記録の残響、血より継がれる声
記録区での過酷な戦闘の末、アーロンとミレイユは、
かつてアーデンが封印した幻影の英雄を打ち倒し、記録核を回収します。
本章では、戦いの余波、魂の記録と対話、そして《灰燼》という新たな術の継承を通じて、
アーロンがただ“戦う者”から“受け継ぐ者”へと変化していく過程が描かれます。
継承とは単なる力の移譲ではなく、心と記憶、そして意志を繋ぐもの。
“血廟魔術”という世界観の核を掘り下げつつ、アーロンがその先へと進む決意を見つける
静かで重厚な一幕です。
封鎖された空間には、血の匂いと燃え残りの魔力が、まだわずかに漂っていた。
倒壊しかけた石の壁に背を預けながら、アーロンは膝をついて深く、ゆっくりと呼吸を整える。
傷は浅くなかった。体の奥底に、焦げつくような疲労が滲んでいる。
「……まだ、生きてますね。俺たち」
擦れた声で、無理に笑ってみせた。ミレイユは隣で肩を揺らし、小さく頷いた。彼女の肩口には
血が滲み、衣服が破れている。だが、目はまだ濁っていない。封印は完了していた。
だが――幻影が霧散したその中心には、なお“何か”が残されていた。
「……見て」
ミレイユが静かに指差す。崩れた床石の隙間にぽつりと転がる赤黒い“核”――それは記録札の核、名もなき英雄の“魂の断片”だった。
その存在感は、ただの記録以上の何かを放っていた。圧迫感。熱。沈黙の中に潜む呼び声。
アーロンは手袋を外し、素手で核を掴む。その熱は皮膚を焼くほどではなかったが、鼓動のようなものが確かに感じられた。封文具に納めようとした、その瞬間だった。
――音もなく、何かが脳裏に流れ込んできた。
戦場。黒煙が空を裂き、瓦礫と死が一面を覆う。地の底から響く轟音。燃える地面。崩れかけた塔の影。
その中心で、一人の男が、満身創痍の体を支えながらなお立っていた。
「……悪いな、アーデン。どうせ俺はもう、長くねえ。」
男の声は、乾いていながら温かかった。背には巨大な剣。全身は裂傷と泥と血で覆われている。
それでも、口元に浮かぶ微笑は不思議と穏やかだった。
《お前にだけは、預けてぇもんがある。この“記憶”と、“術”が、誰かの剣になるなら――
俺は、もう迷わねえ》
アーロンはその光景を見ていた。否、見せられていた。これは――記録だ。
血廟魔術を通じて流れ込んだ、“彼”の人生の最後の瞬間。
対するアーデンは、今よりも若く、だがその眼差しには今と変わらぬ苦悩が宿っていた。
《お前は……まだ、生きられるはずだ! だから――》
《いや。だからこそ、今ここで“死ななきゃ”ならねえ奴もいるんだよ》
男は最後の力を振り絞り、胸元へと手を当てる。
その瞬間、朱の火が身体の内側から噴き上がった。血を燃やし、命を代償として力を繋ぐ、秘術《灰燼》。
それは、血廟魔術のパスを持つ者にしか継がれない。肉体を削り、魂の炎ごと“記録”
として遺すための儀。
彼はそれを、死の直前に――アーデンの手に託し、そのまま崩れ落ちた。
その術と共に遺された“記録”が、今――アーロンの血廟魔術のパスを通じて流れ込んできた。
「……記録の残響、ですか?」
アーロンはゆっくりと目を開けた。呼吸は浅く、だが意識は澄んでいる。胸の奥が、熱い。
何かが根を張るように、血の中で蠢いていた。
「今の……義父さんの、“戦友”の記憶だと思います。」
「……そうですか……」
ミレイユは顔を伏せたまま、小さく頷く。彼女の声には、過去を知る者にしか出せない重みがあった。
「彼が……なぜ封印されねばならなかったのか、少しだけ分かった気がします。」
「でも、それを知っても……」
アーロンは核を手に乗せたまま、その温もりを感じ取ろうとした。もう熱はない。だが、その中に在る“意思”は確かだった。
「……誰かの記憶に縛られるんじゃなくて。俺は、それを“前に進む力”に変えたいんです。」
封印は、終わりではない。それは“証言”だ。かつて誰かが、生き、戦い、そして命を賭けた記録。
声なき叫び、遺された想い。それを拾い、継いで、次に繋げることこそ――
「義父さんが、俺に継がせた“意味”だと思うんです。」
そのときだった。
アーロンの胸元が、淡く紅く、燃えるように輝いた。
「……これは……」
ミレイユが息を呑む。だが、アーロンは静かに手を当てた。
血が、応えている。
《灰燼》――それは、血を燃やし、細胞を再生させる禁術に近い魔術。自己修復と強化を同時に行う代わりに、使用者の寿命を削る。
だが今、アーロンはその術の存在を確かに“受け入れた”。
血廟魔術とは、他者の血と魂を受け入れ、記録を読み取り、その技と意志を継承する秘術。アーロンの中にある血廟の“パス”が、それを許した。
「……前に進むために、“背負う”んじゃなく、“繋げたい”んです。」
彼の声音には、もう迷いはなかった。
ミレイユは目を細める。肩の痛みがまだ癒えていないはずなのに、その視線はどこか安らかだった。
「……あなた、強くなりましたね。」
「いえ、俺はまだ……未熟です。でも、少なくとも――」
「“ひとりで背負わない覚悟”を持てた。それは、強さです。」
ミレイユは静かに立ち上がる。アーロンも記録核を封文具へと納め、背筋を伸ばした。
「行きましょう。……ここは、もう静かすぎる。」
「はい。……もう“彼”の声は、聞こえませんから。」
視線を交わし、ふたりはその場を後にする。
足取りは、かつて誰かの背中に守られたものではない。
――それは、自らの意思で歩み出す者の、はじまりの一歩だった。
ミレイユは、ふと背後に視線を送る。そこには、もはや幻影も記録もない
ただの静かな空間が広がっていた。
それでも彼女の目には、確かに映っていた。
かつてこの地で命を燃やし、誰かに術を託した男の影が。
「……血と記憶は、そうして継がれる。」
彼女はそう呟き、そっと目を閉じた。
風のない封鎖空間の中で、わずかに赤い光が揺らめいていた。
こちらの内容は物語の中核となる“継承”と“赦し”のテーマを
色濃く映し出す話となりました。
死者の魂の記録を巡り、アーロンは新たな力《灰燼》を手にしながら、
過去と向き合い、未来へと踏み出します。
ミレイユとの対話もまた、彼の内面を映す鏡となり、両者にとって“共に歩む”という
芽生えが小さく光るきっかけとなったのではないでしょうか。
次は家路への帰還と、旅立ちへの転機が描かれます。




