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天翳なき瞳 ――禊の旅路を歩む者――  作者: ペケ
第2章 影より届く、命の封
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記録の残響、血より継がれる声

記録区での過酷な戦闘の末、アーロンとミレイユは、

かつてアーデンが封印した幻影の英雄を打ち倒し、記録核を回収します。


本章では、戦いの余波、魂の記録と対話、そして《灰燼》という新たな術の継承を通じて、

アーロンがただ“戦う者”から“受け継ぐ者”へと変化していく過程が描かれます。


継承とは単なる力の移譲ではなく、心と記憶、そして意志を繋ぐもの。


“血廟魔術”という世界観の核を掘り下げつつ、アーロンがその先へと進む決意を見つける

静かで重厚な一幕です。



封鎖された空間には、血の匂いと燃え残りの魔力が、まだわずかに漂っていた。




倒壊しかけた石の壁に背を預けながら、アーロンは膝をついて深く、ゆっくりと呼吸を整える。

傷は浅くなかった。体の奥底に、焦げつくような疲労が滲んでいる。




「……まだ、生きてますね。俺たち」




擦れた声で、無理に笑ってみせた。ミレイユは隣で肩を揺らし、小さく頷いた。彼女の肩口には

血が滲み、衣服が破れている。だが、目はまだ濁っていない。封印は完了していた。



だが――幻影が霧散したその中心には、なお“何か”が残されていた。




「……見て」




ミレイユが静かに指差す。崩れた床石の隙間にぽつりと転がる赤黒い“核”――それは記録札の核、名もなき英雄の“魂の断片”だった。




その存在感は、ただの記録以上の何かを放っていた。圧迫感。熱。沈黙の中に潜む呼び声。




アーロンは手袋を外し、素手で核を掴む。その熱は皮膚を焼くほどではなかったが、鼓動のようなものが確かに感じられた。封文具に納めようとした、その瞬間だった。




――音もなく、何かが脳裏に流れ込んできた。






戦場。黒煙が空を裂き、瓦礫と死が一面を覆う。地の底から響く轟音。燃える地面。崩れかけた塔の影。




その中心で、一人の男が、満身創痍の体を支えながらなお立っていた。




「……悪いな、アーデン。どうせ俺はもう、長くねえ。」




男の声は、乾いていながら温かかった。背には巨大な剣。全身は裂傷と泥と血で覆われている。

それでも、口元に浮かぶ微笑は不思議と穏やかだった。




《お前にだけは、預けてぇもんがある。この“記憶”と、“術”が、誰かの剣になるなら――

俺は、もう迷わねえ》




アーロンはその光景を見ていた。否、見せられていた。これは――記録だ。

血廟魔術を通じて流れ込んだ、“彼”の人生の最後の瞬間。




対するアーデンは、今よりも若く、だがその眼差しには今と変わらぬ苦悩が宿っていた。




《お前は……まだ、生きられるはずだ! だから――》




《いや。だからこそ、今ここで“死ななきゃ”ならねえ奴もいるんだよ》




男は最後の力を振り絞り、胸元へと手を当てる。




その瞬間、朱の火が身体の内側から噴き上がった。血を燃やし、命を代償として力を繋ぐ、秘術《灰燼かいじん》。




それは、血廟魔術のパスを持つ者にしか継がれない。肉体を削り、魂の炎ごと“記録”

として遺すための儀。




彼はそれを、死の直前に――アーデンの手に託し、そのまま崩れ落ちた。




その術と共に遺された“記録”が、今――アーロンの血廟魔術のパスを通じて流れ込んできた。






「……記録の残響、ですか?」




アーロンはゆっくりと目を開けた。呼吸は浅く、だが意識は澄んでいる。胸の奥が、熱い。

何かが根を張るように、血の中で蠢いていた。




「今の……義父さんの、“戦友”の記憶だと思います。」




「……そうですか……」




ミレイユは顔を伏せたまま、小さく頷く。彼女の声には、過去を知る者にしか出せない重みがあった。




「彼が……なぜ封印されねばならなかったのか、少しだけ分かった気がします。」




「でも、それを知っても……」




アーロンは核を手に乗せたまま、その温もりを感じ取ろうとした。もう熱はない。だが、その中に在る“意思”は確かだった。




「……誰かの記憶に縛られるんじゃなくて。俺は、それを“前に進む力”に変えたいんです。」




封印は、終わりではない。それは“証言”だ。かつて誰かが、生き、戦い、そして命を賭けた記録。




声なき叫び、遺された想い。それを拾い、継いで、次に繋げることこそ――




「義父さんが、俺に継がせた“意味”だと思うんです。」




そのときだった。




アーロンの胸元が、淡く紅く、燃えるように輝いた。




「……これは……」




ミレイユが息を呑む。だが、アーロンは静かに手を当てた。




血が、応えている。




《灰燼》――それは、血を燃やし、細胞を再生させる禁術に近い魔術。自己修復と強化を同時に行う代わりに、使用者の寿命を削る。




だが今、アーロンはその術の存在を確かに“受け入れた”。




血廟魔術とは、他者の血と魂を受け入れ、記録を読み取り、その技と意志を継承する秘術。アーロンの中にある血廟の“パス”が、それを許した。




「……前に進むために、“背負う”んじゃなく、“繋げたい”んです。」




彼の声音には、もう迷いはなかった。




ミレイユは目を細める。肩の痛みがまだ癒えていないはずなのに、その視線はどこか安らかだった。




「……あなた、強くなりましたね。」




「いえ、俺はまだ……未熟です。でも、少なくとも――」




「“ひとりで背負わない覚悟”を持てた。それは、強さです。」




ミレイユは静かに立ち上がる。アーロンも記録核を封文具へと納め、背筋を伸ばした。




「行きましょう。……ここは、もう静かすぎる。」




「はい。……もう“彼”の声は、聞こえませんから。」




視線を交わし、ふたりはその場を後にする。




足取りは、かつて誰かの背中に守られたものではない。




――それは、自らの意思で歩み出す者の、はじまりの一歩だった。




ミレイユは、ふと背後に視線を送る。そこには、もはや幻影も記録もない

ただの静かな空間が広がっていた。




それでも彼女の目には、確かに映っていた。




かつてこの地で命を燃やし、誰かに術を託した男の影が。




「……血と記憶は、そうして継がれる。」




彼女はそう呟き、そっと目を閉じた。




風のない封鎖空間の中で、わずかに赤い光が揺らめいていた。



こちらの内容は物語の中核となる“継承”と“赦し”のテーマを

色濃く映し出す話となりました。


死者の魂の記録を巡り、アーロンは新たな力《灰燼》を手にしながら、

過去と向き合い、未来へと踏み出します。


ミレイユとの対話もまた、彼の内面を映す鏡となり、両者にとって“共に歩む”という

芽生えが小さく光るきっかけとなったのではないでしょうか。


次は家路への帰還と、旅立ちへの転機が描かれます。

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