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第六章

第六章

 

 月日の経つのは早い。

 月曜の午後、院長室で新井はこの前の白内障の手術(オペ)のカルテを読みつつそう思った。とりあえず経過観察と投薬をしていけばよい。カルテを閉じ、部屋を眺めた。

 午前中に診察した緑内障の女性患者が気にかかっていた。左目の視野の欠損が予想以上に広がっており予後が悪そうだ。まだ四十と若く、いずれ左目の失明は免れないだろうと思うと気の毒になった。

 最近、緑内障は若い人にも多い。食生活の欧米化が原因だろう。

 目が見えるのはどんなに素晴らしい事か、と思う。もし目が見えなければ運転や読書もテレビを見る事もできない。眼科医と言う職業も、目が見えるからできるのである。

 そう思うと目が見える事に感謝したい気持ちになった。職業柄、失明した人を見てきたから、なおさらそう思う。

その時、ノックする音が聞こえた。

「どうぞ」

 君江だ。いつ見ても豚のような女だ。お世辞にも美しいとは言えない。愛想笑いを浮かべている。

「先生、お話があります」君江から視線を逸らす。

「吉田さん、話とは?」新井はこの女が嫌いだった。表では「院長先生」と敬っているが、陰では「あのボンボン」「世間知らず」「頭でっかち」など陰口を房子と散々叩いている。

 君江や房子の「指導」と称した陰湿な「いじめ」を受けていると言う若いナースの訴えを何度も聞いた。昨年、新人ナースが立て続けに辞めた。事情を聞くとみな一様に君江や房子の陰湿な「いじめ」について話したものだった。

そのため君江や房子を呼び出し事情を聞いてみたが、いつも「先生のお考え過ぎではないですか」「私たちは指導をしているだけです」「いじめなど、していません」と涼しい顔でシラを切る。

「先生。園崎さんの事でお話があるんです」君江が愛想笑いを浮かべた。

「園崎さんがどうかしたのですか?」と新井が言うと君江は堰を切ったように、しおりの悪口を言い始めた。

「あの人、お薬もよく間違えたりします。処置や検査もまともにできません。何回指導しても効果がありません。あれでは患者さんにご迷惑がかかりますよ。私や若林さんが、ちょっと厳しく指導すると、すぐに涙ぐんで恨めしそうに見てきます。看護学校を出ただけで現場を知らないくせに、私たちをどこか見下しているみたいです。本当に困った人ですわ。先生、何とかしてくれませんか?」

 君江は真摯な表情を浮かべながら、ずる賢い狐のような目をしていた。

しおりが薬を間違えるといった話は、以前も君江から聞かされたが、他のナースに確認を取ったところ、そんな事実はなかった。多分この女の作り話だろう。

「園崎さんが薬を? 私も確認したが、そんな話は聞いた事がありませんね。それに園崎さんに問題があるとすれば吉田さん、師長のあなたの責任でもある、と思いますが? その辺はいかがですか」一瞬、君江の笑顔が消え眼が怒りで光ったが、何事もなかったように微笑を浮かべた。なかなかの役者だ。

「先生が信じてくださらないのなら仕方がありませんが、本当にあの子、お薬を間違えたりするんですよ。先生は、あの子の本当の姿をご存じで? 裏表の激しい子で陰で院長先生の悪口を言っていますよ」と言って微笑した。

 「院長先生の悪口」か。それはお前達だろう。俺が知らないとでも思っているのか? と言いたいところをぐっと我慢した。

「本当に園崎さんが僕の悪口を言っているかどうかは知りませんが。お話はそれだけですか?」この女が院長室にいるだけで気分が悪くなる。

「ええ、それだけです」

 新井が「わかりました、園崎さんは僕の方からもよく見ておきます」と言うと君江は深々と頭を下げて出て行った。

 すぐ房子のところに行き、不満をぶちまけるに違いない。

 君江や房子は若いナースが入ってくると、すぐに妬んでいじめるという。最初は麗佳もターゲットにされたが、同じ看護学校を出た先輩の飯島未祐が助けてくれたようだ。未祐の話によると麗佳はターゲットからは外れたが、それでも気に入らない事があるとネチネチと難癖をつけ叱責する事もあると言う。そして麗佳の代わりに、しおりが目をつけられるようになってしまった。

 未祐によると、しおりが物陰で泣いていたのを何度も見たと言う。君江たちは「指導」と称し陰湿ないじめをしている。また未祐自身も君江と房子の二人に朝から晩まで神経を使い過ぎて胃がおかしくなったそうだ。

 未祐によれば、職場の雰囲気も非常に悪く皆は表面上、合わせているが、誰もが二人を嫌っている。

また、休憩室もこの二人の専用スペースと化しており事情を知らない新人ナースがうっかり入ったりすれば凄まじい怒号が飛んで来る。本来、休憩室は共用スペースなのだが、この二人が私物化している。そのため他のナースたちは別の小部屋で休んだり、外に行くという。

早急に父に事情を話して二人を解雇したいのだが、父は「院長をしていた時には俺は誰一人として切った事がないぞ。どんな人間も誠意を尽くして話せば通じ合えるものだ」と昔から口癖のように言っていた。

そんな父に事情を話しても「それは、お前の力量不足だ。問題のある者であっても安易に切るという発想がそもそもいけない。そういう者もきちんと導いてやるのがお前の務めではないか」と言って反対するに違いない。

 父にクリニックを建ててもらったので、あまり強い事も言えない。しかし、このままでは士気も下がり雰囲気も悪くなる。また新人育成の面でも問題が生じる。

 いままで何回も院長室に呼び出し、新人に対する態度を改めるように伝えたが、その度に「先生。新人を甘やかすと、ろくな事になりませんよ」「私たちはちゃんと指導しているだけです!」と反発し新井の言う事を聞こうとはしない。

 あの二人は本当に困ったものだ。

 胃がおかしくなる思いがした。


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