第69話 グレイプニール
「クラリス!」
すかさずクラリスに続いて飛翔ぶフェス。
「私の考えが間違っていなければ…これでフェンリルを縛れる筈! フェス姉! 援護して!」
「分った!」
了解の言葉と共に間断なくフェスの高威力の炎弾が何発も間断無く大きく顎門を開いた奴の顔面に炸裂する。
「ぐあ……ががが」
たまらず巨大な顎門を閉じていくフェンリルの頭部。
俺はその隙に体勢を立直しクサナギを構え直す。
「今っ!」
その瞬間、クラリスの手から、あのメフィストからの贈られた謎の魔道具=赤い紐が一直線に伸びる。
それは丁度、顎を無理やり閉じさせるが如く、奴の上顎と下顎に巻きついて行く。
「ぐぐぐぐぐ」
何と赤い紐はきっちりと上下の顎を捉えてしまい、もはやフェンリルは口輪を付けられた犬のようになす術も無い。
「ホクト様! 止めを!」
「よしっ!」
俺はクサナギに魔力波を流し込み、奴の頭部を一刀両断にしようとした時であった。
聞き覚えのある声が俺の魂に響く。
「あ!」「え!」
どうやら、その声はフェスやクラリスにも聞こえているようだ。
『はっはっは! 皆さん、それくらいにして貰えませんかね。いくら不死身の彼でもそれ以上、身体を破壊されると復活に莫大な時間がかかります』
それはあの大公、メフィストフェレスからの念話であった。
『大公! ルイから悪戯云々と聞いたぞ、やはり貴様の差し金か』
俺はクサナギを構えたまま、問い質す。
『まさか! 今回の依頼者は別にいらっしゃいますよ。私は頼まれたので少しお手伝いしただけの事……それより巧く使えたようですね。私の贈物が……くくく』
メフィストは自分の思惑通りに事が運んだのか、とても楽しそうだ。
まるで自分の手のひらで自由に俺達を転がせているとも取れる笑いだ。
『貴様! 俺に仕えるとか調子の良い事を』
『いえいえ、ホクト様。ルイ様が仰る通りちょっとした悪戯ですよ。しかし今回の事で貴方様は新しい力に完全に目覚められたではないですか。私はしっかりと貴方様のお役に立っておりますよ……はい』
今度は理論武装か?
『そんな物は結果論だろう』
『結果論、結構! ……何がいけないと言うのです。あらゆる可能性がある中でひとつの結果が出る……それが運命。その運命が導かれた事を検証する議論は私は無駄では無いと思いますがねえ』
『何!』
『まあ、冷静に考えてみてください。今回の事で言えば貴方様が今までに無い強敵に当たる事で覚醒されるのは充分、予想できた事です。今回の依頼者から私が話を聞いた時……いい機会だと思いましたよ。貴方様と互角以上に戦えるのはこの世界でも神を除いてはあまり居りませんからな』
流石、悪魔だ。
口では到底、敵わない。
ディベートで奴の右に出る者は悪魔以外には中々居ないだろう。
『…………』
『お分かりいただけましたかな……では私は依頼者への義理を果たすと致しましょう』
メフィストフェレスが呪文らしい何かを呟くと身体を2つに割かれた瀕死のリルランク、がたがたと震える【北の旅団】の生き残り、そしてリルランクに噛み殺された無残な死体が一斉に消え失せる。
奴の瞬間移動か!
『むう!』
『くくく……流石にリルランクの肉体が消滅しては私も立場が無くなりますのでね。ここは痛み分けと参りましょう、では……また』
俺達を最後までからかうようなその言葉と同時にメフィストフェレスの気配は一瞬にして消えていた。
「相変わらずの口達者ですね」「駄目ですよ! ホクト様、丸め込まれちゃ!」
俺とメフィストの念話を聞いていたフェスとクラリスが駆け寄って来る。
「お前達……」
俺は黙って2人を抱きしめる。
俺は嬉しかったのだ。
自分の命をかえりみずに躊躇無く飛び込んで来た2人に……
「ホ、ホクト様!」「えっ!? ホクト様、大胆!」
「有難う……2人とも俺を助ける為に飛び込んでくれて」
俺は暫くの間、2人がちゃんとそこに居るかを確かめるようにしっかりと抱きしめていたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『……クサナギ』
クサナギのトランス状態が解除されたとみた俺は念話で彼女に呼びかけている。
今は俺の【スサの力】の発動も収まり、当然、クサナギへの魔力波の流入も止めている。
『あ、ああ……ホクト様……』
どうやらいつものクサナギに戻ったようだ。
『大丈夫か? いつものお前とは違う口調だったが』
『ホクト様の……いつもと違う魔力が入ったら……とても懐かしい気持ちに』
懐かしい?
『初めてお会いした時と一緒です……私を暗闇から救ってくださった』
『暗闇? ルイの別宅の倉庫の時の事か?』
『倉庫? ああ……そうです。けれども初めてお会いしたのはもっと前です。私は悪しき魔物の中に封じられていました……』
もっと前に……俺は、会っている?
そして……
『悪しき……魔物?』
『ああ……その話は今度お屋敷でゆっくりとお話します。しかし今はまだ終わらせなければならない事がたくさんありますので……フェス様、クラリス様と先にお話しください』
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ホクト様……新たな、そしてとてつもなく大きな力に目覚められたようですね」
フェスが俺を見詰める。
その宝石のようなワインレッドの瞳で。
「分るのか?」
「はい、私もクラリスも今までに無い巨大な魔力波を感じていました、あれは神力と言っても良いものです」
「そうです、魔力波の圧力がいきなり桁違いになりましたから」
クラリスが同様に頷く。
「実はそうなんだ……お前達の言う通りさ」
「クサナギさんもいつもと様子が違いました。差し支えなければ、今回の件を我々にはお話しいただけますか?」
「わかった、屋敷に戻ったら2人にはゆっくりと話すよ」
クサナギも自分の事を話すと言っていたし、屋敷に帰ったら皆でゆっくりと話そう。
俺はもうひとつ気になる事があった。
クラリスが使ったあの魔道具とフェンリルの関係である。
「それにしてもクラリスはよくあの魔道具の正体がわかったな」
「どこかで見たなぁと思っていましたが、本来の姿を巧く隠されていましたから分らなかったんですよ。だけど、やっと思い出したんです……あのフェンリルを見て」
クラリスが俺とフェスを見ながら呟く。
「フェンリルを見て……か?」
「そうです、あれはグレイプニール。古のドヴェルグ達が作った魔法の紐です」
「私も思い出しました。あのフェンリルをかって拘束した魔道具ですね」
クラリスの言葉を聞いたフェスが同意する。
「グレイプニール……か」
クラリスは俺に続けて説明する。
「はい、あのフェンリルは神々を滅ぼすと予言された恐るべき魔獣なのです。その為、北の国の神々は何とかフェンリルを拘束しようとしてレージングそしてドローミと言う鉄鎖を使いました」
「だが、あのフェンリルを拘束する事は出来なかった」
「はい、仰る通りです。フェンリルは難なくこれを破壊しました。困った神々は猫の足音、女の髭、岩の根、熊の腱、魚の息、鳥の唾液を材料にドヴェルグ達に一見、何の変哲も無いあの紐を作らせたのです」
「確かにフェスの知識で知っている。でも終末は訪れてしまったのだろう」
「そうです。何故か縛めは外れ、フェンリルは解き放たれ、北の国の主神を飲み込んだと言われています」
「あの口の奥にか、異界に繋がっているんだろうな」
「多分、そうでしょう。フェンリルに飲み込まれてから北の国の主神が復活したと言う話は聞きませんから……とんでもない場所に繋がっている事は想像できます」
「成る程な。 危ない所だった……フェス、クラリス有難う」
そしてフェンリルは他の神や巨人と共に神々の国を滅ぼした。
しかし奴は……フェンリルはある神に倒され、死んだ筈ではないか?
何かが起こっているのだろうか?
俺の胸の中には言いようの不安が黒雲のように湧き上がった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「話を変えようか? ……依頼者って一体、誰だろうな」
「ヴァレンタイン王国に一番恨みを持っているのは北の神々を祖に持つ北の魔族と言われる者達ですわ」
今度はフェスが俺の問いに答える。
「北の魔族か、確か元々ヴァレンタイン王国の土地に居たんじゃあないか」
俺は頭の中でこの国の歴史を紐解いた。
「そうです。元々、ここから北一帯は彼等の土地でした。それを英雄バートクリードが彼等を追い駆逐してこの国を建国したのです」
ヴァレンタイン建国の祖、バートクリードは北の魔族の不倶戴天の敵。
バートクリードが死してもなお、残された子孫達も敵と言う事らしい。
まるで負の連鎖である。
でも俺はそんな考えに違和感を感じたのだ。
「成る程な、それで【北の旅団】を派遣したか。でもそれって逆に当たり前過ぎないか。 ……逆に不自然さを感じるよ」
「う~ん、分りませんね……北の魔族以外にもこの国に良いも悪いも興味を持っている者はたくさんいますから」
フェスがお手上げといった感じで肩を竦める。
「そうだな、今はあらゆる可能性だけ考えとけばいいか。とりあえず調査は巧く行って全員無事だったんだ。それを第一としてアルデバラン達と合流しよう」
「そうですね。大公は憎たらしいけど、結果、良しって事ですよね」
クラリスも自分を無理やり納得させるように苦笑しながら頷く。
間も無く俺達は退避させていたアルデバラン達と合流すべく、亜空間の扉へ向かったのだった。
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