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桜風吹にいだかれて【第肆章;歪み、歪んだ道標 毎日22:30更新中】  作者: 雨後 穹・改
──第壹章;アリスはもう穴の中──

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File4:男子学生連続失踪事件(漆) 202X年7月18日

──Side 富ノ森(とみのもり)調査事務所 アルバイト 相川(あいかわ) (さくら)──

202X年7月18日午後9時48分

富ノ森(とみのもり)市・路地裏


 駅前へ向かう途中、俺は立ち止まってスマホを握りしめ電話帳を開く。

 探偵──瀬川俊二(せがわしゅんじ)


 俺は電話はひどく苦手、というか嫌いだが、今は一刻を争う。そんなことは言っていられない。

 もし彼が出てくれれば。

 何か少しでも背を預けられるなら。


 通話ボタンを押す。

 呼び出し音が夜の沈黙に重なる。


 一回、二回、三回──。

 やがて無機質な留守電の音声が流れた。


「……クソッ」


 通話を切る。

 画面に映る自分の顔が、青白くこわばっていた。


 スマホをポケットに押し込み、俺は駅前の暗がりへ歩を進めた。


◆202X年7月18日午後10時05分

富ノ森(とみのもり)駅前廃映画館前


 夜の駅前は昼間の喧騒が嘘のようにしんと沈んでいた。

 ネオン街の明かりが遠くでまたたき、駅前ロータリーのアスファルトにぼんやりと反射する。だがその光は、ひとつ路地を曲がっただけで急激に色褪せる。


 俺が身を潜めているのは、その暗がりだった。


 かつて娯楽の中心だった廃映画館。今は看板が外れ、窓ガラスはひび割れ、入り口のシャッターも半分壊れている。駅前の煌めきからわずか数十メートルしか離れていないのに、この建物の前だけは夜の底のように冷え切っていた。


 数日前、滝口たちがよくたむろしていたと噂される場所。

 そして、白石彩花(しらいしあやか)の影が最後に囁かれた場所。


 心臓は落ち着かない。

 この数日で積み上げた証言と裏垢の映像。

 加藤蓮司(れんじ)大河内翔真(おおこうちしょうま)──消えた不良二人。

 その背後に浮かび上がる少女、白石彩花。


 彼女がここに現れる。

 そんな確信めいた予感に取り憑かれて、俺は張り込みを続けていた。


◆202X年7月18日午後10時31分

富ノ森(とみのもり)駅前廃映画館前


 彼女は、不意に現れた。


 白いワンピース。膝下まで流れる布は夜風に揺れ、月明かりを受けてほのかに透けて見える。

 肩の線はあまりに細く、首筋は折れそうなほどか弱い。

 肌は青白く、目は虚ろ。腰まで伸びた黒髪が生暖かい夜風で黒に溶ける。

 ともすれば幼く見える彼女は、まるで生気を削られた人形のように見えた。


 薄幸を絵に描いたような姿だった。


 だが、その胸元だけは顔立ちと不釣り合いに張り出していた。

 幼さの残る面差し、透きとおる肌、ほつれた髪──すべてが「儚さ」を語っているのに、形を主張する胸の存在感だけが場違いな妖艶さを帯びていた。


 思わず視線がそこに吸い寄せられる。

 一瞬、異性としての欲望が喉の奥を熱くした。


 ……なにを考えてる。


 胸の奥がざらつく。

 あの動画で泣き叫んでいた彼女を知っていながら、ほんの一瞬でも欲望を覚えた自分に、強烈な嫌悪が込み上げる。

 歯を食いしばる。心臓が打つたび、耳の奥で罪悪感が木霊した。


 目は大きいのに、光を宿していなかった。

 黒目の奥に、深い深い水底を思わせる空虚さが漂っていた。

 その顔立ちは、ただそこに立っているだけで「薄幸」という言葉を体現していた。

 かつて笑顔を見せていたであろう唇は、今は閉じられ、血の気を失い、微かに震えている。


 息を呑む。

 桜の胸に一瞬、保護本能にも似た衝動が走る。

 ──だが次の瞬間、それは打ち砕かれた。


 目に映ったのは、服でも表情でもない。

 少女の周囲に漂う「何か」だった。


 空気がひび割れるような圧。

 熱でも冷気でもない、形容しがたい悪意の濃度。

 彼女の周囲が、揺らいでいた。


 いや、「揺らぎ」と呼ぶのは生ぬるい。

 街灯に照らされたその細い身体の周囲に、黒い靄が渦を巻いていた。


 影のような、煙のような。

 だが確かに目に見える“何か”だった。


 (もや)(うごめ)き、時折、形を持つ。

 人の手のように伸びかけ、すぐにほどける。

 触れれば皮膚を焼き尽くすような悪寒が距離を隔てても伝わってくる。


 俺は息を止めていた。

 心臓の鼓動が喉までせり上がり、破裂しそうになる。

 耳鳴りがした。

 鼓膜の奥で、不明瞭な囁き声がかすかに渦巻く。


 ──()()()()()


 月曜日の通り魔事件で見た、忘れようにも忘れられないこの世ならざる“異能”。

 彼女は、白石彩花(しらいしあやか)()()に選ばれた祈る者(プレイヤー)だ。

 

 予感は、この瞬間を以て確信へと変わる。

 失踪した不良たちは、──彼女が消した。


◆202X年7月18日午後10時34分

富ノ森(とみのもり)駅前廃映画館前


 恐怖で膝が震えた。


 戦えば勝てるはずがない。

 俺には戦う能力なんてない。戦闘力など皆無。


 もし白石彩花の異能が戦闘に向いたモノであると仮定して。

 彼女がほんの少しでも俺に気づいて、その力を向ければ──そこで終わる。

 そんな予感が全身を圧した。


 今すぐ逃げるか。

 いや、それでは何も掴めない。

 滝口を手に掛けても、彼女の矛先は止まらない。そんな予感がある。


 どうする──。


◆202X年7月18日午後10時37分

富ノ森(とみのもり)駅前廃映画館前


 その時。


 廃映画館の裏手、暗がりの路地から別の人影が現れた。

 フードを被り、キョロキョロと周囲を伺いながら中へ忍び込もうとする。


 滝口海斗(かいと)


 昼間に見た茶髪、ピアス、舌足らずな声。

 あの動画にいた男の一人。

 白石彩花を(もてあそ)んだ、加害者のひとり。


 生きていた。

 だが、自ら獲物の檻に足を踏み入れようとしている。

 捕食者と獲物の関係が逆転しているとも知らずに。


 白石の背中は静かに扉へ向いている。

 その黒い靄がわずかに広がり、映画館の暗闇へと溶けていった。


 胃がひっくり返るような焦燥が襲った。


 滝口が中に入れば──二人の不良と同じ運命を辿るのは明らかだった。

 白石の力の前で、ただの不良に抗えるはずがない。


 止めなければ。

 彼女を。


 このまま黙って見ていたら、取り返しがつかない。

 滝口だけじゃない。次はもっと別の誰かに。


 心臓の鼓動が耳の奥で爆発音のように響いた。

 視界の端が震えている。


 怖い。

 だが、もう選べない。


 俺は地を蹴り、路地の陰から飛び出した。


 熱気を孕んだ夜風が頬を叩く。

 汗に濡れたシャツが背中に張り付く。


 白石の背中。

 扉に消えかけた滝口の影。


 ──間にあえ。


 叫び出しそうな恐怖を喉の奥に押し込みながら、俺は廃映画館の闇へ駆け込んだ。

【富ノ森調査事務所】

報告記録欠損


7月18日 21時以降、相川桜の行動記録なし。

最終通信:駅前路地より発信履歴あり。

現在、旧アートシネマ富ノ森周辺で調査継続中。

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面白い、の一言です。 最初は描写の鮮やかさに目が行きました。 映像作品のような情景と、文章だからこそ伝わる夏の暑さ。 シーンの切り替えごとに進んでいく物語がテンポよく、端的に、好きだなと思いました。 …
最初の数話からすでに「ただの田舎町の怪異譚では終わらないな」という空気が濃厚で、読み進めるごとに不安と緊張が高まっていきました。舞台となる富ノ森市の閉塞感や、人々の目に見えない歪みがじわじわ迫ってくる…
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