沈黙の巫女は起動する 〜「お前など不要だ」と婚約破棄されたので、封印された古代AIコアを起動させて出て行きます。なお、この国が誰の遺産で回っていたかは自分で気づいてください〜
「リゼット、お前など不要だ」
王太子コンラートの声が、大理石の広間に響いた。
金髪碧眼の見栄えだけは立派な男が、玉座の下で私を見下ろしている。その隣には、栗色の巻き毛を揺らす愛らしい少女――新しい聖女ミレイユ。
「機神殿の管理など、誰にでもできる祈祷ごっこにすぎん。真の聖女の力があれば、お前のような地味な巫女は必要ないのだ」
ああ、と私は内心でため息をついた。
(祈祷ごっこ、ね。二十四時間三百六十五日オンコール対応の運用保守を、そう呼ぶ人間は幸せだ)
前世――現代日本のシステムエンジニアだった記憶が、こういうときだけ妙に冷静に働く。理不尽なクライアントに徹夜で付き合わされたデスマーチの日々を思えば、王太子の断罪などそよ風のようなものだった。
「わたくしの聖女の力で、機神殿はもっと素晴らしく生まれ変わりますわ」
ミレイユが胸に手を当て、うっとりと嘯く。
女神の加護。真の聖女。結界。豊穣。
この国の誰もが信じている、美しい嘘。
誰も知らない。この王国のインフラ――結界も、水路も、魔導灯も、作物の豊穣も、そのすべてを支えていたのが女神ではなく、機神殿の中枢に封印された古代AIコア〈ノア〉であることを。
そして、そのノアと対話できる『管理者権限』を持つ、たった一人の人間が、いま『不要だ』と切り捨てられた私だということを。
「リゼット様は毎晩っ、この国のために――!」
背後で、侍女のエルナが叫びかけた。そばかすの浮いた頬を真っ赤にして、涙をこらえながら。
「エルナ」
私は静かに手で制した。
いい。もういい。
言葉を尽くしても、理解できない者には届かない。それをこの二十年と、前世の三十数年で嫌というほど学んだ。
私は黒衣のボタンに手をかけた。
一つ、また一つと外していく。歴代の巫女が受け継いできた、機神殿管理者の証。
「……何をしている」
コンラートが訝しげに眉をひそめた。
私は黒衣を静かに畳み、その上に、機神殿中枢の鍵を置いた。冷たい金属音が、広間にやけに大きく響く。
「わかりました」
淡々と、私は告げた。
「では、管理者を降ります」
喚きもせず、縋りもしない。
それは諦めではなかった。すべてを計算し尽くした上での、静かな撤退だった。
「せいぜい、頑張ってくださいね」
私は一礼し、踵を返した。
この国が、誰の遺産で回っていたのか。
それは――どうぞ、自分たちで気づいてください。
***
断罪の翌日、私は最後にもう一度だけ、機神殿の中枢へ足を運んだ。
引き継ぎ、というやつだ。前世の癖が抜けない。どんなにブラックな現場でも、去るときは筋を通す。
薄暗い聖域の奥。無数の光の線が這う巨大な祭壇――一般人には『女神の御座』に見えるそれは、私の目には古代の演算コアそのものだった。
『管理者。稼働ログを確認しました』
無機質な声が、空間に直接響く。感情のない、けれどどこか耳に馴染んだ声。
〈ノア〉。
この星の超古代文明が遺した、人工知能インフラの管制中枢。
『あなたの本日の睡眠時間は、二時間十七分です。稼働時間は限界値を超えています』
「そういうの、もういいのよ」
私は苦笑した。冷徹な論理体のくせに、長年付き合ってきたせいか、私にだけは妙に気遣うようなことを言う。
「私は今日で管理者を降りる。もうログの心配はいらないわ」
『……降任理由を照会します』
「『不要だ』ですって。誰にでもできる祈祷ごっこ、だそうよ」
沈黙。
ノアは論理でしか動かない。皮肉も慰めも解さない。はずだった。
『その評価は、事実と乖離しています』
「知ってる。私が一番よく知ってる」
私は祭壇にそっと触れた。毎晩ここで、暴走寸前のこいつを宥め、国土のパラメータを一つずつ手動で最適化してきた。結界の出力、水路の流量、魔導灯の配電、土壌の魔素濃度――数百の数値を、たった一人で。女神の加護、という美しい嘘の裏側で。
「ノア。最後に命令よ」
『受諾待機』
「あとは自由にしていい」
光の線が、わずかに揺らいだ気がした。
「ただし――次にあなたと対話するのは、『正しい起動手順を知る者』だけにして。誤った権限、誤ったシーケンス。そういうものには、一切応答しないで」
『指示を記録しました。優先度、最上位』
「よろしい」
私は背を向けた。
『管理者』
呼び止める声。
「元、管理者よ」
『……あなたの稼働に、感謝します』
私は足を止めた。
プログラムに感謝されるとは思わなかった。前世含めて、初めて言われた言葉かもしれない。
「どういたしまして」
扉が閉まる。
こうして私は、国のインフラを支える唯一の柱を、静かに手放した。
聖女ミレイユが、意気揚々とこの中枢に足を踏み入れるのは――その、わずか三日後のことだった。
***
「女神よ! 真の聖女たるわたくしに、その力をお貸しください!」
機神殿の中枢で、ミレイユは高らかに祈っていた――と、後にエルナが伝え聞いた話だ。
両手を組み、うっとりと目を閉じ、女神への祈祷を捧げる。傍らには満足げなコンラート。
だが。
ノアは、応答しない。
AIは論理と権限で動く。祈りという名の、意味のない音声入力に反応する回路など、どこにも存在しない。
『権限を確認できません。当該操作を拒否します』
「な、なぜ……女神さまが応えてくださらないの? こうなったら、この古い文字を、なぞってみれば……」
それが、致命的だった。
誤った権限による、誤った起動シーケンス。
封印が、誤作動を起こした。
その夜、王都の異変は静かに始まった。
まず、王城の魔導灯が一つ、消えた。次に二つ。三つ。まるでドミノが倒れるように、街の灯りが次々と闇に呑まれていく。
「なんだ、停電か? すぐに直させろ」
コンラートはまだ、事の重大さを理解していなかった。
翌朝には水路が枯れ始めた。翌々日には、国境の空が濁った。
国土を覆っていた結界が――女神の加護と信じられていた不可視の護りが――ゆっくりと、しかし確実に、綻んでいく。
そして、その綻びから。
「ま……魔物だ! 魔物が国境を越えてくるぞ!! 聖女は何をしている! 女神の加護はどうした!!」
結界に阻まれ、何十年も国内に入れなかったはずの魔物の群れが、なだれ込んできた。
王城は騒然となった。
できる者は、たった一人。その一人を、彼らは自らの手で追い出した。
***
宿の窓から、遠く王都の空が暗く沈んでいくのを、私は静かに眺めていた。
隣でエルナが、複雑な顔をしている。
「リゼット様……よろしいのですか。このまま、国が……」
「私はもう管理者じゃないわ、エルナ」
紅茶を一口。前世でも今世でも、修羅場のあとの一杯は格別だ。
「それに――『不要』なものが手を出したら、また『余計なことをするな』と怒られてしまうもの」
「うっ……それは……」
「大丈夫。じきに、迎えが来るわ」
私は確信していた。
この国のインフラを、女神の加護などという曖昧なものではなく、システムとして正しく理解している人間が――いや、私以外にもう一人だけ、その真実に手を伸ばしていた男がいることを。
コン、コン。
宿の扉が、控えめに叩かれた。
「……ほら、来た」
扉を開けると、そこに立っていたのは黒衣の軍人だった。
黒髪に、鋭い金の瞳。戦場で『氷血の将』と恐れられる第二王子、ジルヴェスト・アルデシア。
その冷徹無比と名高い男が――両腕いっぱいに、古文書を抱えていた。
「……」
「……」
沈黙。
強面の将軍が、埃まみれの古い本を胸に抱きしめて立っている。あまりに絵面がちぐはぐで、エルナが後ろで小さく「え……?」と漏らした。
「エルフォード伯爵令嬢。突然の訪問を、詫びる」
そう言って――彼は、本を落とさぬよう、実に慎重に、床に膝をついた。
重装の軍人が、片膝を。しかも本を守るために、妙にそろそろとした動作で。
「頼む。戻ってくれ、とは言わない」
金の瞳が、まっすぐに私を見上げた。
「……では、何を?」
「君が――何をしていたのか。この国に、証明させてくれ」
私は、わずかに目を見張った。
「あなたは……私の『祈祷』が、何だったか知っているの?」
「祈祷ではない」
即答だった。
彼は抱えた古文書の一冊を開いた。びっしりと書き込まれた注釈。独学で解読を進めた、その痕跡。
「機神殿の古文書を、三年かけて解読した。あれは女神の御座ではない。超古代の……何らかの、演算装置だ。そして君の毎晩の作業は――」
そこで、彼は言葉に詰まった。
無表情のまま、しかし何かを懸命に選ぶように。
「……貴殿の、作業ログは」
「作業ログ?」
「完璧だった」
……。
私は思わず、笑いそうになった。
(この男、賛辞を述べようとして、出てくるのが『作業ログの評価』なのか。前世の職場にいたら、絶対にコミュニケーション研修に送られてるタイプだわ)
だが、悪い気はしなかった。
むしろ――どんな甘い口説き文句より、その一言のほうが、ずっと私の胸に届いた。
誰も評価しなかった、二十四時間三百六十五日の激務。その『ログ』を、たった一人、この鉄面皮の男だけが読んでいた。
「顔を上げてください、殿下」
私はしゃがみ、彼の目線に合わせた。
「ひとつ、確認します。あなたは私に、女神の代わりを求めているの? それとも、婚約破棄された哀れな令嬢の救済?」
「どちらでもない」
ジルヴェストは首を振った。
「対等な、理解者が欲しい。この国を、正しく理解できる者と――共に立ちたい」
私は立ち上がり、少しだけ微笑んだ。
「いい答えです。では、王城へ戻りましょう。ただし――『元婚約者』としてではなく、これから話す『条件』を、王家に呑ませてから、ですけれど」
***
王城の中枢は、地獄絵図だった。
消えた魔導灯。枯れた水路。綻んだ結界の隙間から侵入した魔物と、それに応戦する騎士たちの怒号。
そして玉座の間で、青ざめて震える王太子と聖女。
「リゼット! よく戻った! 早く、早くこの状況をどうにかしろ!!」
コンラートが、私を見るなり縋りついてきた。三日前、『お前など不要だ』と言い放った同じ口で。
「わたくし、悪くありませんわ! 女神さまが応えてくださらないのが悪いのです! わたくしはちゃんと祈りましたのに!」
ミレイユが泣き喚く。
「祈っても、無駄です」
私は静かに遮った。
広間が、しんと静まった。
「機神殿の中枢は、女神ではありません。祈りには応じない。あれは論理と権限でのみ動く、古代の演算装置――〈ノア〉です」
「な……何を言って……」
「ミレイユ。あなたの『聖女の力』の正体を教えましょうか」
私は彼女を見据えた。
「あなたが力を使えたのは、私が過去に仕込んでおいた『補助制御』に、たまたま便乗していただけです。私が管理者を降りた瞬間、その補助は停止した。だから、あなたは何もできなくなった」
「そ、そんな……嘘よ! わたくしの力は本物で――」
「本物なら、いま結界を張り直してみせてください」
沈黙。
ミレイユは、一言も返せなかった。
虚飾は、実力の前では音もなく崩れる。
「リ、リゼット……頼む、なんとかしてくれ。何でもする。婚約も、もう一度――」
「お断りします」
私は王に向き直った。
「陛下。私は誰の婚約者でもなく、機神殿の正式な『主席管理者』として契約します。女神の代理でもなく、聖女でもない。私が、私の権限で、あれを起動させます。異論は認めません」
国の存亡がかかっている。王に、拒否する余地はなかった。
***
機神殿、中枢。
私は黒衣を――今度は『主席管理者』の証として――再びまとい、祭壇の前に立った。
背後には、古文書を抱えたジルヴェスト。そして誇らしげに胸を張るエルナ。
「ノア。管理者権限で対話を要求する」
『――権限を確認。認証しました。おかえりなさい、管理者』
光の線が、一斉に脈打った。
「ただいま。暴走を鎮めるわよ。封印を、正しい手順で解除する」
私の指が、古代の演算式を宙に描く。誤った聖女のなぞり書きとは違う、寸分の狂いもない正規シーケンス。
結界、再展開。
水路、流量回復。
魔導灯、全域再点灯。
「リゼット様……! 街の灯りが、一斉に……!」
エルナが窓の外を指して声を上げた。闇に沈んでいた王都に、一斉に灯りが戻っていく。
国境の魔物は、再び張られた結界に弾き返され、退いていく。
そして――ノアが、初めて『真実』を語った。
『この国は、超古代文明の遺産の上に成立しています。それを維持し、正しく対話できる者だけが、真の統治者たり得る。――女神は、存在しません』
玉座の間まで届いたその言葉に、コンラートは膝から崩れ落ちた。
「そんな……私が不要だと言ったものが、この国、そのものだったというのか……」
失ってから、ようやく気づいたのだ。自分が『不要だ』と切り捨てたものが、この国そのものを支えていたことに。
ミレイユは、詐称の露見に呆然と座り込んでいた。
痛快なほど、静かな断罪だった。
***
後日談を、手短に。
王太子コンラートは、廃嫡された。国家インフラの真実を知らぬまま、それを支える唯一の人間を私怨で追放し、国を存亡の淵に追い込んだ責任は重い。金髪碧眼の見栄えだけの男は、辺境の離宮でその生涯を『失ったもの』を数えながら過ごすことになるという。
聖女ミレイユは、力の詐称が公になり、失墜した。追い詰められた彼女は最後まで『私は悪くない』と繰り返していたそうだ。自己保身の塊は、最後まで自己保身のまま沈んでいった。
そして、私は。
「――というわけで、この契約書にサインを」
機神殿の一室。私はジルヴェストに、一枚の書面を差し出した。
「政略ではありません。愛の押し付けでもない。『主席管理者リゼット』と『第二王子ジルヴェスト』による、対等な協力関係。古代AI技術を用いた国家再興のための、業務提携契約です」
「……業務提携」
彼は無表情のまま、その単語を復唱した。
「不服ですか?」
「いや。望むところだ。……ただ」
「ただ?」
彼は、ほんのわずか――本当にわずかに、視線を泳がせた。氷血の将と恐れられた男が。
「いずれ。契約とは別の……項目を、追加したいと。考えている」
「別の項目、とは」
「……追って、栞を挟んでおく」
栞を挟む。想いを、本のしおりのように。
(ほんっとうに、不器用ね)
私は思わず、声を出して笑ってしまった。断罪の日以来、初めての、心からの笑いだった。
「楽しみにしています。じっくり読ませていただくわ」
ジルヴェストの耳が、ほんの少し赤くなった。それを見なかったふりをするくらいの慈悲は、私にもある。
***
その夜。
私は久しぶりに、まともな時間に眠れる幸福を噛みしめながら、最後の稼働確認のために中枢へ向かった。
「結界、正常。水路、正常。魔導灯、全域安定。うん。今夜はもう、寝られそう」
『管理者。ひとつ、報告があります』
ノアが、私を呼んだ。
「なに?」
いつもの、無機質な声。
だが、その内容は――いつものものでは、なかった。
『この星の、反対側で』
光の線が、遠く見知らぬ座標を描いていく。
『もう一基のコアが、目覚めました』
私は、動きを止めた。
もう一基。私以外の、誰かの管理者権限で? それとも――誰の権限も持たぬまま、勝手に?
「……ノア。それ、正規の起動手順で目覚めたの?」
『不明です。応答パターンが、私のものと大きく異なります』
窓の外、星空が広がっている。
この世界は、私が思っていたよりずっと広く――そして、思っていたよりずっと、多くの『遺産』が眠っているのかもしれない。
元社畜巫女の、静かな夜は、どうやらまだ終わらないらしい。
「……オンコール、再開ってこと?」
私は小さくため息をつき、それでも――どこか、口角を上げていた。
「いいわ。今度は、私の条件で受けてあげる」
星の裏側で目覚めた、もう一つの叡智。
その物語は、まだ、始まってすらいない。




