとしている時に朝のホームルームが始まるまでに『あいつ』が今日はくるんじゃないかと何度もドキドキした。

 そして、何度も落胆した。

 今日も、きてない。

 今日も、これない。

 不登校の記録を日に日に延ばしていく彼女。この教室から彼女の存在が消されるような感じがした。三年生の僕らはあとが残されていない。これからの清々しい未来が彼女だけが約束されてないような、集団内での孤立。

 一つだけ空いた席を見ると不安になる。

 不安でい続けられない僕のことだ。なんらかの処置をするだろう。

 いったい僕はなにをするのだろう?

 自分のことはわからなかった。

 二月。

 最近は周りの男子がそわそわしだしている。

 バレンタインが近いからだろう。

 僕は母親からしかもらったことがない。なんか急にシュークリームが食べたくなってきたし。カスタードクリームの材料とか買ってこよう。

 僕は、シュークリームをつくった。

 僕は、シュークリームを食べた。

 どうしよう。

 シュークリームをつくりすぎた。

 僕は、シュークリームを紙袋に入れた。

 僕は、紙になんかを書いた。

 今日はバレンタインの日だ。

 僕は、学校に行った。

 僕は、『あいつ』を下駄箱の近くで待った。

 僕は、挙動がそわそわして落ち着かない。

 ばくばく、ばくばく、ばくばく、ばくばく、ばくばく、ばくばく、ばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばくばく

 この気持ちはなんだろう。

 この絶対的な気持ちはなんだろう。

 僕はいったいなにをしようとしている?

 僕は僕がわからなかった。

 だけど、無抵抗に、抗ってこうして、恥ずかしい気持ちになりながら、下駄箱の近くで突っ立っている。この状況は悪さをした生徒が廊下に立たされる昔の漫画みたいだとさえ思った。

 今の僕の思考は限りなくゼロに等しい。

 あと十分でホームルームが始まる。

 どうか来てほしい。

 最弱の無抵抗主義者は。

 そう、願った。

 そのうちに、白い煙が見えた。

 寒そうにマフラーで顔を三分の一くらい隠している人がいた。綺麗な目元が見えた。

『あいつ』だった。

 僕は下駄箱に駆け寄る。

「あ、あ、あ」

 吃音(きつおん)の症状がでた。(はにかみ王子ではなく)カミカミ王子の本領を発揮してしまう。なにをしゃべっていいかわからない。僕ははにかむことしかできない。そうすること以外で相手に伝えられるものがない。いや、手紙があった。

 僕は手紙を書いたのだ。

 バレンタインの袋の中に入れた手紙。

 僕は完全に思考停止した。とりあえず、とりあえず渡すものは渡そう、と紙袋を差し出す。

「あれ? これ、うちに?」

「あ、うん」

「ああそうかバレンタイン…ありがとう」

 こうして会話が終わった。

 無抵抗な僕はどうすることもできなくて、そのまま静止した。きっと、彼女は上履きを履いたあと、教室に行くだろう。僕はその様子をこの位置からさりげなく眺めるとしよう。

 すごい。会えた。びっくりだ。

 彼女は教室の方に歩いている。それからピタリと歩くのをやめて振り返った。

「朝夜くん。ホームルーム遅れるよ。急がないと」

 ああそうか。もうそんな時刻か。

 僕は彼女の後ろをついて行った。

 教室の扉に差し掛かったところ。

「大丈夫?」

 僕は声を掛けた。彼女の心中を想像すると心配になる。この扉を開けたら、そこには、またあの教室が待ち受けている。

 しんどくなると思う。

 帰りたくなるだろう。

 それでも、そんな気持ちに抗って、前に進めるのだろうか?

「大丈夫」

 彼女は短い間、僕に笑い顏をみせてくれた。

 強いな。

 もしくは。

 強く見える。

「が、頑張らなくてもいいけど」

 僕は言いたいことをうまく伝えられない。

 どうしてこうも大事なところで『使えない』んだ。なにか言わなければなにか言わなければなにか言わなければなにか言わなければ、と思っている内に彼女は教室の扉を開けていた。

 不登校者だった彼女は視線をいっせいにあびることになるだろう。


 どうか潰されないでほしい。

 普通な人間なんていない。彼女は普通じゃない。このクラスも普通じゃない。

 だから、惑わされないで、極端に自分が駄目だなんて思い込んだりしないでほしい。

 そして、学校に来てほしい。


 このようなことを手紙に書いた。

 僕は最弱の無抵抗だから、強くて優しすぎる『亜桜圖湖(あざくらずるこ)』を助けないといけない。

 最弱が最強を助けないといけない。

 僕は無抵抗に抵抗できたかな?

 それはわからない。

 観測点が違えばなおさらわからない。

 基準を彼女にしたら僕は『助けた』ということにはならない。

 助けたという判断は僕の独りよがりの決めつけでしかないから、どうしようもない。

 そもそも『助ける』とは強い者が弱いものに対してするものではないか。なら、なぜ最弱を自負する僕がそんな世迷い言をはくのだ。

 わからない。わからない。

 わからないなりにも知りたいことはある。

 無抵抗な僕は自分自身の無抵抗に抗い、世界の抵抗に抵抗することができただろうか?

 こんな抽象的な疑問に具体的な回答がでるはずがない。言葉で遊びたいわけじゃない。

 もういいか。

 もう端的に決めつけよう。

 結局。


 僕は『あいつ』のことが大切なのだ。


 それ以上はない。

 それ以下もない。

 具体的な意味すらない。

 僕の人生が小説だったら。

 たったそれだけで完結する。

 始まる前に終わってる。

 好き嫌いの概念を無視してる。

 この想いだけが本当だ。

 あいつは、いつもの席に座り、何事もなかったかのようにボーっとしている。彼女に気づいた舞奈好愛が声をかけた。

「うっす。元気にしてた?」

「まあね。元気元気。だいじょーぶ」

 本当に大丈夫だったらいいのに。

 僕も席に座る。

 未来には不安をもって生きていかなくちゃならない。不安定な僕らの集まる学校は、とてもしんどいところだけど、それでも、問題を抱えて、問題をうやむやにしながらも、前には進まないといけない。

 楽しむだけなんて、ありえない。

 苦しさの中の、喜びを楽しむんだ。

 大丈夫。

 未来は明るくないから。

 自分が明るくなるしかない。

 無抵抗な僕は思った。

 放課後になって、僕は教室を出た。廊下はまばらに人が行き交う。その中に、あいつを見つけた。

 誰よりも強い。

 人類最強。

 しかし、環境条件によっては最強は最強じゃなくなる。彼女が良い例だ。

「ふぅ」

 一人きりのため息。なにか嫌なことでもあったのだろうか? 疑問に思っていると、彼女は僕の渡した紙袋を手に持ちながら、階段を下りていった。

 無抵抗の僕は。

 無抵抗の最弱は。

 あとをついて行く。

 踊り場で彼女は立ち止まる。

 僕の方を見上げた。

 どきりとした。長いまつ毛からぱっちりと大きく開いた瞳。それが僕を見ている。

「いい? 一緒に帰って」

「あ」

 予想なんてそもそもしていない事態。僕は声がどもる。

「手紙読んだよ。泣いた。ありがとう」

 淡々と彼女は言う。

 最強らしいハキハキとして力強い声が、僕の鼓膜(こまく)を振動させる。

 意味なんて、ない。

 恋愛感情は、ない。

 ただ、大切、だった。

 大切な人からありがとうと言ってもらえた。それがとても嬉しくて、僕も少しだけ泣きそうになる。

 僕『も』?

 ああそうか。

 彼女が泣いていたからだ。

 目と、目の周りがやけに赤くなっていた。

 泣けるなら、良かった。

 泣けたならまだ、不幸じゃない。

「あ、あ、あ」

 吃音が酷い。もとの声に戻ってくれ。

 無抵抗の僕は頑張った。

 しかし、どうしようもできなかった。

「行こう。途中までね。はーあ」

 ため息をつきながら、最強の彼女は階段を下りていった。最弱の僕はあとをついていく。

 外に出た。空はまだ明るい。部活動をやっている生徒達がまだ学校にはたくさん残っている。

 レベル2の僕は帰宅部。

 レベル99(カンスト)の彼女も帰宅部。

 このことからレベルが高い人にも帰宅部がいるということが証明できると思う。

 帰宅部を非難してはいけない。帰宅部は悪くない。僕は悪くない。そう自分に言い聞かせながらでないと、部活動で苦しい人間関係を()いられている方に背を向けて帰れないのだ。

 後ろ歩きで帰るわけにはいかないし。

 帰宅部の僕は前向きに帰宅をしよう。

 僕は歩いた。

 無抵抗に彼女の後ろをついて歩いた。

 くだらない話しすらできない。

 声を発するのが怖いからだ。どもり声を笑われるのが怖い。昔を思い出す。頑張って声を出して笑われていたあの頃の記憶。

 見下されるのが怖い。

 (さげす)まれるのが怖い。

 最弱の僕はどうすることもできないまま、彼女に気の利いた話題をふることもできない。

 沈黙したままの二人。

 前にいる彼女は楽しくないに違いない。

 こんなレベル2と一緒に下校したところで、なんの得にもならない。

 僕から誘ったわけではないけど、本当に申し訳ない気持ちになった。

 前方にいる彼女の髪が揺れる。

 彼女の表情が知りたい。

 怒っているだろうか?

「あ、あのさ」

「ん? なあに?」

 彼女は振り向いた。僕とは違う柔和な笑みだ。見ているだけで心地いい。そんな自然なものだった。綺麗だ、と素直に思った。

「あ、いや、なんでもないんだ。気にしない、で」

「ははーん」

 彼女は僕の目をじろじろと見つめ続ける。恥ずかしいから、目を逸らした。

「朝夜くんが、今、何を考えているかわかったよ?」

「ん、え?」

「強引で嫌なやつだって思っていたんでしょ?」

 彼女は自分を人差し指で差した。

「そ、そうじゃなくて、あ、えと、なんていうのかな、ああ、うまくいえない。ごめん」

 彼女は「あははは」と笑いだした。

「はははは。なんで君が謝るの? 謝るのはこっち。心配かけさせてごめん。でも、びっくり。うちなんかをこんなに気にかけてくれる人がいるなんて思いもしなかったから」

「えっと、それは…」

 なんで謝ったか説明しようと思ったが、思考から発声のタイムラグが生じたため彼女に(さえぎ)られる。

「やっぱり面白いよ。君」

「…君」

 誰かに君って言われると案外と嫌なものだ。僕という個体を浮き彫りにしているような、気恥ずかしさを感じてしまう。君って怖い。

「うん。面白い面白い。話しをしたくないのか、したいのかわからないところとか。不器用なくせにロマンチストなところとか。弱そうなのに強いところとか」

 …それ、面白いか?

 よくわからない。だけど、彼女が楽しそうだったから、僕は嬉しかった。口元がゆるむ。

「そう! その自然な表情!」

 彼女はいきなり大きな声をあげた。

 路面の隅でにたっと笑っている。

 目が綺麗だ。

「…無理無理。自然な表情なんて僕には」

「にた〜」

 最弱の僕は自然にさえ抗えない。

 人前で表情はカチコチ。

 のはずだ。

 しかし。

 今は違った。

「にた〜」と意味不明な声をしながら彼女は顔を近づける。やめろ。やめてくれ。その100点満点の笑顔が光を照らして僕を浮き彫りに。しなかった。

 心がくすぐったい。自然さに抗う暇もないほど、無抵抗に、僕は素直に笑っていた。

「はは」

 馬鹿みたい。

 でも。

 馬鹿も悪くない。

 僕は悪くない。

 誰も悪くない。

 悪いのは正義。

 正しいと思い込む心。

 僕は今。正義を感じている。

 ああ。悪いな。最悪だ。

 絶対の正義基準ができてしまいそうだ。

 僕は。

 最悪な最強になりそうだ。

 なぜなら彼女が

「はい。バレンタイン即日お返し」

 プレゼントを僕に渡してきたからだ。

 たぶん市販されているチョコだ。

 抵抗を無抵抗に受け入れる僕は受け取る。

 初めて母以外の人からもらった。

 手作りじゃないチョコ。

 僕は「あ、ありがとう」と言えた。

 嬉しかった。嬉しかったのに。

 悲しくなった。苦しくなった。

 僕は常に未来に絶望して悲観しないと生きていけないと思っていた。悲観しないでいい気になったら、あとで絶望の淵に追い込まれる。それが嫌で、はなから未来に期待なんてしていなかったのに。どうしてくれるんだ。

 これじゃあまた、最初っからじゃないか。

 僕に希望を持たせるなよ。怖いんだよ。その希望が黒々とした絶望に変わるのが。もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。わからない。わからない。わからない。ころしてくれ。お願いだ。誰か。僕をころしてくれ。こんな『使えない』人間なんて存在しても『無駄』だ。去年息を引き取ったおばあちゃんみたいに、僕もいなくなりたい。いなくなりたい。いなくなりたい。もうやだ。

「ん? どうしたの?」

 彼女は首を傾げる。

 僕の思考は最強にはわかるはずがなかった。

 だから。

「いいや。なんにも」

 と言ってはにかんだ。笑った。いい気になった。絶望のために希望を抱いた。悲しむために笑った。自由になるために不自由になった。強くなるために弱くなった。愛するために嫌った。勝つために負けた。成功するために失敗した。失敗するためにチャレンジした。意味なんて意味不明。こんな滑稽なことがあるか? はははは、僕は最弱な最悪だ。

 この世の意味すら混沌に(いざな)い、全部無かったことにしてやる。

 無抵抗な僕が無かったことにしてやる。

 無抵抗になにもしない僕が世界を変えてやる。馬鹿馬鹿しいと笑えばいい。

 笑いたければ笑え。

 誰かが僕のことを笑ったら、僕も無抵抗に抗わないで愛想笑いをしてやるよ。抵抗を無抵抗に受け入れる最弱を見せてやる。見せてやるよ。なにもかも、わからない。なにもかも、意味不明で曖昧模糊。

 無抵抗な僕が無抵抗に世界を変えてやる。

 様々な抵抗に抗わないで変えてやる。

 感謝して受け入れながら変えてやる。

 その通りだねと言って変えてやる。

 ありがとうと言って変えてやる。

 変えてやる。変えてやる。変えてやる。

 変えてやる。変えてやる。変えてやる。

 変えてやる。変えてやる。変えてやる。

「変だよ。様子が…大丈夫?」

 亜桜圖湖が心配そうに僕を見つめた。

 僕は大丈夫じゃない。

 身体は丈夫なんだけど。

「あはは。嬉しいな。バレンタインの日にチョコを大切な人にもらえるなんて。ついてる。ついてるぞ。運がいい。最弱だけど強運だ。凶運じゃなくて強運だ。ありがとう。ありがとうね。感謝感激。あなたのおかげでいい夢が見れた。ありがとうありがとう。ありが十匹ありがとう。糖分を食べた蟻が十。働き蟻の二割は働かない。働き蟻の二割は頑張り蟻。頑張れ蟻。頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ。二割の蟻が頑張れ。社会のためにブラックな蟻が頑張れ。結果をださないで結束して頑張れ。頑張り蟻頑張れ」

 僕らしくない冗舌だ。

 どもらないで冗談みたいに舌が回る。

 僕の意味ない冗句なんだけど。

 それを相手は几帳面に受け取ってしまう。

「私。あなたのこと…勘違いしてたみたい。こんな狂人だったなんて…」

 そう言って彼女は速足で消えて行った。

 お速いお帰りで。

 お早い夢の喪失。

 夢はなかなか叶わない。

 夢は覚めるものだから。

 夢見がちな少年は卒業。

 夢の中の幻想でいいよ。

 夢も現実も変わらない。

 夢なんて夢でしかない。

 だから。

 僕なりの生き方で、

 やらせてくれよ。

 夢を見たら悪夢だったなんて。

 そんなオチいらないんだよ。

 僕の人生がもし小説なら。

 無抵抗な主人公が

 絶対的な悪に。

 抗う。

 そういうものでないと。

 つまらないんだよ。

 最悪だ。

 僕は最弱な最悪だ。

 無抵抗にさえ抗えない。

 あらゆる力を無効にしない最強。

 あらゆる力を有効にしない最弱。

 こんな僕なりに。

 今回は頑張ったんだ。

 なのに。

 頑張ったけど結果がでなかった。

 最愛なのに。

 最弱だ。

 僕は無駄で無駄で無駄だ。

 最低だ。

 最高に最低だ。

 災難だ。

 (わざわ)いではない。

 自然が悪いわけじゃない。

 僕が、悪いんだ。

 環境が悪いんじゃない。

 僕が、悪いんだ。

 帰ろう。家に。

 帰ろう。家に。

 僕は、一人で、独りでに、小言をつぶやきながら、コンクリートの上を歩いた。

 石粒(いしつぶ)を蹴りながら、僕自身が精神的につぶれないように、独り言をつぶやく。つぶつぶやく。ぶつぶつつぶやく。ぼやく。

「はーあ。ありえんし。なんでこんなにうまくいかないんだろ。馬鹿なのかな? 馬鹿なんだよね。馬鹿は死んでも治らないとは言うけど、僕のも死んでも怨念のようにまとわりつく粘り強い馬鹿なのかも。馬鹿だからこんなに失敗ばかり繰り返すんだ。失敗した原因を考えないから、馬鹿なんだ。何回も、何回も、チャレンジしても、同じ失敗を繰り返す馬鹿。それは僕のことをさして言うのかもしれないね」

 ドアを開けた。

 帰宅完了。

 あとは、シャワーを浴びて、ご飯を食べて、眠るだけ。

 おやすみなさい現実。

 またよろしくね幻想。

 寝た。

 終結だ。

 今日という一日が。


 あれから亜桜圖湖は学校に来ていない。

 卒業式まであと二週間に(せま)っていた。

 門出(かどで)を祝うその日まで彼女は来ないつもりだろうか。

 僕はなんで失敗してしまうんだ。

 何回も、何回も、チャレンジしているのに。

 抵抗に対して無抵抗に受け入れる最弱だからだろうか?

 それとも、知的で客観的に考えることができない馬鹿だからだろうか?

 自分自身のことがわからない。

 もうわからないことがわからない。

 わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。

 なのに、身体だけは勝手に動いて。

 僕は、絵を描いていた。

 大きな画用紙に絵を描いていたんだ。

 ブーミン。

 あいつが好きなアニメのキャラクターだ。

 掲示係だった僕は、卒業式前の廊下にある掲示板に好きなものを貼っていいって言われていたんだ。

 せっかくだし。

 最弱の僕の好きにさせてもらおう。

 そう思った。

 ブーミンは世界的に有名な豚の妖精だ。

 鼻が長く、手足が短い。

 二足歩行で、人の目には滅多なことでは現れない。幻想世界の妖精。

 元々は海外の書籍で、国内でも古くから児童文学として親しまれている。

 そのアニメ版が彼女は好きだった。

 だから、僕は描いた。

 一面の白紙にでかでかと。

 次の日になった。

 僕は早朝に登校した。

 完成した絵を一目につかないように、こそこそと貼り付けた。

 彼女が喜んでくれることを願った。

 彼女が学校に来てくれることを願った。

 掲示板の変わりように、彼女の友人達は特に驚いている様子だった。

 こそこそと貼り付けたのに。

 僕を見てにやにやしてくる。

 その意味深な笑い顔を見るたびに。

 僕の挙動は不審になる。

 怖い。怖い。怖い。

 なんで僕はこんなことを。

 そうだ。あいつがいたからだ。

 あいつがいた学校だから、僕は。

 最弱の僕は。

 強くなれたんだ。

 最弱のくせに。

 敏感なくせに。

 不登校にならないで学校に通い続けれた。

 あいつに会えるだけで僕の人生の目的は達成されていた。

 あんなに心臓の鼓動の起伏が激しくなったのは初めてだった。

 不思議な感覚だった。

 だから。

 最弱な無抵抗な僕は。

 最強の優しい彼女を。

 助けたかった。

 最弱が最強を助けるなんておこがましいとは思うけれど。

 この想いは真実だ。

 この世には絶対はないというけれど。

 この思い込みは僕の中で絶対なんだ。

 相対なんて入り込み余地がないほど。

 絶対的な気持ちだ。

 今日も彼女は学校に来なかった。

 次の日になった。

 今日も彼女は学校に来なかった。

 次の日になった。

 今日も彼女は学校に来なかった。

 次の日になった。

 休憩時間に。

 何回も、何回も彼女を探した。

 しかし、やっぱり、姿はなかった。

 ブーミンが野原を駆け巡っている絵が貼ってある掲示板を見に行った。

 あ、セロハンテープが()がれてる。

 用紙が重力により垂れ下がり、ブーミンが前のめりみたいな感じになっている。

 そこに、誰かいた。

 その人はつま先立ちをして、腕を高く上げた。そうやって剥がれたセロハンテープを貼りつけたのだ。

 遠目でみていたからよくわからなかったが。

 近づいてみてその人が、

 舞奈好愛だとわかった。

 僕は暴力的な意味で最強の彼女のその行為にギャップを感じて、面白いなと思った。

 僕は少しだけ、孤独が(やわ)らいだ。

 独りよがりの行為を認めてくれる人間がいた安堵(あんど)の気持ちが僕をつつみこむ。

 僕は彼女に近づいた。

 そして。

 話しかけようとした。

「あ、あ、あ」

 この吃音は予想をしていた。

 最弱の僕は(暴力的な意味で)最強な彼女を前に挙動不審になった。

 目が右往左往に動く。

 指が震える。

「うっす。どうした? 体調でも悪いか?」

 気遣われた。

「え、いや。大丈夫大丈夫」

 身体は丈夫。

「…大丈夫って言ってるやつが大丈夫なんてことはあんまりないんだがな」

「中丈夫」

「ん? 今なんて?」

 冗談が通じないどころか、

 そもそも聞こえてなかった。

 恥ずい。中丈夫なんて言葉はないから気にしないでほしかった。

 恥ずい僕を尻目に少し間をおいて彼女は無表情でしゃべり出した。

「私、あんた見直した。このクラスには、うしろめたいことをうしろめたく思わない最悪ばかりかと思っていたからな。亜桜のことは、まあ、なんとかなるさ。高校の内定は決まっているんだし」

「そう、じゃない」

 最弱の僕は違いを主張した。

「…なんとかなっても、それでも、学校に、来てほしいんだよ。それが、僕のわがまま、なんだ」

 数秒だけ彼女の目を見て言った。その目は僕とは正反対で、不動にまっすぐ前だけをみていた。かっこいい、と思った。レベルが高いな、と思った。最強だ。レベル99(カンスト)

「はは。ふん。大丈夫じゃないみたいだね。それとも、中丈夫か?」

 聞こえていたらしかった。

 恥ずい。

「しょ、小丈夫」

「え? 今なんて?」

 …わざとだろ。今聞こえてただろ。

 僕にこれ以上、

 恥ずい思いをさせないでほしいし。

「は、はは。あはは。いやいや、なんでも」

 (きびす)を返して教室に向かう。

 背を向けようとしたら、舞奈好さんは、

「ふうん」

 にやにやしていた。

 なにが面白いんだ。

 最強の考えることはあまりわからない。

「あど、どうも…です」

 ブーミンの絵が剥がれていたのを直してくれたお礼の声を発した。

 しかし、僕の声は聞こえていない。

 聞こえていたとしても、お礼の意味がわからないだろう。

 僕は教室に戻った。

 教室で、自分の机の上で、伏せた。

 照明の光が僕を浮き彫りにする。

 だから、目を閉じて、真っ暗にした。

 教室にはいつもの騒がしい話し声が聞こえてくる。このピンと張りつめた教室が、僕は嫌いだ。互いを牽制(けんせい)し合っているような、教室が嫌いだ。

 最強に見えるあいつは、環境によって、心地良い居場所をなくした。

 たぶん、僕にも責任があっただろう。

 ただ無抵抗に傍観していたのだから。

 傍観者として、彼女が壊れるのを見ていた。

 傍観者の僕は、なにもしなかった。

 傍観者の無抵抗主義者は無力だった。

 僕も。

 この人間が密集された教室で壊れた。

 修復不可能なほどに、ぶっ壊れた。

 いつから壊れたのだろう。

 抵抗に抗えない、貧弱な人間になったのは。

 抗おうとしても、失敗するのに。

 何回やっても、無駄で、無駄で、無駄だとわかっているのに。

 なのに。

 何回でも、やってしまう。

 壊れた、操縦者の言うことを聞かないロボットのように。

 何回も。何回も。何回も。

「うわぁぁぁ。僕って使えない」

 何回も。何回も。何回もチャレンジしたけど駄目だった。僕は駄目だ。使えない。生きていたって相対的に無駄かもしれない。

 だけど、生きなきゃ。

 駄目でも、生きなきゃ。

 無抵抗に生きなきゃ。

 死んじゃ駄目だ。

 死んだら駄目なんだ。

 駄目だから生きなきゃ。

 駄目じゃなくても生きなきゃ。

 どうやら。

 僕は少しおかしかった。

 次の日になった。その日も学校に あいつ は来なかった。掲示板に貼られたブーミンの絵は僕の学年の中で話題になっていた。誰が描いたのか知っている生徒はいるみたいだ。あいつと親しい間柄の女子生徒は、僕の顔を見るたびにニヤニヤと意味深な笑みをしてくる。僕はその表情を見るたびに、恥ずかしい気持ちや、怖い気持ちになった。

 休み時間。廊下に出た。廊下にある掲示板を見る。

 ブーミンは今日も元気に野原を()(めぐ)っていた。

「明日、卒業式だな」

 隣に人がいた。

「あ、え? そ、そう」

 人がいることに気づかなかった僕は驚いた。僕のようなレベル2にわざわざ話かける人間がいることにも驚いた。

「うっす。そいじゃあ」

 と言ってから、舞奈好愛は廊下を歩いてどこかに行った。

 一人残された。掲示板を見つめる。

 僕は、明日の卒業式は泣かないな、と思った。あいつ はきっと来ないだろうから。

 ついに次の日になった。

 卒業式だ。

 待ちに待ったわけではない卒業式。

 僕が無抵抗に卒業する日。

 無抵抗に受け入れる日。

 卒業式は今日だけど。

 僕の人生の卒業はまだだいぶ先。

 あと何年生きられるかな。

 そう思うとむなしくなる。

 僕はなんで、学校にいたんだろう。

 なんで、僕は生きているのだろう。

 生きたって相対的に無駄かもしれないのに。

 わけわからないし。

 はーあ。

 感謝しているんだけどなあ。

 無抵抗に受け入れて。

 うしろめたいことを受け入れて。

 あらゆる抵抗に抵抗しない。

 ありがとう。

 産んでくれて。

 ありがとう。

 なにもできないけど。

 最弱な無抵抗は思った。

 教室で思った。

 椅子に座り、机の上で寝たふりをしている。

 周りは賑やかな、感じだ。

 同学年で花束を用意している生徒がいた。

 たぶん、先生に渡すためのものだろう。

 僕の描いたブーミンの絵にはチューリップが咲いていた。ブーミンの手には四角いプレゼント箱を抱えてある。楽しそうな絵だった。

 僕はあの絵を目的の人間に見てほしかった。

 でも彼女は来なかった。

 卒業式まで来なかった。

 たったそれだけな話し。

 僕の独りよがりの行為。

 こんなものにはどうせ。

 意味なんて、なかった。

 意味があったとしても。

 意味なんて意味がない。

 だから思考を停止して。

 門出を祝おう。

 静粛(せいしゅく)にかっこよく卒業式をやりとげよう。

 …静粛にはできても、レベル2の僕がかっこよくできる自信はないけど。

 僕達は卒業式を始めた。

 僕達は卒業式を終えた。


 完








































 続

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