俺は「仕事で死んだ」
昔からやってみたかった小説投稿。
実際にMBAとってる経営者なので、それらの知識や経験をここで吐き出したいと思います。
ご覧頂けると嬉しいです。
——あ、これ、ダメだな。
視界がぐにゃりと歪んでいく中で、そんな冷めた感想が浮かんだ。
真夜中のオフィス。
蛍光灯だけが白々しく光り、モニターのブルーライトが目を刺す。
机の上には、飲みかけの缶コーヒーと、コンビニおにぎりの空きパック。
時刻は——午前二時四十七分。
ここ三日、まともに寝ていない。
風呂も入っていない。
昨日食べたものが何だったのか、思い出せない。
「篠原さん、すみません! その資料、四時までに先方に送れますか!」
新卒三年目の部下が、申し訳なさそうに頭を下げる。
彼の目の下のクマは、俺より濃いかもしれない。
「……大丈夫。やるよ。お前はさっきのログ、もう一回精査しとけ。ミスあったら飛ぶぞ」
そう言って、いつものように笑ってみせる。
大丈夫じゃないし、ミスがあって飛ぶのは、多分俺のほうだ。
四十二歳。
インフラ系コンサル会社のシニアマネージャー。
都市インフラを研究して、社会人になってからMBAも取って、
——それなりに「ちゃんとやってきた」つもりだった。
道路網、物流、上下水道、災害対策。
人が安心して暮らすための「仕組み」を設計する仕事。
……の、はずだった。
「なんで、現場の人間が一番壊れやすい仕組みになってんだよ」
独り言が、喉から漏れる。
手首のスマートウォッチが、心拍数の異常を知らせるバイブを震わせた。
——高すぎます。休憩を推奨します。
そんな表示を、もう何度も無視してきた。
経営は「人が資産だ」と言うくせに、
実際に切り捨てられていくのは、現場の若い連中と、中間管理職。
毎月のように退職者が出て、
その穴を埋めるために、残った人間がさらに働く。
「仕組み」を良くしたくてこの世界に入ったのに、
いつの間にか俺の仕事は、壊れた仕組みを「人」で補うことになっていた。
「……違うだろ」
画面の数字が、二重に見える。
胸の奥が、握り潰されるように苦しい。
冷や汗が背中を流れ落ちる。
ああ、やばいな、これは。
MBAで学んだリスクマネジメントの講義が、頭をよぎる。
——人材は企業の最重要資産であり、
健康管理への投資は、長期的なリターンを生む。
自分のことになると、まったく活かせていない。
笑えるくらい、滑稽だ。
視界の端で、部下が何か叫んでいる。
救急車、心臓、AED。
断片的な単語だけが、遠くから聞こえてくる。
もう、いいか——という諦めと、
まだ、何もできていない——という悔しさが、同時に胸に込み上げた。
インフラを研究して、MBAまで取って。
人が安心して暮らせる「仕組み」を作りたいと思って。
でも俺は、
「仕事で人を救う」どころか、
「仕事で自分を殺した」だけじゃないか。
(やり直せるなら——)
そこまで考えたところで、
世界は、真っ暗になった。
◆ ◇ ◆
「……ちゃま! ……レオン坊ちゃま! お目覚めですか、レオン坊ちゃま!」
誰かが、俺の名前を呼んでいる。
「レオン……?」
俺は篠原智也のはずだ。
レオンなんて、ゲームの中のキャラでしか聞いたことがない。
まぶたを開けると、見慣れない天井が視界に飛び込んできた。
白い蛍光灯ではない。
高い天井に吊るされた、鉄製のシャンデリア。
分厚そうな木の梁。
壁には、意味ありげな紋章の刺繍タペストリー。
ベッドは、場末のビジネスホテルより、余裕で広い。
寝具はふかふかで、シーツからは草と石鹸の匂いがした。
(……病院、じゃないな)
まずそこを冷静に確認している自分に、少し驚く。
視線を横に向けると、エプロン姿の中年女性が、涙目で俺を覗き込んでいた。
メイド服、というやつだろうか。
でもコスプレ感はなく、本気で「生活のために着ている」服だ。
「よかった……! 熱が下がられました……! お父上もお母上も、どれほどご心配されていたか!」
お、父上?
嫌な単語が聞こえた気がする。
「ちょ、ちょっと待って。ここは……?」
声が、自分のものではなかった。
少し高くて、まだ若い。
ついでに、舌がうまく回らない。
俺は、慌てて自分の手を見た。
細い。
皮膚は白くて、無駄な毛がほとんどない。
タイピングで固くなった指の関節も、ない。
(子どもの手……?)
ベッドから身を起こそうとして、軽くくらりとした。
上半身は意外と筋肉が付いていて、虚弱という感じではない。
でも、どう考えても四十四歳のそれではなかった。
「レオン坊ちゃま、無理をなさらないで。お熱で三日もお眠りになられていたのですよ」
メイドが、当たり前のように「レオン」と呼ぶ。
俺は——篠原智也は、どうやら死んだ。
そして今、どこか知らない世界で、
「レオン坊ちゃま」として目を覚ましたらしい。
頭がおかしくなった、という可能性もゼロではない。
だが、インフラの世界は常に最悪を想定するものだ。
「これは夢だ」と切り捨てるには、あまりにも感覚がリアルすぎる。
(……異世界転生、ってやつか。マジで?)
なろう小説の読みすぎだろ、とどこかで冷静に突っ込む自分もいる。
けれど、状況証拠は、それ以外の説明を許してくれない。
◆ ◇ ◆
数時間後。
俺は「レオン・バルシュタイン」という名前であることを知った。
年齢、十二歳。
バルシュタイン領を治める現領主、ガルド・バルシュタインの次男。
母は既に他界。
兄は十八歳で、次期領主と目されている。
俺は一応、貴族の一員だが、後継ぎではない「便利な駒」——らしい。
そして、このバルシュタイン家には、もう一つ有名な呼び名があった。
——ブラック領主。
聞いた瞬間、心臓が嫌な音を立てた気がした。
「ブラック……?」
思わず聞き返すと、付きっきりで世話をしてくれているメイド——マリアが、青ざめた顔で口を押えた。
「レオン坊ちゃまっ、決して、外ではそのお言葉を……! もしお父上のお耳に入ったら——!」
慌てて周囲を見回し、小声で続ける。
「……た、確かに、他領ではそのような呼ばれ方もしていると、噂には聞きますが……!」
どうやら、本当に「ブラック領主」らしい。
俺は、マリアからそれとなく話を聞き出した。
このバルシュタイン領は、隣国との国境近くに位置する「前線領」。
戦争リスクが常にあり、王都からの圧力も強い。
そのため——という名目で、重税が課され、
領民は日が昇る前から日が沈んだ後まで働かされる。
事故で手足を失っても補償はほぼなく、
年老いた者と病人は、見捨てられることも珍しくない。
逃げようにも、他領への移住には高額な許可金が必要で、
払えない者は、事実上この領地に縛り付けられている。
つまり——
(ブラック企業を、領地スケールでやってるってことか)
胃のあたりが、重くなる。
前世で見てきた「おかしな会社」が、
ここでは「当たり前の政治」として成立している。
俺は窓から外を見た。
城の高い位置から見下ろす領都は、一見、活気があるように見えた。
朝早くから人が動き、荷馬車が行き交い、煙突からは煙が立ち上る。
だが、よく目を凝らすと、
人々の歩き方は重く、視線は地面に落ちている。
笑い声が、ほとんど聞こえない。
これは、前世でも見た光景だ。
心身をすり減らしながら働き、
「生きている」のではなく「生かされている」人たちの顔。
(……また、ここかよ)
思わず、吐き出すように呟いた。
前世。
俺は、仕組みの歪みを知っていながら、何も変えられなかった。
改革を提案しては潰され、
部下を守ろうとしては、防ぎきれず辞めさせ、
最終的に、自分も過労で倒れて死んだ。
MBAで経営を学んで、
都市インフラを研究して、
それでも、何もできなかった。
その俺が今、
ブラック領主一族の一員として、
搾取する側の城の中に立っている。
——それは、最悪の皮肉であり。
同時に。
これ以上ないくらい、状況としては「恵まれている」とも言えた。
(仕組みを変えたいなら——
最初から、仕組みの中心にいればいい)
前世の俺にはできなかったことが、
今の俺には、できるかもしれない。
この城の上から、領地全体を見渡しながら、
税の流れも、人の流れも、インフラも、組織も、全部設計できる立場にいる。
しかも——
(こっちの俺は、まだ十二歳だ)
時間がある。
体も、今のところ健康だ。
前世で、過労と不摂生で擦り減らした分の「残り時間」が、
丸ごと上乗せされたようなものだ。
「……マリア」
「はい、レオン坊ちゃま」
「この領地で……働いてる人たちって、幸せそうに見える?」
「え……?」
唐突な質問に、マリアは目を瞬かせた。
少し考えてから、困ったように笑う。
「さ、さあ……皆さま、それぞれに、家族のために頑張っておられますから……」
それは、前世でも何度も聞いた答えだ。
「仕方ない」
「どこも同じ」
「家族のためだから」
そんな言葉で、自分を納得させながら、
心と体をすり減らしていく人たち。
俺は、窓の外から視線を外し、
自分の両手をぎゅっと握った。
(もう、同じことは繰り返さない)
ブラック企業で働いて死んだのは、俺だけで十分だ。
今度は——
俺のインフラの知識と、
MBAで学んだ経営と組織の知識を全部使って。
「人が幸せに働ける領地」というやつを、本気で作ってみる。
ブラック領主一族に転生した?
上等だ。
だったら俺は——
このバルシュタイン領を、
世界で一番「働くのが怖くない場所」に変えてやる。
仕事で人を壊すんじゃない。
仕事で、人を救うんだ。
そう、心の底から決めた。
それが、二度目の人生で俺が掲げた、
最初の——そして最大の目標だった。




