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二 ヤバいことになった

「おーい、買い物行ってくるからな」

「うんっ。あたしも行く!」

「雨だからやめとけ。一人で十分だ」

「えー、お兄ちゃんと一緒に行きたい行きたい」

「嘘つけ、アイス目当てだろ」

「半分ピンポーン、半分ブッブー」

「いいから、留守番よろしくな」


 午後四時。夕暮れ時だ。まあ、一日中雨で時間の感覚もないし、まして夕暮れなんて雰囲気でもないか。

 俺は、地球にやさしいエコバッグを肩に提げて家を出た。さっき書いたメモは……ちゃんと持ってるな。ポケットの銭の重みを手で確かめつつ、鍵を掛ける。


「傘持ってくしかねぇよな……」


 独り言をいい、玄関先に置いてあった傘を取り、開いた。軽い雨なら傘なしで走って行ってきてしまうのだが、この大降りではそうもいかない。そして家に背を向けた。

 と、そこでとんでもないものを見た。


「な……?!」


 人が、倒れていた。

 道のど真ん中に、うつぶせで。

 雪のように白く長い髪が縺れ、顔にかかっている。クリーム色の絹のようなワンピースは泥に汚れ、手足がむきだしだ。


「お、おい!」


 俺は傘を放り出してその人に駆け寄り、仰向けに直した。女の子だ。俺と同じくらいの歳で、目をかたくつむっている。体がとても冷えている。


「大丈夫か?」


 答えはない。完全に気を失っているようだ。

 雨粒が俺たちに襲いかかってくる中、俺は彼女を抱き上げ、自分の家のドアを力任せに蹴った。琳が驚いて出てくるなり、あっと声をあげる。


「どうしたの、この人?!」

「目の前の通りで倒れてた。タオルを二枚とってきてくれ。デカいやつ」


 こくんと頷いて、琳は目を丸くしたまま風呂場に走り出した。俺はドアの鍵を閉めるのも忘れて、足を振って靴を脱ぎ、リビングに駆けた。


「はい」

「サンキュ、一枚そこに広げてくれ」


 琳がおとなしくタオルを床にひいた。そこに彼女を横たえる。


「風邪をひくよな、こんなに濡れてたら。でもまあ脱がせるわけにはいかないか……とりあえず、出来る限りでいいから身体を拭いてあげてくれ。やれるな?」

「う、うん」


 琳が気圧されたかのように何度も頷くのを確認してから、俺は二階の自室へ行った。あの背丈じゃ、琳の服はキツいだろう。彼女が目覚めた時に着替えてもらうため。俺の適当な部屋着を選んで出しておき、再びリビングに向かった。女の子の身体を拭いているという状況上、ドアを開けて中に入るのは失礼だと思う。ドア越しに声を掛けた。


「大丈夫か?」

「頑張ってるとこ」


 少し緊張した声だ。俺に出来ることは? とりあえず今のうちに傘等を回収しよう、とまた外へ出た。一瞬視線を感じたのは、気のせいか、もしくは誰かが家から覗いていたのかもしれない。救急車を呼ぶという考えは俺たちには無かった。雨の中放っておくわけにいかない。まずは介抱してやる方が先だと思った。まぁ、人の命がかかってるけど、ただ気絶しているだけなら家で面倒見てやればすぐ気がつくだろうと、俺は彼女を甘く見ていた。


「終わったよ。あ、お兄ちゃんもびしゃびしゃじゃない!」


 琳がリビングから顔を覗かせた。中では少女がまだ気を失って横になっている。


「俺はいいんだよ、あとで廊下も拭いておくから。よし、よくやったな琳。ありがとう」


そしてまたその少女を抱きかかえ(何せ羽のように軽い)俺の部屋のベッドに寝かせた。季節的にまだ早い羽毛布団を物置から引っ張り出し、彼女の上に掛けたとき、俺は汗をかいていた。


「でも、これで一安心」


 一人で呟いて、どっこいしょと椅子に座った。濡れた髪からぽたりぽたりと水滴が垂れてくる。でも、それよりもどっと疲れが来てしまって。なにせ、昨日から真面に一睡もしていない。昨日は全速力で何㎞も走ったし、今日は雨に濡れた。

 ぼんやりと、俺は眠りに吸い込まれた。


          >>>>>


「あの……」


 柔らかな声で目を覚ます。瞼を開くと、すぐそこにあの女の子の顔があった。


「おわっ?!」


 びっくりして後ろにひっくり返りそうになったのを、女の子は心配そうに見つめていた。


「大、丈夫ですか?」

「あ、ああ。よかった、気が付いて」


 顔を上げて彼女に微笑みかけた。そこでやっと、よく観察できた。

 まるで雪のように白い髪が腰辺りまであり、一房、顔のすぐ左で三つ編みにしてある。しゅっとした輪郭に、細い手足からして、痩せているのは明らかだ。唇はまだ薄い色だがいい形をしている。二重の大きな目は、真っ青だった。とても綺麗な子だ。これ以上にないくらい。

 外人か? でも、髪の白い(染めたようなパサパサのものではなく、元からのような柔らかな白だ)人間なんて見たことがない。


「調子はどうだ?」

「調子……。私は眠っていたのですね」

「いや、倒れてたんだよ、俺ん家の前で」


 俺は観察をやめた。眠っていた? いやいや違う。あの服の汚れ方と姿勢からして、完全に『倒れていた』がふさわしいだろ。


「倒れて、いた?」

「ああ、君は俺の家の前で倒れていたんだ」


 少女はそこで、またとんでもないことを口にした。


「わかりません……」

「え?」


 少女は俺の声にびくりと震えた。一瞬素の声を出したために、全快ではないであろう見知らぬ少女を怖がらせてしまった。俺は立ち上がり、どうぞ、とイスを少女に受け渡した。少女は初め躊躇ったが素直に座った。


「ごめんごめん。じゃあ、これはわかるよな。住所と、電話番号。あと、名前。こんな大雨で親御さんも心配してるだろ、もう大丈夫なら送ってってやるよ」


 もう一度外行の声に戻して話しかける。少女がうつむき加減に俺を見、床に目を移した。


「思い出せない……何も」


 記憶喪失……?

 嘘だろ――本やら何やらのフィクションでしか見たことねぇぞ、そんなの。これは現実だ。二次元でなく、俺の生きている本物の世界で起きていること。


「本当に、何も? どうしてあそこに倒れていたのかも?」


 こくん、と頷く少女。その不安そうな表情を見ていると、それ以上言及できず、そして記憶喪失と偽っている可能性が限りなくゼロに近いとわかった。


「起きたら、知らない場所にいて、近くにあなたがいらしたので伺おうと思っていたのです。私がどうしてここにいるのかを」


 ゆっくり、あまり目を見ないで話すこの美少女は、どこか神秘がかっているとさえ思った。


「そっかそっか。まあ落ち着けよ」


 何がそっかそっかだ。一番慌てているのは俺自身。彼女は十分大人しい。


「ひとまず風呂に入ってこいよ。体も冷えてるだろうし。それから話し合おう」

「よいのですか?」

「ああ。来てくれ」


 イスから立ち上がった少女が、少し嬉しそうに微笑んだ。俺もいろんな意味で安心した。そこから時々ふらつく少女を支えながら階段を下り、風呂場に行った。


「ここが風呂場だ。シャワーの使い方はわかるか?」

「しゃわあ? この何だか長細いものは何ですか?」


 小首を傾げ、きょとんとする少女が不覚にも可愛いと思ってしまった俺をフルボッコ。別に可愛いと思ったっていいけど、でもこの状況で可愛いと思っちゃあいけない。いろいろとまずい。

 とはいえ、シャワーを見て彼女は不思議そうにしている。物の使い方を忘れてしまったのだろうか?


「これをねじると、水がでてくるんだ。で、これをこう押して出てきた石鹸で体を洗って、ああ、こっちで髪もな、で、この湯につかる。わかるか?」

「これを、こう。きゃっ!」


 シャワーから急に水が出てきたのに驚いたようで、少女が俺にしがみついた。アハハ、と思わず笑ってしまった。


「じゃあ、また後でな。タオルと服を置いておくからそれを着て、今着てる服はこのビニール袋に入れておいてくれ」

「はい、わかりました。ご親切にありがとうございます」


 俺は足早にその場を去った。リビングでは琳がテレビを見ていた。


「琳」

「なぁに?」

「ヤバイことになった」

「へ?」


          >>>>>


「この小さな穴は何を入れるものですか? この……取っ手は?」


 俺たちは今、リビングのテーブルに座っていた。向かいに少女、俺の隣に琳がいる。テーブルの上には琳の鉛筆削り。シャワーがわからなかった彼女にそれを見せると、これまた不思議そうにいじっている。


「その穴に鉛筆を入れてな、で、その取っ手みたいなヤツを回すと、鉛筆が削れるんだよ」


 俺は少女をガン見しながら言った。一応、何を覚えていて何を忘れてしまったのか確かめていたところだったんだ。彼女は、物の名前はわかるが使い方を忘れているものがある……特に機械。でも、どうして? 彼女はどう見ても俺と同年代の現代っ子だ。なのに、ゲーム機を見せてもしげしげと眺めるだけ、ホットカーペットのスイッチを付けると感動している。この子のことがわからない。


「何歳なんですか?」


 琳が少女に聞いた。少女の眉が顰められ、俺の中で嫌な感じがする。


「わからない……何も思い出せません!」


 少女がイスから勢いよく立ち上がった。その拍子にイスが倒れ、ごとん、と大きな音が鳴る。


「どうしたの?!」

「何もわからない、私……私、どうしてしまったの?」

「きっとパニックだ」


 俺は上の空で言い、立ち上がった。やっぱりな。今の表情、変だと思ったんだ――。琳が怯えたように尻込みしている。


「水を持ってきてくれないか」


 琳にそう言ってからゆっくり近づいてくる俺を目に映さず、少女は震えている。


「大丈夫、落ち着け」

「どうしよう? 何もわからないの。私、どうしてしまったの?」


 独り言のようにずっと頭を抱えて話している。それが切なくて。どうしたら止めてあげられるのかもわからない。俺は自分の行動に後悔していた。いきなり記憶喪失だと決めつけ、実感させてしまったのは俺だ。正解はわからないけど、俺のせいできっと余計に混乱してしまったのだろう。もっと俺たちに溶け込めるようになぜしなかった?


「ごめんな」


 少女に呟き、ためらいがちに手をのばす。頭に触れ、いつも琳にしているように頭を撫でる。なぜか撫でていたんだ。何だか、こうすればいいってわかってるみたいに。

 少女の動きが止まる。俺を見て、そして急に倒れ込んだ。慌てて抱き留めると、すぐに気がついてくれた。


「ご、ごめんなさい、私ったら……」

「いいんだよ。俺も悪かった」

「何をおっしゃいますか、あなたは悪くなどありません」


 ばりんっ。おそるおそる振り返ると、琳が微笑みながらプラスチックのコップを片手で割っているところだった。中に入っていた水がばしゃりと床のカーペットに広がる。


「謝り合戦もいいけど、その恰好、やめてよね」


 慌てて少女を離したら、少女も慌てて立ち上がった。


「手、大丈夫か?」


 琳に心配の矛先が移る。少し痛そうな顔をしていた彼女の手を強引に取って見ると、琳の力によって割れたプラスチックの欠片の鋭利な先端で、手の平が横一㎝くらい浅く切れていた。琳は怒ると何かを壊してしまうことがある。俺は絆創膏を急いで持ってきて、彼女の患部をケアした。


「大丈夫、浮気者なんかに心配されたくない」

「浮気なんてしてねぇし、第一相手もいねぇし。本当に大丈夫だよな?」


 やはり俺にとって一人だけの妹、少しの傷でも――まあ俺のせいだったし――心配だ。でも気づくと、琳は余計に傷ついたような表情をしていた。


「あたし、傷が治るの早いの。だから大丈夫」


 いつもの調子じゃないような声で言われ、黙ってしまった。記憶喪失の少女は感情の読めない目で俺たち二人を見ている。


「そ、そういえば、今日は大雨だな」

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