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Ep1.思い出したなら、楽しむべき?


 重たい枷を両手足に嵌められ、引きずられるようにして目の前に現れた男を見た時。ヴェレチカは思った。


(あ、ここ『フェリ戦』の世界だ)


 と。


 乙女ゲーム『フェリフェイア戦記』。

 ヒロインはとある大陸の小国で生まれた極々普通の少女。その大陸ではローゼンガルム帝国という強大且つ残忍な戦争国家が各国を侵略していた。ヒロインが14歳の時に彼女の国も戦禍に巻き込まれ、家族を失い、命からがら生き延びる。そして小さな教会の老夫婦に育てられ、純粋で心優しい少女へと成長した18歳の誕生日。彼女は“光魔法”が覚醒。

 それと時を同じくして、大陸の各地ではローゼンガルム帝国に侵略された国の者たちが集い“フェリフェイア連合軍”を立ち上げていた。光魔法で回復が出来るヒロインが連合軍と出会い、その戦いに身を投じて行く中で攻略対象との絆を深める。

 一部の攻略対象のルートを除き、最後は連合軍とヒロインが極悪非道な帝国を打ち倒してハッピーエンド。

 ありがちなストーリーだ。

 ちなみにフェリフェイアというのはこの世界で崇められる光の女神の名前であり、ストーリー中ではヒロインがそう呼ばれることもある。


 そして作中での敵、悪役がローゼンガルム帝国の女皇ヴェレチカ・ヴァン・ローゼンガルム。

 現在は第36皇女。


「……全員、部屋から出ていって」

「こ、皇女様?」

「いいから出ていきなさい!」


 ヴェレチカの一喝で使用人と、彼らに引き連れられてきた男は慌ただしく部屋を退室した。肩で息をしながら、豪華な調度品たちの中でポツンと立ち尽くす。


「……嘘でしょ」


 朝からメイドたちの手で美しく綺麗に整えられた黒髪をぐしゃりと掴み、掻き毟るように頭を抱える。


「私がヴェレチカに転生って……それどんなラノベ……」


 深く溜め息を吐きながら椅子に腰掛け、大きな窓の外をぼんやりと眺めた。

 彼女は前世でこの『フェリフェイア戦記』の全ルート、全スチル、全エンドをコンプリートした記憶を持っている。


「ヴェレチカって……ほぼ処刑エンドよね」


 どのルートでも基本的にローゼンガルム帝国の女皇となっているヴェレチカは、連合軍に敗北すれば処刑は必至。

 当然の流れであり、プレイヤーだった彼女もそれは妥当だと思っている。禍根は残さないに限ると。


(お優しいヒロインの意見で、生涯幽閉エンドもあったっけ)

「……どうしようかなぁ」


 大国の皇女とは思えないだらしなさで椅子の背に凭れ、白い喉元を無防備に晒しながら緻密な柄で彩られた天井を見上げた。


 処刑は嫌だが、幽閉なら良いかと言えばそうでもない。

 ゲームのヴェレチカが最後、幽閉先として送られた場所は絶海の孤島にポツンと建つ塔だ。原作のヴェレチカならまだしも、前世の娯楽に満ちた世界を経験した今のヴェレチカには無理だ。退屈で人は死ねる。

 いっその事、国を捨ててどこかの田舎でのんびり暮らしたいが、ゲームの通りに進めばこの大陸にローゼンガルム帝国の目の届かない所はなくなるのだ。その平穏も束の間となるだろう。


 弱冠16歳になったばかりのヴェレチカが将来設計に頭を悩ませていると、控えめに扉がノックされた。


「皇女様」

「……ああ、クローリカ」


 ヴェレチカの記憶から声の主を探り当てると、ゆっくりと重厚な扉が開かれ、きっちりと撫で付けられ纏まった髪を揺らしながら皇女付きの侍女・クローリカがティーセットを乗せたワゴンと共に入室する。

 ふわりと、香り高い紅茶の匂いが部屋に充満した。


「失礼します。皇女様……ご気分はいかがでしょうか」

「ご気分?」


 行儀悪くもテーブルに頬杖を付きながら、どことなく怯えているクローリカからの問いかけの意味が分からず、片眉を上げて彼女を見上げる。

 その仕草が怖かったのか、ヴェレチカの黒紫の瞳と視線が交わると、彼女は息を詰めながら失礼にならない程度の速度で目を逸らす。


「……その、王弟殿下との面会を中断されましたので」

「王弟殿下……」


 思い出す。ヴェレチカが乙女ゲームの記憶を取り戻す前に対面していた男――現皇帝グラン最後の弟、ルガル・ヴァン・ローゼンガルムのことを。


(記憶が戻った混乱と焦りで強引に追い出してしまったんだわ)

「彼を連れてきて」


 その一声の数分後、ヴェレチカの前に座ったルガルは多少窶れているが、元々の美貌と鍛え上げられた身体はまだ衰えていなかった。

 冷たい月光のような銀髪と冬の水面に張った氷色の光を宿した碧眼。

 今年で35歳となった彼はヴェレチカの父、つまりこの国の皇帝であるグランの弟であり、彼の最後の兄弟だ。多く居たであろう兄妹たちの中で、先の皇位継承戦争を生き残った者がルガルとグランだけだったのだ。

 ルガルはグランが皇帝の座に座った後も、彼の強行的な戦争拡大に対する姿勢に反抗し続けていた人物。それがある種の抑止力となり、ローゼンガルム帝国はルガルの反抗による内乱が続いた影響で、諸外国への侵略を今現在まで諦めていたほどだ。

 だが、彼はこうして捕らえられた。

 率いていた反乱軍は散り散りとなっており、その真新しい傷を見るに反乱軍の逃亡先の情報を得ようとした他の兄姉たちに随分と痛めつけられたらしい。

 かく言うヴェレチカも直前まではそのつもりだったのだが。


「どうぞ、叔父様。お座りになって」


 ヴェレチカはとりあえずにこやかに微笑み、目の前の席を手で示した。しばらく無言で椅子と姪を見下ろしていたルガルだったが、特に何も無いと判断したのか、そのままどさりと些か乱暴に座る。

 クローリカが素早くティーカップに紅茶を注いだ。


(この紅茶が……ね)


 ゲームのルガルは攻略対象ではなかったが、ヒロインと連合軍の前に時折現れるお助けキャラとして登場する。

 初登場時から彼は足を引きずっているのだが、その理由はストーリーを進めることで判明するのだ。

 ルガルは反乱軍を率いて帝国と対立していたが敗北した後、“とある皇女”との茶会の席で自ら神経毒を飲み、仮死状態となって国から抜け出したのだと。そしてその神経毒の後遺症で彼は右腕と右足の不随という代償を背負っていた。


 ヴェレチカはじっとルガルの一挙手一投足を見つめる。彼がどうやって、毒を自分のカップに仕込んだのかはゲーム内でも明かされていなかった。


(もしかして、口の中に先に含んでおいて紅茶で流し込んだとか……)


 特に怪しい素振りもないまま、彼はゆっくりと枷のついた手でティーカップを持ち上げる。

 その瞬間、ヴェレチカの視界の隅でクローリカが拳を震わせたのが見えた。


「お待ちを、叔父様」


 ヴェレチカは深紅の口紅で彩られた唇を吊り上げながら、ルガルの手からティーカップを取り上げる。


「ねぇ……クローリカ」

「は、はい」


 静々とテーブルに近づいてきたクローリカの前に、白磁のティーカップを見せつけるように殊更ゆっくりと置く。

 とん、とカップがソーサーに触れた音が嫌に響いた。

 青ざめて俯く彼女の顔を覗き込み、ヴェレチカは紫黒の瞳を細める。


「これ、飲んでくれるかしら」

「!」

「そ、それは……っ」


 ヴェレチカの突然の提案にクローリカだけではなく、ルガルも一瞬だけ焦ったような表情を浮かべ、直ぐに取り繕う。

 だがその一瞬、それだけで彼と彼女には何かしらの繋がりがあると分かった。大方、クローリカは反乱軍の関係者か何かだろう。彼女がルガルのティーカップに神経毒を仕込んだのだ。


(甘いわね、叔父様)

「こ、皇族の方のお飲み物に、口をつけるなんて……っ」


 クローリカは青を通り越し、真っ白な顔でブンブンと首を振る。


「別に構わないわよ、ねぇ? 叔父様」

「……」


 彼をチラリと見遣るが、視線を外された。しかし、テーブルの下で握りしめているらしい拳の震えがクロスを揺らしている。

 ヴェレチカは少しだけ悪戯心が湧いた。


(私との茶会の席でこんなことをして……私を利用しようとしたんだもの。少しぐらい、痛い目を見てもらわないとね。それにゲームの中に出てくる魔法というものが、どこまで使いこなせるかも知りたいし)


 にんまりと笑いクローリカの瞳を見つめる。

 瞳の奥に宿る紫がぐるりと渦を描き、クローリカの身体を()()した。


「ねぇ、飲んで?」


 それは命令。


 ゲームの中でヴェレチカが何故、数多くいる兄弟姉妹を退けて帝国の女皇となれたのか。それは彼女が持つ“闇魔法”の力だ。

 ヒロインが持つ光魔法と同じく、闇魔法もまた希少である。ヴェレチカはローゼンガルム帝国の皇族内で唯一の闇魔法使いであり、彼女が最も得意とするものが“支配”する魔法だった。ゲーム内のヴェレチカはその右目に魔法陣を刻み込み、目を合わせたものを支配するというチート級な魔法を使いこなしていたのである。

 今、その魔法陣は無いが支配魔法の力は本物だ。


 その証拠に、クローリカはブルブルと全身を震わせながら神経毒入りのティーカップに手を伸ばしていく。震える指先が何度も持ち手に引っかかっては取り落とし、引っかかっては再び取り落とす。

 カチャカチャと、ティーカップとソーサーが擦れ合う音。

 クローリカは既に涙を流し、水面から顔を出した魚のように口を開閉させて、それでも逆らえない支配の力にとうとうティーカップを持ち上げる。


「ぃや……っいや」


 引き絞った悲鳴。嫌だと繰り返しながらも、その身体はゆっくりとティーカップをクローリカの口元まで運んでいくのだ。

 淡い桃色に塗られた唇がカップの縁に触れ――ヴェレチカが支配を解くのと、ルガルがケーキ用のフォークを姪の喉に突き付けるのと、そんなルガルを牽制するように皇女付き騎士達が剣を抜いて彼の首筋に当てるのでは、一体誰が1番早かっただろうか。


「っはぁ……はぁ」


 支配から開放されたクローリカが柔らかなカーペットにへたり込み、手放されたティーカップがまだ温かな紅茶を撒き散らして床を転がる。

 フォークを突きつけられたヴェレチカは苦笑し、降参というように両手を上げた。


「一旦、落ち着きましょうか」


 護衛騎士たちに視線で下がるよう伝えると、まずはルガルの首から剣が離される。彼は数度深呼吸をしてからフォークを引いた。

 椅子に座り直すと、ギィと軋む音。


「クローリカ」


 ヴェレチカはティーポットを持ち上げると、怯えて震えるクローリカの――隣にあるワゴンに乗せた。


「入れ直してきてくれるかしら。今度は()()()()()()()()()をお願いね」


 それは暗にヴェレチカはクローリカが、ルガルが、企てた事を知っているという忠告だ。

 サッと青ざめた彼女は言葉もないまま、ただ力なく、こくんと頷いて部屋を出ていく。


「さて、と。ねぇ、叔父様」


 ヴェレチカは警戒しているルガルに困ったような笑みを向けた。


「無茶しすぎですわ」




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