File4:男子学生連続失踪事件(伍) 202X年7月17日
──Side 富ノ森調査事務所 アルバイト 相川 桜──
202X年7月17日午後4時02分
富ノ森市・駅前通り
太陽は傾きはじめても、街全体は熱気を吐き続けていた。
俺はポケットの中で写真を何度も確認しながら歩いた。
狙いはカラオケビル。
SNSでのチェックイン履歴、夜の自撮り。
滝口が入り浸っているのはここだと目星をつけていた。
裏口。灰皿の脇に腰を下ろし、潰れたエナジードリンクの缶を蹴っている男。
茶髪、フープピアス。写真と寸分違わぬ顔。
間違いなく滝口海斗。
缶を踏むスニーカーの先からは、甘ったるい香水の匂いとタバコの残り香が漂っていた。
◆202X年7月17日午後4時20分
富ノ森市・駅前カラオケビル裏
滝口がビル裏の喫煙所で足を止めたのを見計らって、俺は歩を進め、声をかけた。
「……滝口海斗、だな」
男はわずかに肩を揺らした。
不審そうな目つき。だがすぐに口の端を上げて笑う。
「あぁ? 誰だよ、アンタ」
「ちょっと聞きたいことがあるだけだ」
話を切り出す。
加藤蓮司。行方不明。
六月に消えた大河内翔真。
その二人と、よくつるんでいたおまえ──。
滝口は終始ふてぶてしかった。
煙草を指に挟み、煙を吐きながら、低く舌足らずな発音で「知らねえ」「興味ねえ」と繰り返す。
会話は堂々巡り。
だが細かい反応は隠せない。
大河内の名前を出したときは、肩が一瞬跳ねた。
加藤の失踪に触れたときは、笑みが消えた。
──何かを知っている。確信だけが積もっていく。
俺はあえて追及をやめ、話題をずらした。
「三人で駅前の映画館の廃墟前よく溜まってたよな。SNSに残ってる」
滝口の目が一瞬鋭くなった。
舌打ち。
「……さっきからなんなのアンタ」
言葉に反して、声は硬い。
シートの奥に隠した本音がちらりと覗く。
そこから、滝口はもう何も言わなくなった。
イヤホンを取り出し、夥しく音漏れする大音量で耳までふさぐ。
ここまでか、と一歩下がり、立ち去る背中を滝口に見せる。
背中に滝口のかすかな独り言が刺さった。
「……やっぱあの裏垢の動画か……?」
全身が強張る。
振り返りたい気持ちを全身で抑え、そのまま立ち去る。
裏垢。動画。
脳裏で何度もリフレインする。
◆202X年7月17日午後9時15分
自室
机の上にノートPC。暗闇に青白い光。
検索窓に「富ノ森 裏垢 動画 晒し」と打ち込む。
ヒットした掲示板の書き込みは雑音だらけだった。
「釣り動画」「ネタ」「リンク切れ」。
十中八九、冷やかしか、広告への誘導。
ひとつひとつ開いては閉じる。
広告ポップアップ。消されたアカウント。意味のないログ。
瞼が重くなるほど、ただの空振りが続いた。
だが、その中に──
いくつも繰り返される単語が浮かび上がる。
《三人組のガキがイキってる》
《制服セーラー服、泣き顔》
《映画館の中》
文面は断片的で、信憑性は皆無。
だが、滝口の口にした「裏垢の動画」と重なるには十分だった。
◆202X年7月17日午後10時37分
自室
検索ワードを変える。
「裏垢」「動画」だけでなく、「魚拓」「キャッシュ」「鍵垢」「裏晒し」「学校裏サイト」。
複数のSNSプラットフォームを横断して調べた。
出てきたのは匿名掲示板のスレッド。
数百件の書き込みのうち、九割は罵声と冷やかし。
だが、一部に明らかに“本物を見た”者の感想が残っていた。
《制服セーラー?どっかの南学園っぽいけどモザ雑すぎ すぐ身バレするだろアレ》
《笑い声と泣き声が混ざってた》
《三人で代わる代わる、あれは……》
背筋に冷たいものが這った。
リンクは全て削除済み。
だが「魚拓」や「ミラー」と称する再投稿の痕跡が、まだネットの隅に散っていた。
◆202X年7月17日午後11時42分
富ノ森市・自室
ようやく辿り着いた。
無名のリークサイト。英語とハングルが入り混じったインターフェース。
「DLatownrisk」という赤字の警告の下に、小さなファイルリンクが残っていた。
再生時間は「2:20」。
クリック。
低解像度。手ぶれ。光源は弱い。
暗がりに、スマホの懐中電灯が揺れていた。
割れたガラス片が光を返す。
ポップコーンの殻や空き缶が散らばる床。
埃の舞う空間に、制服姿の少女が押し倒されていた。
目は腫れ、声にならない嗚咽が漏れる。
「おい、撮れてんのかよ」
「マジでやんの? バカだろ」
笑い声が飛び交う。最初は軽口。余裕すらあった。
だが数十秒も経たぬうちに、空気は変わった。
笑い声の合間に混じる、湿った荒い息。
喉を震わせるような、獣めいた呼吸。
ふざけ合っていた声が、いつしか欲望に呑まれた呻きへと変わっていく。
──パン。
──パン。
一定のリズムで響く乾いた衝撃音。
肉と肉がぶつかる音がコンクリ壁に反響し、やけに大きく耳を打った。
泣き声と笑い声と、獣の息遣いが一体となって渦を巻く。
暗がりで、埃が揺れるたび、息苦しさが倍増する。
二分二十秒。
短いはずなのに、途方もなく長い。
吐き気が込み上げる。喉に酸味が広がる。
ラスト数秒。
カメラがぐらりと揺れ、少女の顔が不意に間近に映った。
モザイク越しでも分かる。必死に目を背ける仕草、濡れた頬、赤く爛れた瞳。
目に映る色は、絶望だった。
二分二十秒の動画を、何度も巻き戻す。
画質は悪い。モザイクも粗い。
だが──声だけは、隠せない。
「おい、撮るの代われよ交代しろ」
低く、やけに舌足らずな発音。
昼間、駅裏で聞いた滝口の声と、完全に一致した。
笑い声の響き方。語尾を伸ばす癖。
間違いようがない。
──滝口海斗。
画質が粗くても、声が証拠になる。
モザイクに覆われた顔の代わりに、吐息と笑いが本人を暴き出していた。
線が繋がる。
六月末に家出──否、失踪した大河内翔真。
七月十日に同じく失踪した加藤蓮司。
そして、滝口海斗。
こいつらは単なる失踪事件の被害者とその友達などではない。
──こいつらは、涙で溺れる女の子を弄んだ加害者だった。
◆202X年7月18日午前1時12分
富ノ森市・自室
もう一度既に動画リンクが切れていた掲示板も含め、ネットを深掘りする。
荒れたスレッドの中に、下卑た書き込みが混ざっていた。
《中学の同級生の白石さんに似てるから100万回は捗った》
胃が反転するような嫌悪感が喉を突き上げる。
軽薄な一言。だが匿名の場で漏れる軽口ほど、核心を突いている。
“白石”という固有名。
今まで点でしかなかった情報に、初めて色がついた。
動画を巻き戻す。イヤホンをつけ、眼を閉じる。
暗がりのざらついた音声に耳を澄ます。
「……シラ、暴れんなって……」
「アヤ……音やっば」
くぐもった呼び声がノイズの奥から浮かび上がる。
聞き間違えではない。
断片的に刻まれた二音が、匿名掲示板の“白石”と重なった。
◆202X年7月18日午前3時37分
富ノ森市・自室
SNSに戻る。3人のアカウントの繋がりからあらゆる情報を漁る。
校外学習の集合写真。
無邪気にピースをする少女の姿。儚げな笑顔。たおやかな花のような整った顔立ち。「#白石彩花」のタグがついていた。
粗いモザイク越しでも、動画で顔を背けていた少女と同じ輪郭だと分かる。
笑顔と絶望が、一本の線でつながった。
加藤蓮司。大河内翔真。滝口海斗。
三人の加害者。
そして、動画の中の少女。
ノートを開き、震える手でペンを走らせる。
──白石彩花。
ページの余白に力を込めすぎて滲んだその名前を書き終えると、蝉の声が窓の外から押し寄せ、耳の奥を鋭く打った。
【富ノ森調査事務所】
調査メモより抜粋(記録者:相川 桜)
対象:加藤蓮司 同友人:大河内翔真・滝口海斗(いずれも南学園生)
六月末 大河内失踪。
七月十日 加藤失踪。
七月十七日 滝口確認。動画で女性への加害行為への関与疑い確認。失踪した二人も加害関与?
被害者:白石彩花(南学園在籍)。




