試しの台座
前の静けさとは対照的に、本章は“試される”という明確な緊張の中で物語が動き出します。
ゼルカという掴みどころのない人物が、アーロンに仕掛ける“試し”は、ただの力比べではありません。
この場面では、力だけでなく、「意志」や「記憶」――そして“何を背負って立つか”が
見られているのだと思います。
幻夢戦争記録区での経験が、どのようにアーロンの内側に蓄積され、血となり力となるのか。
そんな彼の「変化の兆し」を感じていただけたら嬉しいです。
緊張と静けさのなかに潜む火花のような一節を、どうぞお楽しみください。
選別の広間の静寂を切り裂いたのは、ゼルカの指先だった。
ゼルカは片手を上げてひらひらと振ると、肩をすくめながら言った。
「……まあまあ、空気が重すぎるな。よし、ちょっと“気晴らし”でもしようか。」
そう言って彼はくるりと踵を返し、広間の奥にある重厚な扉のほうへ歩き出す。
「ちょっと付き合ってくれない? 坊や。そう、アーデンの倅の君だよ。」
飄々とそう言い放ち、アーロンの肩をぽんと叩いた。
ルーアの威圧が未だ空気に残る中、ゼルカは涼しげな笑顔で歩き出す。だがその足取りは、迷いなく――あらかじめ用意された“場”へ向かうものだった。
「おっと、緊張してる? 大丈夫大丈夫。すぐ終わるから。」
その言葉に、不穏な安心感が混じる。アーロンは深く息を吸い、ゼルカの背を追った。
通路を抜けた先にあったのは、石造りの広場だった。中庭とは呼びがたいその場所は、
まるで儀式の残滓が染みついたような雰囲気を持っていた。風はなく、天井もなく、
だが空も見えない。不思議な感覚の閉鎖空間。
ゼルカは広場の中央で立ち止まり、地面に仕込まれていた機構を指先で撫でた。
「よいしょっと。」
ごとり、と小さな音。石畳がわずかに振動し、中央から“それ”が姿を現す。
直径1メルト(≒1m)の、黒鉄の円形台座。表面には術式の刻印が走り、その縁からはかすかに冷気が立ち上っている。
「これからゲームをしよう、ルールはいたってシンプルだよ。」
ゼルカは台座に軽く跳び乗り、すっと片膝を立てて座した。
「この上に座ってる俺を、どうにかしてどかしてみてよ。手段は問わない。時間は……
そうだね、10ティア(≒10分)で。」
その声は軽やかだが、空気が一変する。
「もちろん、本気でかかってきてもいいよ? 俺は殺さない程度に抑えるから。」
そう言いながら、ゼルカの口元が笑う。その背に漂う空気は、広間にいたときのものとは異なる。
“演技”の皮が一枚、剥がれていた。
「始めようか、アーロン。」
合図もなく、試練が始まる。
アーロンは台座とゼルカとの距離を測りながら、まずは静かに血流を整える。
脈動と共に、血廟魔術が緩やかに胎動する。
(ここで――)
彼は右腕に意識を集中させ、術式の始動を試みる。
《展血・双律》――自身の血を両脚へと巡らせ、
加速と跳躍の瞬発力を引き出す基本術式。
直後、地面を蹴る。
空気を裂く速度でアーロンが突進した瞬間、ゼルカは台座に座ったまま、指先をわずかに動かした。
がん、と音を立ててアーロンの足元が滑った。
(地形操作? いや、重力か?)
ゼルカは笑っていた。
「まだまだ、だね。」
次の瞬間、アーロンは立て直し、術式を重ねる。
《血刃・流動》――掌から刃のように変質させた血を投擲する。
シュッ、と音を立てて飛び交う血刃。しかし、ゼルカは動かない。代わりに、
周囲の空気がねじれた。刃が台座に届く直前、目に見えない壁がそれを弾いた。
(無詠唱の結界展開……?)
「ねえ、アーロンくん。焦ってない?」
その言葉に、アーロンはわずかに舌を噛む。
だが、彼はここで一歩引いた。ゼルカの周囲に展開された術式を、目で、感覚で、読み解く。
約1スティルいや、約2スティル(≒数秒)ほどの沈黙。
その間に、アーロンは手元の血を一滴舐めた。味ではない。血の“熱”を確認するためだった。
(いける……あの技を使えば、短時間だけでも動かせるかもしれない)
そう。あの幻夢戦争記録区で継承した、新たな魔術。
《灰燼》――己の血を燃やすことで細胞を一時的に再生・活性化させる術。
痛覚を越え て力を紡ぐ魔術。
広場の壁際には、いつの間にか先ほどの五人が姿を見せていた。
「ごめんなさい……少しだけ、使わせてもらいます。」
そう呟き、アーロンは左手を口元へ。血を裂き、舌先に落とす。
刹那、熱が全身を駆けた。筋肉が蠢き、骨が軋む。だが、その瞬発だけは彼に“もう一歩”を与える。
アーロンは跳んだ。台座の上へと、真上から踏み込む。
ゼルカは動かない。
そのまま、アーロンは空中で体を回転させ、血刃を足に纏わせて叩き込む。
ごん――と、衝撃音が広がる。
ゼルカの身体が、わずかに傾いた。
(届いた――!)
だがその瞬間、ゼルカの掌がゆっくりとアーロンの首元に触れる。
「はい、終了~」
次の瞬間、空気が弾けた。アーロンの身体は軽く弾かれ、後方へと転倒する。
だが、ゼルカは満足げに笑っていた。
「うん。合格。いやー、いいねえ。“何か”を持ってる子はやっぱ違う。」
ゼルカは立ち上がり、台座から降りた。
「さて。次は、正式な“第一試験”だ。五人と――ひとり」
広場の壁際には、いつの間にか先ほどの五人が姿を見せていた。
どこから現れたのか、それは分からない。ただ、試練の行方を見届けるために“そこにいた”。
ミレイユの姿もある。少し離れた場所から、静かにアーロンを見守っていた。
先程まで観測者として離れていた彼女が、再び姿を現したのは――この瞬間のためだ。
そしてその中央、全員の視線を引き寄せるようにして現れたのは――
筆頭、ユリウスだった。
堂々たる佇まい。声を発することなく、ただ一瞥を送る。その重みが、この場を引き締めた。
アーロンは地面に手をつき、息を整えながら、視線を上げる。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
今回は、ゼルカ=レインヴェルトというキャラクターの”一部”を少しだけ覗かせるシーンとなりました。
彼の飄々とした態度と、その裏に潜む“見えない圧”のようなもの、何か伝わるものがあれば幸いです。
また、アーロンの側にも、幻夢戦争記録区を経た「確かな成長」が芽吹き始めています。
小さな傷と揺らぎを抱えながらも、彼が次の一歩をどう踏み出すのか――
その先に待つ行方とあわせて、ぜひ見守っていただけたら嬉しいです。
感想や反応も、いつでもお気軽にお寄せください。
それでは次回の内容も読んでただけたら、幸いです。




