File4:男子学生連続失踪事件(陸) 202X年7月18日
──Side 富ノ森調査事務所 アルバイト 相川 桜──
202X年7月18日 午後5時25分
富ノ森市・南学園前 通学路
午後の下校時間。制服姿の生徒たちが、汗ばんだシャツを揺らしながら歩いていた。
俺は木陰で待ち構え、ポケットからスマホを取り出す。
画面にはSNSから拾った一枚──校外学習の集合写真。端に小さく写った少女。
部活帰りの生徒たちが群れを成して歩いていた。
「ちょっといい?」
目の前の二人組を呼び止める。
「この子、知ってるか」
男子生徒が画面を覗き込み、眉を寄せる。
「ああ……同じ学年の子っすね。白石さん」
「どんな子だった?」
「おとなしいっす。でも隠れファン多い感じ。ハッコーの美少女的な。でも声も小さいし、友達も少なかったと思います」
隣の女子生徒が頷いた。
「もともと目立つ方じゃなかったけど……去年の三学期くらいかな、なんか急に暗くなった感じ。っていうか学年上がってから見てない気がする」
聞き込み三人目、女子生徒。鞄を抱きしめるようにして答える。
「知ってます。美人だけど大人しい子。前は友達とも普通に話してたのに……最近は全然見ない」
四人目、男子生徒。
「同じクラスっすよ。話したことあんまねーけど。三年になってから全然学校来てないっすね。四月は居たような気がするけど」
そのあとも何人か三年生と思しき生徒に聞き込みを重ねたが、証言はどれも一致していた。
白石彩花――存在は確かにある。だが薄い。印象が霞んでいる。
四月の中頃以降は、姿を見かける者すらいなかった。
◆202X年7月18日 午後8時12分
富ノ森市・駅前アーケード
夜の街は熱気と煙草の匂いでむせ返っていた。カラオケビルの前、柄の悪い連中が数人、缶を蹴りながら屯している。
俺は再びスマホを取り出し、画面を見せつけるように歩み寄った。
「この子、最近見たことないか」
派手な金髪の男がちらと画面を見て、下卑た笑いを漏らす。
「あー……あー!見たことあるわ。何回か」
「おとなしい顔して、カイトらと一緒にいるの何度か見たぞ」
後ろの一人がニヤニヤと口を挟む。
「胸デカかったよな。妙に影薄いくせに、なんつーの? そそる感じ。連れ回されてんの見て、あれ絶対遊ばれてんだろって話してたわ」
乾いた笑い声が広がる。桜は苛立ちを顔に出さないよう、スマホの中でぎこちなく笑う白石彩花の顔を凝視し続けていた。
「名前は?」と念のため問いかける。
「知らねーよ。つーか名前なんか興味もねーし。……でも確かにいた。3人とセットで。何回も見たわ。毎回胸見てたわ」
ゲスな証言。だが十分だった。
昼の学生たちが口を揃えて語った「目立たないおとなしい子」。
夜の不良たちが吐き捨てた「3人とセットで連れ回されていた女」。
証言が線で繋がる。
“白石彩花”。
昼間の証言――「おとなしい」「暗くなった」「四月中旬から休みがち」。
夜の証言――「3人に連れ回されていた」「遊ばれていたように見えた」。
そして裏垢動画。
全部が一本の線でつながる。
六月二十九日、大河内が消えた。
そして七月十日、加藤が消えた。
立て続けに、加害者だった二人が。
偶然で済ませられるか?
――いや、違う。
証言も、映像も、空白の時間も。
どれを取っても白石を中心に円を描いている。
偶然で済ますには、線が繋がりすぎている。あの絶望を知ってしまった以上、彼女が関わっていないと考える方が不自然だった。
間違いなく、彼女はこの失踪事件に深く関わっている。
問題は――どのように。
復讐? 誰かの共犯? 彼女自身も失踪の被害者? それとももっと別の形か。
答えはまだ見つからない。
ただ、心当たりはあった。
もし──もし、だ。“何らかの方法で”彼女が彼らを圧倒するような手段を得ていたとしたら?
例えば、”月曜日の通り魔事件”で俺が目にした、あの超常の力を。
彼女が同じものを手にしていたとしたら。
想像は恐ろしいほど現実味を帯びていた。
あの動画の中で泣き叫んでいた少女の姿が、鮮明に脳裏に蘇る。
そして問題なのは。
次がある、ということだ。
残っているのは滝口ひとり。
そして、もし白石の矛先が止まらなければ……。
考えるほどに、汗が背中を伝った。
窓の外では蝉の声が夜になっても止まらず、鼓膜を揺らす。
――時間がない。
気づけば、俺は、駆けだしていた。
◆202X年7月18日 午後8時26分
富ノ森市・自宅・玄関
玄関のドアを乱暴に閉める音が、家全体に響き渡った。
喉は焼けつくように乾き、肺は熱を持って膨らんでいる。走り込んできたせいだけじゃない。証言と記録と動画が繋がったその瞬間から、俺の全身は警鐘を鳴らしっぱなしだった。
靴箱に手を突いて、肩で息をしながら顔を上げる。
廊下の蛍光灯が白々と照らし、影が床に歪んで落ちていた。
その光景すら、やけに心細く見える。
――本当に行くのか?
頭の片隅で問いかける声があった。
だがすぐに振り払う。
行かなきゃならない。白石彩花が、次に何をしようとしているのか。滝口海斗の命が残されているのかどうか。それを確かめるためには。
だが理屈では分かっていても、それを確かめに足を踏みだすことを想像した瞬間、胃の奥がねじれるように冷えた。
昨日見た動画の残像が焼き付いて離れない。埃舞う暗闇、泣き叫ぶ少女、肉と肉のぶつかる音。
あの場所に彼女がまだいるとしたら――いや、違う。
彼女が「何か」を持っているとしたら。
唇を噛み締める。
今の俺ひとりで対処できるのか。
頭に浮かんだのは、うちの2階に居候する、風吹の顔だった。
階段を駆け上がり、隣の部屋の前に立つ。
拳でドアを三度叩いた。
「風吹! 起きてるか!」
最初は沈黙。
次に、布団を引きずるような音。低い唸り声。
「……なに、夜だよもう。うるさい」
寝ぼけ声だった。
だが返事があっただけで安堵が胸に広がる。
「一緒に来てほしい。すぐにだ。人死にに関わるかもしれない」
短く、要点だけを叩きつけるように告げた。
だが返ってきたのは間延びした欠伸混じりの声だった。
「……はぁ? 桜、本気で言ってる? 明日にしよう?」
「明日じゃ遅い!」
声が大きくなった。自分でも驚くほど荒ぶっていた。
拳をもう一度ドアに叩きつける。木の板が鈍く震える音が、静かな家に不釣り合いに響いた。
中から、布団に再び沈むような気配が伝わってくる。
そして吐き捨てるような声。
「……勝手にいきなよ。わたしは寝る」
がちゃり、と鍵のかかる音すら聞こえた気がした。
ドア越しに呻くような寝返りの音がする。
呼びかければまだ返事はあるのかもしれない。
ドアノブに手を伸ばしかける。
あと一回叩けば、無理やり起こせるかもしれない。
ノブを回して踏み込めば、布団を引きはがしてでも立たせられるかもしれない。
だが、伸ばした手は途中で止まった。
ノブの冷たい感触をほんの少し指先がかすめただけで、力が抜ける。
呻く気配はまだ中にある。
それを背に、俺は拳を握りしめ直し、静かに手を下ろした。
沈黙が廊下に広がった。
蝉の声も遠のき、家全体がしんと冷える。
なんのために帰ってきたのか。とんだタイムロスだ。
背中を伝う汗が冷たくなっていく。
「一人で行くしかない」という答えが、拒みたくても喉にせり上がってくる。
頭の奥で涙で濡れた白石彩花の顔がリフレインする。
モザイク越しでも分かった泣き顔。
あの声。
喉を鳴らす。乾いた唾がひどく重たく感じる。
玄関に戻る。
靴を履こうとして、手が震えて紐を掴み損ねる。
額から汗が滴り落ちて、玄関マットに染みを作った。
――怖いのか。
心の奥底から声が響く。
そうだ。怖い。
ただの不良と会うのとはわけが違う。人の失踪を引き起こす何かに、自分はこれから触れようとしている。
怖くないはずがない。
だが、止まれない。
もし今行かなければ、滝口の名前も他の二人と並んで“失踪者リスト”に刻まれる。
そんな予感に背筋が冷たい。
いや、それだけじゃない。
彼女が次に狙うのは、もう滝口だけでは済まないかもしれない。
ここで何もしなければ――また後悔する。
あの日のように。
手をぎゅっと握り締め、拳が白くなる。
足を靴に押し込む。
革が汗ばんだ足に張り付く感覚が妙に生々しい。
「……なら、俺が行くしかない」
小さな声だった。だがそれは決意の重さを孕んでいた。
玄関のドアノブを握る。金属が汗で滑る。
それでも力を込め、引き開ける。
夜の街の熱気と蝉の声が、途端に流れ込んできた。
街灯に照らされたアスファルトの白い輝きが、今夜の行き先を突きつけてくる。
なぜか、廃映画館だ、という確信があった。
そこに答えがある。
そして――白石彩花が居る。
俺はひとり、夜の闇へ駆け出した。
【2025/09/18追記】
ご覧いただきありがとうございます。
まさかの公開から1日と13時間で、日間ランキング ローファンタジー連載中部門65位にランクインすることができました。
これもひとえに、拙作をご覧いただいた皆様のおかげです。心から感謝申し上げます。
この作品は13年ぶりの復帰作で、皆様からの評価や感想が何よりの執筆モチベーションとなります。
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次回の更新もお楽しみに。