名門バルシュタイン家? 先生は褒めるけど現実はだいぶヤバそう?
俺が今いる国の名前は――
ディアングラード王国。
大陸で三番目に大きな領土を持つ強国。
そしてその西北に位置するのが、俺たち――バルシュタイン家の領地だ。
「西側には、“中東の湾”のような半月型の海と砂漠地帯。
そこから吹く熱風と乾燥は、この領地の最大の敵です」
家庭教師のオルフェン先生が、教室中央の大地図に棒を当てた。
「北側は山岳。
鉱物資源は豊富ですが、気候は厳しい。
そのため人の定住は難しいですが……軍事上は“天然の盾”とも言えます」
(北は山、
西は砂漠と湾――つまり)
「人が普通に暮らせるのって、東側だけなんですね?」
先生が驚いたように目を瞬かせた。
「え、ええ……まさにその通りです」
俺は地図を見つめる。
領都は東側。
王都方面にも近く、交易もまだ活発で、比較的“人の暮らし”が成立している。
だが、領地の西と南は違う。
西――乾燥と砂塵、過酷な気候。
南――隣国と接する軍事緊張地帯。
「ですので、東側は発展しておりますが、西部と南部は“人が住むには厳しい”地帯です。
それゆえ――」
先生は少し声を落とした。
「――バルシュタイン家が“軍の要”を担わざるを得ない事情があるのです」
二百年続く武闘貴族。
戦場の最前線。
国の盾。
確かに、言葉だけ聞けば格好いい。
ただ――
(でも、それって)
「先生。
それって、“守らなきゃいけない土地が広すぎる”ってことですよね?」
棒を置く手が止まる。
「軍備。
補給。
兵士の給料。
武器の維持……
お金、すごく掛かりません?」
俺はただ、首を傾げただけ。
責める声でもない。
皮肉でもない。
十二歳の、真っ直ぐな疑問。
けれど――
先生の口元は、やっぱり少しだけ固くなる。
「レオン坊ちゃま。
数字は領主様が扱うものです。
坊ちゃまはまだ……知らなくてもよろしい」
(……やっぱり言わない)
父への忖度。
貴族社会の暗黙。
この家の空気。
全部、ひしひし伝わる。
(帳簿を見る必要がある)
(数字を見なきゃ、本当のことは分からない)
そう考えたところで、扉がノックされた。
「レオン坊ちゃま、夕食のご準備が整いました」
◆ ◇ ◆
広い食堂。豪華な晩餐。
でも――温かい団らん、とはちょっと違う。
父、ガルド・バルシュタイン。
身長一九〇センチ超え、筋肉の塊。
椅子に座っているだけで周囲の空気を圧で支配する、そんな男。
兄、ライナルト・バルシュタイン。
同じく高身長だが体はしなやかで整っている。
王立学校を優秀な成績で卒業し、文武ともに完璧。
母に似た端正な顔立ちで、まるで雑誌モデルのように美しい。
母、ミラージュ・バルトシュタイン。
まるで学校の教科書でみた中世ヨーロッパの有名王妃みたいな美しさだ。
――そして、俺。
背も大きくなく、父ほど強くなく、兄ほど華もない。
父は基本的に俺を見ない。
兄は優しいが、深入りしてこない。
母は兄に夢中で、自分のことは基本放置。
そんな家族。
肉を切っていた父が、ふいに低い声を出した。
「宰相からの報が入った」
俺と兄は自然と聞き入る。
「南の隣国ベルンハルト――軍備増強。
戦火が“遠くない”可能性がある」
空気が張り詰めた。
兄が静かに訊く。
「……本気で、ですか?」
「まだ確定ではない」
父は淡々と答える。
けれど、その目は戦場を思い浮かべる獣の目だ。
「なら――こちらも“締める”必要がある」
当然のように言う。
「兵の増員。
訓練の強化。
兵装の整備。
鍛冶場の稼働は上げる。
働ける者には、もっと働いてもらう」
(……やっぱりだ)
これだ。
この思考。
この匂い。
前世で腐るほど見てきた。
――ブラック経営者の声。
兄が静かに言葉を継ぐ。
「合理的ではあります。
南は隣国の緊張線。
西は砂漠で補給線が難しい。
戦になるなら、こちらが先に準備を固めるのは必須です」
正しい。
理屈としては正しい。
でも――
「あの」
俺は、おずおずと手を上げた。
父の巨体が俺を見る。
圧が凄い。でも、怯えない。
「……戦になったら、
どれくらい、お金が必要なんでしょうか」
短い沈黙。
俺は続ける。
「兵士のお給料とか……
武器とか……
怪我した人の治療とか……
砂漠の方って補給が大変なんですよね?
だったら、もっと掛かると思うんですけど」
責める言い方じゃない。
ただの疑問。
でも、父は答えられなかった。
「ほう、おまえもそういうことが気になる年になったか
……細かい数字までは知らん。
だが、掛かるのは確かだ」
兄が柔らかく助ける。
「“小さくはない”額だ。
だがレオン、必要経費だよ」
「どれくらいですか?」
俺がまた首を傾げると、兄は苦笑した。
「レオン。
数字を見るのは、大人の仕事だ。
今はまだ気にしなくてもいい」
優しく、でもきっぱりと遮られる。
それで十分だ。
(やっぱり、誰も“ちゃんと見てない”)
父は“戦”しか見ていない。
兄は“合理”しか見ていない。
でも――
数字も、現場も、人の暮らしも
“全部まとめて見る人間”がいない。
「……勉強になりました」
俺はそう言って、グラスを持った。
まだ十二歳。
まだ“ただの子ども”。
だから、大きな声では言わない。
でも――心の中でははっきり決めた。
(帳簿を見る)
(街を見る)
(現場を見る)
そして――
(この領地を、壊させない)




