表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天翳なき瞳 ――禊の旅路を歩む者――  作者: ペケ
第3章 沈黙の国の門
15/19

鋼の門をくぐるとき

――それは、「門をくぐる」物語。


現実と幻想、過去と未来。

その狭間を旅してきたアーロンとミレイユが、ついに〈ルフ=アルヴェス〉という名の“境界”へと

辿り着きます。


本章では、世界の重みを感じさせる風土と、その中心にある鋼鉄の門、

そして沈黙の奥に潜む選別の意志を描いています。

読者の皆さまには、彼らと共に一歩一歩を踏みしめながら、この地に満ちる“空気の重さ”と

“眼差しの冷たさ”を感じ取っていただけたら嬉しいです。


静かに始まり、静かに“問われる”章。

どうか、ゆっくりと読んでみてください。

それは、奇妙な旅だった。


血の匂いと熱がなお残る〈幻夢戦争記録区〉を後にしてから、アーロンとミレイユは五セル――五日間にも及ぶ道のりを歩んだ。


けれど、歩みを重ねても、季節の移ろいはどこか停滞していた。

風はどこまでも湿り気を含み、重く、肌に纏わりつくようだった。空は曖昧な灰色に染まり、

日差しはおろか、空の“高さ”すら分からなくなるほど鈍い。


昼夜の境界さえあやふやなこの風土には、どこまでも一定の冷たさと沈黙が横たわっていた。

時が動いていないのではないかと錯覚するほどに。

それこそが、澱影の国〈エイジウェイ〉が秘める“本性”だった。


地形もまた、まるで意志を持つように姿を変え続けた。

砂利道は苔むす林道へと姿を変え、朽ちかけた石橋を渡れば、次には急峻な山道が待ち構えている。そのすべてが、忘れ去られた記憶の断片を綴り直すかのように、過去と現在の境界を曖昧にしていた。


夜。

宿のない日は篝火を焚いた。湿った枝がぱちぱちと音を立て、火は静かに横へと流れた。

風が吹いているわけでもないのに、煙はまるで留まりたがるように、空へと昇らず、地を這った。

その煙のかたちは、記憶――あるいは後悔のように、形を持って揺れていた。


ミレイユは、旅のあいだ、ほとんど言葉を発さなかった。

だがその沈黙は冷たさではなく、ひとつの“信頼”として存在していた。


たとえば、ある日。

細い崖道でアーロンが足を滑らせかけた瞬間、ミレイユは反射的に手を伸ばした。

迷いなく掴まれたその腕――無言のまま離された指先には、わずかに汗が滲んでいた。


それを見たアーロンは、胸の奥が、そっと緩んだ。


彼女の沈黙は、拒絶ではない。

言葉にしない“祈り”であり“見守り”なのだと、ようやく気づくことができた。


そして五日目の早朝。

霧が深まり、空が灰に沈んだそのとき、視界の先に――異質な“断片”が現れた。


地形の先に浮かび上がる黒い稜線。

それは、自然という概念そのものを否定するように、静かに、しかし圧倒的に存在していた。


それが、〈ルフ=アルヴェス〉の本拠地だった。


黒い。

それ以外に、言葉が見つからなかった。


門が、塔が、壁が――すべてが“防御”ではなく“拒絶”のために築かれていた。

大地の脈を封じるように、鋼鉄で構築された竜骨の門が口を閉ざし、

訪れた者を“迎える”という発想そのものを欠いていた。


石畳の裂け目を越えた瞬間、空気が変わった。

重たく、肌に纏いつくような密度。微かに鉄の匂いすら感じるほどの濃度。

霧が頬を撫で、風が吹いていないはずなのに、耳元で誰かの囁きが響いた。


言葉ではない。しかし“意図”は、確かにあった。


目の前の門は、まるで巨獣の肋骨のように湾曲した鋼鉄の構造だった。

漆黒の金属が幾重にも絡み合い、無数の封鎖印が、そのひとつひとつで“選別”の意志を刻みつけていた。


門の左右にそびえる高壁には、苔すら生えていない。

この場所だけが、時間の進行を拒絶し、ただ“在る”ことを選んだかのようだった。


門は山間の断崖に築かれ、その背後には切り立った崖と、遥かな雲海が広がっていた。

足元の石畳には古代語の紋章が精密に刻まれており、踏み込むだけで識別の術式が作動するのがわかる。

空気は澄んでいた――だが、それゆえに、何かが“研ぎ澄まされている”感覚があった。


アーロンは、視線を感じた。


高台の監視塔。あるいは霧の中に潜む別の“眼”。

結界か、生身の殺意か。どれであっても、そのすべてが命の価値を静かに値踏みしていた。


ふと視線を落とすと、石畳の片隅にわずかな焦げ跡があった。


誰かが、ここで拒絶された――その痕跡かもしれない。

この門は、意志なくして越えられない。受け入れを前提としない門。


背後で足音が止まり、ミレイユがそっと息をつく気配がした。


「……ここが、〈ルフ=アルヴェス〉の心臓部よ。息が詰まりそうでしょう?」


その声は柔らかかったが、同時に、何かを試すような響きが含まれていた。


アーロンは小さく頷き、深呼吸を一つ。


「はい。でも……少しだけ、落ち着きました。風が……きれいです。」


その言葉は、意外にも自然に口からこぼれた。

この場所の空気には、わずかな草の香りが混じっていた。無機質と術式に支配された空間に、それでも自然の気配が残っていることが、不思議な安心をもたらしていた。


「そう。恐れるべきは、鋼でも術式でもないわ。――“眼”よ。」


ミレイユの声は低く、それでも優しかった。


その言葉に、アーロンは一人の人物の言葉を思い出す。


――「見られてると思ったときは、“隠す”んじゃなくて“見せたいもの”をひとつ決めておくんだ。

  お前が決めたものだけを、奴らに見せてやれ。」


アーデンの声。

遠く、でも確かに届いてくるその言葉が、彼の背中をそっと押す。


門の隙間から、金属が擦れるような微かな音が響いた。


「名を。そして、推薦者を。」


その声は姿を持たず、空間そのものが問いかけているようだった。


アーロンは、一歩前へ出る。


「アーロンと申します。トゥリス=ハインツ殿の推挙により、正式に入門の許可を得ております。」


ミレイユも、静かに一歩進み出る。


「そして私も、〈澄眼派〉観測者ミレイユ=リリスとして、彼を推薦の対象者と“記録“しました。」


沈黙が、空間を満たす。


門の術式構造が淡く脈動し、古代の紋章が呼吸するように光を放つ。

やがて――封鎖の一部が、低く、重たく、解除されていく。


だが、それ以上は動かない。


――まだ“問われて”いるのだ。


ミレイユはアーロンの隣に並び、そっと肩越しに囁いた。


「緊張しすぎよ。でも無理もないわ。ここは“選ばれし者”でさえ膝を折る場所だから。」


その言葉に、アーロンは小さく笑った。ほんのわずかに、だが確かに。


そして――


目の前の門の奥へと、意志を込めて視線を向けた。


この門の先に待つものは、過去でも未来でもない。

ただ、“今”という名の試練だけだった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。

そして、更新まで少しお時間をいただいてしまい、申し訳ありません。

約10日ぶりの投稿となりましたが、待っていてくださった

皆さま、本当にありがとうございます。


〈幻夢戦争記録区〉という過去の熱から、〈エイジウェイ〉の静謐へ。

そして、〈ルフ=アルヴェス〉という“拒絶と選別”の地へと、アーロンとミレイユは歩みを進めました。


本章では、キャラクターたちの沈黙や視線の奥にある感情、そして“試される場”に立つという緊張感を、少しずつ丁寧に描くことを意識しました。


「門をくぐる」という行為は、単なる移動ではありません。

それは、覚悟であり、信念であり、ときに過去との訣別でもあります。

アーロンの踏み出した一歩を、あなた自身の“一歩”と重ね合わせて感じていただけたなら、

嬉しい限りです。


もしよろしければ、感想やご意見をお寄せいただけると、とても励みになります。

登場人物たちの言葉や仕草、場面の空気感など、どんな些細なことでも構いません。


そして最後に、ひとつお知らせを――

明日中に、いくつかのエピソードを必ず更新いたします。

物語の“核”に触れていく展開となる予定ですので、どうか楽しみにしていてください。


また、次のエピソードでもお会いできますと幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ