第91話 葛藤
『ふふふ―――お困りのようですね』
いきなり頭の中に言葉が響く。
この声は―――
『ルイ!』
『お久し振りですね、我が主よ。私が以前指摘した所はしっかりクリアしましたが、こんな事で足踏みですか?』
彼が指摘した?
何だ、一体?
ああ、そうだ……彼の屋敷を旅立つ時に『覚悟』を求められたんだ。
俺が『非情』になれるかどうか。
『ホクト様、貴方は初めてまともに人を殺したのですよ? これまでは所詮、不死者や人型の魔物でしたからね。いくら蛮行を働いている山賊だといっても人は人です』
そうだ!
俺は確かに人を殺した。
しかし俺は―――指摘されなければ分らないほど後悔していない? 何故だ?
『簡単です。貴方がこの世界を理解しつつ順応している事、そして守るべき者が出来たその2つが主な理由でしょう』
ルイの言う通り俺の生きていた元の世界と違いこの異世界は理不尽な事が多過ぎる。
それはこれまでしてきた僅かな経験でも実感している。
今まで愛し、愛されていた者が乱暴されたり、下手をすると無残な屍を晒すのはざらだ。
相手は同じ人間、異民族、魔物、獣、様々だ。
理由はほんの些細な事からも起こる……最悪の場合、理屈など無い場合もある。
しかしそれは現実として起こってしまうのだ。
しかし俺は守る!
愛する者を守る!
フェスやクラリスそして俺に関わる愛する人を全て守りたいのだ。
そんな時に襲ってくる相手の事情など考えていられない。
目の前で愛する者が乱暴されたり殺されるのに加害者を理解し、それを許容しろという者も居る。
俺には到底―――無理だ。
『ではホクト様―――山賊に害された女達は貴方と関わりなど無いのですが、それをどう説明します?』
ルイが俺の心を読んで問い質す。
確かに山賊はあちらから進んで俺達を害しようとはしていない。
この女達も俺には直接関わりは無い。
だが―――だと言って放置して良いのか?
山賊を倒したのは今度俺達が受けた依頼からの必然的な流れだ。
結果として知ったことだが彼等は俺達を襲おうとしていた。
そしてこの女達に出会い助けたのもその成り行きから来ている。
最初から俺達が意図的に望んだ物では無いのだ。
それに俺達が彼女に手を差し伸べようとするのは『同胞』だからだ。
例え望むのが死であれ助けを求めているからだ。
そんな彼女を所詮他人だと見捨てられるとしたら―――ある意味俺は人間では無い。
『答えが出たようですね。ただそれも答えの1つに過ぎませんが』
相変わらずルイの飄々とした声が響く。
目の前には相変わらず助けを求める女性が居る。
俺は女性を見詰めながら思う。
やはり殺して欲しいのか……
しかし俺は貴女に今1度選択肢を与えたい―――何故ならば一旦方法は無いと言ったが、ある方法で貴女を全快させる事が出来るからだ。
但し、俺はその魔法を見ただけだ―――成功するかどうか分らない。
ルイ、思っている通りお前から習得した最高の治癒魔法を彼女に施す。
そして―――彼女が万が一望めば別の人生を歩ませるんだ。
そう、かつての俺のように。
そんな俺の考えをまたルイが教師のように採点してくる。
『ふふふ、それもひとつの答えでしょう。でもあの魔法は私を含めて限られた者しか使えない難易度の高い最高峰の治癒魔法―――たった1回私が発動したのを見ただけの貴方に出来るでしょうか? それに死んだら夫のもとに召されるかもしれない彼女の邪魔をしかねませんが良いんですか?』
俺は―――死んだ時は最初、あのまま本来虚空を漂う筈だけだったかもしれない。
あの広大な宇宙空間に居た時は生きる希望など無くどうとでもなれという気持ちだったから。
だけど新たな人生を与えられ俺は―――変わった。
『ふ! 神として振舞われるのですね? 良いでしょう。貴方のお手並みを拝見しますよ』
俺はルイの声に背中を押されるように横たわっている女性に近付く。
既に彼女の意識は混濁し、何かを呟いているが内容は分らない。
俺は女性の胸に手を当て、魂の位置を探る。
何故ならば魂は心臓に配されており、それに触れる事で俺は彼女の意識のいり口を捉え易くなるのだ。
俺は魔力を高めると、魔力波を少しずつ放出して彼女の意識の中に慎重に入って行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
彼女の魂の中を映し出す風景は悲惨なものであった。
はっきり言って何も無い原野である。
男達に蹂躙され、荒みきってしまったのであろう、彼女は生ける屍と同様だったのだ。
俺はゆっくりと彼女の魂の奥に進む。
そして1番奥まで進んだ場所に彼女は居た。
自ら作った魂の牢獄に一切の感情を殺すように引き篭もっていたのである。
その風貌は今の彼女と同様に酷くやつれていたのだ。
『もう大丈夫です。ここを出ましょう』
俺は手を差し伸べるが、彼女は力無く首を横に振った。
『私はここで座して死を待つだけの身。貴方が何者で何故ここにいるのかを知りたいとも思わないわ』
女性は完全に生きる気力を失っているようだ。
俺はまず彼女の魂のケアをする事にした。
ルイの発動した究極の治癒魔法、創造主の手を俺も同じく発動させる為に俺が転生したての頃の記憶を呼び起こすのだ。
そうだ!
俺はそこでひとつ思いついた事がある。
それはだいぶ危険な賭けなのだが……俺は創造主の手を受ける前にルイから受けた闇魔法、黒き天使の触手のおぞましい記憶をほんの少し彼女に流し込む。
『ひっ!』
黒き天使の触手は本当に怖ろしい魔法だ。
受けた者は肉体は腐れ落ち、魂はおぞましい存在に貪られ終いには消滅する。
その痛みたるやこの完璧に近い強靭な身体を持つ俺でさえ耐えかねるものなのだ。
『や、やめて~! ぎゃああああ!』
女性の絶叫が響きわたる。
『どうします? 貴女が殺せというからこのまま殺しましょうか?』
『い、いやいやいやぁ! こんな死に方はいやぁ!』
『殺せと言ったじゃないですか。このまま死にたくはありませんか?』
俺の声が女性の脳裏に響く。
彼女が大きく頷き、おぞましい魔法のイメージは消える。
『俺も貴女と同じく1回死んだ者なのです。しかし何故だか生かされて新たな人生を歩んでいる―――貴女にも選択肢をあげますよ。この忌まわしい記憶を失くし、心と身体に受けた全ての傷の痕跡を消し去り、健康な身体と新たな人生を差し上げますが―――如何?』
『…………』
『貴女には残された商会もある。ご主人のもとに逝くのはそれからでも遅くは無い筈だ。貴女には待っている人が居るのですよ』
『分ったわ……貴方きっと神様ね。私にもう1回生きろと仰るのね』
『多分俺は新米の神様でね。今から貴女に行なう『奇跡』には慣れていないんだ。言っておきながらなんだが、失敗したら貴女は違う神に召される』
俺の言い方に女性は一瞬驚くと、くっくっと上品に笑った。
『良いですわ、私も覚悟が出来ています。駄目でも主人のもとに逝くだけでしょう。宜しくお願いしますわ』
俺は黙って頷くとかつて俺に発動したルイの魔力波の波長を頼りに魔法を再現するべく発動していく。
そして!
何とか魔法は成功した。
『創造主の手』
眩い光が辺りに溢れると、女性のやつれ醜く傷つけられた身体はかつてのたおやかで美しい身体に甦ったのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺はこうしてかつての商家の女主人とその女中を本人の意思通り同じ様に治癒した。
すかさずルイの念話が俺の頭に響く。
『ははは、見事です。さすが主様。私の最高峰の魔法の1つを容易く使うとは』
『ルイ、お前の力を借りたい! 彼女達が陵辱されていた記憶を消してくれ。いわゆる神隠しにあっていた事にするんだ』
『かしこまりました、主よ! ご命令に従いましょう!』
俺の真剣な口調にルイの話し方も全く変わったのであった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
アルファポリス電網浮遊都市にも掲載しましたので応援してください!




