第72話 クサナギの記憶
クサナギは意を決したように、そして1語1語噛み締めるかの如くゆっくりと静かに話し始めた。
『私が剣精として、いつこの世に生まれ、どれくらい永い時を生きているのかは分りません。初めての記憶があるのは暗黒の中、気が付くと周りは瘴気で満ちていました』
今の俺にはクサナギを通じて、その記憶が鮮明に伝わって来る。
それはとてもおぞましい怪物の内部だ。
『いくつもの命が断末魔の叫びと共に取り込まれ、その犠牲者達の魔力は怪物の魔力を強くしただけでなく、私にも注入されていたのです。それは自分ではどうする事も出来ませんでした』
怪物が人柱として何人もの人間を貪り食らう……
えええ!? 怨み、恐怖なども魔力と一緒に彼女に注入された?
それはどんなに辛い事なのか、今の俺には想像もつかなかった。
『皮肉にも私は生贄として犠牲になった人達の魔力を取り込むことで神剣として覚醒しました。しかし流石にその怪物の中から自力で出る事は出来なかったのです。また自らを滅する事も出来ないよう、何者かに【呪】をかけられていたのです』
そんな境遇に身を置きながら、自らの命を断つ事も出来なかったクサナギの葛藤と悲しみがひしひしと伝わってくる。
『その怪物とは八頭の大蛇である八岐大蛇。その八岐大蛇を倒されたのが建速須佐之男命様だったのです』
『それは……東方の国ヤマト皇国の神話ですね』
話を聞いていたフェスがクサナギに問い質す。
『そうです……建速須佐之男命様……すなわちスサノヲ様です、スサノヲ様は神剣である天羽々斬を振るわれ、八岐大蛇を倒しましたが、その際に天羽々斬の刃を傷つけてしまったのです』
スサノヲの神剣である天羽々斬が欠けた?
『その原因は私なのです。天羽々斬を振るわれ、八岐大蛇の尾を斬った時に尾の中に居たのが私……私は咄嗟に自分の身を守るために魔力波を全開にして障壁を張りました。天羽々斬は私の魔法障壁に耐え切れなかったのです。そのおかげで私は消滅せずに済みましたが……』
『そんなのクサナギは全然悪く無いじゃあないか……不可抗力さ』
『ありがとうございます……スサノヲ様が尾を切られた衝撃でやっと八岐大蛇から出られた私はそのままスサノヲ様に拾われました。しかしスサノヲ様は私をヤマトの太陽神である天照大御神様に献上され、天照大御神様は更に私を瓊瓊杵尊様に託しました』
私は貢物としてヤマトの大神に捧げられたのですとクサナギは言う。
『その後……私は更に記憶を消され、ヤマト皇国内を転々とし、あらゆる戦に臨みました。クサナギと言う名もその時に付いた仮初の名です。あげくの果てに海を渡り、あのルイへの貢物として贈られる羽目となりました。そうしてホクト様と初めてお会いした倉庫に転がっていたのです』
『貴女は異邦人の私達に従いたくないから抵抗していたのね』
フェスが過去を思い出しているのかしみじみという感じで呟いた。
『そうです、私もヤマト皇国人ではない方に仕えたくなかったのです。鞘から出ないことがささやかな私の抵抗でした』
『呪われた剣……なんて言って御免なさい』
フェスが済まなそうに謝る。
『いえ……良いんです。私もあの時は自暴自棄になっていましたから』
クサナギが苦笑いするのが俺にも伝わってくる。
今から自分を省みれば少し恥ずかしいのであろう。
『それでホクト様が貴女をお持ちになった時の魔力波が失われた記憶を呼び覚ますきっかけになったと……』
あの時の運命の出会いと言っても大袈裟では無い邂逅は絶対に忘れませんとクサナギは言う。
『そうです! ……いくら記憶を消されていても、あの魔力波は決して忘れません……私は再度、巡って来た運命の絆を確信しました』
『ちょっと……羨ましい、それ』
クラリスが少し拗ねたように呟いた。
『御免なさい……クラリス様、その時本当に私はそう思いました。そしてあのフェンリルとの戦いでホクト様はスサノヲ様の力……すなわち神力である【スサの力】を覚醒され、その魔力波が私の失われた記憶と力を引き戻してくれたのです』
『クサナギさん……貴女は永劫の時の流れの中でホクト様を追い求めていたのね』
フェスは、あの時の俺とクサナギの出会いの様子をしみじみと……そして羨ましそうに思い出しているようであった。
『そうです。私は八岐大蛇から救い出された時にスサノヲ様に一生ついて行こうと決めていました……それなのに、あの方は私を必要とせず、ヤマトの神界である高天原に奉げてしまった……』
『でもいくら神の魂を受け継いでいてもホクト様はスサノヲ神とは別人格。ホクト様はホクト様よ』
貴女の思いの矛先はどうなの? と問いかけるフェス。
『フェスティラ様の仰る通りです。今となってはスサノヲ様の事は良い思い出として私の中に生きています。しかしそのスサノヲ様の魔力波が私を導いてくれた! ホクト様に巡り合わせてくれた! ……そして【スサの力】を覚醒したホクト様のお役に立てて、ご一緒に居られる! 私にとってこんな幸せな事はありません!』
クサナギのスサノヲに対する愛は深い。
しかし、俺に対してはまた違う愛情を持って仕えて行きたいとクサナギは言う。
『ホクト様……この天叢雲……こんな不束者ですがずっとお側に置いていただけますか?』
クサナギが改めて俺の傍に居たいと懇願する。
馬鹿だな、お前は……
『何を今更…… 前にも言ったろう、俺から頼むよ。是非、俺の傍に居てくれ! それに俺はお前の【呪】を取り除く。お前がそれで幸せになれるなら、……俺は命を懸けてでもそうするよ』
『…………』
それを聞いたクサナギが黙ってしまった。
『どうした……クサナギ?』
『それは仮初の名です…』
『あ、ああ御免、え、え~と天叢雲だな』
『ふふふ……良いんですよ、今まで通りクサナギで。それにホクト様からは真名もいただいていますからね。ねえ……フェスティラ様、クラリス様、私も一緒なのです』
『え?』『何?』
いきなり自分達と同じだと言われたフェスとクラリスはきょとんとしている。
『ふふふ、私もお2人と一緒なのですよ……毎日が楽しくて……凄くわくわくしているんですもの』
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『こうなると俺の話は付け足しみたいな物だな』
『そんな事ありませんよ……私には聞こえなかったけど、スサノヲ様のお声をお聞きになったんでしょう』
とクサナギ。
さっき、あのようには言ったが、やはり気にはなるようだ
『え、どんな声でした? お前は私の末裔だぁ……とか?』
クラリスが変な声色を使う。
『こらっ! クラリス! 仮にも神様ですよ、もしお怒りを買ったらどうするの? ホクト様、どうぞ、お話を続けてください』
拳を振り上げたポーズをしてクラリスを叱るフェス。
彼女に叱られたクラリスはぺろっと舌を出している。
『ああ、最初はごく稀に誰かが呼びかけて来る感じだったな。だんだん、その声の頻度が多くなると共に身体能力が高くなって行った』
『身体能力が……ですか?』
フェスの表情が真剣になる。
『ん……相手の動きがとても遅く見えるようになったんだ。そして身体も加速の魔法を最上級の水準で掛ける以上に段違いに動けるようになった』
『たたでさえ、とんでもない身体能力なのに』
クラリスが呆れたように呟く。
『俺はあまりそういう意識が無いんだけど……』
『ホクト様……話を続けてください』
フェスが話を続けるように俺を促した。
『オークキングとの戦いの時に言われたんだ。こんな奴は敵ではない……と』
『ふふふ、スサノヲ様らしい仰り方ですわ。いつも自信に満ち溢れて言い放つんです。かと思えば冥界の母上にお会いしたくて駄々をこねたとか』
クサナギが納得したように笑う。
『そして……今回のフェンリルとの戦いでその力が解放され、ホクト様は封じられていた神力を完全に覚醒されたのですね』
『そうだ……フェス。リルランク、すなわちフェンリルのクレイモアが俺を圧倒した時に力を使え!と お前の力でもある、我が【スサの力】を使えと言われたんだ。そして初めて彼は自分の名を名乗った。……我が名はスサノヲと』
『ホクト様、後は……後は、何か仰っていなかったんですか?』
クサナギがスサノヲの言葉を聞き逃すまいとしている。
……やはりスサノヲに惚れ込んでいるんだな。
『そうだな……かっての日の本の我が末裔たる者よ……と言っていた』
『え? 日の本……ってヤマトでは……ないのですか?』
聞き慣れない国の名にクサナギが驚いている。
『ホクト様……日の本とは、確か』
フェスが聞き覚えのある言葉を確認するかのように俺に問いかける。
俺との知識模写の魔法を行った時に僅かな俺の記憶もフェスの中に流入しているのだ。
『ああ……俺がこの世界に転生する前のいわゆる前世で暮らしていた国の名前だ。俺の時代では日本だがな。ちなみにこの世界のヤマトは日本の古の時代の国の名でもあるんだ』
『日の本とヤマト……私には分りません。でもヤマトに行けば、その鍵が見つかるかもしれませんね』
俺の答えを聞いたクサナギはそこに自分の出生の謎の鍵があるかもしれないと言う。
『そうだな。クサナギの【呪】の謎もヤマト皇国にありそうだし、いずれ行ってみようと思う』
俺はクサナギの言葉に賛成する。
『わあ~っ! ヤマト皇国か。 楽しみだな~!』
『こらっ! クラリス! 物見遊山じゃあないんだから! それにまだまだこっちでやらなきゃいけない事が多すぎるから、当分の間行けないわよ』
俺とクサナギの会話を聞いて嬉しそうにはしゃぐクラリスにしっかりと釘を刺すフェス。
ルイに好々爺はやめろと言われた筈のスピロフスもにこにこと笑っている。
新たな【スサの力】に覚醒した俺はいつかその土を踏むであろう遥か東方にあるヤマトの国への思いを馳せていたのだった。
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