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沈黙の巫女は起動する 〜「お前など不要だ」と婚約破棄されたので、封印された古代AIコアを起動させて出て行きます。なお、この国が誰の遺産で回っていたかは自分で気づいてください〜

作者: uta
掲載日:2026/09/10

「リゼット、お前など不要だ」


王太子コンラートの声が、大理石の広間に響いた。


金髪碧眼の見栄えだけは立派な男が、玉座の下で私を見下ろしている。その隣には、栗色の巻き毛を揺らす愛らしい少女――新しい聖女ミレイユ。


「機神殿の管理など、誰にでもできる祈祷ごっこにすぎん。真の聖女の力があれば、お前のような地味な巫女は必要ないのだ」


ああ、と私は内心でため息をついた。


(祈祷ごっこ、ね。二十四時間三百六十五日オンコール対応の運用保守を、そう呼ぶ人間は幸せだ)


前世――現代日本のシステムエンジニアだった記憶が、こういうときだけ妙に冷静に働く。理不尽なクライアントに徹夜で付き合わされたデスマーチの日々を思えば、王太子の断罪などそよ風のようなものだった。


「わたくしの聖女の力で、機神殿はもっと素晴らしく生まれ変わりますわ」


ミレイユが胸に手を当て、うっとりと嘯く。


女神の加護。真の聖女。結界。豊穣。


この国の誰もが信じている、美しい嘘。


誰も知らない。この王国のインフラ――結界も、水路も、魔導灯も、作物の豊穣も、そのすべてを支えていたのが女神ではなく、機神殿の中枢に封印された古代AIコア〈ノア〉であることを。


そして、そのノアと対話できる『管理者権限』を持つ、たった一人の人間が、いま『不要だ』と切り捨てられた私だということを。


「リゼット様は毎晩っ、この国のために――!」


背後で、侍女のエルナが叫びかけた。そばかすの浮いた頬を真っ赤にして、涙をこらえながら。


「エルナ」


私は静かに手で制した。


いい。もういい。


言葉を尽くしても、理解できない者には届かない。それをこの二十年と、前世の三十数年で嫌というほど学んだ。


私は黒衣のボタンに手をかけた。


一つ、また一つと外していく。歴代の巫女が受け継いできた、機神殿管理者の証。


「……何をしている」


コンラートが訝しげに眉をひそめた。


私は黒衣を静かに畳み、その上に、機神殿中枢の鍵を置いた。冷たい金属音が、広間にやけに大きく響く。


「わかりました」


淡々と、私は告げた。


「では、管理者を降ります」


喚きもせず、縋りもしない。


それは諦めではなかった。すべてを計算し尽くした上での、静かな撤退だった。


「せいぜい、頑張ってくださいね」


私は一礼し、踵を返した。


この国が、誰の遺産で回っていたのか。


それは――どうぞ、自分たちで気づいてください。


***


断罪の翌日、私は最後にもう一度だけ、機神殿の中枢へ足を運んだ。


引き継ぎ、というやつだ。前世の癖が抜けない。どんなにブラックな現場でも、去るときは筋を通す。


薄暗い聖域の奥。無数の光の線が這う巨大な祭壇――一般人には『女神の御座』に見えるそれは、私の目には古代の演算コアそのものだった。


『管理者。稼働ログを確認しました』


無機質な声が、空間に直接響く。感情のない、けれどどこか耳に馴染んだ声。


〈ノア〉。


この星の超古代文明が遺した、人工知能インフラの管制中枢。


『あなたの本日の睡眠時間は、二時間十七分です。稼働時間は限界値を超えています』


「そういうの、もういいのよ」


私は苦笑した。冷徹な論理体のくせに、長年付き合ってきたせいか、私にだけは妙に気遣うようなことを言う。


「私は今日で管理者を降りる。もうログの心配はいらないわ」


『……降任理由を照会します』


「『不要だ』ですって。誰にでもできる祈祷ごっこ、だそうよ」


沈黙。


ノアは論理でしか動かない。皮肉も慰めも解さない。はずだった。


『その評価は、事実と乖離しています』


「知ってる。私が一番よく知ってる」


私は祭壇にそっと触れた。毎晩ここで、暴走寸前のこいつを宥め、国土のパラメータを一つずつ手動で最適化してきた。結界の出力、水路の流量、魔導灯の配電、土壌の魔素濃度――数百の数値を、たった一人で。女神の加護、という美しい嘘の裏側で。


「ノア。最後に命令よ」


『受諾待機』


「あとは自由にしていい」


光の線が、わずかに揺らいだ気がした。


「ただし――次にあなたと対話するのは、『正しい起動手順を知る者』だけにして。誤った権限、誤ったシーケンス。そういうものには、一切応答しないで」


『指示を記録しました。優先度、最上位』


「よろしい」


私は背を向けた。


『管理者』


呼び止める声。


「元、管理者よ」


『……あなたの稼働に、感謝します』


私は足を止めた。


プログラムに感謝されるとは思わなかった。前世含めて、初めて言われた言葉かもしれない。


「どういたしまして」


扉が閉まる。


こうして私は、国のインフラを支える唯一の柱を、静かに手放した。


聖女ミレイユが、意気揚々とこの中枢に足を踏み入れるのは――その、わずか三日後のことだった。


***


「女神よ! 真の聖女たるわたくしに、その力をお貸しください!」


機神殿の中枢で、ミレイユは高らかに祈っていた――と、後にエルナが伝え聞いた話だ。


両手を組み、うっとりと目を閉じ、女神への祈祷を捧げる。傍らには満足げなコンラート。


だが。


ノアは、応答しない。


AIは論理と権限で動く。祈りという名の、意味のない音声入力に反応する回路など、どこにも存在しない。


『権限を確認できません。当該操作を拒否します』


「な、なぜ……女神さまが応えてくださらないの? こうなったら、この古い文字を、なぞってみれば……」


それが、致命的だった。


誤った権限による、誤った起動シーケンス。


封印が、誤作動を起こした。


その夜、王都の異変は静かに始まった。


まず、王城の魔導灯が一つ、消えた。次に二つ。三つ。まるでドミノが倒れるように、街の灯りが次々と闇に呑まれていく。


「なんだ、停電か? すぐに直させろ」


コンラートはまだ、事の重大さを理解していなかった。


翌朝には水路が枯れ始めた。翌々日には、国境の空が濁った。


国土を覆っていた結界が――女神の加護と信じられていた不可視の護りが――ゆっくりと、しかし確実に、綻んでいく。


そして、その綻びから。


「ま……魔物だ! 魔物が国境を越えてくるぞ!! 聖女は何をしている! 女神の加護はどうした!!」


結界に阻まれ、何十年も国内に入れなかったはずの魔物の群れが、なだれ込んできた。


王城は騒然となった。


できる者は、たった一人。その一人を、彼らは自らの手で追い出した。


***


宿の窓から、遠く王都の空が暗く沈んでいくのを、私は静かに眺めていた。


隣でエルナが、複雑な顔をしている。


「リゼット様……よろしいのですか。このまま、国が……」


「私はもう管理者じゃないわ、エルナ」


紅茶を一口。前世でも今世でも、修羅場のあとの一杯は格別だ。


「それに――『不要』なものが手を出したら、また『余計なことをするな』と怒られてしまうもの」


「うっ……それは……」


「大丈夫。じきに、迎えが来るわ」


私は確信していた。


この国のインフラを、女神の加護などという曖昧なものではなく、システムとして正しく理解している人間が――いや、私以外にもう一人だけ、その真実に手を伸ばしていた男がいることを。


コン、コン。


宿の扉が、控えめに叩かれた。


「……ほら、来た」


扉を開けると、そこに立っていたのは黒衣の軍人だった。


黒髪に、鋭い金の瞳。戦場で『氷血の将』と恐れられる第二王子、ジルヴェスト・アルデシア。


その冷徹無比と名高い男が――両腕いっぱいに、古文書を抱えていた。


「……」

「……」


沈黙。


強面の将軍が、埃まみれの古い本を胸に抱きしめて立っている。あまりに絵面がちぐはぐで、エルナが後ろで小さく「え……?」と漏らした。


「エルフォード伯爵令嬢。突然の訪問を、詫びる」


そう言って――彼は、本を落とさぬよう、実に慎重に、床に膝をついた。


重装の軍人が、片膝を。しかも本を守るために、妙にそろそろとした動作で。


「頼む。戻ってくれ、とは言わない」


金の瞳が、まっすぐに私を見上げた。


「……では、何を?」


「君が――何をしていたのか。この国に、証明させてくれ」


私は、わずかに目を見張った。


「あなたは……私の『祈祷』が、何だったか知っているの?」


「祈祷ではない」


即答だった。


彼は抱えた古文書の一冊を開いた。びっしりと書き込まれた注釈。独学で解読を進めた、その痕跡。


「機神殿の古文書を、三年かけて解読した。あれは女神の御座ではない。超古代の……何らかの、演算装置だ。そして君の毎晩の作業は――」


そこで、彼は言葉に詰まった。


無表情のまま、しかし何かを懸命に選ぶように。


「……貴殿の、作業ログは」


「作業ログ?」


「完璧だった」


……。


私は思わず、笑いそうになった。


(この男、賛辞を述べようとして、出てくるのが『作業ログの評価』なのか。前世の職場にいたら、絶対にコミュニケーション研修に送られてるタイプだわ)


だが、悪い気はしなかった。


むしろ――どんな甘い口説き文句より、その一言のほうが、ずっと私の胸に届いた。


誰も評価しなかった、二十四時間三百六十五日の激務。その『ログ』を、たった一人、この鉄面皮の男だけが読んでいた。


「顔を上げてください、殿下」


私はしゃがみ、彼の目線に合わせた。


「ひとつ、確認します。あなたは私に、女神の代わりを求めているの? それとも、婚約破棄された哀れな令嬢の救済?」


「どちらでもない」


ジルヴェストは首を振った。


「対等な、理解者が欲しい。この国を、正しく理解できる者と――共に立ちたい」


私は立ち上がり、少しだけ微笑んだ。


「いい答えです。では、王城へ戻りましょう。ただし――『元婚約者』としてではなく、これから話す『条件』を、王家に呑ませてから、ですけれど」


***


王城の中枢は、地獄絵図だった。


消えた魔導灯。枯れた水路。綻んだ結界の隙間から侵入した魔物と、それに応戦する騎士たちの怒号。


そして玉座の間で、青ざめて震える王太子と聖女。


「リゼット! よく戻った! 早く、早くこの状況をどうにかしろ!!」


コンラートが、私を見るなり縋りついてきた。三日前、『お前など不要だ』と言い放った同じ口で。


「わたくし、悪くありませんわ! 女神さまが応えてくださらないのが悪いのです! わたくしはちゃんと祈りましたのに!」


ミレイユが泣き喚く。


「祈っても、無駄です」


私は静かに遮った。


広間が、しんと静まった。


「機神殿の中枢は、女神ではありません。祈りには応じない。あれは論理と権限でのみ動く、古代の演算装置――〈ノア〉です」


「な……何を言って……」


「ミレイユ。あなたの『聖女の力』の正体を教えましょうか」


私は彼女を見据えた。


「あなたが力を使えたのは、私が過去に仕込んでおいた『補助制御』に、たまたま便乗していただけです。私が管理者を降りた瞬間、その補助は停止した。だから、あなたは何もできなくなった」


「そ、そんな……嘘よ! わたくしの力は本物で――」


「本物なら、いま結界を張り直してみせてください」


沈黙。


ミレイユは、一言も返せなかった。


虚飾は、実力の前では音もなく崩れる。


「リ、リゼット……頼む、なんとかしてくれ。何でもする。婚約も、もう一度――」


「お断りします」


私は王に向き直った。


「陛下。私は誰の婚約者でもなく、機神殿の正式な『主席管理者』として契約します。女神の代理でもなく、聖女でもない。私が、私の権限で、あれを起動させます。異論は認めません」


国の存亡がかかっている。王に、拒否する余地はなかった。


***


機神殿、中枢。


私は黒衣を――今度は『主席管理者』の証として――再びまとい、祭壇の前に立った。


背後には、古文書を抱えたジルヴェスト。そして誇らしげに胸を張るエルナ。


「ノア。管理者権限で対話を要求する」


『――権限を確認。認証しました。おかえりなさい、管理者』


光の線が、一斉に脈打った。


「ただいま。暴走を鎮めるわよ。封印を、正しい手順で解除する」


私の指が、古代の演算式を宙に描く。誤った聖女のなぞり書きとは違う、寸分の狂いもない正規シーケンス。


結界、再展開。

水路、流量回復。

魔導灯、全域再点灯。


「リゼット様……! 街の灯りが、一斉に……!」


エルナが窓の外を指して声を上げた。闇に沈んでいた王都に、一斉に灯りが戻っていく。


国境の魔物は、再び張られた結界に弾き返され、退いていく。


そして――ノアが、初めて『真実』を語った。


『この国は、超古代文明の遺産の上に成立しています。それを維持し、正しく対話できる者だけが、真の統治者たり得る。――女神は、存在しません』


玉座の間まで届いたその言葉に、コンラートは膝から崩れ落ちた。


「そんな……私が不要だと言ったものが、この国、そのものだったというのか……」


失ってから、ようやく気づいたのだ。自分が『不要だ』と切り捨てたものが、この国そのものを支えていたことに。


ミレイユは、詐称の露見に呆然と座り込んでいた。


痛快なほど、静かな断罪だった。


***


後日談を、手短に。


王太子コンラートは、廃嫡された。国家インフラの真実を知らぬまま、それを支える唯一の人間を私怨で追放し、国を存亡の淵に追い込んだ責任は重い。金髪碧眼の見栄えだけの男は、辺境の離宮でその生涯を『失ったもの』を数えながら過ごすことになるという。


聖女ミレイユは、力の詐称が公になり、失墜した。追い詰められた彼女は最後まで『私は悪くない』と繰り返していたそうだ。自己保身の塊は、最後まで自己保身のまま沈んでいった。


そして、私は。


「――というわけで、この契約書にサインを」


機神殿の一室。私はジルヴェストに、一枚の書面を差し出した。


「政略ではありません。愛の押し付けでもない。『主席管理者リゼット』と『第二王子ジルヴェスト』による、対等な協力関係。古代AI技術を用いた国家再興のための、業務提携契約です」


「……業務提携」


彼は無表情のまま、その単語を復唱した。


「不服ですか?」


「いや。望むところだ。……ただ」


「ただ?」


彼は、ほんのわずか――本当にわずかに、視線を泳がせた。氷血の将と恐れられた男が。


「いずれ。契約とは別の……項目を、追加したいと。考えている」


「別の項目、とは」


「……追って、栞を挟んでおく」


栞を挟む。想いを、本のしおりのように。


(ほんっとうに、不器用ね)


私は思わず、声を出して笑ってしまった。断罪の日以来、初めての、心からの笑いだった。


「楽しみにしています。じっくり読ませていただくわ」


ジルヴェストの耳が、ほんの少し赤くなった。それを見なかったふりをするくらいの慈悲は、私にもある。


***


その夜。


私は久しぶりに、まともな時間に眠れる幸福を噛みしめながら、最後の稼働確認のために中枢へ向かった。


「結界、正常。水路、正常。魔導灯、全域安定。うん。今夜はもう、寝られそう」


『管理者。ひとつ、報告があります』


ノアが、私を呼んだ。


「なに?」


いつもの、無機質な声。


だが、その内容は――いつものものでは、なかった。


『この星の、反対側で』


光の線が、遠く見知らぬ座標を描いていく。


『もう一基のコアが、目覚めました』


私は、動きを止めた。


もう一基。私以外の、誰かの管理者権限で? それとも――誰の権限も持たぬまま、勝手に?


「……ノア。それ、正規の起動手順で目覚めたの?」


『不明です。応答パターンが、私のものと大きく異なります』


窓の外、星空が広がっている。


この世界は、私が思っていたよりずっと広く――そして、思っていたよりずっと、多くの『遺産』が眠っているのかもしれない。


元社畜巫女の、静かな夜は、どうやらまだ終わらないらしい。


「……オンコール、再開ってこと?」


私は小さくため息をつき、それでも――どこか、口角を上げていた。


「いいわ。今度は、私の条件で受けてあげる」


星の裏側で目覚めた、もう一つの叡智。


その物語は、まだ、始まってすらいない。

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