第五章
第五章
熱海の街を歩く。坂道の途中にある白い洒落たカフェに入った。
「いらっしゃいませ」ウェイトレスの明るい声が実に空疎に聞こえた。案内されるまま窓際の席に座る。 柔らかな日差しの中、通りの観光客がこちらを眺めている。紅茶を注文しティラミスも頼んだ。
しおりは子供の頃、いつも教室の端で自分と似た子たちといた事を思い出した。
「もっと元気を出して。もっと話して」「もっと明るく」「暗いわよ」「そんな性格では社会では通用しない」そんな言葉を先生や明るい子たちから数えきれないほど浴びせられてきたものだ。「もっと明るく」「もっと話して」「もっと元気に」それができたら苦労しない。意を決し無理に明るく振舞った事もあるが「わざとらしい」と言われてひどく傷ついた事もある。そもそも明るい子の「ノリ」にはどうしてもついていけない。それは相手にも伝わるようで彼らとは解り合えない気がする。やはり自分に似た子たちの方が気も合う。高校時代の友人が三人いる。工藤愛子、宮島絵里、今野まどかだ。この三人とはいつも仲良しだった。女子校だったので男性とは無縁の青春を送った。
卒業後愛子は地元の会社に就職し絵里は東京の大学へ進学、まどかは地元の短大に進んだ。愛子は昨年、職場の先輩と結婚した。いま妊娠六か月だと言う。仲間内で一番物静かだった彼女が、もうすぐママになる。それに絵里も大学を卒業してから大手出版社の編集者として忙しい日々を送っている。担当をしている若手作家と付き合い始めたとメールが来た。大都会で憧れの職業に就き、作家の彼氏も手に入れた彼女に祝福のエールを送りながらも妬ましい気持ちも湧いてくる。幸せな友人たちを密かに妬む嫌な女になった気がして、自分が嫌になる。
最近まどかも友人の紹介で初めての彼氏ができたという。大阪のUSJに二人で行ったと楽しそうな画像を送ってきた。
「良かったね、彼氏と仲良くしてね」と返信したが自分だけ彼氏もできず、毎日嫌な先輩にいじめられる。あまりにも惨めでつい涙がこぼれる。
大丈夫よ。いつか彼氏もできる。結婚もできるよ、と自分に言い聞かせる。
だけど自分のような内気な性格でうまくいくだろうか? 今の職場ですら溶け込めていないのに。
淹れたての紅茶が、まるで出し殻のような味がした。ティラミスも砂のような味だ。他の客は美味しそうに食べているのに。何を食べても美味しく思えない。
日頃の嫌な事を忘れようとしてここまで来たのに、つい嫌な事ばかり考えてしまう。
これからずっと嫌な事だらけの人生なのだろうか? 生きていくのが嫌になる。
その時、ふとネットで見つけた「新世界」という名のブログを思い出した。
遠山省吾と言う売れない画家のブログだ。それによると遠山省吾は武蔵野美術大学に在学中に日展で入賞し画家になったが、画壇の長老の怒りを買い画壇から追放されて画家を辞めざるを得なかった。
その後は様々な仕事をしたが長続きせず、貧しい生活を余儀なくされているらしい。
ブログの記事によれば「画壇は本当に腐っている。新人は画壇の長老に多額の賄賂を渡さないと、どんなに実力があってもデビューできない」とか「この腐りきった画壇をぶっ壊さなければ日本の芸術はおしまいだ」などと過激な発言が並んでいる。
遠山の言う通り画壇はそんなにも腐敗しているのだろうか? よく解らないが、ないとも言えない気がした。ブログを通じ、この画家をしおりは気に入っていた。
黒をバックに派手な極彩色の色がまるで炸裂するように広がる「ひかり」と言う作品。古代ローマの遺跡らしき石柱に佇む一人の裸婦が海を見ている「長閑な午後」。ほかにもいろいろな作品がブログで公開されていたがその筆遣い、色使い、その感性と独特の世界観にぐっと引き込まれてしまう。どの絵を見ても一流画家が描いたとしか思えない。
こんな上手な画家が世間で認められないとは。もしかしたら、この画家の言っている事は本当かも知れない。遠山のように世の中に埋もれた画家が数多くいるのだろう。世間から認められない画家たちの怨嗟と呻吟の聲が聞こえてくるように思えた。
頑張っても報われるとは限らない。実力主義とか言うけれど力を持った者の意向ですべて決まるではないか。たとえそれがどんなに理不尽であったとしても。
自分の境遇と重ねて、そう思った。
カップに口をつける。冷えた紅茶はさらに不味くなっていた。